#13:第3日 (4) 贅沢な買い物

【By 主人公】

 浮世絵を見て回っているうちに1時を過ぎた。朝食が遅かったから、腹は減っていない。店は決めていなかったが、コニーがベルナルダッツィという店を紹介されていたらしいので、そこへ行く。

 名前からしてイタリアンかと思ったが、ロシア生まれの建築家の名前だそうだ。店は交響楽劇場の建物に入っていたが、ここをまさにベルナルダッツィが設計したとのこと。そして正面に立っているブリストル・ホテルも。

 ところで、美術館を出たときからラーレが付いて来て、カメラを構えている。今までどこにいたんだ。美術館の中には確かにいなかったぞ。店の中までは付いて来なかったのでほっとした。

 時間が遅いせいか、店は空いていた。静かなテーブルに案内してもらい、サーモンのカルパッチョとラビオリのチーズ・クリーム・ソースを注文した。

「さて、この後はどうする?」

「買い物に行きたいわ」

 そういうのが一番困るんだが。

「何を買うんだ?」

「服とかアクセサリーとか」

「買いたい物は決まってる?」

「いいえ、いくつかの店を回って探したいの。どうしてそんなこと訊くの?」

「その間、俺のすることがないからさ」

「私が選んだものを見て感想を言ってくれればいいのよ」

 それが一番大変なんだって。似合ってないとか言うと機嫌が悪くなる女だっているんだぜ。買いたい物を否定されたくないのなら、訊くんじゃないって。

「それくらいならするが、金は出さないぞ」

「あら、お金を出して欲しいなんて思ってないわ」

 驚いた顔をしている。怒ったわけではないようだ。

「安心した」

「あなたはあまり服を買わないの?」

「高価な物は買わないな。見てのとおり、大量生産の既製品を着ている」

 とはいえ、メグが買ってくれた服だし、それなりの品質ではあるだろう。あれ以降、俺が新たに買った服はない。

「私が選んであげましょうか?」

「数は足りてるから、今は要らないよ」

「そのうち要るかもしれないのに」

「必要になってから買う」

「着ないかもしれない服を買うのは贅沢だと思ってる?」

「そうでもない。単に機会の数と確率の問題さ」

「何のこと?」

 サーモンのカルパッチョが来た。ずいぶん早い。

「簡単な例を挙げようか。年に一度着るかどうかという高級服を買うのは贅沢だが、必要なら買う。ただし、その服は5年くらい保つようないい品質で、定番の型であるのが望ましい。5年あれば、二度や三度は着るだろう。しかしそういう服は、特別な機会に着るものだから、何着も要らない。予備を入れてせいぜい2着。十分に吟味してから買う。もちろん、自分の金で」

「他の人に買ってもらうと選び方が雑になるとでも?」

「俺はそう思ってるよ。高級服だけだが」

「逆じゃないかしら。お金を出してもらうんだから、真剣に考えると思うけど」

「君がそう思うのは自由だが、俺は君の買い物に金は出さない」

「じゃあ、私が自分のお金で買えっていうこと?」

「買い物って本来そういうものだろ」

「たくさん買えないからつまらないわ」

 まだそれほど稼いでないってことか? スーパー・モデルはスーパー・ボウルMVPよりもたくさん稼げるって聞いたことがあるが、彼女はまだそこには至ってないようだな。

「厳選すればいい。いつどこで着るのか考えて、自分の財布の許す限り高価な物を1点だけ買う。そういう買い物の楽しみ方もあるさ。時間をかけて選ぶだけ、ある意味贅沢な時間が過ごせるんじゃないかな」

「そうかしら」

 コニーは納得がいかない顔をしているが、買い物をやめるとは言わなかった。

 ラビオリを食べ、コーヒーを飲んだ後で店を出た。買い物に行くのだが、コニーはタクシーに乗らなくていいと言う。でも、そうするとラーレが付いて来るので困るんだけど。

「本当は現代美術館にも行きたかったの。でも、今日は閉館日だから」

 一応、リーフレットを持って来ていたので、見るとそのとおりだった。コニーがどこに行こうと言い出すか判らないので、色々と持って来ていたのだが、買い物する店の情報は全くない。

「あなたが頼んだら、今日でも開けてくれたりするのかしら?」

「どうかな。開けてくれるとは思うけどね。しかし、明日は開くんだから、行きたければ明日にすればいいじゃないか」

「そうね、私もそう思うわ」

 西洋東洋美術館でも優遇のことを言っていたが、俺の“権力”を何か期待しているのだろうか。いくら優遇があるからって、いろんなことに使うのは好かない。せいぜい、ホテルに泊まるときくらいにしたいと思っているのだが。

