#13:第7日 (5) XXL

 ティオシュイン橋を渡ってヴォロンツォフ宮殿へ。

「皇太子のお屋敷にしては小さいわね」

 ニュシャが素直な感想を漏らす。もちろん、その理由も説明する。

 それから裏通りに入って“一枚壁の家”を見る。別に、映画のセットのような、板に描いた家というわけではなく、建物の角の一部が鋭角に尖っていて――敷地がそうなっていたからだろうが――その方向から見ると横の壁がないかのように見える、という錯覚だ。ただ、角の部屋はやはり狭いだろうと思う。

 そしてポチョムキンの階段へ。

「見に来たときに下まで行った?」

「いいえ、上から景色を見ただけよ」

「じゃあ、下りてみよう」

 よく考えたら俺はこの階段をことがない。ステージの初日、エステルに会ったとき、ケイティーと来たとき。全て下から登った。ある意味でバランスの悪いことになっているので、下りることには意味があると思う。

 周りを見ると、男女のペアはなぜか皆、腕を組んで階段を上り下りしている。組んでないのは写真を撮っているときだけだ。

 もちろん、ニュシャも喜んで腕を組んでくる。右腕に柔らかいメロンが当たる。もし押し当てられてなかったら、階段を下りるときにどれくらい揺れるのかと思う。

「下から見ると踊り場が見えないわ」

 それは当たり前のことで、目の高さから上は階段だろうが踊り場だろうが踏面は見えないに決まっている。

 逆に、上から見ると踊り場ばかり見えるのだが、それも当たり前のことに過ぎない。目の前の空中に、段と踊り場と見る角度の関係を指で描いて説明すると、ニュシャは感心して聞いている。

 それからケーブル・カーを無視して、階段を歩いて登る。4回目だ! 登り切ったら南西へ歩いてプーシキン記念碑を見る。少し南へ行って考古学博物館。

「この前で君と会ったんだったな」

「そうね、思い出したわ。博物館を出たところで、誰かに道を訊こうとしたら、あなたがいたのよ。地図を見ていたから、道を教えてくれると思ったの」

 そういうことか。しかし、実にタイミングよく出てきたなあ。そういうシナリオなんだろうけど。

「でも私、自分から男性に声をかけることなんて、ほとんどないの」

「それは君が美人だから、君から声をかける前に、男が声をかけてくるのさ」

「そうかもしれないけど、あなたを見た瞬間に声をかけたくなったの。必ず親切にしてくれるって思ったわ」

 親切にはしたけど、チョコレート博物館の前で「さよなら!」だったよな。キー・パーソンじゃないのかと思ったよ。

 さて、もう少し時間があるので、南へ行ってプーシキン文学記念館を見る。狭いからすぐに見終わる。

 それからレストランへ。すぐ近くにあるイタリア料理店だ。どうしてウクライナでイタリア料理なのかと思うが、それがニュシャの希望だから仕方ない。そして、こういうときでもニュシャは俺の横に座りたがる。

「イタリア流にコースを頼めばいいかな」

「いいえ、少なくしてくれた方がいいわ」

「どうして」

「食事制限をしてるのよ」

 バレリーナや体操競技者じゃあるまいし。

「オペラの衣装が合わなくなるから?」

「いいえ、自分の持ってる服が合わなくなるから」

 そうか、今でも合う服が少ないって言ってたから。

「ところで、さっき服を決めた理由をそろそろ教えてくれる?」

「うふふ」

 軽く笑いながら、ニュシャが俺の耳に顔を近付けてきた。

「あなたの視線を一番強く感じたからよ」

 視線? ……うううーむ、2番目の服の時は、胸とその谷間をものすごく見てしまっていたけど、それを気付かれたってこと? いや、視線というよりは、きっと表情に出てたんだろう。

「君の魅力を一番感じたからね」

「ありがとう! あなたに見てもらえると、とっても嬉しいわ」

 やっぱり胸が自慢なのか。しかし、何を食べたらこんなに大きく……えーっと、待てよ、確か、食べたら、その分の、栄養が、全て、胸に、入る、女が、いたはずで……ということは?

