#13:第6日 (5) 機械式バレリーナ
【By 主人公】
時間が惜しいので、ホテルの
シェフチェンコ公園の中は通れないが、少し遠回りしても劇場には10分で着いた。入口でイリーナが待っていた。素晴らしい笑顔と二の腕だ。
「お迎えに行きたかったのですが、バレエ団の責任者と研究チームの取り持ちをしなければいけなかったので……」
「とんでもない。君の専門外のことを色々やらせて申し訳ないと思っているよ。昼食を1回おごるくらいでは済まないかと」
「まあ! では、もっと違うことにも誘っていただけるんですか? とても嬉しいです」
誘いたいけど、時間がない。どうしようか。
とりあえず、フィードバックをしている部屋へ行く。この前入ったリハーサル室とは違っていた。もう少し狭い感じの部屋に、バレリーナと研究員が合わせて10人ほどいる。
バレリーナの名前をイリーナが教えてくれたが、二人のプリマ・ドンナのうちの一人、ケテヴァンがいた。ファミリー・ネームが長くて憶えられない。
そもそも、バレリーナはみんな動き回っていて、誰が誰だかすぐ判らなくなってしまう。髪もみんな頭の上で同じような形にくくっているので、色で判別するしかない。
曲が終わると、ケテヴァンが研究員のところへ行った。フィードバック・データを見て、色々と質問しているらしい。熱心でいいことだが、その質問の数とは裏腹に、表情に生気がない。人形のようだ。
1曲が終わっても、昨日取ったデータと今取ったデータを合わせて整理して、という作業があるので、合間が5分くらいある。質問を終えて壁際へ行こうとするケテヴァンを、イリーナが呼び止めた。俺を紹介するらしい。休憩させてやればいいのに。
「ドクトル・ナイト、こんなに素晴らしい装置を紹介していただいて、ありがとうございました。この装置はあなたが研究されているのですか?」
「俺のことをアーティーと呼んでくれるなら、その質問に答えよう」
ケテヴァンは無表情のまま黙り込んだ。人形のようとはいえ、美少女であることは間違いない。ブルネットの髪を目の上で綺麗に切りそろえていて、
「本当にそれでよろしいのですか?」
「もちろん」
「でしたら、私のことはケイティーとお呼び下さい。国外の公演では、その名前を使うことが多いので」
大部分のヨーロッパではその方が呼びやすいんだろう。俺が
「ありがとう、ケイティー。さて、君の質問に答えると、俺の研究はこれとは違って、もっと大きい単位の人間の行動の分析だ。数理心理学という。手足の細かい動きではなく、どんな行動を選択するかという単位で、なおかつそれを集団の傾向として分析し、数学モデルで表すことを試みている」
いつもとはちょっと違う説明にしてみたが、未成年にはこれくらいの方が判りやすいだろう。とはいえ、彼女の年齢を知らないのだが、18歳くらいかな。
「一人一人の行動は、集団に埋もれてしまう、ということでしょうか」
何か変な食いつき方をしてきた。しかし、「
「埋もれてしまうというのは少しニュアンスが違うな。一人一人は別々の行動をするものだが、それが集団になると、行動パターンの分布が一定の確率に従うようになる、ということなんだが……これだと少し難しいか?」
無表情なので、判ったかどうかが掴みにくい。いや、微妙に表情が変わったな。俺がこんな少女の表情の変化を読み取れるなんて思ってなかった。
「いえ、よく解ります……そうすると、私が行動を変えると、確率が変わってしまうのですね?」
「それも少し違う。君が行動を変えると、別の人が代わりに君のような行動をとる“可能性”が高まり、結果として全体のパターン分布は“ほとんど変わらない”ということになるんだ。それは一度のシミュレーションではなく、複数のシミュレーションによって確率を求めるからだ」
「そうなのですか……解りました。ありがとうございました」
ケイティーの表情からは、本当に解ったのか、と心配になるのだが、わざわざ確かめることもないか。
しばらくして次の踊りが始まった。測定しているデータを見に行く。研究員が画面上の表示やデータを説明してくれるが、「あのケテヴァンという少女はすごいですよ」と言う。
「昨日取ったデータから、ほとんど差分がないんです。他の踊り子に比べて、揺らぎが極端に少ないんですよ。こんなのは他でも見たことがありません。まるで機械のようです」
機械ねえ。まあ、バレリーナは毎回同じ動きができるのが理想だから、機械でもいいんじゃないの。
フットボールだって、特に攻撃のプレイヤーは精密機械の部品のように正確な動きができるまで、何度も何度も練習を重ねるんだぜ。コーディネイターが設計したプランに従って。そして部品になりきれない奴はカットされるって訳だ。
もっとも、設計どおりの精密部品よりも、さらにいい動きができるプレイヤーが“
で、その機械のように正確な動きができているケイティーが、どうして“動きに切れがない”ように見えるのかというのが問題だよな。やっぱり何かアドヴァイスしないといけないんじゃないだろうか。しかし、さすがにバレエのことは判らんぞ。有効なドリルもないし。
それでも何とかしてやる必要はあると思うなあ。こんなにうまくバレエ団と絡むことができたのは、バレリーナにキー・パーソンがいるからだと思うんだよ。このケイティーと、もう一人の金髪の……ラヤー、だったかな。どちらかか、それとも両方か。
悩めるケイティーに何かしてやるのか、それともライヴァル関係にありそうな二人の仲をうまく取り持ってやるのか。どっちも難しそうだ。
「
イリーナが言ってきた。「問題ないよ、ありがとう」と言ってやると、イリーナは別のテーブルを使って、ラップトップで作業を始めた。さて、彼女には何で報いてやろうか。バレエの方もあるし、午後から何をするかもある。同時に三つも考えるのは大変だ。イリーナのことは昼食の間に考えるとして、まずバレエから。
もう一人のプリマ・ドンナはどうしたのかを研究員に訊く。
両方の装置を使ってデータを取ったバレリーナがいるはずだが、フィードバックの時間が午前中に限られていたので――午後からは最後の追い込みだからだ――全部のデータは活用できないらしい。
「昨日、計測が終わった後に、
バレエは意外に動きが激しいし、あちこち移動するので、確実性のためにストレージを選択したのだろう。
ただ、大容量のは重いのが難点だ。俺はそれほど気にならなかったが、俺より体重のずっと軽いバレリーナたちにはもしかしたら負担が大きかったかもしれない。体操のシモナは何も気にしてなかったから、人によるとも言える。
曲が終わるたびにケテヴァンがこっちへ来る。差分がほとんどないのに質問があるのが不思議だったが、意図的に動きを変えてみた部分があるらしく、それを確認しているようだ。
研究員との話の合間に、俺のことをちらちらと見る。こういうときはすぐに声をかけてやるのではなく、向こうが我慢しきれなくなって話しかけてくるのを待つ方がいい。その直前にこちらから話しかけるのでもいい。
しかし、話しかけられないままにフィードバックが終わってしまった。ケイティーの素振りから見て、まだ話しかける機は熟していない気がした。
研究員たちは撤収準備。ちょうど昼なので、イリーナを昼食に誘う。劇場にはビュッフェ・レストランが併設されているのだが、軽食ばかりなので、すぐ近くのデューク・ホテルのレストランへ行くことにした。
こういうときは財団の力が役に立って、いい席へ案内してもらえる。しかし、俺が持っているような“ブラック・カード”は、一般の研究員で持っている者はほとんどおらず、役員クラスのみに支給されるらしい。
なるほど、主任たちが一目置いてくれるわけだ。実際は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます