#11:第3日 (11) 惜しい美人

 窓際の4人掛けのテーブルに案内されたが、窓際をヘイディとカーリに譲り、ヘイディの横に座る。正面にはニーナ。隣に座ってこないのがアストリッドと違うところだが、おそらく徹底的に話をするつもりだと推察する。食事の時は横に座るより、正面の方が話しやすい。

 メニューがノルウェー語で読めないので、ヘイディにお薦めを訊くと、トナカイのステーキだった。

「私たち、メイン・ディッシュホヴェドレットにそれを注文してるの」

 今朝まで毎日魚だったので、たまには肉料理でも構わないが、どうして魚を食べないのかと訊くと、「ほとんど毎日魚を食べているし、山に来たときくらいは魚から離れたい」とのことだった。海沿いに住んでいると、そんなものかと思う。俺はイリノイでは湖沿い、フロリダでは海沿いに住んでいたが、食事で魚と肉の配分を考えたことはほとんどないなあ。

 前菜はトマトとチーズを載せたオープン・サンドウィッチ。スモーブローというらしい。

「財団で何の研究をしてるか、聞かせてよ」

 3夜連続だが、仕方ないだろう。相手は毎夜違うんだから。この調子だと、最終日まで毎日研究の話をしなければならなくなりそうだ。

 もっとも、研究者というのは研究内容を訊かれたら、極秘事項以外は答えるのが義務のようなものだろうし、なおかつ自分の研究がどれほど興味深くてどれほど有意義なものであるかを語るのは、研究者の得意とするところであらねばならないのではないかと思う。そうでなければ研究で給料がもらえるはずがないから。

 前菜を食べ終わるまでに概要を話し、メイン・デュッシュを食べながら論文を例にして話す。論文はもちろん、今までにばかり。

 トナカイの肉というのは、味がしないと言ったら変だが、淡泊すぎて何の肉だかよく判らない感じで、やはり俺の味覚力が低いのだろうと思う。付け合わせはワッフルのような網目が付いたフライド・ポテトで、こちらの方が味が濃い。もちろん、塩味。

「面白いわ、あなたの研究。それって、魚の行動をシミュレイションできないかしら」

 港湾局に勤めているのに、船ではなくて魚と来たか。

「魚も集団としては何らかの意図を持って行動してるだろうから、魚類学者のその行動傾向を数値化してもらえれば、シミュレイションできると思うよ。俺自身が魚にインタヴューできるのならそれでもいいけどね」

 つまらないジョークだったが、ニーナとヘイディは笑った。しかし、カーリは笑わなかった。さっきから、ニーナが8割、ヘイディが2割しゃべり、カーリは一言もしゃべっていない。俺の方をちらちらと見てはいるのだが、俺が見ていることに気付くと、顔を窓の方へ逸らす。

 外が暗くなって、窓に彼女の顔が映っているが、憂いの表情に近い。横顔は美形なのだが、あの黒縁眼鏡がそれを台無しにしているように思う。彼女自身は、気にしていないのだろうか。

 デザートにはスヴェレというパン・ケーキが出てきた。コケモモリンゴンベリーのジャムを付けて食べる。この夕食だけで、昨日までの一日分のカロリーを摂取したのではないか。

「この後は談話室に行ってもう少し話しましょうよ」

 食事が終わると予想どおりニーナが誘ってきた。“もう少し”で済むとは思わないが、承諾する。

「その前に、本を探すのを手伝ってもらいたい。後で自分の部屋に戻ったときに読みたいんだ」

「あら、いいわよ。ねえ、ヘイディ」

「ええ、もちろん」

「ミス・ノールマン、君が一番本を好きそうだから、手伝ってくれると嬉しい」

 カーリに話しかける。その瞬間、カーリはびくっと身体を震わせ、驚きの表情を浮かべて、上目遣いに俺を見た。

 女に上目遣いで見られるのは嬉しいものなのだが、カーリの視線だけはどうもよろしくない。きっとあの眼鏡のせいだろう。俺は眼鏡の女を好もしく思うことがよくあるのだが、彼女だけはなぜかそう思えない。しかし、ぶつかってきたのは彼女だし、何らかの情報を持ち合わせているはずだと思うんだけど。

「あー……私は、何をすれば……」

 そんなに怯えなくても。しかし、これがマルーシャの演技だとしたら、俺は当分人間不信に陥るな。

「そこらの本棚を回って、俺と一緒に本を探してくれるだけでいいんだ」

「わかり、ました……」

「じゃあ、私たちは先に談話室へ行って待ってるわね」

 ニーナ、ヘイディと別れる。「それじゃ、向こうの本棚から」と言ってカーリと一緒に行きかけたが、カーリは「あの、少しだけ、待っていて下さい……」と言って、小走りにどこかへ行ってしまった。しばらくすると戻ってきたが、先ほどと何が変わっているのか判らない。手洗いへ行ってきたにしては早過ぎるし。

「どうした?」

「あの、私も後で本を読もうと思っていたので、それを取ってきました……」

 そう言って、胸に抱えた防寒服の中から本を取り出して、ちらりと俺に見せた。取ってきたのはいいけど、ずいぶん早いな。その本が置いてあった場所を憶えてたのか?

