#12:第6日 (9) 金庫についての考察

 解錠の訓練をしているうちに、3時になった。

「アロイスたちが帰ってくるわ。お茶の用意をしないと」

 アルビナがそう言いつつどこかへ行ってしまったが、しばらくして戻ってきた。

「アンナがやってくれるって。彼女、お茶を淹れるのも上手だから、料理人として雇いたいくらいだわ。でも、あなたが浮気するかもしれないし、やめておいた方がいいかも」

 彼女が料理人なんかするわけないって。人を使う側の人間だろ。何でもできるには違いないけどさ。

 ところで、アルビナの服がゆるゆるでなく、普通の物になった。下着もちゃんと着けているようだ。さすがにマクシミリアン氏が見ているところでは、俺に色仕掛けをしてこないということか。

 しばらくしたらそのマクシミリアン氏とダリー氏が戻ってきた。すかさず、アンナがやって来て、テーブルに紅茶と菓子を置いた。見てはいなくて、音と匂いでそう思っただけだが。

「少し前から、ティー・タイムが多すぎるな。1日に2回も菓子が出るなんて、スペインのようだ」

「アイルランドではもっと飲むから、俺はもう1回多くてもいいなあ」

 マクシミリアン氏とダリー氏が話しながら紅茶を飲んでいる。これだけいろんな国籍の奴が集まっていると、食事の回数だけでも色々違いがあって大変だろう。

 確か、スペインでは5回、ドイツでは4回だったな。アイルランドは1日に何回紅茶を飲むんだろう。イングランドは一日中飲んでる印象があるけど、それと同じなのか。国どうしの仲は悪いのに。

「アーティー、あなたもこっちに来て、飲みなさいよ」

 アルビナはさっさとテーブルの方に移動して、アンナやアメリアと菓子を分け合っている。少なくとも、俺よりは菓子の方が好きらしい。

「後で飲む。冷めたのを飲むのが好きなんだ」

「そうなの?」

「知らないわ」

 アンナに訊くなよ。そもそも俺は、大人数で食事をするときは、気心が知れた奴ばかりじゃないと喰っててもうまく感じないんだ。そういえばアンナも同じようなことを言ってたが、彼女は如才ないから我慢して付き合う方法を知ってるんだろう。

 ティー・タイムが終わると、アルビナが買い出しに行くのだが、俺を連れて行きたいと言い出した。

「解錠時間はどれくらいまで縮んだ?」

 マクシミリアン氏が言った。まずは今の成績を聞いてから、というわけだ。3分30秒を切れそうにない、と正直に言った。

「騒音対策はどうなっている?」

「アルビナにずっと話しかけてもらいながら開けて、3分30秒だ」

「開ける順序についての対策は」

「それは前から考えてある。アンナと相談したことがあるが、意見が一致していた。俺は説明が下手なんで、彼女から聞いた方がいいと思うね」

「聞いておこう。しかし、外出はやはりやめてもらおうか。事故が起こる可能性もある。アルビナもだ。手足に怪我をされては、作戦に支障が出る。アメリア、代わりに行ってくれるか」

「了解。買い物リストは?」

 後で渡すわ、とアンナが答えた。

「時間について、准教授と相談したかね」

「まだだ。そろそろ相談しようと思ってたところだったけどね」

「では、計算機室で話をしよう」

 さっきから、アンナと二人きりになれない。最後に指輪を掠め取る方法について相談しなければならないが、夜までに時間があるだろうか。

 ずっとアルビナが俺の横にいるのは、もしかしたら俺とアンナを二人きりにしないための、マクシミリアン氏の策かもしれない。

 計算機室へ行き、アンナが“開ける順序”の推論手順を説明する。


[前提]

 四つの錠について、左上をⒶ、右上をⒷ、左下をⒸ、右下をⒹと称す。

 なお、四つの錠を開ける手順は24通りである。


[条件1]

 手順に“Ⓐ→Ⓑ”、“Ⓑ→Ⓒ”、“Ⓒ→Ⓓ”が含まれているものを除く。これは、“Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓ”という“最も順序正しい”手順に含まれているため、心理的に、ランダム性が低いと感じるからである。

 この手順を除くと、24通りから11通りに減る。


[条件2]

 手順に“Ⓐを最初に開ける”、“Ⓑを2番目に開ける”、“Ⓒを3番目に開ける”、“Ⓓを最後に開ける”が含まれているものを除く。これは、“Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓ”という手順から“順番が変わっていない”ため、やはり心理的に、ランダム性が低いと感じるからである。

 この手順を除くと、11通りから4通りに減る。残った手順を以下に列挙する。

  ① … Ⓑ→Ⓐ→Ⓓ→Ⓒ

  ② … Ⓑ→Ⓓ→Ⓐ→Ⓒ

  ③ … Ⓒ→Ⓐ→Ⓓ→Ⓑ

  ④ … Ⓓ→Ⓒ→Ⓑ→Ⓐ


[条件3および4]

 このうち、①は“Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓ”という手順からⒶとⒷ、ⒸとⒹをそれぞれ“単純に入れ替えただけ”になっており、これも心理的に、ランダム性が低いと感じられるため除く。

 また、④は“Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓ”という手順を“逆にしただけ”であるため、同様の理由により除く。


[結論]

