#11:第3日 (8) 大きな山小屋

 4時半、レイルヴァスブ到着。話に聞いていたとおり、ほぼ下り一辺倒の道のりで、途中は昼食以外に休憩をほとんど取らなかったから、予定より30分も早く着いた。エマとマヤも、途中まで俺が荷物を持ってやったりしてハイ・ペースクイック・ペースで進んでいたから、きっと5時半頃にはスピテルストゥレンに着くだろう。

 さて、レイルヴァスブの山小屋。確かに大きい。全館、黒板張りの2階建て。レイルヴァトネットという湖のほとりにあり、湖の対岸にたどり着いたときからその姿が見えていた。

 四つの棟から成り、150~60人くらいは余裕で泊まれるだろう。舗装道路が通じており、車でも来られるようだ。

 中に入って受付へ行き、山カードを見せながら、予約はないが泊まりたい旨を告げる。美人だがおそらくはそこそこ年配と思われる女性スタッフが、「もちろんお泊まりいただけますよ」と言いながら端末を操る。

「そこの椅子にかけてお待ちいただけますか」

 受付係が、少し引きつった笑顔で俺に椅子を勧め、裏へと引っ込んでいった。IDカードではなく山カードを提示しているのに、身分がバレているらしい。幸い、他の泊まり客とは全く違う時間帯に到着したようなので、他人に迷惑はかけていない。

 ここに座っていると、閑散期なのに多くの客が泊まっていることが判る。売店で買い物をしている客、レストランで軽食を摂っている客、談話室でおしゃべりやTVや読書を楽しむ客など。走り回っている子供もいる。平日なのに、なぜこんなにと思うほどいる。

 5分ほど待っても、受付係は帰ってこない。その間に、女が3人やってきた。もちろん、俺のところへきたのではなく、受付を覗いているから、泊まり客が何かを訊きに来たのだろう。

 その中の、一番背の高い細身の女が俺に声をかけてきた。もっとも、防寒服を着ているので、細身に見えたのは細面なのとパンツの尻が少し小さいと思ったからに過ぎない。

「もしかして、あなたも受付を待ってるの?」

 そうだ、と言うと、「じゃあ、彼の次に訊かないとダメね」などと他の二人と言い合っている。

 背の高い女は栗色ブルネットのロング・ヘアをセンター分けにしていて、上がり眉に下がり目、高い鼻という、映画女優にありがちな顔をしている。もちろん、美人。

 隣の女は他の二人よりも背が少し低め、というか、他の二人が高すぎるだけと思うのだが、ダーク・ブロンドのロング・ヘアに耳の辺りから毛先まで大きなカールをつけていて、吊り目と少し厚めの唇が印象的な顔立ちをしている。もちろん、美人。スタイルは抜群クラッシー・シャーシ

 そして俺から見て一番奥にいる、大きな黒縁眼鏡をかけた女は、肩にかかるくらいショルダー・レングスのライト・ブロンドで、上品な顔立ちだが、心配事でもあるかのような不安そうな顔つきをしている。スタイルは少し太めかもしれない。俺と目が合うと、はっとした表情になって顔を背けた。そんなにじろじろ見たつもりはないのだが。

 そうして女たちのことを無意味に観察していると、ようやく受付係が戻ってきた。と思ったら、おそらくは30代後半のスーツ姿の美人を一人連れている。美人ではあるが、横にいる3人の女には明らかに若さの点で負けている。もちろん、本人はそんな勝ち負けは気にしていないに違いない。

ようこそヴェルコメンドクタードクトル・アーティー・ナイト。私が支配人レーデルのエリン・アネルセンです。この度は私たちのレイルヴァスブ山小屋フィエルストゥエをご利用いただき、誠にありがとうございます。合衆国の“財団”の研究員フォルクセールをお迎えするのは初めての光栄ですわ」

 そう言って型にはまったような笑顔で握手を求めてきたので、立ち上がって手を握る。よく通る声だったので、横にいる3人の女にも聞こえたらしく、「“財団”ですって」「あの有名な?」などとひそひそ話している。肩書きを持っていると、こういう恥ずかしい目に遭うからかなわない。

「初めまして、アネルセン支配人マネージャー・アネルセン。できれば俺のことはドクターをつけずに単にアーティーと呼んでもらいたい」

「かしこまりました。以後はそうお呼びしますわ。ご宿泊についてですが、当館には特別客室はございませんので、一般客室にて対応いたします。湖側のシャワー付きダブル・ルームドベルトロムを用意いたしましたが、それでよろしければサインをいただきます」

 受付係がサイン用のタブレットを差し出す。タブレットにサインすると字が下手に見えるので嫌なんだが、仕方ない。そもそも、サインしても照合してる様子がないし、本当にサインが必要なのかどうか。

「お部屋までご案内いたします。どうぞこちらへ」

 支配人が案内するのか。そういうのはペイジ・パーソンがやるものだが、山小屋にはそういうのはいないだろうし、おそらく案内ついでに彼女が俺に話したいことがあるのだろう。

「ノルウェーへは休暇でいらしたのですか?」

 廊下を歩きながら、予想どおり、支配人が話しかけてきた。彼女は歩くときに不必要に尻を振らないので、安心して後ろからついて行ける。

「さて、休暇のような仕事のような」

「では、どこかで講演をされる合間に、こちらへいらしたのですか? ここでは仕事を忘れて、ゆっくりと自然を楽しんでいただきたいと思いますわ」

 楽しんでる暇なんかほとんどないね。移動には体力を使うし、山小屋に着いたら頭を使うし、その合間に痴女の相手までしなきゃならないんだぜ。今夜は痴女がいないことを保証してくれよ。

「そうだな、ここに1泊しかできないのが残念だ」

「あら、次はどちらに行かれるのです?」

「まだ決めてない」

 宿泊棟は二つの棟から成り、“くの字型ドッグレッグド”につながっているが、その東側の突き当たりの部屋に案内された。

 リュックサックを置くと、窓の近くに呼ばれた。支配人が東南の方向を指して、「あれがキルキャです」と案内する。綺麗な円錐形をした山で、ここへ至る山道を下りてくる間にも見えていた。ただ、ここから見ると少し左へ傾いているようだ。

 あの山に登る客は多くて、標高は2032メートルだが、ここからだと400メートルほど登れば頂上に着くらしい。登る気はないので、メートルをフィートに換算したりはしない。

「それと、ここからは見えませんが、北東の方向にガルフピッゲンがあります。ノルウェーの最高峰です。通常登山の季節は終わってしまいましたが、ユーヴァス小屋ヒッタかスピテルストゥレンからであれば特別ツアーで登ることができます」

「憶えておくよ」

「ところで、ヘル・ナイトはイェンデブの山小屋で発生した、車の鍵盗難事件の解決に尽力されたと伺いました。さすが数理心理学の権威ですわね」

 待て待て待て、事件のことは俺がここへ言いに来たはずだったんだが、なぜ既に知っている。しかし、要はそれが言いたくてこの部屋までわざわざ支配人自ら案内したんだろうという気がするな。

 それはそうと、アーティーと呼べと言ったのにもう忘れたのか。

「俺は特に何もしてないよ。あれは泥棒が自滅したんだ。しかし、どうして事件を君が知ってるんだ?」

「イェンデスヘイムから、このヨトゥンヘイメン地区全ての山小屋に情報が流れたのです。それを受けて、当館でも宿泊客の情報を再確認したのですが、偽名で登録された山カードを使っている客がいたので、警察に通報したんですわ。事件の犯人の一味かとも思われましたので」

 それも俺が警告するはずだったんだが。そして、そうなったら山小屋の支配人と何らかの関係ができるので、ステージのヒントがもらえるだろうと期待していたんだが。いや、このままの展開でもヒントはもらえそうな気がするけれども。

「そうか。それは賢明だった。しかし、一味には普通に本名を使って泊まっている者がいるかもしれないから、不審な行動はないか見張っておく方がいいだろう」

「あなたも協力していただけるのですか?」

「俺は単なる客だよ。俺のことも疑った方がいいかもしれない」

「ご冗談を。あなたのことはIDも顔写真も確認済みですわ」

 受付前で待っている時間がそれだったのだろうと思う。さて、話したいことは終わりかな。

「この後、夕食をご一緒にいかがです?」

「特別扱いしてもらいたくはないので、遠慮しておこう。しかし、夜の過ごし方に困ったら相談するかもしれない」

「かしこまりました。では、よい一日をハ・エン・フィン・ダーグ

 支配人は出て行った。彼女からは、何かしら情報をもらえそうな気がする。しかし今は、その素になる“何か”を探さねばならない。

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