#11:[JAX] マギー・ハドスン (2)

 次の質問は、ええと、そうだな。

「今日は夕方から練習があるはずだが」

「はい、4時から10時までです」

「店は何時まで手伝えばいいんだっけ」

「3時までです」

「昼食は?」

「店長と相談してください」

「君が一緒に食べに行ってくれる?」

「行けません。先約がありますので」

「誰と?」

「お答えできません」

 いつもこの返事だよな、彼女は。本当に彼女の夫や親友には愛想よく接してるんだろうか。

「ところで、この眼鏡をどう思う?」

 ポロ・シャツの胸ポケットから取り出した眼鏡をかけて見せた。まれにマギーがかけているのを見かける、フォックス型の黒縁眼鏡だ。もちろん、度は入っていない。

 プロ・ショップ・コミュニケイションの時には、眼鏡などを使ってちょっとした“変装”をすることになっている。どうせならマギーと同じ形の眼鏡にしたら面白かろうと思って、数日前に買っておいた。

「特に感想はありません」

 マギーが冷静な声で言った。俺も自分で、似合っているとも似合っていないとも言えない、と思っていたのだが、あまりにも愛想のない答えだ。予想どおりではあるのだが。

「レストランで働くときには、これをかけようと思ってるんだ」

「そうですか」

「俺だってことが、すぐにバレるかな?」

「あなたの顔がどれくらい知られているかによると思います」

 当然、そうだろう。変装が決まりすぎてて全く気付かれないってのも嫌なものだが、そもそも顔を知られてなかったら変装の意味すらない。

「君はすぐに俺の顔を憶えてくれたじゃないか」

「仕事ですから」

 俺は他人の顔を憶えるのが苦手だから、うらやましい才能だ。とりあえず、話が尽きたので、この場からは退散することにする。

「それじゃあ、また明日」

「よい一日を」

 そう言われて最初にやることが、時間つぶしというのもねえ。幸い、プレイ・ブックは持ってきているので、スタジアム内の会議室に潜り込んで、それを読む。時間つぶしではない、練習の一環だな。

 10時40分にレストランへ行った。もちろん、正面の入り口は開いていなくて、建物内部の裏口から入る。食材搬入口を兼ねている。

 壁の電子ロック端末にIDカードをかざしたが、赤のランプが点いた。開かない。臨時手伝いをすることになっていても、従業員扱いではないようだ。

 仕方なく呼び出しボタンを押す。10秒ほど間があった後で、女の声がした。

「ハロー、どちらさま?」

「今日、ここで仕事をすることになっているアーティー・ナイトだ」

「あら、新しい人が来るんだったかしら。ちょっと待ってて」

 待てと言いたいのはこっちだよ。話が通ってないのか。しばらく待つが、また同じ女の声がした。

「申し訳ないけど、ロック・システムにもう一度IDカードをタッチしてくれる?」

 言われたとおり、端末に再びIDカードをかざす。やはり赤いランプが点いた。

「変ねえ、パート・タイマーのリストに登録されてないわ。あなた、どこから紹介されて来たの?」

 どこって、チームに決まってんだろ。

「店長には連絡が行ってるはずだから、店長に聞いてみてくれ」

「あら、そうなの。じゃあ、もうちょっと待ってて」

 やむなくもうしばらく待つ。するとドアの向こうでどたどたと大きな足音が聞こえ、ドアが勢いよく開いて、いかめしい顔つきの男が顔をのぞかせた。

 いかめしい……はずなのだが、驚いて目をむくかのように大きく見開いているので、少しばかり滑稽な表情でもある。

「アーティー・ナイト!?」

「そうだ」

「間違いない、本物のアーティー・ナイトだ! やあ、よく来てくれた、よく来てくれた!」

 男は目つきはいかめしいまま、顔の下半分だけを笑顔にして、俺に握手を求めてきた。

「あんたが店長の……」

「ジョン・ファサードだ。今日はよろしく頼むよ。ダナ! おい、ダナ、お前、どうしてアーティー・ナイトの名前も覚えてないんだ!? QBクォーターバックだぞ! マジカル・カムバックの!」

 ダナ、と呼ばれたのは、ファサード氏の後ろに立っている女だ。栗色ブルネットのショート・ヘアで、背の高いボーイッシュな美人。彼女がさっき応対してくれたのかな。

 こんな美人がスタジアムのレストランにいるなんて知らなかった。明日から毎日ここへ昼食を摂りに来ようか。

「今シーズンはQBクォーターバックが何人も変わったから憶えてなかったのよ。今のスターターはダニー・コリンズじゃなかったの?」

「何を言っとる、先週とその前の週は彼がスターターだ。しかもどっちも第4Qに逆転したんだぞ。まあ、アーティー、とにかく中に入ってくれ。ああ、テディー! よく来てくれた、さあさあ、君も中へ」

