#11:第5日 (5) 次に行く場所
カタリナは強かった。さすがは極地探検家、などと感心している場合ではないくらいに。何が強いって、持久力がとんでもない。
おまけに、北半球と南半球は形が違うので確認しろだとか、氷河の
探検に行って、帰って来られなくなったときのために、平時に楽しんでおかなければならない? 生きて帰ってくるのが探検じゃないのかよ。とにかく10時の5分前までずっと相手をさせられた。
こんなに疲れてしまっては、この後、山登りができるのか心配だ。行く先が判っているわけではないが、地図ではここ以外、ほとんど全部山なんだから、登るに決まっている。
「タクシーなんて、待たせておけばいいのよ。15分くらい遅れたって、バスには間に合うわ」
そういうことを言ってカタリナは悠長にシャワーを浴びながら、俺に部屋の片付けまでさせる。ベッドと簡易キッチン以外は使ってなかったので、すぐに終わったが、汚れたシーツをこのままにしておいていいのだろうか。
それから荷物をまとめて、本館へ行き、カタリナはチェックアウトの手続き、俺はタクシーの運転手の相手。10分以上も待たせたのに、運転手は前金をもらってるとかで、機嫌がよかった。「フォスベルゴムまで、15分もかかりゃしません。もしバスが行っちまったら、追いつくまで走らせまさあ」などと言っている。
カタリナが来たら出発。しかし、俺がどこへ行けばいいか、まだ判明していない。ただ、この先どこへ行くにも、いったんフォスベルゴムに行けば便利なので、これはこれで問題ない。で、彼女からまだ何かヒントが引き出せるのか。
「君はこれからどこへ?」
「オスロへ戻って、すぐにスピッツベルゲンへ飛ぶわ。2ヶ月くらいトレーニングして、こっちへ戻ってきて1ヶ月くらい講演旅行。それからまたスピッツベルゲンへ行ってトレーニングして」
スピッツベルゲンというのは北極圏にあるノルウェイ領スヴァールバル諸島の一つで、ノルウェイ最北の有人島であるらしい。彼女は年中、そこと本土を行ったり来たりしているそうだ。忙しすぎて、今のところ恋人はいない。だからといって、行きずりの外国人と寝るなんてのは気まますぎると思う。
「あなたはどこへ?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、私の家に来る? 出発は明日の朝だから、一晩ゆっくり時間があるわ」
1時間半でも十分疲れたのに、一晩なんて勘弁してくれ。しかし、本当にどこへ行けばいいのか。
ヒントはもうナンセンの本にしかないと思っている。到達最北地点である北緯86度13分36秒から何か導き出せるのだろうか?
昨日と同じやり方で、86をチェスの
では、探検ルートを示した地図からか。しかし、ナンセンは北へ向かったのだが、ビスモの町から北は俺の地図に載っていない。となると、何か別の変換を行わなければならない。到達位置を極座標から……いや、待て、カタリナのブラジャーが頭に思い浮かんできた。余計なことをすり込まれたな。
それに、座標に変換するとしたら経度も考えなければならない。到達位置の正確な経度はよく判らないが、東経90度と100度の間くらい、95度か96度くらいだろう。しかし、そんな数字ではそもそもチェス盤に当てはめるのに大きすぎる。何かで割らなければいけない。
世界地図では、経度は15で割ることが多い。タイムゾーンと一致するからだ。95を6で割ると6.3くらい。区画に当てはめるには切り上げだから7だ。同じく、北緯の値を15で割ると5.7くらい。切り上げて6。合わせて76。つまり、
「もう着くわよ、アーティー」
フォスベルゴムに着いてしまった。昨日のバス停だ。で、地図によると、g6には山小屋はないが、小さな集落と避難小屋があることになっている。"Fossætren"。フォッセトレン。一晩なら泊まれるだろう。そこで合ってるかどうかの方が問題だ。
距離はここから15マイルほど。道なりに東へ5マイルほど行ってから、南の谷へ10マイルほど入っていく。最初の5マイルはタクシーでいいかもしれない。
「どこへ行くか決めた?」
「ああ」
「私との会話は参考になったかしら」
君と何を話したんだっけ。ベッドの中でいろんな探検用語を教えてくれたような気はするけど、場所に関してはさっぱりだったよ。
ああ、ナンセンの探検経路を立体的に示してくれたのは、少しは役に立ったかもしれないな。あの素晴らしい丸み。しばらくは地球儀を見るたびに、思い出しそうだ。
「
「あら、よかった。この辺りはトレーニングでよく歩いたから、何か知りたいことがあるなら教えてあげられるわよ」
フォッセトレンとはどんなところか訊く。
「谷の底にある小さな集落よ。それほど面白くないと思うけど」
面白いかどうかで行くところを決めているわけではないので、今回は何もないところに行きたいと言い訳しておく。
このまま東へ行くとグラフェルという集落があって、そこの分かれ道で南に折れれば――いったん西へ戻る形になるので判りにくいらしいのだが――、そこからはほぼ一本道だそうだ。舗装道路で、車も通るらしい。しかしバスはない。
緩やかな登り一辺倒で、周りの景色は単調。天気がよければ東にクヴィティンクショレン、西にエイステインホヴデという山が見えるそうだが、今日はあいにく一面の曇り空。山の上の方にも雲がかかっているようだ。雨が降らなければいいが。
カタリナの乗るバスが来た。もちろん、昨日泊まったスピテルストゥレンからの便だ。読めない"Beitostølen"行き。
「バスに乗って行きなさいよ。運転手に頼んで途中で停めてあげる」
カタリナはそう言って、バスに乗ると運転手とすぐに話を付けてしまった。ちょうど、グラフェルにはバス停があるらしい。ただし、この長距離バスに乗り降りする客はほとんどいないそうだ。
とにかく、これで5マイル歩かなくて済んだ。バスには他の客が数人しかいなかった。昨日の混雑とは大違い。カタリナは俺の横に座って嬉しそうにもたれかかり、「次はいつノルウェイに来るの?」とか「スヴァールバルにオーロラを見に来たら?」などと誘いをかけてくる。
挙げ句に「あなたのこと、当分忘れられそうにないわ。私もフォッセトレンへついて行こうかしら」と物騒なことを言い出す。今朝だってかなり体力を奪われたのに、ついて来られて一晩一緒に過ごしたら、明日活動できなくなるかもしれないので絶対にやめてほしい。
グラフェルでバスを降りると、カタリナはバスを待たせて一緒に降り、「そこの道を西に行って」などと詳しく説明してくれたのはいいが、最後に濃厚なキスで締めくくった。アストリッドよりもさらにディープだった。バスを3分は待たせただろう。
バスが行った後、車が全く通らないのを見計らって、腕時計に呼びかける。
「ヘイ、ビッティー! 確認するが、今の、見てなかったよな?」
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