#10:第6日 (4) 静かなティー・タイム

 客間に案内する、と言われて総督執務室を辞去した。しかしダーニャの提案で、先にダーニャの部屋へ寄って、少し相談することにした。

 総督の執務室ほどではないが、それなりに広くて豪勢な部屋だ。少なくとも共同住宅テネメントの俺の部屋の4倍くらいはある。ただし、俺は広い部屋で寝るのは苦手だ。

 その部屋の真ん中にあるソファーに、3人で座る。そういや、リンディーはどこへ行ったのかな。どこかの客間か。

「アーティー、ミス・ヒギンズ、申し訳ありませんでした。せっかくここまで送り届けてくれたのに、ろくにお礼もできず、また、バハマに留まっていた方がよかったなどと言われてしまって」

 ダーニャはさすがに気落ちしてしょんぼりとしている。

「気にするな。無事に帰ってこられたことと、親書を運んできたというだけでも意味はある」

「でも、それらは全てミス・ヒギンズのおかげです」

 確かにそれはそうで、飛行計画のことから親書を運んだ方法まで、過剰とも思えるほどの周到さだった。家とは距離を置いてるとはいうものの、さすがにヒギンズ財閥の一員。政治家に向いているのではと思うほどだ。

「私は請け負ったことを遂行したまでですわ。過ぎたことをあれこれと悔やむよりも、今後の対応を考えた方がより建設的と思いましてよ」

 こうして前向きなのはいいことなのだが、冷静すぎるという気がしないでもない。その自信は何に裏打ちされているのか。

「脱出の方法でも考えるか」

「せっかく戻ってきたのに、また逃げ出すなんて、臆病者のそしりを受けるようなものですわ」

 かと言って、離脱派を鎮圧する手伝いなんてできそうにもない。せいぜい、残留派を勢い付かせるようなことをするくらいかな。

 フットボールならゲーム前に円陣を組んで気合いペップトークをするところだが、あれ、苦手なんだよ。マイアミ大ではセンターのボビーが得意だったから、オレンジ・ボウルの時は奴に任せたんだ。あれは憶えておきたいほどの名トークだった。

 それはそうと、ダーニャから国民や残留派へメッセージを送ることなんて、できるのかな。

「私が国民の前に出ることは、ほとんどありません。年に2、3度……独立記念の行事に家族で列席するのと、総督の名代としてスポーツや文化のイヴェントに参列するのと、他には……」

 ダーニャは急に口を閉じると、席を立って書き物机のところへ行った。そして時計と何かを見比べている。それから振り返って言った。

「今夜、儀式を行えば、国民の目を私に集めることができるかもしれません。本来なら上の姉の順番なのですが、もし彼女も下の姉も帰ってこられない場合は、私が代理で行うことにすればいいでしょう。ただ、問題は儀式ができるかどうかですが……」

「その儀式ってのは国にとってどれくらい大事なのかね」

「独立記念の行事の次に重要だと考える人が多いです」

「英連邦との関係は?」

「全く関係ありません」

「じゃあ、総督に頼んで、その儀式の間だけでももう一度停戦してもらうんだな」

 ところで儀式ってのは何をするんだろう。ダーニャが脱ぐということくらいしか知らないのだが。

「父に頼んでみます」

 ダーニャがそう言って内線電話の受話器を取り上げた途端、外でズシンという大きな音がした。窓ガラスも震えたようだ。ダーニャが受話器を置いて窓に駆け寄る。俺も覗きに行く。

 右手の奥、門の付近で、黒い煙が立ち上っている。そうすると、先ほどのは爆弾だったのだろうか。それとも、火炎瓶か手榴弾か。離脱派が投げ込んだのか? 架空世界でこんな物騒なことに巻き込まれるとは思ってなかったぞ。今回は死ぬシナリオもあり?

「私の飛行機はどこかへけて下さったかしら。ジェット燃料を積んでいるから、爆発すると大変なことになるのですけれど」

 イライザがソファーに座ったまま呟く。門の近くに、青い機体は見えない。イライザに言うと、「よかったですわ」という答えが返ってきた。

 内線電話が鳴り、ダーニャが慌てて書き物机に駆け戻る。

「襲撃ではないですが、念のため地下室に避難してもよいと……」

「そのうち窓から銃弾が飛び込んでくるのですか?」

「いいえ、そのようなことはないと思います。それに、窓は全て防弾ガラスですし……」

「では、地下室などに避難する必要は感じられませんね。単に安心感のためというのであれば、私には不要ですわ」

 イライザはあくまでも冷静だな。冷静すぎて恐いくらいだ。さて、俺はどうするか。地下室に、ターゲットのヒントになるようなものがあるかもしれないから、一度くらいは行った方がいいとは思うが。

「君が避難したいというのであれば付いて行くが」

「私は……」

 ダーニャが考え込んだ。昨日の夜からどうも弱気だなあ。

「いいえ、私も避難はしません」

「俺はそれでも問題ない」

 そしてイライザの顔を見たが、特に何も言わなかった。協力するのかもしれないし、しないのかもしれない。

 ところで、腹が減ったな。朝は5時過ぎに軽食をつまんだだけだから。今、11時……あれ、腕時計と壁の掛け時計の時間が違っている。9時だと? タイム・ゾーンを超えたのだろうが、ここはニュー・オーリンズあたりと同じ経度だから、1時間くらいしか違わないはずなのだが。

