#12:第2日 (6) 適切な批判

 しばらくの沈黙を保った後で、教授が重々しく呟いた。

「戦利品の配分を6月30日の正午までに行うのは不可能だ。正午以降に干渉するなというのは、君に配分を渡すことができないことを意味する。だからといって前金で渡すこともできん」

「私の分は、私が指定する慈善団体へ寄付して下さい」

「君の名前でかね」

「いいえ、できれば教授のお名前で」

「ふむ」

 教授は考え込むような表情を見せ、ブリー・チーズをフォークで突き刺して口に入れた。実際、考えているらしい。

 女はまだアンティパストに手を着けていない。あの食欲はどこへ行ったというのか。

 チーズをゆっくりと噛みしめ、飲み下してから、教授が口を開いた。

「私の名前を使うと少し問題がありそうだ。しかし、誰の名前を使うにせよ、もちろん君以外の名前を使ってだが、君が指定する団体へ、君の配分を寄付することは約束しよう。それでいいかね?」

「ええ、問題ありません」

「では、契約成立だ。残念ながら契約書を交わすことはできん。ここで交わした言葉を信じてもらうしかないが、アロイスが証人だ。アロイス、もし他の者が彼女の参加に異議を唱えるようであれば、私に知らせてくれ。話し合いの機会を持つ」

「了解です。君、本番のクラッキングに使うコンピューターの性能について、指定があれば聞いておくが」

 アロイスの言葉の後半は、女に向かって言った。女はようやく突き出しストゥッツィキーノの二つ目を口に入れた。わざとらしいほどに優雅な食べ方だ。

「特に何も。今日、試用したあの機体で十分です」

 アルノルドが、ジュネーヴの銀行や交通システムをハッキングするのに使っていたのと同じ機種だ。

 もちろん、アルノルドが使っていた機体とは別。有用なプログラムが入っているかもしれないが、なにがしかのバックドアが仕掛けてある可能性も否定できないので、使えない。

 何人かのクラッカーは、もう一段階上の性能のものを用意した方がよいと推薦してくれた。しかし、不必要なほど高性能な機体を要求した者もいる。そういう者に限って、“壁”の一つすら突破できずに終わったのが多い。

「では、計画の詳細については、“別荘ヴィラ”に戻ってから話そう」

 “別荘ヴィラ”とはアロイスらの根城のことだ。正確には、廃棄された別荘を簡単に修復したもの。電気と水だけは使えるようにして、そこにアルマン、アルビナと一緒に滞在している。

 本来なら教授もそこに滞在してもらうべきなのだが、ブランシュのわがまませいで、二人だけがホテル住まいだ。

 それから食事が終わるまでは、アロイスにとっては気詰まりな時間だった。教授は座談がうまくないし、アロイス自身も同じ。女もあまり話をする方ではないらしい。

 ただ、何とかいう数学の論文のことで、教授と女はずっと話をしていた。アロイスにはとても付いていけない内容だった。消化が悪くなりそうだ。

 食事の後、アロイスは車に女を乗せて、“別荘ヴィラ”へ戻った。ソレントの町の西側、山の中にある。

 彼女をここへ連れて来たのはもちろん初めてで、昨夜から今日の夕方にかけては、クラッキング用のコンピューターを、彼女が泊まっていたエクセルシオールへ運び込んで、クラッキングを試させた。そのコンピューターも回収して、車に積んである。

 1階のリヴィング・ルームにアルビナとアルマンを呼び寄せ、女と改めて“顔合わせ”した。アルビナは昨夜彼女と会っているが、アルマンは初めてだ。ただし、タブレットやスマートフォン上の画像ではその顔を見ている。それなのにアルマンは、女の尋常でない美貌に戸惑っているようだった。