「現代美術に興味はある?」

「一番苦手だな。奇抜なのは判るが、その良さが解らない作品が多いから」

「奇抜なところが大事なのよ。芸術家は常に新しい発想が求められるの。そうでなければデビューもできないのよ。ファッション・デザイナーも同じ。誰にも真似できないような作品を発表してデビューして、そして生き残っていかなくちゃいけないの」

 そのことについては、アントワープで天才学生デザイナーからも聞いたような気がするな。あいつの名前、まだ思い出してないが、必要ないだろう。

「そして君たちファッション・モデルはその新しい奇抜な作品を着こなさなきゃならない。しかし、常に奇抜な服を着るわけじゃないんだろう?」

「ええ、うまくデビューしたら、次に自分のイメージを確立すること。企業からブランド・アンバサダーとして使いたいって思ってもらえるモデルになることね」

「そこで芸術家とは別れるわけだ。芸術家は時々奇抜な作品を発表することも必要だが、それとは別にオーソドックスなものを多作しないと稼げないからな」

「そうね。研究者も同じじゃないの?」

 それはそうかもしれない。俺は研究者じゃないので判らないが。

 高級衣料品店に入った。店員がコニーに反応している。モデルだと知っているのだろう。少し離れて見ることにする。お連れ様専用待ち合い席とかはないのだろうか。

 店員がコニーに何か言っている。コニーが答えると、店員が驚いた顔でこちらを見た。何か突拍子もないことを言ったのだろう。想像はできる。

 20分ほど、服を探していたが、何も買わずに俺の方へやって来た。

「次の店へ行くわ」

 無言で従う。グリェツカ通りを歩きながらコニーが言った。

「やっぱりあなたに1着だけ買って欲しいわ」

「どうしてそう思うんだ」

「どんなときに着るか、決めきれないのよ。この数日以内にあなたと会うときに着るっていうことにするから、あなたが買ってくれないかしら」

「決め方はそれでいいが、やはり君が買う方がいい」

「どうして?」

「そうすれば失敗できないから真剣に考えるだろ?」

 コニーは黙り込んでしまった。気分を害しているわけではないようだ。

 次の店に入ると、さっきと同じような状況になった。しかし、今度は店員の意見は聞かず、自分で選ぼうとしているようだ。それでもやはり気に入ったのがないらしく、何も買わず店を出た。

「あなたってどういう服が好みなのかしら」

 歩きながらコニーが呟く。

「君が一番良く見える服だ」

「私のセンスで選んでいいの?」

「もう少し言うと、脱がせたくない、ずっと着ていて欲しい、と俺が思うような服だな」

「そんな考え方は初めて聞いたわ」

「君はいつも脱がされることを想定して服を選んでいるのか?」

「そういうわけでもないけど」

 3軒目、4軒目も収穫なし。次にコニーはショッピング・モールへ行くと言った。グリェツカ通りの突き当たりにある“ガレリャ・アフィナ”だった。中は巨大な吹き抜けになっており、地下1階から7階まで見渡せる。

 コニーは2階へ上がると、勝手知ったる場所のように1軒の店へ入って行った。ここでは店の外で待つことにした。

 通路の手すりにもたれて、吹き抜けの風景を眺める。平日の昼間なので、客は少ない。地下の食料品売り場だけたくさんいる。

 吹き抜けの向こう側の通路で、ラーレがカメラを構えている。俺が店の中へ入らないことに、文句を言うつもりはないようだ。25分ほどすると、コニーが出てきた。

「次は靴を見に行くわ」

「服は買ったのか」

「まだよ。目星は付けたけど、それと合う靴がないと」

 もちろん、靴屋もこのショッピング・モールに入っている。そこを3軒回った。次は下着だと?

「脱がせたくない服を選んだのに、下着まで合わせる必要があるのか」

「服のラインを綺麗に出すには、それに合わせた下着が必要なの」

 そういうものか。白のスラックスを穿くときなら気にするかもしれないが、そういうのもめったにないからな。もちろん、下着売り場には入らないし、中も見ない。

 15分ほどでコニーが出てきた。それから靴屋、衣料品店と逆順に戻る。靴だけが少し重くてかさばるため、俺が持つことになった。

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