#15:第5日 (11) それぞれの夜

【By 主人公】

 夕食を終えてレストランから出ると、アネータが耳打ちしてきた。

「ドクトル・ネーメト・ユーノから、お電話が欲しいと」

 予想どおりだった。しかし、夕食中にちょっと思い付いたこともあるので、ユーノと話したいとは思っていた。ダフネにはロビーで待ってもらい、アネータの携帯電話モバイルフォンを借りて電話する。

「ハロー、ユーノ。今夜も残業かい」

「こんばんは、博士ドクトル。今日はどちらへお出掛けだったのかしら」

「ブダ城だ。朝、美術館で君の姉さんのヤンカにも会ったよ。とても興味深い話を聞かせてもらった。警備システムのことは君も知ってる?」

「ええ、概要だけ」

「ところで、今夜もまたアカデミーに誘ってくれるのかな」

「もしあなたの時間があるのなら……」

 相変わらず遠慮がち。オックスフォードの女子学生の方がもっと積極的だったぞ。

「すぐには無理だが、もう少し……30分くらいしてからなら。ところで、一つ訊きたいことがあるんだけど」

「何?」

「コヴァーチ・ダフネという研究者を知ってるか?」

 ダフネと話していると、どうしても研究者と思えて仕方ない。役柄としては“泥棒”と判ってるんだが、絶対それだけじゃない気がする。

「心当たりがないわ。何の研究者?」

「おそらくゲーム理論。あるいは計算機科学。君の姉妹にも訊いてみて欲しいんだが」

「訊いてもいいけど、どうしてその人のことが知りたいの?」

 さて、どう答えようか。

「今朝、美術館を見た後で、その名前を耳にしたんだ。俺の研究に少し関係あるらしいから、彼女の研究内容も調べようと思って。ああ、そうだ、名字にはあまりこだわらないでくれ。俺の発音が間違ってるかもしれないから」

「調べておくわ。それで、いつあなたは……」

「30分後にもう一度電話する」

「解ったわ。ありがとう」

 さて、ダフネの方の決着を付けなければならない。それにはまず。

「アネータ、30分後にドクトル・ネーメトに電話するから、部屋に来てくれ。それまでは君の持ち場で待機」

「イエス・サー」

 それからダフネと共に部屋へ。人目がなくなって態度が急変しないことを望む。

「さて、食事の前の話に戻そうか。フィールドのことを知りたがっていたが」

「憶えていてくださって嬉しいですわ」

 ホテルの用箋を取ってきて、美術館の4階の見取り図を書く。本来なら、食事前に彼女と話をした30分間は、これを描いて進入経路を考えるのに使おうと思っていた。

 もっとも、考えるだけで、実行する予定はなかった。4階に置いてある絵は、おそらくターゲットじゃない。本物のターゲットがどこにあるかはまだ判っていなくて、それも考えないといけない。

「これが君の想定しているフィールドと思うが、どうだろう?」

 ダフネは答える代わりに優美に微笑んだ。言質を取られたくないのか。

「でも、これは君も知ってることと思うんだがな。誰でも見ることができる」

「そうですね」

「知りたいのはシステムのロジック? それとも……」

「あなたがどう関与しているかですわ」

 つまり、俺が盗もうとしてるかどうか。いや、それだけじゃないな、マルーシャやラインハルト氏やミノーラ嬢のことも訊こうとしてるのか。でも、彼らがどうするかは俺もよく知らないんだよ。

「俺は君のゲームを邪魔するつもりはないよ」

「ありがとうございます」

「それで君のやろうとしていることは、シミュレイションどおりに成功しそう?」

「少し確率が上がりました。ありがとうございます。今日はこれで失礼しますわ」

「君とは明日もどこかで会いそうな気がするな」

 ダフネが席を立った。夢見るような穏やかな笑みを浮かべている。

「ええ、私もそう思います」

「何なら、朝のマルギット島に来るかね。妹も連れてさ」

「面白そうですね。あなたの走る姿は本当に美しいですから。朝、私の前に、あなたに声をかけたのはドリナです。それともう一人いるのですが、あなたは憶えておいでかどうか」

「もちろん憶えてるよ。今日の昼も夕方も見た」

「あら、あの子、そんなに目立ってしまって。彼女はディアナです。お休みなさい、ドクトル・ナイト」

 ダフネは帰った。これで、T1、T2、T3と呼ばないで済むようになったな。



【By 研究者】

 これから行く、という電話が彼から架かってきた後、ユーノは何となく落ち着かなかった。彼と話をするのは、楽しいことのはずなのに。

 待ちきれなくて、そわそわしているのだろうか。それなら、何を話そうかということで頭がいっぱいになるはずなのに、なぜか今夜はそうなっていない。

 私の目的は何だったろう?

 彼と話をしたい。研究の話を聞いてもらいたい。それは間違いない。

 私は何に引け目を感じているのだろう。彼の話を聞かないことだろうか。私の興味があることなら、聞いてみたい。彼はなぜ話さないのだろう。なぜ私の話を聞いてばかりなのだろう。

 今日は彼の話を聞こうか。聞かせて欲しいと頼むのは、別に嫌ではない。ちょうど、彼の研究論文を一つ入手した。どこから回ってきたのかよく判らないし、ユーノ自身の研究に全く関係がないから、聞いても興味が持てるかどうか、自信がない。

 彼が来た。

「こんばんは、ユーノ。電話をくれたのに失礼した。知り合いと食事に行ってたものだから」

「いいえ、構わないの。もっと前に電話しておけば、あなたの帰りに間に合ってたんだから、私がもたもたしてただけなのよ。ああ、そうだわ、さっき訊かれた研究者のことだけど」