 教授が彼女と契約したことを二人に伝え、意見を聞く。

「私は賛成」

 アルビナが即座に答えた。彼女は昨夜、女の異常な食べっぷりを見たせいか、妙に興味を持っているようだ。

「僕も賛成しか言えない。まだ、自分の仕事も満足にできてないんだ」

 アルマンは自嘲の声で言った。今日に至ってもまだ金庫に慣れないらしく、すっかり自信をなくしているようだ。

 この後、計画の詳細を女に話すのだが、先に金庫のことだけを説明することにした。アロイスはそれを、アルマンに任せた。アルマンは金庫を前にして、どんな錠が付いていて、それを何分以内で開けなければならないかを、女に話した。いささか緊張しているように見える。女は無表情でその説明を聞いていた。

 それからアロイスは女を別室へ連れて行き――そこはコンピューターを置くので“計算機室”と呼ぶことになっているのだが――計画の詳細を話した。

 話の間に、アルビナが車からコンピューターを運んできて、デスクにセッティングする。それが終わると、アルビナも女の横に座って話を聞き始めた。もちろん、アルビナは聞かなくても計画を知っているが、このクラッカーの女に興味を持っているようだ。

 終わると、アロイスは女に訊いた。

「この計画について、何か懸念点があれば聞かせて欲しい」

「特に何も。アルベルト・ファリーナ教授の立案なさった計画ですし、穴はないと思います」

 しかし、教授ならこう返すだろう。「私が聞きたいのは世辞ではない。私の理論に対する妥当な批判だ。忌憚のない意見を述べる者こそ、私の真の協力者なのだ」。

 アロイスはそれをそのまま、女に言った。教授はイタリア人とは思えぬほどの、慎重派で悲観主義者だ。その点だけは、前の教授とそっくりだ。

「では、一つだけ。この計画では、時間を守ることが重要です。クラッキングで警備システムを停止する時間と、その間に金庫を開ける時間。前者は私の担当で、最大限の努力を払うつもりですが、後者を予定どおりに達成できる見込みが、今のところなさそうです。違いますか?」

 確かに適切な批判だ、とアロイスは思った。ついさっき、アルマンが、この金庫はまだ手に負えないと“自白”したばかりだ。もちろん、教授もそれは解っているが、教授は“できないのなら手を引くまで”としか言わない。

「そのとおりだ。できれば3分以内、遅くとも4分以内に開けなければならないと考えている」

「では、今の金庫破り担当の方――アルマンとおっしゃったかしら――彼よりも腕の立つ者を、早急に採用することをお薦めします」

「彼はフランスでも五指に入る腕の男だ。彼より腕の立つ者なんて、そう簡単には呼び寄せられない」

 彼の父、アルフレッド・ラフィーはフランスで最高の金庫破りだったが、惜しくも早世した。アルマンだって、父にそうそう引けを取らないほどの腕前なのだ。

 ただし、今回の金庫に関しては、分が悪い。シリンダー錠が、マルチプロファイル型なのだ。アルマンもそれが不得意というわけではないのだが、ピッキングで開けるのに、とにかく時間がかかるという特徴がある。

 アルノルドもそれを知っているから、わざわざ金庫の錠として採用したのに違いない。しかもそれを二つ付け、さらにコンビネーション・ダイヤル錠を組み合わせ、そしてその開ける順序までも制限をつけている。難しさに加えて、ひたすら時間をかけさせることが目的だ。アルフレッドだって顔をしかめただろう。

「世界で五指に入る錠前師セッラトゥリエーレなら、達成できる見込みがあります」

「そいつはどこにいて、どうやって呼び寄せる? 俺はドイツとフランスとイタリアに情報網を持っているが、自分は世界で五指に入る金庫破りだと自称する奴は、一人しか知らない。そしてそいつには真っ先に断られた」

 アドルフめ! 「俺はもう年だから、引退した」だと? 相手を聞いて、ビビったのに違いない。俺たちだって、アルノルドの本当の素性を最初から知っていれば、仲間にしたりするものか。

「その他の4人のうちの一人が、ちょうど今、この付近に滞在しています」

「どこに? 何という名前だ?」

「ナポリか、サレルノか、ソレント半島の町のどこかにいるはず。顔写真リトラットもあります。名前は……」

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