#13:第2日 (5) 観光?デート?

【By ピアニスト】

 私はまた階段の上に来た。少しだけでも、モーレが見たかった。

 空が見える。雲が流れる。対岸が見える。船が見える。埠頭が見える。フェリー・ターミナルが見える。ホテルが見える。クレーンが見える。そして足下に階段が見える。

 私の周りに人が立つ。みんな海を見ている。階段を見ている。階段を人が歩く。恋人たちが歩く。家族が歩く。団体が立ち止まる。女の人が走る。犬が駆ける。

 人々が階段の脇に座る。写真を撮る。海にカメラを向ける。階段の上にカメラを向ける。私にカメラを向ける。

 私はここに海を見に来たはずなのに、いつの間にか階段を上り下りする人を見ている。私は誰かを探しているのだろうか。そうだ、私はあの方を探している。なぜだろう。もうここへは来ないかもしれないのに……



【By 主人公】

 イリーナの運転で町の中心部へ戻り、市立公園の近くのクマネツというレストランへ入って昼食にした。彼女のお薦めの、ホルプツィという肉のキャベツ巻きの煮込みを注文した。

 料理を待つ間に、彼女の研究内容を聞く。VRに使われる音声は会話用なので、品質は“不自然でない程度”で良くて、むしろ発音やイントネーションにばらつきがある方が自然に聞こえるので、その“自然なばらつき”を作り出すことが当面の目標らしい。

 確かに、人間に同じ言葉を2回しゃべらせて、その2回とも全く同じしゃべり方をしたら不自然で、それこそ“機械音声”だ。しかし、目の前にいるイリーナは仮想世界の登場人物で、研究していると称するその手法で彼女自身がしゃべっているのだと考えたら、変な気分になってきた。

 それを聞き終わると今度は俺の研究の話になり、今までに他の場所で説明してきたいくつかの論文について話をした。

「この後はどうされる予定ですか?」

 食事が終わってイリーナが訊いてきた。何かしらの期待がこもっている気がしないでもない。

「そうだな、町の中を観光するか、ホテルに戻って本でも読むか」

 元々、町の調査は予定していた。ホテルでモトが借りられるので、それを使おうと思っていた。本は持って来ていないのだが、休暇なら部屋か近辺のビーチで本でも読むのが普通だろうという、通り一遍の言い訳に過ぎない。

「そういうことでしたら、私に案内をさせてください! 今日は一日あなたのために時間を使う予定でしたから」

 ラボ・ツアーは午前中のみを予定していたはずなのに、どうして一日使うことになっていたのか解らない。が、イリーナはキー・パーソンではないかという気がしてきたので、それなら彼女の奉仕を受けることにした方がいいだろう。

「じゃあ、案内してもらおうか」

 昨日はこの辺りを回った、と言って地図を示し、その上でどこがお薦めかを訊く。

「チョコレート博物館はいかがですか?」

 そこ、お薦めなのか? 女には大人気の場所なのだろうか。しかし、そこだけでは時間が余るに決まっているので、他も教えてもらう。

 それから、フェリーでどこへ行けるのかと訊いたが、彼女も知らなかった。すぐに調べてくれたのだが、ブルガリアのヴァルナ、トルコのイスタンブール、ジョージアのポティとバトゥミへ行く便があるらしい。ただしどれも週に数便しかなく、しかもジョージア行きは2泊3日だという。黒海は思っていたよりも広かった。

 ついでながら、フェリー・ターミナルは大階段の近くではなく、もっと南のイリチフスクという町にあるらしい。

 結局、今いるところに近い大聖堂広場、次に駅とその近くのクリコボ広場、それから戦勝記念公園に行くことにした。

 まず大聖堂広場。これは歩いていく。大聖堂は外観だけ見て、公園の中に立つミハイル・ヴォロンツォフ像を眺める。もちろん、昨日見たヴォロンツォフ宮殿の主だ。

 それから公園の北側に建つアレクサンドル・ペトロヴィチ・ルーソフの家を見る。ルーソフはロシアの実業家で、大富豪で、オデッサの名誉市民だそうだ。何様式とも言いがたい、複雑怪奇に組み合わさった建物で、遊園地のアトラクションとして作ったのではないかという気がした。

 ルーソフの家は他に十数ヶ所あるのだが、それらはこんな風変わりな外観ではなく、普通の共同住宅風であるらしい。

 車に乗って、オデッサ駅へ。去年改装が済んだばかりの新しい駅舎で、中央に丸いドームが乗っている。ここからウクライナへの各都市はもちろん、モスクワ行きの国際列車も発着しているらしい。「中へ入ってみますか?」とイリーナが言ってくれたが、きっと“壁”があって入れないと思うので、さりげなく断る。