 ファサード氏がドアを閉めかけたときに、テディー・メッセンジャーが現れた。ファサード氏は彼と親しげに握手すると、俺の後から店の中へ招き入れた。

「よう、アーティー、お前、ここへ来るのは初めてか?」

 テディーはやけに嬉しそうな顔をしている。

「スタジアムへ来ても、基本的にロッカー・ルームとフィールドにしか入らないからな」

「ここはいい店だぞ。客としても来いよ。やあ、ダナ!」

「ハーイ、テディー! また来てくれたのね」

 テディーとダナは軽く抱き合って挨拶し、テディーはそのままダナの肩を抱いて廊下を歩き始めた。そうか、あいつ、ダナのことを気に入ってるのか。だから時間どおり現れたんだな。

 更衣室に行って着替える。カジュアル・フレンチの店なので、ホワイト・シャツに黒いベスト、黒いスラックス、黒い蝶ネクタイというギャルソン姿になる。

 それから今日の仕事内容をファサード氏から教わる。客からの注文はほとんどの場合、テーブルに設置されたオーダー・システムを使うので、俺たちの仕事は料理をテーブルへ運ぶだけだ。が、たまにはオーダー・システムの使い方を客へ説明に行ったり、オーダー・システムでは注文できない特別メニューを聞きに行ったりすることもある。

「簡単な仕事だと思うだろ? ところがだな、プロ・ショップ・コミュニケイションの日は客が面白がってテーブルに俺たちのことを呼びたがるんだよ。だからほとんど休む暇はないぞ」

 テディーが親切にも教えてくれる。まあ、聞かなくても想像は付くけどな。俺たち以外にもギャルソンがいるだろうが、せっかくの日なんだから、俺たちが行かなきゃ納得しない客もいるだろうし。

 着替え終わると眼鏡をかける。テディーが用意してきたのはウィッグと口髭だった。変装したせいで逆に目立つ風貌になっているが、奴の性格からすればそれでもいいだろう。

「ダナが行かないと納得しない客がいたらどうすればいい?」

「ああ、そういうのもいるだろうけど、今日だけはあきらめてもらうしかないだろ」

 つまらないことを言い合っているうちに店がオープンした。待ちかねていたように客が入ってくる。月曜日のこんな時間に来る客は、仕事中の昼食時間を自由にできる連中だけだろう。中にはわざわざ仕事を休んで来る物好きもいるかもしれない。

 テーブルへの案内はダナや他のギャルソンやウェイトレスがやっている。だからしばらく俺たちの出番はない。料理ができあがると出番が来る。

「アーティー、お前が先に行けよ」

「見本を見せてくれないのかよ、お前、経験者だろ」

 テディーに命令されて、料理の皿をテーブルへ運ぶ。誰が何を頼んだかを聞いて、その客の前に皿を置けばいいのだから、特に難しくはない。男女2人ずつのテーブルに行って、まずオードブルを置く。

「ヘイ! 今日は誰が来てるんだい?」

 男が声をかけてきた。他の3人はきょろきょろと辺りを見回している。

「ああ、プロ・ショップ・コミュニケイションね。テディー・メッセンジャーがそこに」

 俺のすぐ後で、別のテーブルに皿を運んでいるテディーを指さす。「本当、テディーだわ!」と女が嬉しそうに言う。

「もう一人は?」

「確か、アーティー・ナイトだったと思うけど」

QBクォーターバックの? すごいやグレイト、どこにいるんだい?」

 もう一人の男が辺りを見回した後で訊いてくる。いや、目の前にいるんだけどね。

「さあ、ちょっと見当たらないが、顔は知らないのか?」

「だって、彼、ヘルメットを外したときの顔が、ほとんど映らないんだもの」

 もう一人の女が不満そうに言う。うん、それは俺が、サイド・ラインにいるときはなるべくカメラに映らない位置にいるようにしてるからだよ。それにヘルメットを脱いだら、すぐに帽子をかぶってつばを下ろすか、タオルをかぶるかして、顔が映りにくくなるようにしてるしな。

「探してくれ。見つけ出すのも今日の楽しみだから、ごゆっくり」

「ああ、そうするよ」

 バレなくてよかった。普段から顔を出さないようにしている努力のたまものだな。俺の顔がはっきり映っているのはリーグのウェブ・サイトとチームのウェブ・サイトとCBSの放送時のスターター紹介映像くらいだから。ゲーム後のインタヴューは全て断るという契約だし、プレスの取材は受けないし。

 テディーの方はというと客から話しかけられて嬉しそうに応対している。やはりあのウィッグと髭は目立ちすぎるよなあ。自分の方からわざと客に見つかりに行ってるんじゃないかという気がする。お客は喜んでいるからそれでいいか。

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