#15:第4日 (3) 資金力の差
【By 主人公】
ホテルから徒歩10分で大学に到着。狭い広場に面した荘重な建物で、合衆国の“いかにも歴史があるかのように造りました”感がある大学よりも、はっきりと風格で勝っている。しかも合衆国ならまずどこへ行くべきか判らないくらいキャンパスが広いのに、ここは建物が一つだ。単純明快。ただし、頭を使うところ以外はないよという厳しさも感じる。スポーツはしないのかもしれない。
入って、受付らしいところへ行き、名前を告げる。「あちらに案内が」と係員が言う。学生らしいのが4人、ホールに立っていて、係員が呼ぶとこっちへ来た。男が二人に女が二人。女が俺の姿を見てがっかりしているのがよく判る。アネータのコーディネイトが悪いのか、それとも俺の人相が悪いのか。
「ようこそ、
男の一人が言って、手を差し出してきた。他の3人とも順々に握手する。自己紹介をしてくれたが、四つの学部のそれぞれの代表であるらしい。情報科学、教育・心理学、社会科学、そして理学。
女の一人の顔が、ヤンカやユーノにそっくり。ネーメト・ヨラーンという名だから、もちろん姉妹だろう。三姉妹の三女か。あるいは四姉妹だったりしてな。それぞれが東西南北のうちのどれかに対応していて……それは考えすぎか。社会学部でゲーム理論を専攻。
その学生たちに連れられて、学長室へ行く。その後の流れは昨日のアカデミーとほぼ同じ。全体と他の学部は学長が紹介。違うのはさっきの4人の学生が自分の学部を紹介するというくらい。
教授たちは来ないのか。講演には来るって? きっと俺より年上ばっかりなんだろうな。ここで少し時間があるようなので、一人一つ質問していいということになった。もちろん、学生が俺に質問する。
「計算機の応用では、ハンガリーは合衆国になかなか追いつけません。資金力の差でしょうか?」
情報科学部の男子学生の質問。背が高く、ハンサム。ブラウンの髪を短く刈っているが、なぜか後頭部に寝癖がある。
「確かに資金力の差はあるが、それは消費の構造にも差があるからだろう。まず一つ、合衆国民はエンターテインメントに必要以上に金を使う傾向がある。大学はそれで儲けることができる。つまり、カレッジ・スポーツだ。北米の五大人気スポーツはきっと知っているだろうが、NFLの次に人気なのがカレッジ・フットボールで、
「どうしてみんなそんなにお金を使えるんですかね?」
「それがもう一つ。借金を負債と考えてないからだよ。むしろ、有能であるから借金できるのだと考えている。だから金がないうちは限界まで借金する。もちろんその背景には、莫大な資金力を持つ投資家がいるのも大きい。要するに資金総量だけでなく、流量も大きいわけだが、そこは国民性に起因するから、半永久的に変わらないだろう」
そして俺みたいな底辺労働者は、仕事の口を失った途端、貧困にあえぐってわけだ。金の流れる場所が偏りすぎてるんだよ、合衆国は。
「シミュレイションの中で、物理現象はどれくらい正確に再現するのでしょう? あるいは物によって正確さの粒度が違うと思いますが、その決定基準は何でしょう?」
理学部の男子学生の質問。何か楽しいことでもあったのかと訊きたくなるくらい、陽気な表情をしている。ムースか何かで髪を逆立てているのは、それを頭の冷却装置として使いたいのか。
「物理現象の再現はそれほど厳密ではない。移動体は、質点とまではいかないが、平均的な大きさと形状を持つオブジェクトとしている。物体どうしの衝突を模擬することもあるが、それもオブジェクトの位置関係を厳密に計算するのではなく、確率的に衝突を発生させる。その他、例えば天文現象は全く厳密ではない。もちろん、太陽は動くし、月も満ち欠けするけどね。でも、星座は単なるプラネタリウムだし、隕石は落ちてこない」
「自然現象については?」
「都市をシミュレイションするのなら、雨も降れば風も吹くし、それによって人の動きも車や鉄道の流れも変わる。山間部で大雨の時に土砂崩れを起こさせることもある。ただ、合衆国では年に数度起こるが、シミュレイションしたことのない自然現象がある」
「何です? ハリケーンですか?」
「山火事」
ジョークのつもりだったのだが、学長には受けても、学生には受けなかった。学生はどうやら国際ニュースを見ないらしい。
「シミュレイションの結果を教育に利用されると伺っていますが、どのような効果がありましたか?」
教育・心理学部の女子学生の質問。ハンガリー人はアジア系だが、彼女は特に東アジア系に近い顔立ち。髪も黒くて長くて綺麗。しかし、映画で日本人役をやらせたら、おそらく「日本人はあんなのじゃない」と文句が出る程度か。
「もちろん、合衆国内の多数の団体に情報を提供して、教育機関や企業での教育に役立ててもらっている……はずなんだが、それで学習する者としない者に二極化しているようで、我々も困惑している。もっとも、シミュレイション内でもそれはある程度再現できているんだ。学習レヴェルと学習度が線形相関ではなく、ある閾値を境に二極化するということが判っててね。学習したくない者に学習させるのは至難の業だということが、改めて確認できたってだけなんだが」
これはなぜか皆が笑った。笑い事じゃないと思うんだが。で、最後にネーメト・ヨラーン。
「ここではなく、講演の後で質問します」
なぜだよ。君、キー・パーソンじゃないのか。ここで話をしなかったら、催眠術がかけにくいじゃないか。それとも講演中に集団催眠にかけろって?
