#11:第3日 (13) 支配人との会話

「ところで、お仕事のことを思い出させて申し訳ありませんが、あなたの研究について聞かせていただけますか? 論文をいくつか検索したのですが、ぜひ詳しく知りたいことがあって」

 ああ、やっぱりそういうことか。研究者が来たら話を聞くってのは、接待の常道なのかなあ。無論、嫌がる奴もいるんだろうけど、俺の場合は最初に中途半端なところを見せてしまったから、そこが隙になってしまった。

「さて、その論文の内容を憶えているかどうか」

「不適合プレイヤーによる行動攪乱効果、で始まるタイトルの論文なのですが、いかがです?」

 それもモントリオールで美少女警備員たちに説明した。記憶している限りのことを話してみるが、せめて検索した論文の概要アブストラクトでも持ってきてくれればいいのに。

 エリンはお愛想ではなく、ずいぶんと真剣に聞いているように見える。ただし、作り笑顔は必要ないと思う。

「ありがとうございます。よく解りましたわ」

「これがこの山小屋の運営の参考にでもなるのか」

「ええ、ごくまれに、私たちスタッフペルソナーレの想定外の行動を取るお客様がいて、他のお客様とトラブルプロブレムになることがあるものですから」

「そういうのは最初からトラブルを起こすのが目的じゃないのかなあ」

「もちろん、既に問題になったことがある人たちについては把握していますが、新たに問題を起こしそうな人たちの傾向を把握できるかと思って」

「俺の研究は、個人の行動の推定には向いていない。集団としての傾向を把握するためのものだからな」

 解っていて訊いている気もするけどね。オスロに研究所があるらしいから、そこへ依頼してみたらどうかな。そこで具体的に何をやってるかはさっぱり知らないけど。

「やはり、そういうものですか。私たちも、個人の行動を見張るつもりはありませんが、あなたの論文の中に出てくるパラメーターが、何か参考になるかと思ったのです」

「個人の行動とパラメーターを比較するには、結局、個人を観察しなければならないからね。ところで、俺の方からも二、三、訊きたいことがある」

「何でしょう?」

「グリーグが作曲した有名な作品をいくつか教えてくれないか」

「グリーグですって?」

 エリンがあっけにとられた顔をしている。全く違う話になったからな。しかし、さっきニーナたちと雑談している間に考えたんだが、グリーグは作曲家だから、伝記の本じゃなくて有名な曲の中にヒントがあるかもしれない。『ペール・ギュント』かもしれないけれど、他の作品名も知っておいたほうがいい。

 もっとも、曲の中にどうやってヒントが織り込まれているかについては、何も思いついてない。歌詞かもしれないし、旋律かもしれない。それは知った後で考えればいいことだ。

「それは、あなたの研究と関係があるのですか?」

「いいや、全くの興味として訊いているだけだよ」

「楽曲の一覧が必要ですか?」

「いいや、君が知っている曲を、そうだな、四つか五つくらいでいい」

「はあ……グリーグといえば、劇音楽『ペール・ギュント』、『十字軍の王シーグル』、それにピアノ曲『抒情小曲集』……」

『十字軍の王シーグル』ってのは初めて聞いたな。ノルウェーの国王の名前だそうだ。

「それから?」

「組曲『ホルベアの時代から』、ピアノ協奏曲イ短調、ノルウェー舞曲。すぐに思いつくのはこれくらいですわ」

 それだけでも大したものだ。俺がジョージ・ガーシュウィンの曲を羅列したって、五つ出てくるか怪しいくらいだから。

「今日の夕方に流れていた『ヘンリク・ヴェルゲラン』は?」

「ああ、あれは『ノルウェーノルゲ』という声楽曲集の中の一つです」

「楽譜はある?」

「さあ、当館にはないと思いますが、ウェブで調べれば入手できると思います」

 だろうな。俺だって、自分で携帯端末ガジェットが使えるのならとっくに検索してるよ。判らなかったら本で調べるか人に訊くってのは、不便で仕方ない。

「ありがとう、後で自分で調べてみよう」

「クラシック音楽に興味があるのですか?」

 ないよ、全くね。

「少しはね。音楽を聴いて、国民性を想像してみようという程度さ」

「興味深いですわね。そういうことも研究されるのですか?」

「ああ、同僚がね。興味があるならウェブで検索してみてくれ」

 財団の研究内容だって、いくつか紹介していることだろう。

 さて、彼女には他に何を訊いたらいいのか。俺に声をかけてくるということは、キー・パーソンの一人とも思えるのだが、山小屋の支配人だからこそ訊けそうなことというのが思いつかない。