 もたもたしていたのは、昨夜、地下鉄メトロの駅で見知らぬ人に言われた言葉が原因だった。「君は彼がブダペストに来てから、一番長く話している人なんだ」。彼を独占するのはいけないことなのかと躊躇したから。果たしてそれだけだろうか。

「何か判った?」

「コヴァーチ・ダフネは判らなかったんだけど、ダフネという名前の優秀な留学生が、ずっと以前に大学にいたって、ヨラーンが言ってたわ。7年くらい前。名前はダフネ・コヴァルスカ。ちょっと似た名前でしょう? ポーランド人で、交通流制御を研究テーマにしていて、その理論がとても優れていたので、交通局や警察にも注目されたの。でも大学に残って共同研究するのを断って、ポーランドへ帰ったそうよ。ただその論文は、ゲーム理論の研究室で今だに教科書のように扱われていて、“ダフネ”だけ通じるらしいわ」

 なるほど、俺はそれをヨラーンから聞かなきゃいけなかったのか。

「交通流ということは、君の姉さんのヤンカも知ってる?」

「ええ、たぶん。彼女、交通局に出張して、それを説明しなかったかしら。あ、そうか、トラブルで行けなくなったんだったわ」

「綴りが難しそうだから、書いてくれ。ありがとう。後は自分で探すよ。さて、今日の話題は?」

「今日は、ええと……」

 迷った。何を話すかではない。彼の話を聞くかどうか。話したいことはたくさんあるはずなのに、頭に思い浮かんでこない……

 だから、論文を見せて、話を聞かせて欲しいと頼んでみた。『複数プレイヤーが相互回避行動を取る場合の行動競合率とフィードバック学習による競合率の変化について』。

「君がこの論文に興味を示すとは想像もしてなかった」

「あなたに話を聞いてもらうばかりじゃ、申し訳なくて」

「そういうことは気にしてくれなくてもいいんだけどな。ところで、内容はどれくらい理解している?」

「それはテストなの?」

「説明する時間を短縮できるかどうか知りたいんだよ」

「最初から説明して欲しいわ」

 そうすれば、彼と長く話していられる。彼が時間をくれるというなら、いくらでも欲しかった。明日はもっと早い時間に電話した方がいいだろうか?



【By 盗賊】

 クリストフ・ラインハルト、アーティー・ナイト、そしてラカトシュ・フュレプの3人から入手した情報を合わせると、欲しかったものがおおかた揃った。細かいところで判っていないところがいくつかあって、明日中に調べなければならない。

「一番の問題は、模写が何枚あるかということね。ラカトシュは全部で何枚用意したかを明らかにしなかった?」

 ダフネが訊くと、ドリナが「しなかったわ」と答えた。

「1枚じゃないのだけは確実。絵を常に複数形で言ってたわ」

ラインハルトは見たとは言ったけど、入手したとは言わなかったのね」

 今度はディアナが「しなかった」と答える。

「もっと突っ込んで訊けばよかったかしら?」

「いいえ、持っていると考えていいと思うわ。モモンガポラトゥヒはもう彼の言いなりのようだから」

ナイトは持ってそうだった?」

「彼が持ってないことは確実。ラカトシュとは今日初めて会ったようだから。問題はミノーラTyチュライミノーラは持っているかどうかわからない。でもTyが持っているのは確実。LはTyの信奉者になったのよね?」

 ダフネが訊くと、ドリナが「そう」と答えた。

「彼女のことを話題にしたら、白昼夢を見るような表情になってたわ。彼女が本物を盗めと言ったら、従うんじゃないかしら」

「でも、彼に泥棒の能力はないわ。せいぜい、展示されているのが本物かどうかを教えるくらいでしょうね。それはともかく、模写はガレリアに確実に1点。2回に分けて搬入したから、もしかしたら2点かそれ以上。でも、さすがに3点も置いておくと、学芸員が不審に思うでしょうね」

「2点では思わないの?」

「1点は保管庫、もう1点は館長室に置く。全てを知ってるのは館長だけだから、問題ないわ」

「とにかく、模写は最多で5点あるかもしれない。それが計画に重要なの?」

「攪乱要素は全部数える必要があるのよ。理由は後で話すわ。さて、問題はGの中の、どこを狙うか。展示室か、保管庫か、館長室か。展示室のが本物である確率は低い。これは、今日の警備を見て判ったこと。でも、明日になったらどうなるか判らない。今夜のうちに取り替えているかもしれないし。全ては明日の確認次第。ただ、予定どおり警察にはプレゼントを渡しましょう。ドリナ、用意してるわね」

「もちろん。電話一本で、すぐに配達してくれるわ」

「ほんとにプレゼントが必要なの?」

 ディアナには前からそれが疑問だった。わざわざ、警備を厳重にさせる必要があるのだろうか。それに今までの3回では、そんなことしなかったのに。

「心配しないで。これも計画の一部なんだから。プレゼントをすることで、私たちの仕事がやりやすくなるのよ」

「本当かしら」

「信じる者は救われるのよ」

 プレゼントとは、犯行予告のこと。そういうのは映画の中の賊だけがするものだと、ディアナは思っていた。

「ところで、ラインハルトには明日も会わなきゃいけないの?」

「誘われたんでしょ。会ってきたら? 私もナイトに会いに行くわよ。彼、思ってたとおり、とってもいい感じだわ。抱いて欲しいくらい」

 ダフネは男と付き合うのに、いや、男をあしらうのに慣れているから、楽しそうにしているのだろう。ディアナは慣れていない。だから不安なのだ。「君のことを好きになってしまった」などと言われたら、どうしていいのか判らない。

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