 ②または③が“心理的に最もランダムに見える順序”である。③は左下→左上→右下→右上という順であるので“N”と称す。②はその逆順であるので“逆N”と称す。


「ずいぶんと巧妙な推論だが、アルノルドが同じ結論に至るという確率は高いのかね」

 マクシミリアン氏はドイツ人なので、こういう理屈っぽいことでもちゃんと理解してくれたようだが、相手がイタリア人なのを心配している。

「金庫を納入した会社が、順序について示唆したんじゃないかなあ」

「准教授、そのような形跡はあったか?」

「はい、通信の中に“手順表タベッラ・デッレ・デプロチェドゥーレ”という言葉があったので、順序について説明していると思われます」

「それに、こういう順序は図形的かつ口頭で説明できるのが一番だ。例えば“Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓ”なら“Z”と説明すれば済む。他に憶えやすいのは“C”とか“U”とか。もちろん、逆順や裏返しもあるけど。“X”は一筆書きできないので説明には不向きだ」

「なるほど。しかし、もしこの推論に当てはまらない場合は?」

「24通り全部試すしかないな」

「何秒かかる」

「一つ3秒」

「それだけで1分を超えるが?」

「ただし、Ⓐを最初に開ける手順は後回しにする。心理学的に一番抵抗が大きいはずだ」

「裏を掻いてくるかもしれんよ」

「4桁の暗証番号で一番多いのは“1234”ってのと同じだな。でも、さすがに金庫の会社や警備会社が止めるんじゃないかなあ」

「准教授の意見も聞こう」

「私は彼の見解に完全に同意します」

「そうか」

 マクシミリアン氏は納得したらしい。そもそも、アンナとは意見が一致しているとさっき言ったはずなのに、どうして彼女に確認するのか。そりゃ、“無断外出”するような男の方が、心理的に信頼性が低いと感じられたからだろうけれども。

「准教授、アルノルドの通信の中に、この推論の正しさを裏付けるようなものがあるか、調べられるか」

「やってみます」

 俺も言っておくことがある。

「この後、彼女と打ち合わせしたいんだけど」

「十分やってくれ」

 マクシミリアン氏は部屋を出て行った。ようやくアンナと二人きりになることができた。しかし、この部屋が盗聴されている可能性もあるので、指輪を掠め取る相談を、どうやってしようか。

「最初から疑問に思ってたんだけど、どうして金庫に電子錠を使わないのかな。その方が信頼性が高いと思うんだけど」

 適当な疑問をでっち上げて、目でアンナにそれとなく訴えかける。彼女のことだから、解ってくれるだろう。

「ナポリはいまだに停電が多いからじゃないかしら。年に1、2回はあるみたいね」

 言いながら、アンナがキーボードを叩いて、画面に別のメッセージを映し出す。“金庫を開けたら、まず宝石のアタッシェ・ケースを取り出して……”

「それなら自家発電にすればいい」

「もちろん、使っているわ。太陽光発電。でも、停電時の電源切り替えに難があるのかも。例えば、電圧が急激に変化したら、暗証番号がリセットされる問題があるとか」

「リセットされたらデフォルトの番号を打ち込めばいい」

「泥棒がそれを狙うかもしれないわ」

「なるほど」

 デフォルトの番号は限られているので、停電させて何度か試せば開いてしまう。しかし、停電対応なんて、サージ・キラーと無停電電源で何とでもなると思うのだが、他にも何か問題があるのかも。

 しかしそもそも、ここは仮想世界なんだから、絶対開けられない金庫を採用したらゲームにならない。犯罪映画ケイパー・ムーヴィーと同じだと思っておけばいいんだ。

 さて、指輪を掠め取る相談は済んだ。後は解錠時間の引き延ばしの相談をするくらいか。

「今のところ、解錠にかかる最悪時間は5分強ってところだけれども、引き延ばし可能なのはやっぱり1分くらい?」

 この前は5分以上かかってもいいとこっそり聞いたが、やはり盗聴を警戒してマクシミリアン氏が言っていた時間にしておく。もちろん、アンナも話を合わせてくれるだろう。

「ええ、そう」

「そうすると、俺の持ち時間の最大は、タイムテーブル上の3分、プラス余裕時間の1分半、プラス引き延ばしの1分で、計5分半か。もっとも、それを最大限使い切ると、さすがにまずいだろうな」

「引き延ばし時間の結論については、夕方に教授とヘル・マクシミリアンが決めることになってるわ。私は2分という答えを用意したけれど」

「でも、俺と君の意見が一致してるんだから、本番では3分33秒以内に開くはずだよな」

 まず“逆N”を試すことにしているが、それが失敗したら3秒延びる。

「ええ」

 アンナに目で合図し、キーボードを使って「残りの時間は何に使えばいいと思う?」と打ち込んだ。答えをアンナが打ち込む。


  "How about kissing Srta. Albina?" (アルビナ嬢とキスしてはいかが?)


 もしかして、嫉妬してる? いや、違うよな。他にすることなんて何もないから、時間つぶしでもしたらってことだろう。つまり、彼女は俺の解錠の腕を信用してるってことだと思うんだが。

 ついでにもう一つ訊いておく。「規定の時間以内に開けられたら褒めてくれる?」。そしてその答えは。


  "It's worth snogging!       (抱きしめてキス!

   By your sweatheart."        あなたの恋人が)


 非常にウィットに富んだ答えだ。だが、訊くんじゃなかった、という気がする。

「もう一ついいか」

「ええ」

「ソレントでモトを処分できる店を調べてくれないか」

「了解」

 たぶん、彼女は解ってくれる。

 計算機室を出て、金庫の前へ戻る。アルビナがまたへばりついてきた。ただし、ティー・タイムの前よりは、だいぶ控えめな態度になった。

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