ステージ#15:第2日
#15:第2日 (1) 深夜の密会 (2)
第2日-2039年8月15日(月)
また1台、車が通り過ぎた。マルーシャの姿を背後から後光のように照らし、その動く光芒で彼女の顔に美しい陰影を描いてから走り去っていった。
「行き先はコイン・トスで決めたんだ。君の提案に問題があったわけじゃない。君が会った男の競争者には、俺が会うべきだったと言いたいのか?」
「ええ」
「そのうち会うさ。昨日でなければならない理由がない」
「彼と会うより、キー・パーソンが問題。あなたが会うべきキー・パーソンが、彼に全て取られてしまうかもしれない」
「いいよ、それでも」
今度は俺の背後から車が来て、ヘッド・ライトでマルーシャの顔を照らし出す。反対車線なので光は弱いが、それでも彼女は輝いて見える。思わず見惚れそうになる。
「たとえ俺が先にキー・パーソンに会ったとしても、後からそいつに奪われる可能性があるんだろ。人としての魅力も、この世界の実力のうちだ。俺の目には何らかの力があるらしいが、それより強い力を持つ奴がいたって不思議じゃない。むしろ、俺がもてない方が、現実に近くてやりやすいだろうな」
マルーシャは何も答えなかった。彼女は、俺が有利になった方がよかったと思っているようだが、それはきっと、彼女にとってその方が俺を利用しやすいからだろう。
「お休み、ハンナ」
彼女が立ち尽くしているので、声をかけて別れを促した。本名らしきもので呼んで。彼女は「
マルーシャが反対側の歩道に立ったところで、腕時計に向かって呼びかけた。
「ヘーイ、ビッティー!」
車が通っていようがお構いなしに、周りに黒幕が降りてきて、俺の身体を包み込んだ。木の床の上でスポット・ライトを浴び、目の前にメグのアヴァターが立つ。コンシエルジュ時代のきちんとしたスーツに身を包んでいた。
「ステージを中断します。
何という新鮮な光景。今回はなぜか、メグとの新婚生活の記憶が頭の中に断片的に追加されている。それでいて目の前にメグがいるというこの幸せよ。
しかし、彼女をここではビッティーと呼ぶ。“メグ”としては見たことがない無表情だから、呼び分けるのは当然だな。
「ビッティー、今回の俺の記憶力は以前とだいぶ違うようだな。いろいろなことを思い出すことができる。一番驚いているのが財団の研究員としての記憶があることなんだが、これも何かのヴァージョン・アップの結果か」
「第二仮想記憶のアクセスに関し不具合があったため、修正しました」
仮想記憶ってそういうものじゃないと思うんだが、このゲーム内では脳に関する用語なのか。
「その不具合は俺がこのゲームを始めたときからあった?」
「はい」
「そうすると、俺はものすごいハンディーキャップを背負ってプレイしていたということになるな」
「そのような事態になっていたことについては、お詫びします。記憶領域が正常に動作しているかどうかを、あなたの行動から判断する術がないため、これまで見過ごされていました」
「俺は何回か、記憶に関して不具合を訴えたつもりだけど」
「ですが、あなたは記憶があるかのように振る舞われていたことがありました。そのために、不具合の発言は重要視されませんでした」
論文に関しての説明のことか。あの口から出任せがよくなかった? というか、あれ、合ってたんだ。
「アド・リブがそんなにうまくいっていたとは思わなかった。この世界は7日間しか続かないから、多少の嘘は許されるかと思って、言いたい放題だったからな」
「とにかく、記憶に関してはそのような事情です」
「ところで、今回のステージで俺に割り当てられている“仕事”についてだが」
月曜日から金曜日まで、まあいろいろと埋めてくれたもんだ。
「はい」
「キャンセルするわけにはいかないんだろうな。仕事の合間にターゲットの調査をしろということか」
「そのように解釈していただいて問題ありません」
「俺以外の
「
「マルーシャは仕事を抱えてなさそうだったもんな」
「お答えできません」
しまった、まだ心の準備が! ああ、背筋の
なぜこんなにも考えなしに俺はしゃべってしまうんだ。十分に気を付けなければ。次からは、バックヤードに入った時点で心の準備をしよう。
「この状況って、難易度が上がったと言わないか?」
「事情を変えたのはあなた自身です」
「メグをパートナーにしたからってことか」
「はい」
何のことはない、メグを得たからには、それ相当の対価を払わされてるってことだ。しかし、得たのは満足感と新婚生活の記憶だけだからなあ。これでメグを留守番でなく、同伴してたら、とんでもないハンディーキャップだぞ。夜にこうして出歩けないんだから。
「仕方がない。甘受しよう」
「そのように願います」
