#10:第7日 (6) 平常へ

 ダーニャの部屋には既にお茶の用意がしてあって、彼女が自らポットに茶葉や湯を入れる。ケーキ・スタンドには菓子もたくさん載っている。朝食を十分摂ったので腹は全く減っていないが、昼食が昨日のようなわびしさでは、今食べておいた方がいいかもしれない。

「こんなに落ち着いてお茶を飲むのは久しぶりです」

 ダーニャがカップを持って微笑む。そりゃそうだろうな。俺も今回のステージでは無人島から始まったと思ったら、宝探しや国の紛争に巻き込まれて、これほど移動と環境の変化が激しくて落ち着かなかったのは初めてだよ。食事の時間や内容も不規則だったし。

「まだ全てが平時に戻ったわけじゃないだろう。シェーラは戻ってこられそうなのか?」

「はい。今、メリダにいます。昨日の午後には到着していたのですが、島へ渡る手段がなくて足止めされていたのです。空港が再開したので、午後には戻ってこられるでしょう。私は迎えに行くつもりですが、アーティーも一緒に来てくれますか?」

 退出ゲートが近くにあるのならね。

「考えておこう」

「それから、下の姉も恐らく同じ便で帰ってきます。彼女は今朝、メリダに着いたそうです。ジャマイカからキューバへ渡って、島を東から西までドライヴして、メキシコのカンクンへ渡って、という行程で、丸一日がかりだったらしいですが、元気そうでした」

 で、誰に助けてもらったんだ。ダン・ブラッドショー? オーストラリアの有名なクリケット・プレイヤー? なんだ、ラグビーじゃなかったのか。

 しかし、三姉妹が3人とも外国へ行く途中に遭難して、有名な外国人アスリートに助けられて帰ってくるなんていう状況を、不自然に思わないのかな。それとも、この仮想世界ではそういう展開が自然なのだろうか。どうでもいいことだが。

「そういえば儀式はどうだったんだ。ちょっとしたトラブルってのは何?」

「ああ、そのことですか。儀式の終わり頃のことですが、水浴している私を、介添えが助け上げる段取りがあるのです。そのことは話したように思いますが、憶えていますか?」

「憶えてるよ」

「介添えは段取りどおり泉に飛び込んだのですが、私の身体に触れようとしたときに、悲鳴を上げて、飛び退いてしまったのです。溺れそうになったようなのですが、私は儀式が終わるまでは身動きをしてはならないものですから、どうにもできなくて」

 ほう、ダーニャに触ると静電気が走るのは俺だけじゃなかったんだ。

「それで、供物運びの男性が飛び込んで、私を助け上げてくれたのです」

「役回りが違う男が助けるのは問題ないのかね」

「はい、男性3人のうち、誰が助けてもよいのです。ただ、近年はずっと介添えと呼ばれる役が助けていただけなのです」

「助けてくれたのは君のボーイ・フレンドだろう?」

「そうですよ。どうして判ったのです?」

「介添えは離脱派の重役じゃないかな」

「そうですよ。勘で当てたのですか? それとも、何か気付いたことがあるのですか?」

 言わなくても、ダーニャ自身が気付いているに違いない。彼女に害を為す可能性がある人間は、触れると電気ショックを与えられる。しかし、彼女の味方の場合は何ともない。

 つまり俺は害を為す方の人間だ。泥棒だからな。そして、電気ショックのことに気付くのは害を為す人間だけだ!

 それにしてもやっかいな体質を持ってるなあ。仮想世界ならではだろうけど。

「介添え役は何か言い訳してたかい」

「言い訳どころか、スタンガンで危害を加えようとしたのではないかと疑われました。泉の中でそんな物を使ったら、私まで感電してしまう危険があるというのに」

「離脱派として、君に何かしら難癖を付けたかっただけじゃないのか」

「私もそう思いたいのですが、原因は不明のままです」

「その男や、他の離脱派の連中は今頃どうなってるんだろう」

「デモを扇動していた者と、破壊活動や窃盗を行った者は、警察が逮捕しました。ただ、扇動者のほとんどは、停戦終了前に国外へ密かに逃亡したようです。介添え役は離脱派の中心である独立民主党の前代表で、ギャング団の本国へたびたび遊説に行っていましたから、逮捕情報を真っ先にもらえる立場にあったと思うので、早々に脱出してしまったかもしれませんね」

 合衆国ならCIAが探し出して暗殺するだろうな。

「仮に、離脱派が政権を取っていたとしようか」

「あまり想像したくないですね」

「英連邦を離脱して、財宝を手に入れて、それから何をするつもりだったんだ?」

「カリブ共同体を脱退して、中米統合機構へ加盟することになっていました。あと、国名を変更するつもりだったようです」

 ベルメハ共和国レプブリカ・デ・ベルメハ。ベルメハはバーミージャのスペイン式の読み方で、スペイン領だった時代の呼び名であるらしい。もちろん、その後には英領ブリティッシュバーミージャだった時代がある。

