#15:第6日 (8) デートと駆け引き

【By 盗賊】

 フレンチ・レストランで昼食デジュネ、と言われても、何を着ていけばいいかディアナには判らなかった。仕方なくまたドリナを頼る。

「場所はどこって?」

「ホッパ・ビストロ。アンドラーシ通り」

歌劇場オペラハーズに近いわね。Tyチュライナイトに遭遇したらどうするつもりかしら」

「気にするのはそこじゃなくて、何を着ていくかよ」

「デートに着ていく服でいいじゃないの」

「そんなの持ってないわ」

「はあ。せめてブラウスは自分で良さそうなのを選んで。ジャケットとパンツは貸してあげる」

 夏の昼だというのに、ジャケットを着ていくのか。しかもパンツ。デートに着ていく服と言いながら、まるでビジネスのコーディネイトだ。しかし、文句を唱える資格はディアナにはなかった。選んだブラウスすら却下された。ダフネのクローゼットをドリナが勝手に開けて、物色する。

「ダフネは?」

「今日の夜中までの段取りは、朝全部説明したじゃないのよ。なんで忘れてるの」

「偵察だっけ。最初はナイトTyチュライで、次がラインハルトミノーラで、それから……」

「あんたの昼食にも邪魔しに行くから、ちゃんと話を合わせてよ」

「解ってるわよ」

 今日は恐らく、予告状の話が出るはず。目的を訊こうとするだろう。しかし、まずははぐらかす。昼食の途中でダフネが現れるまで。そこからはダフネが適切に話を持って行ってくれる……はず。

 ラインハルトはダフネの素性を知っているはずとのことだが、本当にそうだろうか。ラインハルトとダフネは一度も会ったことがない。しかしダフネの存在だけでなく、ドリナのことも知っているようだった。何か特別な情報網があるのか、あるいはTyチュライミノーラと裏で通じ合っているのか。

「それで、あんたは今日は……」

「午後からTyチュライに張り付き。ラカトシュに会いに行くみたいだから」

ミノーラは放っておいていいの?」

「彼女、動きがやけに少ないのよ。それに握ってるのはピエスだけだから、だいたい読めるわ」

 ミノーラピエスだけでなく孔雀パフも握っていると思っていたのだが、どうやら孔雀パフTyチュライと二股をかけようとしているらしい。ただ、逆にTyチュライの方が孔雀パフに接触しようとしないので、孔雀パフはどっち付かずになってしまっている。

「念のために警告しておくけど、ラインハルトのペースに乗せられないでよ」

「解ってる。注意するわよ」

 昨夜のことを話したら、手玉に取られていると思われたらしい。好きになったと言われたくらいで動揺するとは、ディアナ自身も情けないと思うので、もっとしっかりしなければならない。今はとにかく、絵のことだけを考えるのだ。

 約束の時間に、わざと5分遅れてホッパ・ビストロへ行った。フレンチだが高級店ではなく、壁はコンクリートの打ちっぱなしで、床は木張り。テーブルと椅子も木製の簡素なもので、何となく穴蔵の中の店を思わせる。クリストフは既に席にいた。

やあスィア、ディアナ、よく来てくれたね、嬉しいよ。忙しいのに僕のために時間を割いてくれて、本当にありがたいと思っている」

 クリストフは大袈裟に喜びながら、立ってディアナを迎えた。仰々しくて気恥ずかしい。それなのに、なぜ悪い気がしないのだろう。既に彼のペースに乗せられていると考えて、ディアナはできるだけ冷たい態度を取ろうとした。

「ええ、今日は忙しいから、中座するかもしれないわ。それでもよければ」

「もちろんだ。ほんの30分でも君と一緒にいられるのはこの上ない喜びだね。料理はもうこちらで選んであるが、君が選んで注文するかい?」

「何だって構わないわ」

 ディアナが答えると、クリストフはウェイターに合図をした。注文済みのメニューで持って来い、ということだろう。すぐに飲み物が出てきた。食前酒の白ワイン。

「ニュースを見たかい? 美術館に、絵を盗むという予告状が届いたらしいよ。朝から出掛けて色々なところへ行ったが、どこでもその話が聞こえてきた」

「興味がないわ」

 出したのは自分たちだから知らないはずがない。しかし、ディアナにはその意図がまだ解らないのだ。ドリナは解ったのかと思って訊いてみたら、けろりとした顔で「知らない」と言っていた。しかし、意味が解ろうが解るまいが、今夜ディアナがやることは変わらないはず。だから「興味がない」。

「そうか。コヴァルスキはポーランドの画家だし、君はポーランド系だから、興味があるかと思ったんだがね」

「町の人の興味だって、泥棒が入る日付が、セントイシュトヴァーンの祝日だからだわ」

 イシュトヴァーン1世がカトリック聖人と​​して列聖されたのが1083年8月20日。それを記念して8月20日がセントイシュトヴァーンの祝日。他国の建国記念日に相当する。

 様々な式典が行われることになっているのに、そんな日に泥棒が絵を盗むと予告状を出してきたのだから、話題に上らないはずがない。

「うむ、警察も威信を賭けて守ろうとするに違いないね」

「でも私は興味ないから」

「では、他の話題にしよう。スパイ映画シュピオナーゲフィルムに興味はあるかい?」

「映画は見ないの」

「じゃあ、ファッションは?」

「あなたもファッションにはあまり興味がなさそうだけど」

「そうでもないよ。コンピューター・グラフィックスでは物体の表面の質感テクスチュア処理が必要で、それを映画に応用するときは、どんなファッションが見栄えするか、についても研究しているからね」

