#11:第1日 (3) 遠い道

 山道を歩き始めて2時間経ったが、まだ山小屋に着かない。いったんは止みそうに見えた雪が、また降り始めた。風が強くなり、雲行きも怪しい。

 それにしても、仮想世界にしては珍しく、重苦しい鉛色の空レドン・スカイだ。今まではだいたいにおいて天気が良かった。雨が降ったのなんて、オックスフォードの最後の2日間くらいしか憶えがない。

 仮想世界なんだから天気なんてシナリオを書く側の自由自在で、今回は雪が降っていることに何らかの意味があるのだろう。10月だってのにこの降り方は解せないが。

 で、たかが3マイル強の道のりを、2時間も歩いているのにどうして山小屋に着かないかというと、そこが道なき道だからだ。地図には点線で道があるかのように描かれているが、実際は道なんかなくて、湖と山手の樹林の間に、人一人歩けるかどうかという細いスペースがあるに過ぎない。

 しかもこれが石ころだらけで、なおかつ起伏が連続しているから、一定のスピードでは歩けない。

 だいたい、この石ころはどこから来たのかというと、もちろん右手にそびえる山からだろう。氷河地形独特の、U字型に削られたところにできた湖だから、当然、その両側の山は急斜面になっているわけで、時には岩が転がり落ちてくることだってあるに違いない。この辺りは山側に樹林があるので、いきなり岩が転がってきて激突するなんてことはないだろうが、注意をしておく必要はある。

 それと、川。すでに3本ばかりも川を渡ったが、どこにも橋はなかった。細い川なので、流れの中にある大きめの石を足場にして飛び越せばいいのだが、その足場を見つけるのに右往左往しなければならない。

 それで結局、山小屋まであとどれくらい歩けばいいんだよ。いくらGPSで正確に現在地が計測できると言っても、それを地図上に正確に反映する手段がないんじゃあ、恩恵が少ない。

 とか何とか考えながら歩き続けると、目の前に小さな湾のようになった地形が見え始めた。地図上の湖岸線と照らし合わせる。山裾が少しばかり南側に張り出したところがあって、その西側がまさに湾のようにえぐられているから、俺は山裾の一番張り出した部分からその湾を見ているのだろう、ということが判った。

 その湾の奥にちょっとした平地が広がっていて、山小屋もそこにある、はず。あと1マイルないくらいだろう。

 というか、2時間も歩いてるのに2マイル半くらいしか進んでないって、どういうことだよ。足場が悪くて普通に歩くスピードの半分どころか3分の1くらいしか出ていないからだろうけど。それにしても時間がかかりすぎてらあ。

 しばらく歩くと、また川があった。川とも言えない細い流れなので、助走を付けて飛び越す。背負ったリュックサックのせいで、着地点が予想よりも手前になってしまう。

 湾の向こう側に船着き場が見える。地図にも、湖面上に航路が点線で描かれている。夏場には船が運航されるのだろう。もちろん、今は季節外れオフ・シーズンに違いない。

 また川があった。さっきより少し広い。手頃な岩を流れに投げ込んで足場を作り、渡る。船着き場まではあと4分の1マイルほど。しかし、ここから湖岸の岩場が極端に狭くなっているので、湖岸から少し離れ、木々の間を縫うようにして歩く。

 それでも、船着き場という目標が見えているから歩く気も起こるわけで、どこまで歩けばいいのかが判らなかったら、とっくの昔にやる気をなくしてただろう。

 ただ、こんなところで立ち止まっている間に日が暮れると、夜中に凍死するんじゃないかという気がするから、結局は頭を空っぽにして歩き続けていたに違いない。

 さて、ようやく樹林を抜けて、船着き場にたどり着いた。板で作ったプラットフォームのような簡素なものだが、湖のことだし、それほど大きな船が来るわけでもないだろうから、この程度で十分なのだろう。

 ただ、船着き場にいても船は来ないし、山小屋が目的地だ。船着き場から少し離れた、ちょっとした台地の上に山小屋がある。地図上ではそうなっている。そしてそこまでは当然、ちゃんとした道がある。砂利道だが。

 雪が激しくなってきたので、山小屋へ急ぐ。晴れてさえいれば、船着き場でしばらく湖と対岸の山を眺めるのも悪くないだろうのにねえ。

 で、その山小屋……想像していたのよりも小さい。ほとんど避難小屋同然だな。ただ、古くはない。しかし、ドアは押しても引いても開かない。ドアの横に電子ロック端末があるが、例のカードをかざして開くのかどうか。

