#11:第2日 (5) 再現した局面
さて、ようやく調査開始。写真集や観光ガイド・ブックはたくさんある。とても全部は読み切れないだろう。"Jotunheimen"という単語が頻繁に見られるが、これはこの辺りの地名かもしれない。
一冊抜き出して見てみる。ひたすら山と湖の写真が並ぶ。緑の夏山もあれば白い冬山もあり、船が浮かぶ湖もあれば、凍り付いた湖もある。
あるいは、この山小屋にずっと滞在していれば、いろんなキー・パーソンがやって来て、少しずつ情報をくれる、という趣向なのかもしれない。
しかし、装備として支給された地図には、それなりに広い範囲が描かれていて、俺が今いるのはその右下隅の辺りだ。これだけ広い範囲が設定されているんだから、端から端までとはいわないまでも、いくつかの山小屋を経由しながら最終目的地を目指すのが正解だろうよ。“山歩き”の趣旨にも沿ってるしな。
ただ、ガイド・ブックを見てヒントがなかったとしたら、どうすればいい? いや、他の本を見るしかないか。他にあるのはもちろん小説。山岳小説に限らず、一般小説もあって、イプセン、プリョイセン、ゴルデルくらいなら俺も名前を知っている。
それから登山記を含む冒険記や、山に関する随筆。まあ、そういうのもあるだろう。カッゲという名前は聞いたことがある気がする。
伝記。登山家でも冒険家でもない人物の伝記がなぜ山小屋に。ノルウェーの偉人か。
童話。子供を連れてきたら読ませるのか。山はファミリー・レジャーなのかなあ。
チェスの解説本。そういえば何とかいうチェス・チャンピオンの名前をさっき聞いたが、それでノルウェーではチェスの人気が高まってるのかもな。山小屋の暇つぶしにもいいし。
何だかなあ、どれもヒントになる気がしないんだが。
「ハーイ、アーティー、どこに行くか決めた?」
エマとマヤが戻ってきた。何だ、もう1時間経ったのか。早過ぎるぞ。
「まだだ。さっき言ってた、すぐそこの山のガイド・ブックが見つからなくてね」
「じゃあ、一緒に探してあげるわ」
二人して優しいことだが、どうして俺に身体をくっつけてこようとするんだよ。しかも二人で競うようにして。
「あら、本当、ないみたいね」
「きっと、マナーの悪い人が持って行っちゃったのよ」
「決められないのなら、やっぱり私たちと一緒に行きましょう?」
「イェンデブに行くルートは最初にすごく厳しい急勾配があるらしいわ。アーティーがいないと、私たち登れないかも」
このまま腕を引っ張って連れて行かれそうな勢いだが、かろうじて断った。
「残念ね。じゃあ、私たち、もう行かなきゃ。17キロメートル以上あって、普通に行けば7時間ほどかかるらしいの」
「今日は夕方まで天気はいいと思うけど、尾根からの景色もゆっくり楽しみたいから、早めに出ることにしてたのよ」
「ああ、そうしてくれ。もし、君たちと同じところに行くことになったら、夜にはまたゲームに付き合うよ」
「嬉しいわ! また部屋へ案内してあげる」
「今度こそ、一緒の部屋に泊まってくれてもいいわよ」
いや、それはしないって。それから別れのキス!をして二人を送り出し、一人になって考え直す。
さて、ヒントはどこだろうか。ビッティーに訊いても、ヒントはくれないだろう。そもそも、行く先は三つあるが、どれも10マイル以上あり、6、7時間はかかることになっている。
夕方、5時には暗くなり始めて、6時には日が暮れるのだから、遅くとも11時には出発しなければならないだろう。つまり、あと2時間弱。前回の無人島より全然時間がないな。そりゃ、毎回同じパターンってのもおかしいが。
とにかく、他にヒントがありそうなのは、宿泊室くらいか。エマとマヤの部屋、それから窓ガラスが割れている部屋は見たが、他の二つはまだ見ていない。見るものといっても、壁の絵くらいしかないと思うが、壁や床に落書きがあってそれがヒントになっているという可能性がないでもない。
ではまず、ゲルハルセン氏たちがいた部屋。中はもちろん、きれいに片付けられていた。ベッドのブランケットも丁寧にたたまれている。壁の絵は夏の山。壁も床も新品の木材で、落書きはもちろんなく、せいぜいかすり傷がついている程度だった。クローゼットを開けてみたが、忘れ物もなし。ゴミ箱にゴミすらない。
続いて、窓が割れている部屋。昨日見たが、中の方に入っていないので、もう一度見てみることにする。何しろ、窓が割れていなければ俺が泊まっていたはずの部屋だからな。奥まで入り、ベッドを見たが、シーツは外され、ブランケットもない。窓を塞いでいる板は新品らしいが、どこから持ってきたのだろうか。床は昨日の雪が降り込んだせいで少し濡れているが、その模様からロールシャッハ・テストよろしく、何かを読み取ろうとしてみるも、無駄に終わった。
次は、エマとマヤがいた部屋。ここは昨日しばらくいたので中の様子は判っているし、クローゼットの中を見る程度にする。忘れ物はもちろんない。何かを忘れていくという期待をしているわけでもない。残していったのは香水の香りくらいかな。どちらがどちらのベッドを使っていたのかも、もう忘れてしまった。
最後に、病気の女が使っていた部屋。中に入った途端、シトラス系のほのかな香りがした。この女も香りを置いていったらしい。ベッドはきれいに片付けられ、書き物机……って、なんだこりゃ、チェス盤じゃないか。片付け忘れたのだろうか。まさか。盤上には駒が置かれている。
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4│ │ │♟│♙│ │♖│ │ │
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一人でチェスをやるはずもあるまいし、研究をしていたのだろうか。彼女もチェス・プレイヤーだったのか? 病気はどうなったんだ。
いや、待て、これがヒントかもしれない。この局面……そうだ、夜中に起きて、ソファーの横のテーブルにあったチェス盤も、こんな局面だったような……
棋譜! そうか、これは何かの棋譜を再現した局面に違いない。この部屋のどこかに棋譜が? いや、リヴィングにあった棋譜のうちの一つかもしれない。あるいは、本棚にあったチェスの解説本の中の棋譜か……
ふと、顔を上げる。何かの気配を感じたが、書き物机の上に絵が掛かっているだけだった。しかし、おかしな絵だ。まるで地図の、って、これは地図じゃないか!
俺が持っている地図と全く同じだ。なぜ、絵の代わりに地図が。しかもよく見ると、地図をたたんで、額縁の中にはめ込んでいるのだった。ちょうど正方形になるようにたたんで。だから地図の左右には、下の絵が見えている。なぜこんな妙なことを。
とにかく、この二つが何かのヒント? いや、しかし、病気だと言って顔を見せなかった女が、どうして俺にヒントを残していくんだよ。
ええい、それを考えるのは後だ。先に、これが何のヒントなのかを読み取らないと。ああ、惜しいことをしたな、ゲルハルセン氏の
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