 他には、公用語も変えるつもりで、もちろん中米諸国の公用語であるスペイン語を第一公用語にし、英語は第二公用語。つまり今とは逆の順位にする。

 なるほど、それでシェーラが最初に口走ったのが、スペイン語のように聞こえた理由が解った。彼女は元々、スペイン語話者だったのだろう。

 それはともかく、国名や公用語を変えたところで、離脱派の実態はギャング団なんだから、中米某国の傀儡政権になっていたんだろうな。マネー・ロンダリングにでも使うつもりだったか。それだってお宝の一つには違いない。

「君たち総督家とその関係者は追放されていたかもしれないな」

「もちろん、そうでしょう。ですから、関係者と共に国外に逃れて、臨時政府を設立することも考えていました。英連邦の他の国は承認してくれることになっていました」

 話が大きくなってきたな。ティー・タイムには向いてない話題だ。

「とにかく、内戦が激化しないうちに解決してよかった。後で少し街を見て回りたいが、観光地を紹介してくれ」

「もちろんです、と言いたいところですが、狭い島のことですから、残念ながらそれほど見るところはありません。南のビーチは綺麗ですからぜひ見てもらうとして、建物で見る価値があるのは国会議事堂と旧農園主邸宅グレートハウスくらいでしょう。他にはマヤの球戯場跡、ラム酒の工場、北の泉、植物園、水族館、それに“海賊の砦”といったところでしょうか。もし、買い物に興味があれば、港の前のマーケットをお薦めするのですが」

「儀式の泉は?」

「“聖地”ですので、残念ながら関係者しか入れないのです。観光用の小さなヴィジター・センターならあります」

「6時間で全部回れるかな」

「植物園と水族館にそれほど長い時間をかけないのなら、充分でしょう」

 ティー・タイムが終わったらすぐ出掛けることにした。公邸での昼食はもちろんキャンセルだ。

 ダーニャは案内するので一緒に行くと言っている。ただし、途中でシェーラの出迎えに行かねばならない。イライザを誘ったら、「国会議事堂と旧農園主邸宅グレートハウスを見に行った後で、高等弁務官事務所に連れて行って下さるのなら」ということだったので、一緒に行くことにした。

 車を出してもらえるかをダーニャに確認してもらったら、ピーチ上等兵ランス・コーポラルが名乗り出てきた。

「あなたの警護をすることになっておりますので!」

 顔が売れているわけでもないので危ない目に遭うことはないと思うが、不正規イリーガルに入国したのを咎められるかもしれないから、彼女に付いて来てもらった方が無難だろう。

「くくっ、ミスター・アーティー・ナイトを助手席に乗せて運転するなんて、もう一生ないですよ……」

 それほど感激することでもないと思う。車は公用車ではなく、警備員の私物を借りることになった。

 公邸の前から坂道を下っていくと、台地の一段目に降りて、ここは高級住宅街。緑が多い。さらに坂を下りたところが大通りで、南に行くと街の中心。

 まず国会議事堂を見に行く。道路の右手に広場が現れて、その向こうに豪勢な建物が見える。宮殿風だが、合衆国のように大きなドームがあるのではなくて、いくつも塔が立っている。恐らく連合王国の議事堂に似せていると思われる。

 こんな小さな国に、と言っては失礼かもしれないが、似つかわしくないほど立派な造りだ。

 道を右折して――左側通行だ。英連邦を離脱していたら、右側通行に変わったかもしれない――広場の横の路肩に駐車する。いや、いいのかよ。

 警官が寄ってきたが、ダーニャを見ると笑顔になって、どうぞどうぞという身振りをした。単に総督の娘という割には、結構な特権をもらっているようだ。

 まず建物を正面から見る。ヴィクトリア朝のゴシック様式だそうだ。次に中へ入る。もちろん有料で、4IB$。バーミージャ・ドルか。俺の財布の中には合衆国ドルしか入っていないが、使えるのか? レートは?

 いや、どうしてタダで入れるんだよ。しかもセキュリティー・チェックなしかよ。またダーニャか? どれだけ顔が利くんだって。たかだか数ドルのことだから大した権力じゃないかもしれないが、この調子だと、今日の観光は全部タダだな。

 まず広いホールに出た。見上げる窓にはお決まりのステンド・グラス。モントリオールでは見なかったが、アントワープとブリュッセルでは飽きるほど見た。しかもこれはヨーロッパの文化だから、マヤの文化圏であるこの国で見なくてもいいものだ。ダーニャが見た方がいいと言っているのだから見るけれども。

 それから、セントラル・ロビー。ロンドンの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿のロビーを模して作られたそうで、英国王が国会で演説する時の控え室らしいが、総督しか使ったことがないらしい。議会室もヨーロッパ風で、昨夜から今朝にかけて離脱派対策を練っていた場所がまさにここだが、もちろんその余韻は残っていない。

 次がタワー。別に登らなくてもいいと思っていたのだが、この国で一番高い建物だというので登っておくことにする。高さ67メートル、つまり220フィート。もちろん階段で上がる。イライザはパス。ピーチがやけに嬉しそうな顔をする。

 頂上で景色を眺める。総督公邸の屋上と同じくらいの高さだろう。掲揚ポールは見えているが、旗は垂れ下がったままだった

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