「何の本?」

「あっ……ええと、ヘンリク・ヴェルゲランの詩集です。夕食の前の歌で、思い出したので……」

 ヴェルゲランか、そうか、グリーグのことを調べようと思っていたが、そっちも一応調べた方がいいだろうな。俺は名前を知らなかったが、ノルウェーの重要人物のようだし。

「その本を、後で俺にも貸してくれないか?」

「あっ……はい、ええと、その……先に、お貸ししましょうか?」

「いや、君が読んでからでいいよ。そうだな、明日の朝にでも」

「あ、わかりました……それで、その、どこにお持ちすれば……」

 俺の部屋に持ってきてくれなんて言うと、卒倒するかもしれない。どうしようか。

「そうだな、朝食の時間を合わせて、その時に持ってきてもらおうか。明日は何時に朝食を取る予定?」

「ひうっ……」

 なんだか今、変な音が聞こえた。カーリが息を詰まらせたようだ。顔が赤い。朝食に誘ったつもりでもないけど、それだけでも恥ずかしがってるのか? こういう反応をする女は、ティーラ以来だな。いつまで待てば答えが返ってくるのやら。仕方なく、こちらから時間を提示する。

「じゃあ、7時はどうだろう?」

「あ……いえ、もう少し早めの方が……あの、6時半では……」

 語尾の方は声が小さくなって聞き取りにくい。

「俺は6時半でも構わないが、ずいぶんと早いんだな」

「あ、はい、その……私たち、明日の9時半に出発するバスで、ベルゲンへ帰らないと……それまでに、することがたくさんあるので……」

 ほう、ここにはバスも来てるのか。それにしても、中途半端な日に帰るんだな。週末までゆっくりしていけばいいのに。

「解った。じゃあ、6時半にレストランの前で待ち合わせよう。一緒に朝食もどうだろう?」

「ひうっ……」

 また変な音が聞こえた。カーリの顔が赤い。防寒服を抱きしめる腕に力がこもっているようだ。強引に誘っているつもりはないが、もしかしたらこのまま気絶するんじゃないだろうか。

 しばらく待っていると、返事はなかったが、ゆっくりと小さく頷いた。いや、もしかしたら下を向いただけかも。「いいえ」と言われないうちに、承諾だということにしておこう。

「よし、じゃあ、本を探しに行こう」

「あ、はい、あの、どんな本を……」

「グリーグの伝記」

「それなら……ありますが……」

「どこに?」

「あの……私が、持ってます……」

 あー、そういうこと? つまり、彼女を無視してたら、俺が本を探しても無駄に終わってたってわけだ。やはりキー・パーソンか。

「そうか。なら、探さなくてよくなった。しかし、2冊とも君が持っているとは、滅多にない偶然だな」

「あの……やはり、どちらかを、先に、あなたに……」

「うん、そうだな。グリーグの本は、部屋に持って帰った?」

「はい」

「じゃあ、今持ってるヴェルゲランの本を、ちょっと見せてくれないか」

「はい……どうぞヴェル・ソ・ゴ

 さっきの本をカーリが俺に差し出す。受け取って開こうとしたら、彼女がひときわ強く防寒服を抱きしめ直したのが見えた。

 えーと、もしかして、それって安心毛布セキュリティー・ブランケットの代わりなのかな。本を持ってたのは、さらに安心になるためだったとか? 男から身を守るための盾のつもり? だったら、この本はさっさと読んで返した方がいいかもしれない。本を開く。

「ノルウェー語の本だったか」

 1行も読めねえよ。

「はい」

「もしかしてグリーグの伝記も?」

「はい、ノルウェー語ノルスクです」

「英訳版はないのかな」

「さあ……あの、探し……ますか?」

 カーリが俺のことを上目遣いに見て言う。さっきよりも、ちょっと視線が合わせやすくなった。催眠術が効いてきたか? 見つめ返すと、目は一瞬だけ逸らすが、すぐに戻ってくる。素晴らしく綺麗な目だ。色もいい。これで眼鏡さえかけてなければ。

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