#15:第5日 (3) 美術館への招待
【By 主人公】
ホテルに戻って朝食を摂り、8時になったらアネータと今日の予定の確認。内容は昨日の夜と同じなのですぐ終わる。しかも今朝は、少し時間に余裕がある。美術館に呼ばれているのは10時だ。
「ところで君は、美術館にあるコヴァルスキの『
「存じています。見たこともあるのですが、よく憶えていません」
「泥棒に狙われてることは」
「……存じています」
アネータが言い淀んだ。隠そうとしていたのか。
「たぶん今日は、それを見せてもらえると思う」
「そうなのですか? 先月から展示中止になっていて……あ、失礼しました。今日から展示再開の予定でした」
普通にコンシエルジュの仕事をしていたら忘れはしなかっただろうが、今週は俺の世話係だからな。俺に関係なさそうなことに頭が回らないのは仕方ない。
「コヴァルスキというのは名前からしてハンガリー系じゃない、ポーランド系じゃないかと思うんだが、どういう画家なんだ」
「ダリウス・コヴァルスキは20世紀前半のポーランドの画家です」
写実的な画風で、歴史画、宗教画を描いたが、特にギリシャ神話を題材にした作品が多い。ドイツ占領時代に散逸し、ハンガリーにあるもののほとんどは、戦中・戦後に密かに売買されたものであるらしい。さほど有名な画家ではないのだが、コレクターには人気がある。それにはある噂によるものなのだが……
「絵の中に、メッセージが隠されているというんです」
「絵の主題とは関係なく?」
「はい。どういうメッセージかは判りませんし、隠し方も不明です。少なくとも、X線検査では何も見つからなかったようです」
「下に絵が塗り込められてるとか、カンヴァスに跡が残っているとか」
「ええ、そういうのは無いと。ですから、メッセージは絵の中に暗号として描かれていて、その内容も、ショパンの未発表作品を持つ人物の名前だとか、戦前のポーランドの富豪が隠した財宝の場所だとか、戦争末期にドイツで行方不明になった黄金列車の埋められた場所だとか、諸説あります」
黄金列車は俺も聞いたことがあるよ。発見されたという報道は、全部嘘だったよな。財宝伝説なんてそんなものだ。あれはノアの方舟の行方を追うのと同じで、
「みんな勝手に言ってるだけじゃないのか」
「たぶんそうだと思うんですが、でも、よく訊かれるので、私としては憶えているだけです」
こういう情報をステージ5日目になってからようやく入手するなんて、俺も迂闊だよ。さて、これはどこまで探ればいいか。
「『
「はい、3ヶ月で3枚盗まれています」
それは知ってる。美術館で聞いた。『
「どこから盗まれたんだ?」
「2枚は個人宅からで、1枚は
「君はどれくらい詳しく知っている?」
「報道された程度には」
最初、『
『
「警察はもちろん
しかしある夜、警官がやって来て、緊急通報があったと警備員に告げた。警備員は半信半疑のうちに警官を中へ入れたが、騙されて手錠をかけられ、警備システムを切られ、その間に絵が盗まれた。偽警官だったと、後で判った。
なんと単純な手口。結局、システム最大のセキュリティー・ホールは“人”だという典型だな。
「泥棒は全部で何人いるんだろう。偽警官は男と女、お手伝いはその女の変装だったかもしれない。最初の強盗は?」
「二人組で、少なくとも一人は男だと」
「二人だけでこんなことができるものかね」
「さあ……それは、あなたが研究して解明してくださればよいのでは」
数理心理学はそんなことを解明するためにあるんじゃない。しかし、泥棒の手口と心理は研究するよ。こっちも泥棒だし、『
「コヴァルスキはずっと前から噂が知られてたのか?」
俺が訊くと、アネータはやけに可愛らしく首を捻った。メグの真似してんじゃねえぞ。
「いえ、そんなことはないと思います。私が聞いた噂で、一番古いのは確か3年ほど前だったような」
「噂になる前から、
「判らないです」
「調べられるか」
「すぐには難しいです……どうしてそんなことを?」
「噂になってから、誰が所蔵してるか判ったとか、
「あ、泥棒が絵の
「
「解りました……でも、どうしてそんなことに興味をお持ちなんですか?」
ターゲットのために決まってるだろ。余計な世話を焼く世話係だな。
「研究したら、全世界の美術館の警備に役立つかもしれないだろ。それも財団が目指す、公正としての正義のための行動ってやつだ」
「なるほど、納得しました」
とりあえず、アネータに1ヶ月前の『