「自分のファッションじゃなくて、仮想世界の中のファッションなのね」

「そう。だが、自然と他人に着せるファッションにも興味を持つようになってね。だから、君にどんな服が似合うかを考えたり評価したくなったりする」

「要らないわ。自分の服は自分で決めるから」

「しかし、君のプロポーションは想像力を刺激するんだよ。僕が勝手に君に似合う服を考えることは止めないでほしいな」

 そういうのも気持ち悪い、とディアナは言いたくなった。だがなぜか口が動かない。前菜アントレはフレンチ・オニオン・スープ。クリストフは映画の中のアヴァターに着せるファッションについてしゃべり続けている。時々「このデザインの服は君にも似合うと思う」などと言う。ディアナは相槌だけを打っていた。

 主菜プラ・プリンシパルはチキン・パプリカーシュ。鶏肉をパプリカ・ソースで長時間煮込む、ハンガリーでは一般的な料理だが、ディアナが普段食べるものとは味わいが違っていた。その間にクリストフは最近作ったスパイ映画の筋について話す。興味がないとディアナが言ったはずなのに。

 建物への侵入の時によくある「排気ダクトを伝って」というのは、実際には不可能なのだそうだ。そんなことはディアナだって知っている。

 排気ダクトは異物の侵入を防ぐため、要所にフィルターやネットが張られている。外気と接する部分のフィルターはもちろん外から外せるが、途中に挟まれたものはダクトの中からでは外せない構造だ!

 それでも適当に相槌を打ちながら、ディアナはダフネが来るのを待っていた。デザートデセールの前には来るだろうか。しかし、実際にダフネが来たのは、デザートデセールが運ばれてきた直後だった。

こんにちはスィア、ディアナ。デートかしら。彼を私に紹介してくれる?」

 現れたダフネの姿は、ディアナの予想と違っていた。男とデートするようなドレスと思っていたのに、ディアナよりももっと真面目そうなスーツ姿だった。おまけに眼鏡までかけて、有能な秘書を思わせる。

「ああ、ダフネ、彼はクリストフ・ラインハルト。ドイツのマクロロジック社の技術者よ。クリストフ……ラインハルトさんウール、彼女は姉のダフネ」

こんにちはヨー・ナポート、ダフネさんアッソニ。お会いできて光栄だよ」

「こちらこそ、ラインハルトさんウール。座ってよろしくて?」

「もちろん、どうぞ」

 クリストフはウェイターを呼んでメニューを持ってくるよう言ったが、ダフネは断り、「同じデザートを」と注文した。

「会社ではどんなお仕事を?」

「プログラミングと、コンピューター・グラフィックスを使った映画製作のアドヴァイザー」

 会話の主導権がダフネに移って、ディアナはほっとした。これでデザートの味がよく解りそうだ。クリストフは自分の仕事のことを一通り話した後で言った。

「コヴァーチ・ダフネによく似た響きの、ダフネ・コヴァルスカというポーランドの数学者の名前を聞いたことがあるんだが、君の知人にいないかな」

「ええ、知っています。でも彼女はもう数学をやめてしまいましたわ」

「ほう、では今はどこにいて何を?」

「ハンガリーのどこかで、祖先の遺産を探していると聞いています」

「それはコヴァルスキの絵のことかな」

「いいえ、絵そのものが遺産ではなく、絵の中に遺産の手がかりがあるのだと」

「ほう、それは興味深い。詳しいことを教えてくれるかい?」

「私は詳しいことは存じませんわ。彼女に訊いても教えてくれませんから」

「しかし、彼女と話すことはできる?」

「私から彼女に言うことだけができます」

「ぜひ話を聞くこともしたいんだがね」

「それはあなたのお話次第でしょう」

 なぜ二人でこんな持って回った話し方をするのだろう、とディアナは訝った。クリストフは自分に予告状のことを言ったのに、ダフネには言わない。それなのに、話しているのは絵のことだ。互いに何か駆け引きをしているのだろうか。

「ここの美術館でうまくいくかどうか判らないが、美術品を巧妙な方法というのがあってね。映画ではいろんな筋が使われるんだが、その一つだ」

「彼女が興味を持ちそうなお話ですね」

「本物と模造品を用意し、泥棒には模造品が盗まれるように仕向ける。しかし裏を掻かれて本物を盗まれた、模造品はもはや不要になったので廃棄してしまう、ということにする。しかし実際に盗まれたのは模造品で、を美術館から館長が持ち出してしまうんだ」

「すると主犯は館長だったのですね。泥棒は架空の存在だったのですか」

「泥棒は存在するんだが、館長がそれに乗じて絵を盗むんだよ」

「色々と応用が利きそうですね」

「彼女が興味を持ちそうかな? 僕と話せるようにお願いしてくれるかい」

「いいえ、その方法は、既に彼女は知っていますから」

「本当に?」

 しかしクリストフの目は、疑わしそうではなかった。むしろ歓迎の目つきだ。「騙し合いを歓迎する」というつもりだろうか?

「もっと心理的な方法をご提示くださいな。私が興味を持てば、彼女も興味を持ってくれるでしょう」

「方法はたくさん知っているから、デザートを食べ終わっても話が続けられるよ」

「けっこうですとも。他へ場所を移して、1時間でも2時間でも伺います」

 そんな手筈なら、私が会う必要はなかったんじゃないの、とディアナは思った。ずっと聞いているだけだったので、とっくにデザートは食べ終わってしまった。店を出るまで、何をしようか。

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