#11:第6日 (8) ケーキの誘い
どういう意味って、そのままだと思うんだけど。
「俺も関わりたくないと言ってるんだよ」
「しかし彼女たちは、最初に声を掛けてきたのは、お前の方からだと言っていたぞ」
あいつら、記憶が歪んでるな。ビスモのレストランのデザートのエピソードを話す。ミス・セルベルグが困惑の表情を浮かべる。また女らしくなった。普通でない表情に、ちらちらと女らしさが覗くんだな。
「それじゃあ、最初に声を掛けたのは彼女たちじゃないか。話が食い違ってる。後で確認しておこう。朝食の時のことは私も知っていたが……ああ、話が前後して申し訳なかったが、私も元ガール・スカウトで、25歳まで
こんな男前な美人が、ビスモにいたっけ。全く憶えがない。指導者は別のタイム・スケジュールで動いていたので会わなかった、とかかもしれないが。
「それについては全面的に賛同しよう。俺もこういうところで研究の話をするのはあまり嬉しくないからな。仕事で来たんじゃないんでね」
ターゲット探しっていう他の仕事があるんだよ。特にここでは、余計な話をしている暇はない。もう6日目なんだ。
「そうだろう。お互いに理解し合えてよかった。ありがとう」
そう言いながらミス・セルベルグがソファーから身を乗り出して、手を延ばしてきた。それを軽く握り返す。女にしては少し大きめの手だ。彼女の表情がだいぶ穏やかになったが、“ハンサム”なところは変わらない。きっと女にもてるだろう。
「私の要件はそれだけだ。話の食い違いについては確認して、後で報告しよう。彼女たちに関わらないでくれとは言ったが、無理に避けてくれと要求してるわけじゃない。一般人と同じように、ごく普通に接してくれればいいんだ」
「もちろんそのつもりだが、彼女たちが俺と必要以上に関わるのはよくないと、なぜ思ったのか、一応聞かせてくれ」
ミス・セルベルグは腰を浮かしかけていたが、俺の言葉を聞くと座り直し、長い足を組んだ。「初歩的なことだよ、ワトソン君」とでも言いそうな気がする。
「それほど難しいことでもない。私はビスモでお前の話は聞けなかったんだが、後でガール・スカウトたちの意見を聞いたら、非常に興味深くて面白かったそうだ。そういう話を聞くのはもちろんとても大事なんだが、彼女たちがずっと聞き手に回るのはあまりよろしくない。質問をするにしても、それはやはり聞き手としての立場なのでね。彼女たちが、自分で考えて、それを他人に発信することを学ぶのが、今回のスカウト・キャンプの趣旨なんだ。だから、別にお前の話や態度がよくないというんじゃなくて、彼女たちの課題と時間の都合なんだよ」
理由が後になってどんどん解明されていくという彼女の話し方は、あまりありがたくないが、意図はわかった。
「全面的に理解した」
「ありがとう! では、私はこれで失礼する。ああ、そうだ、もし、後で時間があったら……これは私の時間の都合でもあるんだが、お前の研究の話を、少しだけ聞かせて欲しいんだ。概要だけしか聞けなかったんだが、どうやら私の研究テーマである社会情報学と関係があるように思うんだよ。10分か15分でいいんだ。夕食の後で時間が取れると思うんだが、考えておいてくれないか?」
研究の話をするのはあまり嬉しくないって、さっき言ったばかりなんだが。しかし、興味本位のガキに話すよりはいいか。
「考えておこう」
「ありがとう! では、また後で」
ミス・セルベルグはもう一度握手をして、見送りはいいからと言って自分で出て行ってしまった。彼女は何なんだ、キー・パーソン? とにかく、もう一度接触してくるまで待つか。
再び財布から紙幣を取り出して、テーブルに並べようとしたところで、今度は電話がかかってきた。次々に邪魔が入るなあ。電話を取ると、受付からだった。モードだ。
「何?」
「財団のご同僚の方が、面会をご希望です」
「俺の部屋に来るのか?」
「いえ、先方の部屋にお越し願いたいと」
部屋の場所を訊く。すぐ近くだった。関係者はこの辺りに集められているらしい。
「今から?」
「はい、ご都合がよろしければ」
都合がいいわけではないが、他にすることといえば紙幣の確認だけなので、そっちは後ですることにして、相手を訪問することにする。
しかし、なぜ名乗りもせずに人を呼びつけるのか。会いたいならミス・セルベルグのように俺の部屋へ来ればいいのに。
部屋を出て、廊下を挟んで反対側の、三つ先の部屋。ドアをノックする。すぐに「
入るのをやめようかと思ったが、深呼吸してからドアのノブを握り、ゆっくりと捻って、ドアを開けた。
俺の部屋と同じ作り。その中央のソファーに、こちらを向いて、見目麗しき女が座っている。テーブルにはティー・カップが二つと巨大なケーキ……
「君が財団に所属してるなんて知らなかったな。どこの研究所で何を研究している?」
「そんなのは気にしないで。今回だけの肩書きよ」
マルーシャ・チュライ! そういえば、肩書きは初日の間なら変えられるとビッティーが言っていた気がする。財団の研究員を選んだ場合だけだったか?
