#12:第6日 (11) 最終報告

 アロイスから教授への報告は、もちろんこれが最後になる。いくつかのやむを得ない計画変更はあったにせよ、予定した日までに実行への準備が整った。ただ一つ、アルマンが計画から外れた後、行方不明になったことだけが気がかりだ。

「まず、クラッキングの状況を聞こう」

 教授の横で、ブランシュは今日も菓子を食べている。下のカフェ・ラウンジで提供している菓子を、全種類注文して食べているのだ。ほぼ毎日のように続けているが、毎日違う菓子が一つあるので、“飽きない”らしい。アロイスにはとても信じられない。

「対クラッキングの修復アルゴリズムのパターンが完全に読めました。ダミー攻撃では、適当なタイミングで侵入失敗を繰り返すようにしていますので、こちらの動きをアルノルドに察知されることはないと考えます。懸念点は、ある特定のクラッカーが、同様のアクセスを試みている形跡があることです。ご存じのとおり、“イソラ”は世界中からクラッキングを受けていますが、それらとはアクセスのパターンが異なります。当然、我々と同様の目的を持ったアクセスと考えられますので、こちらの動きを乱されないように警戒が必要です。技師インジェニェーラはもちろん、それを考慮しているとのことです」

「それは、当然予想していたことだ。アルノルドが我々のアクセスに気付かなくても、そのクラッカーには気付かれたろう。もし今夜、妨害を受けるようであれば、屋敷への侵入の段階で計画中止する」

 教授は落ち着いた声で言った。もちろん、教授にとって計画の達成時期は決まっていないからだ。成功することすら、必須ではない。

「実行組にもそのように伝えます。それから、インセキュア時間の引き延ばしについてですが、技師インジェニェーラは最大2分という結論を出してきました。彼女が考えた緊急対策を用いた場合とのことです。これです」

 アロイスはタブレットを教授に見せた。教授は2、3度頷いてからタブレットを返した。

「私が考えていたものに含まれているが、屋敷に入る3人を最も大きな危険にさらす策だ。実行者である君自身はこれをどう考えるかね」

「私は問題ありません。アルビナと錠前師セッラトゥリエーレにはまだ意見を聞いていませんが、彼らが冷静に対処できるなら実行可能でしょう」

「私はアメリカン・フットボールのことをよく知らんのだが」

 なぜここでアメリカン・フットボールが出てくるのかとアロイスは一瞬訝ったが、すぐにそれが錠前師セッラトゥリエーレを指していることに気付いた。

「そのプレイヤーというのは、ゲーム時間が残り何秒かから刻々と減っていく状況でも、冷静に作戦を遂行する訓練をしていると聞いたことがあるが、違ったかね」

「“クロック・マネージメント”ですか」

 教授同様、うろ覚えながら、アロイスにもその程度の知識はある。しかしそれは、ゲームの残り時間が減るのを、タイムアウトやパスの意図的な失敗により止めることではなかったか。現実は時間が止まらない。

「では、錠前師セッラトゥリエーレに意見を聞いて、必要かつ実行可能であればこの策を実行することとします」

「そうしてくれ」

「次に解錠時間についてですが、3分30秒を下回ることは不可能だという結論に至りました。彼は、コンビネーション・ダイヤル錠のダイヤルを回す時間と、シリンダー錠のピンの数から来る制限だと言っています。理論的には3分で開けられないはずはないのですが、熟練度の問題と思われます。実行時には、解錠時間を3分30秒とし、余裕時間を30秒削ることで対処するしかないと考えます。荷物を投下するときの余裕時間が2分でしたから、他の余裕時間はゼロです」

「致し方ない。それを含めての余裕時間だったからな。その他の時間を削る当てはいくつもあるが、全てが最善の時間で収まるとは限らない以上、そうせざるを得ないだろう」

「それから、四つの錠を開ける順序についてですが、錠前師セッラトゥリエーレがこのような案を出してきました」

 アロイスはタブレットで作ってきた表を、教授に見せた。教授は目を細めてその表を見ていたが、すぐに突き返してきた。

子供だましジョッコ・ダ・バンビーノの論理だな」

「しかし、順序を憶えやすい形状にするというのは一理あると考えます」

「それは認める。一般には、一筆書きで、交差しない経路にするのが憶えやすいのだ。だが、アルノルドが何を憶えやすいと思っているのかは、彼の心理を研究しなければ判らない。それできない以上、彼の周囲に何かヒントを探すことだ」

技師インジェニェーラがカメラと盗聴器のデータから調査中です」

「彼女の負担が大きすぎないかね」

「アメリアにも協力するよう指示しました。彼女は心理を洞察するのが得意ですので」

「待てよ、もし、その順序が単純でもよいのだとしたら」

 教授は呟き、右手の中指を広い額に押し当て、目を細めながら考え始めた。アロイスは教授の言葉を待った。横ではブランシュがひたすら菓子を食べあさっている。

 しばらくは、ブランシュの操るフォークが皿に当たる音だけが部屋に響いた。1分ほど経って、教授は右手を降ろすと、不機嫌そうに呟いた。

「いかんな、どうやら私は、金庫そのものに惑わされていたようだ」

 そしてテーブルの上にあったペンを取り、“表”が書かれた紙を裏返して、3行に渡って書き付け、アロイスの方に突き出してきた。

錠前師セッラトゥリエーレが解錠をしている間、君とアルビナはこれらの点を調べたまえ。もし、大当たりコルポ・グロッソであれば、すぐに伝えてくれ。ただし、このことは屋敷内に入るまで誰にも言わないように」

「これは……了解です」

 教授が書いた指示を見て、アロイスはその発想に舌を巻いた。もしこれがアルノルドの考えと一致しているのなら、アルノルドはその狡知をどこで得たのだろう?

 だが、そんなことを考えている時間はもうない。アロイスが紙をポケットに収めたのを見て、教授が「道具類は」と訊いた。

「動作テストは全て完了しました。搬出器具の故障率は200対1程度です。あまり良くありませんが、荷物を投下するときの動作不良のみが問題でしたので、これについてはロープ側で対策を採りました」

「構成はできるだけ単純にすることだ。それが故障を回避する一番の良策だ」

「その点についても考慮した対策です」

「結構だ」

「以上です」

「もし他に気付いた点があれば、すぐに連絡をくれ。私もそうする」

「了解です」

「ねえ、教授、出掛けるのって今夜だったかしら」

 ブランシュが緊張感のない声を出す。教授の緊張感まで途切れてしまうのではないかと心配しそうになる。

「ああ、そうだ。2時に出発するから、それまで仮眠でもしていなさい」

「ここで待ってるわけにはいかないかしら」

「行けば宝石が見られるよ。君が見たいと言っていた“ディアマンテ・アル・リモーネ”だ」

「ああ! それなら行くわ。これを食べたらシャワーを浴びて、少し寝ておくわ」

「そうしなさい」

 ブランシュと話すときの教授は、表情は変わらないが、声に全く威厳がなくなっている。ブランシュがごねるとやりにくいと思っていたのだが、今のところはおとなしくしているようで、助かる。

 あと8時間ばかりトラブルを起こさないでいてくれれば、事は終わる。そうなったら後は、教授とブランシュが何をどうしようが構わない。ただ、女に弱みを握られているというのは、この上なくやりにくい。

 アロイスは部屋を出ながら考えた。あの錠前師セッラトゥリエーレも、技師インジェニェーラに弱みを握られているとのことだった。アントニーもアメリアに弱みを握られているかもしれない。

 どんな弱みか知らんが、それは自業自得だろう。女には決して油断しないことだ。そのために最もいい対策は、女を近付けないことだ。

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