 しかしこれまでだって、おとなしい人妻が実はチェスに詳しかったとか、痴女みたいな人妻が実は文学に詳しかったとか、予想外の情報が聞き出せているんだけれども、ヒントと思えるグリーグについて、彼女は詳しくなさそうだし。

 あるいは、彼女に訊くのではなくて、彼女に調べてもらうか。それならいろいろとできそうだが、何を調べればいいかが、まだ判ってないのが困りものだ。それを、これから寝るまでの間に考えなければならない。

「さて、そろそろ引き上げてもいいかな。部屋の使い心地を確認する時間が欲しいからね」

「ええ、お引き留めして申し訳ありませんでしたわ。あら、そちらは出口ですわ」

「少し、外の空気を吸いに行ってくる。冬山の空気ってのは独特の香りがして好きなんだ」

「そうですか。どうぞ、ごゆっくり」

 本当はビッティーと会話するためだがね。外へ出て、北へ向かう舗装道路に沿って少し歩く。十数台の車が止まっているが、道が駐車場代わりなのだろう。その一番端の車から50ヤードほど離れたところで立ち止まり、腕時計に向かって呼びかけた。

「ヘイ、ビッティー!」

 少し離れたところにあった街灯の光が消えて、上からスポットライトが降ってくる。

「ステージを中断します。裁定者アービターがアーティー・ナイトに応答中です」

「このステージの終了期限はいつだ」

 思い出したことは、すぐに訊いておかなければならない。

「8日目の昼の12時までです」

「開始時刻を頭の中に入れておいてくれると嬉しいんだがな」

「開始時点で時計を見る癖を付けていただいた方がよいと思います」

 どうやら開始時刻は自分で確認するのがルールらしい。だから、そういうことも頭の中に入れておいてくれって。

「今度からそうするよ。しかし、今回は開始直後に吹雪の中に放り出されたんでね。見る暇がなかった」

「私を呼び出したときに時計を見ているはずですが」

 ビッティーのくせに生意気な指摘をする。しかし、そういう冷静なところは好きだぞ。

「袖に隠れてたから見えなかったんだよ。声で呼びかけるだけだから、別に見る必要はないだろう?」

「了解しました」

「次の質問。グリーグは何曲くらい作曲したんだ?」

「作品番号が付けられている曲が155、付けられていない曲が10あります。全て列挙しますか?」

「いや、いらない。ヘンリク・ヴェルゲランについて詳しい説明を頼んだら、どれくらい時間がかかる?」

「全てを説明し終えるには10分程度かかると思います。説明しますか?」

「いや、いらない。ここまでのヒントの共通性が見いだせないんだが、共通性はあるのか?」

「お答えできません」

「キー・パーソンが日替わりのように思えるんだが、共通性はあるのか?」

「お答えできません」

 答えられないということは共通性があるということと認識するが、それでいいんだな。しかし、誰も彼も素直でない性格で困るぞ。もちろん、そういうのを手懐けて情報を入手するのが趣旨だというのは理解するが。

「解った。じゃあ、最後の質問だ」

「どうぞ」

「明朝の日の出の時間を教えてくれ」

「7時51分です」

 朝食の約束のために起きたら真っ暗だろうな。そういうことは何度もあったので気にしてない。

「お休み、ビッティー」

「ステージを再開します」

 夜空が広い。空気が澄んでいるので、星が綺麗だ。いつまでも眺めていられそうな気がする。しかし、部屋に戻って考えごとをせねばならない。

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