 財布を探していると、ドアの横にあった窓が開いて、若い男が顔を覗かせた。短い金髪で、無精髭を生やしている。俺よりずっとハンサムだ。

「ハーイ! 今、到着されたんですね? 山カードフィエル・コットロックローセ・システムにかざせばドアが開きますよ」

 山小屋の管理人というわけじゃないだろう、先客かな。もちろん、しゃべった言葉は英語ではない。

 それはともかく、山カードってものがあるらしいのだが、俺はそれを持っているのかどうか。まあ、持ってるだろう。

 財布の中の、例のカードをかざしたが、反応がない。防寒着のポケットを探る。右胸にジッパー付きのポケットがあって、そこに見慣れぬカードが入っていた。グリーンの地に、白で山形が刻まれていて、"Fjell Kort"の文字がある。読めないが、とりあえずそれを端末にかざすと、赤のランプが緑になって、ドア錠の外れる音がした。男の顔が窓から引っ込む。

 ドアを開けて中に入る。さっきの男が笑顔で立っている。その他にも先客がいて、若い女が3人、左手にあるテーブルを囲んで座っていた。男が話しかけてくる。女に話しかけて欲しかった。

「あー、つかぬ事を伺いますが、お一人ですか? 女性と一緒に来て、はぐれたとかではない?」

「いや、一人で来た。アーティー・ナイトだ、よろしく」

「よろしく。僕はイェンス・ゲルハルセン。向こうにいるのは一番左が僕のパートナーシャーレステで、他の二人はスウェーデンからの旅行者です」

 とりあえず女たちのところへ行って、握手しながら挨拶する。パートナーと紹介された女は「こんにちはグ・ダーグ」と小さい声で言っただけだったが、他の二人はわざわざ立ち上がって、エマ・スヴェンソン、マヤ・ニルソンと明るく自己紹介した後で、「イングランドから? あら、合衆国からなの。珍しいわね!」「こちらにはいつから? ああ、今日からなのね。1週間の予定? うらやましいわ」などと積極的に話しかけてくる。しかも二人とも美人。いや、さっきのおとなしい女ももちろん美人。さすが仮想世界。

「まあ、荷物を置いて、ゆっくりして下さいよ。そうだ、荷物といえば、先に部屋のことを案内しておかなきゃあ。あなたの部屋のことなんですがね」

 男はそう言いながら、テーブルの上の冊子を手に取って広げ、俺に見せてきた。クリアー・ブックに、山小屋の見取り図らしきものが描かれた紙が入っている。

「ここは別棟があるんですが、季節外れオフ・シーズンなので閉められてるんです。で、今いるこの建物しか使えないんですが、個室が四つありましてですね」

 入ったところは広間になっていて、右手がリヴィング、左手がダイニングとして使われているようだ。そして奥へと向かう通路があり、その両側に部屋が二つずつある。突き当たりにドアがあるが、別棟へ行けるようになっているのだろう。

「僕とパートナーシャーレステが一部屋、そちらの女性二人が一部屋使う予定にしています。それと、あなたより30分ほど前に到着した女性が、一部屋使っています。彼女はパートナーシャーレステと一緒に来たらしいんですが、可哀想なことにはぐれてしまわれて、しかも体調が悪くなったとかで、部屋に閉じこもってるんですよ。で、あと一部屋あるんですが、これが運の悪いことに、窓ガラスが割られてまして、雪が降り込んでいる状態で……」

 そんなことが。しかし、ここは仮想世界なんだから、そういうのは偶然じゃなくて何らかの作為があるんだろ。別にその意図を考えようとは思わないけど。

「なるほど、俺の部屋として使えないわけだ」

「ええ、ただ、どの部屋もベッドが四つあるので、相部屋にすればあなたにもベッドを使ってもらうことはできます。たとえば、僕のパートナーシャーレステが女性お二人の部屋に入れてもらって、その代わりにあなたが僕の部屋に入ってもらうとか」

 とは言っているものの、できればやりたくないなという表情をしている。よっぽどパートナーと離れたくないのだろう。気持ちはよく解る。

「そこまでしてもらうほどのことはないよ。幸い、リヴィング・スペースにソファーもあることだし、そこで寝られるだろう。ブランケットさえ貸してもらえればね」

 リヴィング・スペースにはソファーの他に低いテーブル、本棚、サイド・ボードなどがあって、ホテルのロビーのような感じだ。前回は砂の上で寝たのに、今回はソファーだったら上等なものだろう。外で寝袋で寝るというのさえ勘弁してもらえれば、それでいい。

「ええ、もちろん、ブランケットは予備がたくさんあるようですし、あなたがそれでいいとおっしゃるのなら、部屋割りは今のままで」

 男がそう言ってほっとした顔をする。リュックサックを下ろし、リヴィング・スペースの一角に置いておく。このリュックサック、大きさの割に軽い。何が詰まっているのか、後で確認しておかなければ。

 防寒着も脱いで、リュックサックの上にかぶせておく。雪が積もっているが、小屋の中は暖かいし、すぐに乾くだろう。

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