#12:第3日 (8) デートを申し込む前に
サレルノには7時20分に到着。シャトル・バスは混雑しているので、見送った。まだ明るいし、そう急がないので、海岸沿いを歩いて帰ろうと思う。
ゆっくりと15分ほど歩いて、マリーナに近付いてきたところで、沖にフェリーが見えた。いつもの時間の便だ。ただし、今日はあれにクラウディアは乗っていない。とすると、その前の便とかだろうが、なぜか教えてくれなかった。
居酒屋の約束の時間も変わらず。しかしそれは、気にするようなことでもない。
ホテルに戻ると、「お留守の間にお電話が入っていました」とベアトリーチェから明るい笑顔で言われた。
「エロイーズ・フレージュという方で、こちらの番号にぜひ電話をいただきたいと……」
モバイルフォンの番号ではなさそうだ。サレルノのホテルの番号だろう。内線番号らしい4桁の数字も後にくっついている。
「他に何か言ってた?」
「カプリ島で色々と助けていただいて、本当にありがとうございましたと、何度もお礼を述べておられました。もっと一緒に観光を楽しみたかったとも……」
「何を助けてやったか、気になる?」
「何を助けてあげられたのですか?」
本当は気にならないくせに、ベアトリーチェは笑顔で楽しそうに訊いてくる。これも客へのサーヴィスの一環か。
「青の洞窟で写真を撮ってやっただけなんだがね」
「綺麗な青はご覧になれましたか?」
「ああ、綺麗だったよ。君は見に行ったことある?」
「ありません」
そういうのも笑顔で言うのか。「次の休みの日に連れて行ってくれませんか?」などと言われるよりはましだがな。
それから、今日で部屋が変わることになっていたので、新しい部屋に案内してもらった。見たところ、荷物は全て移されているようだ。
シャワーを浴びてから、エロイーズへの電話をどうするか考える。この時間帯は、彼女たちだって夕食に行っているかもしれない。であれば、俺が夕食から戻ってきてからでもいいだろう。12時前ならまだ起きているに違いない。
8時半に居酒屋へ行くと、既にクラウディアは来ていた。食事もテーブルの上に並んでいる。
「
それは見れば判る。向かい側に座ろうとすると、横に座るように言われた。あらかじめ、椅子が彼女の方にかなり寄せてある。
「カプリ島はどうでしたか?」
「ああ、よかったよ。君は行ったことある?」
「ありません」
サレルノの人はカプリ島へ行かないのだろうか。もっとも、俺だってフロリダ州に住んでいながら、オーランドのディスニー・ワールドへ遊びに行ったことはない。
「でも、私の船で島の周りを一周したことはありますよ。来週の月曜日に、あなたもいかがですか?」
それがターゲットのヒントにつながるのならありがたく乗せてもらうけどね。それとも、エロイーズたちを誘って乗るか?
「それにはデメトリアも誘うのか」
「もちろんですよ。私は船の操舵に専念しますから、彼女と二人でクルージングを楽しんで下さい」
それじゃあ、エロイーズたちを誘うのは無理だ。船上が戦場になる。
「そもそも、デメトリアは本当に俺のことを気に入ってるのか?」
「もちろんですよ」
「まともに話をしたこともないのに?」
「人はまず見かけで判断をして、それから話をして、それで最初の判断が間違っていなかったかを確かめるのです。何度も言いますが、あなたの見かけは妹の好みにぴったりです。妹とあなたは話していませんが、私とあなたが話しています。私が考える限り、あなたはとてもいい人です。少なくとも妹があなたを嫌うことはないです。だから妹があなたを気に入るのは間違いないのですよ。ただ、妹は口下手なので、あなたとうまくおしゃべりができないかもしれませんが」
イタリア人の女に口下手がいるとは思わなかった。俺がこの3日間で見かけたイタリア人は、男も女もひっきりなしにしゃべってる印象があるからな。
ベアトリーチェはまだおとなしい方だが、それは仕事中に無駄な話をしないというだけだろう。
「ちょっと妹と話してみましょうか?」
クラウディアは俺の返事も聞かず、ウェイトレスに声をかけ、次の料理をデメトリアに持ってきてもらうように頼んでいる。
「そろそろ英語で話をしないか?」
「妹との話の後にして下さい。でも、単語の発音の練習はやりましょう」
苦手な発音が含まれている単語はわかっているので、それを「
そういうことをしているうちに、デメトリアが料理の皿を持ってやって来た。実に機嫌が悪そうに見えるのだが。
「チャオ、クラウディア。アーティーがあなたに正式にデートを申し込みたいそうよ」
言ってねえよ。
「まともに話をしたこともないのに!」
え、嫌がらないのか? その言葉を額面どおり受け取ると、少し話をしてからならデートを受けるということになるんだが。というか、俺はデートを申し込まなきゃならないのか?
「そんなのはよくあることよ。一目惚れした相手にデートを申し込むときなんて、たいていそうじゃないの」
「そういうときでも、段階はあるわよ」
「例えば?」
「店に来ても、私に声をかけてくれたことすらないじゃないの」
「それはあなたが厨房にいるからよ。
「
ここは一応話を進めておくか。
「それから、料理を頼んだときや、食べている合間にも、彼女へのメッセージを伝えてあげて下さい。料理の感想でも結構です」
「
「そして、帰る前に彼女を呼び出して、デートを申し込んで下さい」
それ、やらなきゃいけないのか?
「それ、今日じゃダメなのか?」
「彼女はまだ心の準備ができてないらしいですから」
俺の知っているイタリア人は、知り合ったその場か当日中にデートを誘う奴ばっかりなんだがなあ。それで女から断られたことなんて、一度もないって言ってた気がするけど。
「彼女には彼女のプロセスがあるのですよ。まず、料理を褒めましょうか」
それ、言われてすることなのかな。しかも、当人の目の前で。まあ、いいや。
これから褒められると、あらかじめ判っているせいか、デメトリアの表情はいつもに増して素っ気ない。彼女が乱暴にテーブルに置いた皿を指差して訊く。
「それ、君が作ったのか?」
この店には彼女の他に二人ばかり料理人がいることは判っている。
「そうよ」
「こっちの料理も?」
「そうよ」
「もしかして、昨日や一昨日に俺がここに来て注文した料理は全部君が作った?」
「一昨日はどうだか忘れたけど、昨日のと今日のは全部よ」
「どれもうまいな。君は料理が上手だ」
「仕事なんだから、褒められても嬉しくないわ!」
そうか? じゃあ、シェフにわざわざ礼を言いに行く奴がいるのはなぜなんだ。あれをやられると、シェフだって嬉しいんだろうに。
「じゃあ、これから注文する料理を、仕事以外の個人的な感情を込めて作ってくれ。えーと」
メニューを見て、軽い魚介料理を探す。「ホタテ貝のサラダ、トマトとバジル添え」。デメトリアは厨房へ戻っていった。
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