【By 刑事(女)】
昨日に続き、ポーラは再びフュレプのアトリエを訪れた。さらに2枚の模写が完成したからだ。そこで目にしたものには、昨日ほどの感動はなかったものの、本物と比べて全く遜色がないという印象はそのままだった。
「これらも本当に素晴らしい出来だわ、フュレプ。昨夜の電話では伝えなかったけれど、
「そういう褒められ方をするのは、やはり複雑な気分だな。まだ自身の画風というものが確立されていないんだろうね。コヴァルスキの真似をすれば、それなりのものに見えるというだけで」
ポーラが想像していたとおり、フュレプは喜ばなかった。それは当然だろう。模写は模写であって、真作を超えることはあり得ないのだから。
しかし、他に言いようがないではないか。ポーラ自身は芸術を評価できないし、フュレプを頼るのは盗難の防止が目的でしかない。せめて館長自らがここに来て、彼に声をかけてくれれば。
「これも同じように紫外線反応インクで署名してくれているのかしら」
「うん、そうだ。それと、不要かもしれないが、昨日のと見分けが付くようにしておいた。"L.F"の後に、ピリオドが一つのものと、二つのものと」
昨日のは"L.F"の後にピリオドがなかったのだった。本当はそんなことをして欲しくなかったのだが、今さら言うわけにもいかない。
「解ったわ。それと、謝礼はまた今日中に振り込むわ。昨夜言ったとおり、2倍の金額を」
「ありがとう」
謝礼の出所は警察と
梱包をしようとして、すぐ近くの画架に置かれた一枚の下絵にポーラは気付いた。女性の上半身像だった。穏やかな笑みを浮かべているだけだが、表情は活き活きとして、まるで今にも歌い出しそうに見える。昨日、初めて模写を見たときと同じ感動が、ポーラの胸の内に込み上げてきた。
「フュレプ、これは?」
絵から目が離せないまま、ポーラは訊いた。この女性の優しさ、温かさに包まれたい、という気持ちが、自然に湧き起こってくる。花の女神フローラと共に春を楽しんでいるかのような……
「それは新しい作品なんだ。昨日から描き始めた」
「解ったわ。これがあなたの見つけた、フローラのモデルね? フローラに投影せず、彼女をそのまま描こうとしているんでしょう?」
「フローラのモデルというのは当たっている。しかし、モデルにした女性そのままじゃないんだ。少しだけ、抽象化してある」
「抽象化?」
「つまり、彼女の持つ美しさとか優しさとか温かみを強調してあるんだ」
「どうしてそのままか描かないの?」
「描かないんじゃなく、描けないんだ。僕はまだその人の全てを掴みきっていない気がするんだよ」
「本物はこれよりももっと美しくて優しい感じがするということ?」
もしそうだとしたら、どれほど美しい女性なのかとポーラは訝った。それこそ、本物の女神だろう。想像を絶する美女というのが、この世にいないわけではないだろうが……
「そうじゃないんだ。何と言ったらいいのかな、その人は、ほんの僅かだけど、
「つまり、この絵はその人のいいところだけを描いていて、悪い部分を描いていない。悪い部分も描きたいけれど、それが何なのか、今のあなたには解っていない。そういうことかしら」
「そのとおりだ、ポーラ。その人には、何か影の部分がある。それを知れば僕はもっといい絵が描けそうな気がする。でも、僕は知るのが怖い。知りすぎてしまったら、彼女を絵にできなくなるんじゃないかと、恐れているんだ」
「解る気がするわ。真実を知るのは怖いことだし、それが人の
「そうだね。僕も、そうかもしれないとは思っている。だから僕は、まだ弱いんだろう。絵が美しいものだけを表せればいいと、幻想を抱いているんだな。しかし現実は違う。絵は人間の悪いところ、汚れた部分も表すことができるし、そうすることが必要なんだ。人を描くというのはそういうことだろう。自然なら、悪意を描かずに済むけれどね」
「自然に悪意はないけれど、人にとって破壊をもたらすことがあるわ。何にでも、いいところと悪いところがあるのよ、フュレプ。ところで、この後は約束どおり昼食へ行きましょう。話の続きはそこで聞かせて」
「そうしよう。梱包を手伝うよ、ポーラ」
フュレプとの食事は、これが最後になるかもしれないとポーラは考えていた。彼の芸術を裏切っているような気がしたから。
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