「食事制限をしないと……服のどこが合わなくなる?」

 ニュシャは微笑むだけで答えない。メニューを見て食べるものを決めているようだ。一品料理ア・ラ・カルトを頼むつもりか。

「XLがXXLになっても君は魅力的だと思うよ」

「ありがとう。さっきもそう言ってくれて、嬉しかったわ」

「そう言わない男もいるのか」

「ええ、ほとんどの男性は、今のプロポーションがいいって言うわ。でも、本当はバランスが良くないって感じてると思うの」

 胸が大きすぎると。

「そうかなあ。プロポーションの基準なんて、民族でも様々だし、まして個人の嗜好にもなるとバラバラだと思うが」

「そうね。でも、なるべくたくさんの人がいいと感じてくれるプロポーションになった方がいいと思うの」

「でも、それは君が思ってる君のイメージなのか?」

あらっアフ?」

 ニュシャがようやくメニューから目を外して俺を見た。よし、もう一押し。

「君は、他の人が考える君のイメージに合わせたくないと思ってるんだよな。それは主に君の仕事や性格や話す内容のことだと思うけど、君の外見だってそれに含まれてもいいはずだ。だったら、みんながいいと感じる外見、プロポーションに合わせる必要があるのか? 君自身がいいと思うプロポーションになって、なぜいけない?」

 ニュシャはきょとんとした表情で、小首をかしげながら俺を見つめていた。

「私がいいと思っているのは、ファッション・モデルのようなプロポーションよ。そうね、例えば、コルネリア・イサク。ちょうど今、オデッサに滞在してるんでしょう? 私は会ったことがないけど、彼女のようなプロポーションが理想だと思うわ」

 コニーのプロポーションは確かに素晴らしいけど、ニュシャとの違いは胸の大きさくらいだよな。

 でも、例えば俺が一番魅力的に思ってるプロポーションはイリーナだぜ。手も脚もコニーより一回り太いけど、その全体的なバランスが、いや、それは置いといてだな。

「コルネリア・イサクのようなプロポーションになったら、君の他に、誰の理想に合うんだろう」

「だから、私を見てくれるたくさんの人の……」

「君が本当に見て欲しい人の理想が、それと違ったら?」

あらっアフ?」

 俺を見つめていたニュシャの表情が、だんだんと笑顔になってくる。その左耳に口を寄せて囁いてやる。

「XXLになった君はもっと魅力的だと思うよ」

 あああ、ターゲットのためとはいえ、どうしてこんなことを言ってしまうんだろう。確かに、大きさは魅力だけども、大きさだけが魅力でないのは解っていて、しかし大きい方が魅力的な女は確かに存在するのであって、俺がその魅力にあらがうことができないのも解っていて、もう本当に自己嫌悪に陥りそうだ。

 もしかして、小さいのが好きな競争者コンテスタントはこのステージをクリアできないんじゃないだろうか。いや、競争者コンテスタントが男じゃなくて女だったら果たしてどうなったんだろうか。それとも、女の競争者コンテスタントはこのステージに来ないのか。どうでもいいか、そんなこと。だいぶ混乱してるなあ、俺も。

「着替えてくるわ。少し待っててね」

 え、着替える? いったい何のことだろう。俺は単に食事制限をやめること、つまり貪食グラトニーの罪を犯せと示唆しただけなんだけど。

 さっき買った服の紙バッグを持って、ニュシャがどこかへ行ってしまった。どこかというか着替えなのだが、おそらく洗面所へ行ったのだと思う。

 しかしまだ料理を注文していないので、目の前のテーブルには水もない。食事の約束に遅れて来る女を待っているようで、少々手持ち無沙汰だ。

 15分くらい待ったら、ようやくニュシャが戻ってきた。さっき買った服に着替えている。ネイヴィー・ブルーの袖なしスリーヴレスドレス。胸元の開き具合はUネックではなくてオーヴァル・ネックというらしいのだが、とにかく胸の上半分と谷間を見せつけてくれている。

 そして笑顔のニュシャが隣に座る。胸が揺れる。そのヴォリュームが……さっきより大きくなっている!?

 どういうことだ。まさか、ビスチェで押さえつけて小さく見せていた!?

「とっても楽になったわ。たくさん歩いてお腹が空いたし、やっぱりコースを頼みましょうね」

 そう言いつつも、ニュシャは明らかに俺の表情を伺っていた。褒めるのを待ってるよな、これは。

「思っていたとおり、君の魅力が倍増したダブルド

 倍だよな。XLがXXLへ。Xが一つだったのが、二つになったんだから。

「ありがとう! でも、そっちばっかり見ないで欲しいわ。お話をするときは私の目を見ていてね」

 いや、それ以外の時でも胸ばかり見るつもりはないんだけどね。少なくとも俺はバランス重視だから。たぶん、だけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る