 駅の西側には路面電車のターミナルがある。昨日、美術館の近くで見かけたが、かなり古くなった車両を使っていた。イリーナは乗ったことがないらしい。

 東側にあるのがクリコボ広場。毎年、4月1日にエイプリル・フールを祝う“ユーモリナ”という祭りが開催され、仮装した人たちで賑わうそうだ。四角い広場を斜めに横切る広い道があり、ロシア帝国時代には軍事パレードの場所として使われたらしい。

 その道に面して建っているのが労働組合本部。宮殿か美術館のように、正面に4本の円柱が立ち並んでいるが、黒く汚れている。建物自体も劣化が激しい。上に国旗が翻っているところを見ると、現役の本部として使用中なのだろうが、改装を検討した方がいいようだ。

 それから戦勝記念公園へ。タラス・シェフチェンコ公園と同じくらいの広さで、元はレーニン生誕90周年を記念する植物園として作られたらしい。90周年というのが中途半端だが、そこはどうでもいいだろう。

 植物園なのだが、特定の植物をまとめて植えてあるわけではなく、単に樹木が多い公園だ。南北に長い池があり、ボートに乗って遊ぶこともできる。子供用の遊具広場もある。平日の昼間だけあって、人は少ない。

 イリーナは俺の横にくっついて歩いているが、案内をするわけでもなく、単に俺との散歩を楽しんでいるように見える。別にそれが悪いわけではないが、肩を抱くと行動データでバレてしまうので、腕を組むだけにする。それだけでもデートになっている気がして、もはや観光でなくなっていると思う。

 時間がまだまだあるので、他にどこへ行くかを考える。

「では、ロープウェイカナトナヤ・ドロハはいかがですか? 海岸まで海を見ながら降りることができるんですよ」

 大階段の横にあったケーブル・カーのような観光用と思われるが、行ってみることにする。フランツズキー通りに車を停めて、細い路地を東へ入っていくと乗り場があった。

 思ったとおり観光用だが、カゴが狭い! 二人用の立ち乗りなので、身体がくっつきそうだ。いや、イリーナは遠慮なく身体をくっつけてくるし。

 カゴは森の上をゆっくりと進み、時に民家の横をかすめ、5分ほどで海岸沿いの終点に着いた。平日だが、結構な数の人がビーチで遊んでいる。「もう少し暖かくなったら私も泳ぎに来たいです」とイリーナが言う。その水着姿は見てみたい気がする。

 上に車を置いてあるので、もう一度乗って引き返さなければならない。途中でテニス・コート付きのホテルが見えて、イリーナが「テニスはしますか?」と訊いてくる。下手だと答えると、「今度の土曜日にテニスはいかがですか?」。

 何と答えようが誘うつもりで訊いてきたのだろう。考えておく、と答える。土曜日はステージの終盤なので、色々とやることがあるに違いない。

 車へ戻り、次にどこへ行くか考える。貨幣博物館や考古学博物館はあまりお薦めではないらしい。海軍博物館はイリーナは見に行ったことがないらしく、何があるのかよく判らないと言う。

「軍事がお好きならオデッサ攻防戦記念博物館はいかがでしょうか? 南の方にあって、少し遠いですが……」

 リーフレットによれば戦車や戦艦の実物が飾ってあるとのことなのだが、別にそういうのが好きなわけではないし、ターゲットには関係なさそうなので行かないことにする。そうすると、美術館くらいしか行くところがないのだが。

「オペラ・バレエ劇場や交響楽劇場の中を観覧することはできないかな」

 絵よりは建築物を見る方が俺としては面白い。

「でしたら、財団の身分証を提示すれば、いつでも入れますよ! もちろん、先方も準備の都合があると思いますので、事前に研究所の方から申請しておいた方がいいです。いつがよろしいでしょうか?」

 やっぱり財団の力で何とかなるのか。

「いつがいいかは考えておく。少なくとも、明日急に、ということはないようにするよ」

「その他の施設でも、財団から申請すれば便宜を図ってもらえるところが多いですので、まずは私にお知らせ下さい! 一般の観光客が見られないようなところでも入ることができます。男性であれば、女性用更衣室と洗面所以外ならどこでも……」

 いや、そんなところ見ようと思わないって。

「研究員である君を煩わすのも悪いし、事務員の連絡先を教えてくれればいいから」

「煩わしいことなんて何も! 少しでもあなたのお役に立ちたいんです」

 催眠術が効きすぎだよ。9時からずっと俺の横にくっついてるからだな。この分じゃあ、明日以降に別のところを観光すると言ったら付いて来るって言うんじゃないか。

 気持ちだけで嬉しい、と言ったが、この後もまだ時間がある。イリーナが行きたそうにしているので、チョコレート博物館へ行く。誰のための観光なのかと思う。

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