イタリアで窃盗団に加わったときは、7人プラス余計なおまけが一人だった。あれは大量の金塊を盗むとか、“秘密兵器”を使うとかで大がかりだったから、それなりの人数が必要だったが、今回のように絵が1枚となると……やっぱり最少でも3人だな。映画じゃあるまいし、そんなにうまくいくわけないと言いたいところだが。
アネータのコーディネイトにより、昨日までよりは少しましな服を着て、10時に美術館へ。一般向けの『
受付で名乗ると、すぐにこの前の
「ようこそ、
俺が最後か。一番下っ端っぽいのに、時間ぎりぎりに来たら、印象悪いだろうな。いや、そうじゃない。他の参加者と事前に交流したり様子を見たりができないんだ。もっとも、する気もなかったけど。
エメシェの尻に付いてバックヤードへ入り、通り抜けて、応接室のようなところへ。20人はいる。もちろん、マルーシャもいるし、昨夜写真で見たばかりのクリストフ・ラインハルト氏もいるし、ビアンカ・ミノーラ嬢もいる。ミノーラ嬢を改めて見直したが、やはり昨日の朝、自転車を見ていた女だ。目を合わせようとしない。
会議のように四角く並べた机の周りに座っているが、見たところ大きく二つのグループに分かれているようだ。一つはマルーシャを中心とし、もう一つはラインハルト氏とミノーラ嬢を中心としている。
俺はどっちの輪に加わるべきか。今さら入り込む余地はないんじゃないかな。従って、孤独な第三勢力になりそうだ。
「館長を紹介します」
エメシェに一人の女を紹介される。座って他の来賓と歓談中だったが、わざわざ立ってくれた。ティサ・エルケー。エメシェとファミリー・ネームが一緒だ。伯母だと。
50歳くらいかな。若作りはしていなくて、年相応。髪は白く、肩辺りで切り揃えている。身長が高い。5フィート9インチはありそう。その分、横幅もある。胸が大きいが、これはその横幅のせいであって、プロポーションについては言及しないことにする。
「あの有名な財団の研究員だそうで、お若くて驚きました」
言いながら、恭しく握手してくるする。手も大きくて肉厚。手袋をはめているかのよう。俺を見る目つきにそれほど敬意がないが、たぶん若いこと以外にコメントしようがないと思ってるんだろう。その気持ちは解る。他の賓客の紹介については「これから」ということになった。
館長は、俺が空いてる席――両隣が椅子を少し移動したため、孤島になっている――に座るのを見届けてから、挨拶を始めた。素晴らしいお歴々の前で当館の所蔵する話題作を公開できることを誇らしく思う、という感じで、大したことは言わなかった。
それから賓客の紹介。詳しい経歴は言わないだろうし、聞く必要もなくて、要人の顔を憶えればいいだけだ。文化国務長官や他の政治家、医者、弁護士、企業幹部はどうでもいい。警察署長。これは微妙。警察の代表というだけで、警備の陣頭指揮を執るわけじゃないだろう。
窃盗捜査課の刑事たち。たぶん彼らが実担当。おお、ジョルナイ・ポーラがいる。そうか、彼女がこれに関係していたのか。リストでも見逃してたな。"Zsolnay"が読めなかったんだよ。
とにかく、彼女はキー・パーソンだったと。月曜日以来会ってないから、今から話を聞くのは難しそうだなあ。他、気取った感じのパタキ主任刑事に、体力は限りなくありそうなジガ刑事。どこへ行けば彼らに会えたんだろう。
それから科学アカデミー代表ネーメト・ヤンカ。警備システムの設計と実装を担当したと。それで警察の後に紹介されたわけで、これは予想どおり。
次いで画家のラカトシュ・フュレプ。憂鬱そうな顔をした優男。いかにも芸術家という感じ。しかし、マルーシャの方にちらりと視線を向けて、安心したような顔をしている。彼女は既に目を付けていたか。さすがだな。ところで、彼が何の貢献をしたかを、館長はなぜ言わない?
外国人の賓客。ラインハルト氏、ミノーラ嬢、マルーシャ――なんだか今日はいっそう艶麗に見えるが――、最後が俺。やはりこの中で一番格が低いと。美術館の学芸員は? いつの間にかエメシェも出て行ったな。名もなきスタッフの扱いだから仕方ないか。
「展示室へ移動しましょう」
館長の合図で、偉そうな連中から先に立って部屋を出て行く。俺が最後かと思いきや、ジガ刑事に後ろを取られた。
部屋の外に出ると警備員も一人いて、二人並んで俺の後ろを歩く。見張られている気がしないでもない。
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