「ところで、ハンガリーの歴史について簡単に教えてくれ。建国は何年で、王国とか共和国がどのように変遷したか」
「1000年にイシュトヴァーン1世が即位し、建国。1867年、ハプスブルク家による同君連合でオーストリア=ハンガリー帝国となる。1918年、アスター革命によりハンガリー人民共和国が成立。翌19年、ハンガリー革命によりハンガリー・ソヴィエト共和国となったが、4ヶ月半で鎮圧。翌20年、摂政制により再びハンガリー王国となる。1946年に王政が廃止され、再びハンガリー人民共和国が成立。1989年、ソヴィエト連邦解体に伴う東欧の民主化運動により、国名をハンガリー共和国に変更。以上です」
なかなか複雑だが、1000年以降は他国に制圧されて国が無くなったってことはないんだ。
「ハンガリー人は主にアジア系人種じゃなかったっけ」
「主民族はマジャールで、コーカソイド化した元モンゴロイドとされます」
「神話とは関係なさそうだけど」
「お答えできません」
よし、今度は心の準備をしていた。それでも背筋が
「メグは電話を待っているかな」
「ご自分でお確かめください」
「そうしよう。おやすみ、ビッティー!」
「ステージを再開します。おやすみなさい、アーティー」
冷たい挨拶を残してビッティーが消える。愛情がこもったおやすみの挨拶を聞くには、電話しなければならない。
黒幕が上がっていき、橋の上の光景に戻る。道路の反対側は、通信が終わったのかどうか判らない。通信が始まったり終わったりするところを外から見ていたらどうなるのかと思うが、きっと変わったところは見られないんだろう。
階段を降り、帰りはマルギット橋の西側を走る。東側と違って川沿いに木が立ち込んでいる。施設もたくさん見えて、テニス・コートに続いてウォーター・パーク、それからスイミング・プール、そして陸上競技場、最後にカフェとレストラン。もちろん閉まっている。
自転車を置いたところに行くと、誰かいる。スリムな男……いや、女? どっちか判らないということは、もしかして。
「こんばんは、アーティー。それとも、0時を過ぎたからおはようと挨拶するのが正しい?」
ジゼルだった。こんな夜中に、何しに来た。というか、どうして俺がここに来たのを知ってるんだ。
「おはよう、ジゼル。君と会うのは
「ジジって呼んでいいよ」
「その呼び方は今夜使おう。ところで、何か用?」
「酔い覚ましの散歩に来たんだ」
嘘をつけ。こんな遠いところまで散歩に来るわけがあるか。それとも酔うと徘徊する癖があるのか。服は、昨日のとは違うな。わざわざ着替えてきたらしい。
「迷子にでもなったのか」
「そういうこともたまにはあるよ」
「暴行されないように気を付けろよ」
「護身術は心得てるから大丈夫。ところで、ただ散歩に来たわけじゃないんだ。ちょっとした警告」
「何を?」
そういうことをしてくれるのはありがたくもあるが、ジゼルが自転車に寄りかかってるから、乗れないんだけど。というか、彼女を置いて一人で自転車で帰るわけにもいかないし、二人乗りもできないし、どうすりゃいいんだって。
「さっき、この上で
「ああ」
なるほど、マルーシャの予想どおりだったな。
「知ってるみたいな口ぶりだね」
せっかく教えてあげたのに、とでも言いたいのか、ジゼルが少し口をとがらす。
「予想はしてた。というか、俺ももう一人の
「おやおや、ペアでゲームをするのかい?」
「そういうわけでもない」
出現場所がすぐ近くだったことなどの、簡単な経緯を話す。ジゼルが楽しそうな顔をする。
「確かに珍しいスタートだね。それでさっきの二人も何かを察知したのか」
「警告はありがたかったが、心配してくれる必要はない。ところで、これで君は4人の
「そうだね。君以外とはほとんど話をしてないけど」
「ヒントをくれる必要もないよ。強敵らしいってことは判ってる」
「そうみたいだね。僕もいつまで中立でいられるかな」
「俺以外の
「君が恨むわけないことは判ってるよ。味方もしない代わりに、邪魔もしない」
「ありがとう。ところで、そろそろホテルに戻らないと」
「上の二人を気にしてる? 何なら僕と夜中にデートしていたふりでもするかい」
「自転車一台で来てデートってのは不自然だろ」
「じゃあ、君が走って、僕が自転車に乗って伴走」
それしかないか。
「私物らしいんで、傷を付けないでくれ。コンシエルジュに怒られる。ところで」
「何?」
鍵を渡したら、機嫌よく自転車にまたがろうとしているジゼルに向かって言う。
「ハンガリーって酔って自転車に乗ったら飲酒運転で捕まるのか?」
「世界中、どこでもそうじゃないの?」
じゃあお前、乗っちゃまずいんじゃないの?
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