とにかく彼女は、このステージに入ってから、適切な肩書きを選んだのに違いない。ノルウェイでは“ウクライナの歌姫”よりも研究員の方がいいと思ったのか? 今まで使ったことがないと言っていたはずなのに。それとも、俺が一度使ってみろと言ってたから使ったのか。
しかし、彼女は今までどこにいたんだろう。俺とは違うところからスタートして、違う経路をたどってここへやって来たのか。このステージの展開なら、それもあるだろう。
「それで、なぜ俺を呼んだ?」
モントリオールで別れたときに、次はお茶に呼んでくれと約束した憶えはないんだが。
「私がここにいることを知っておいてもらった方がいいと思って」
「ありがたい心遣いだが、君は俺がこのステージにいることを、前から知っていたように聞こえるな。いつ知った?」
「座って。紅茶が冷めるわ」
俺の言うこと聞いてんのかよ! しかし、彼女の言葉と視線には得体の知れない強制力があり、ふらふらと歩いていって向かい側のソファーに座ってしまう。
このケーキは何だ。フルーツが上にどっさり載っているが、どうせメレンゲと生クリームをたっぷり使ってるんだろ。5時にこんなもの食べたら夕食が入らなくなるじゃねえか。彼女は別かもしれないが。
「いつからだ?」
「3日前」
レイルヴァスブか。あの時は人がたくさんいたから気付かなかった……と考えるのは簡単だが、彼女のこの美貌はどこにいたって目立つこと間違いなしなんだから、気付かないのはおかしいよな。変装でもしてたのか。何のために?
「その時にはなぜ声を掛けなかった?」
彼女がケーキを切り分ける。円を8等分にしているが、どうせ彼女が8分の7を食べるうだろうから、俺の分だけ切り取ったらどうだ。16分の1くらいでいいぞ。
「共有するような情報が何もないのに、存在を明かしても意味がないわ」
「今は共有するような情報があるのか?」
マルーシャはすぐには答えず、ケーキを食べ始めた。何度見ても、彼女の食べる姿というのは絵になる。インターネットでライヴ中継したら、スーパー・ボウルよりもたくさんの人が見るだろう。
「ケーキを食べてみて」
はぐらかすなよ。
「何て名前?」
「クヴェフョルドカーケ。ノルウェイのナショナル・ケーキ」
それはさておき、共有する情報って何だ。彼女が二つ目のケーキを堪能しているようなので、黙って待つ。
「3人目の
「それは俺にも判りそうなんだがな」
「確認する時間が節約できるでしょう」
「それはそうだ。エルラン教授?」
「ええ、トルヴァルド・エルラン教授。コペンハーゲン大学、数理科学」
デンマークか。数理科学ね。俺よりも頭が良さそうな肩書きだ。実際、俺より断然頭がいいんだろうけど。
「彼には挨拶を済ませたのかね」
「断られたわ。興味がないって」
「財団に? それとも女に?」
「両方とも」
なかなか意志の強い人物だな。俺とは大違いだ。
「俺のことは知ってるのかな」
「さあ。少なくとも、私は話さなかったわ」
「そうすると、俺が一方的に彼のことを知っているわけだ。そういうのは不公平だな」
「不公平?」
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