「アーティー、今はまだ中部標準時なのです。夏時間サマー・タイムへは、今夜から移行します」

 時計を見比べてる俺に気付いて、ダーニャが教えてくれた。なるほど、合衆国とは夏時間デイライト・セイヴィング・タイムが始まる日が違うわけだ。

 それからまたダーニャがどこかに電話を架けている。

「中途半端ですが、お茶の時間ティー・タイムにしましょう。こんな時でも、落ち着かなければいけません。せっかくですから、我が国特産のハーブ・ティーを楽しんで下さい」

 しばらくしたら、メイドがティー・セットを運んできた。三段のケーキ・スタンドもあり、本格的な英国式ティー・タイムだ。ただし、この国の一般家庭の生活が英国式であるとは思わない。

 会話はさほど弾まず、小腹を満たしただけで、その後は客間に案内された。イライザの邸宅コテージの客間よりも一回り広い。壁紙や調度品も英国風に見えるが、本格的な英国風の部屋というものを知らないので、どの程度バーミージャ風が混じっているのかは判らない。

 案内してくれたメイドに、邸内を歩き回っていいか訊いてみると、一階の食堂と図書室と撞球室――さすが英国式――には行っていいが、2階以上はダメで、立ち入り禁止区域に入ろうとすると恐らく警備員に止められるだろう、という答えが返ってきた。庭に出るのもいけないらしい。

 逃亡する気はないけれど、万が一離脱派が侵入してきた時に危険だし、あるいは離脱派に通牒する可能性があると思われているのかもしれない。ていのいい軟禁状態だな。

 用がある時は電話機の赤いボタンを押してくれと言われた。これはメキシカン・クルーズの時にもあった。壁際の紐を引くとベルが鳴るという仕組みではないらしい。

「レディー・ダーニャに話がある時はどうすればいい?」

 その時でも、電話機のボタンでまずメイドを呼び出していただければ、とのことだった。

 メイドが去って行くと、することがなくなって、部屋中を調べ回る。本当ならここで、公邸の中に隠されたターゲットを探す、という展開があると思っていたのだが、邸内を自由に歩き回れないとなると、こっそりするしかなさそうだ。

 このステージではまだ解錠をしていないので、それをやってみたかったというのもある。まさに泥棒だな。もっとも、この部屋のドアも普通のピンタンブラー錠なので、開けてもそれほど楽しくはなさそうだ。

 戸棚をあちこち開けて回ったり、浴室を覗いてみたり、暖炉の中を覗いてみたり、クローゼットの中に隠し通路の扉がないか確かめてみたり、床のカーペットの一部が剥がれないかを確かめてみたりしたのだが、どうやら何の仕掛けもない普通の寝室だ。それで当たり前か。

 隣の部屋に通されたイライザはどうしてるかな。暇だから図書室に行っているかもしれない。俺も後で行ってみるか、などと思っていたら、どこからか低い振動音が聞こえてきた。離脱派のテロリズムでも始まったか、と思ったが、音はずっと続いている。

 判った、これはヘリコプターだな。窓から外を覗いたが、それらしい姿は見えない。しかし、警備員が右往左往しているのが見える。建物に向かって見上げているから、公邸のすぐ上空を飛んでいるのだろう。

 こういう時はどさくさに紛れて外へ出るに限る。ドアを開けて廊下を覗いたが、人影はない。建物の内部構造はまだよく判っていないが、20ヤードほど向こうの階段のところまで行けば、エントランスがあって、外へ出られるはずだ。

 そっちへ行ってみたが、警備員の姿が見えない。みんな外に出てしまっているのだろうか。ヘリコプターが陽動だったらどうするんだという気がするが、とりあえず俺も外に出る。空を見上げたが、ヘリコプターらしき音はすれども姿は見えず。

 そのうち、警備員の一人に見つかった。

「あっ、おい、ユー!」

 若い、褐色の顔の男だ。見覚えがない。慌てふためきながらこっちに駆け寄ってきた。

「やあ、すまない、外が騒がしいので見に来ただけなんだ。俺は……」

「知ってますよ。ミスター・アーティー・ナイトしょう? マイアミ・ドルフィンズの、スーパー・ボウルMVP。この公邸で、僕だけがあなたユーのことを知ってるようなんです。ジェット機からあなたが降りてきたときは驚いて腰が抜けそうニーズ・ゲイヴ・アウェイになりましたよ」

 なぜ一人だけこういう人物を配置する。よくわからんステージだなあ。こいつを味方に付けておけばいいのか?

「知っていてくれて何よりだ」

「しかし、危険なので、とにかく部屋に戻って下さい」

「解ったけど、ヘリコプターが来てるんだよな?」

「そうです。上でしばらく旋回していますが、どうやら屋上のヘリポートに降りようとしているらしい」

 ああ、解った。きっと、もう一人の競争者コンテスタントが来たんだ。ダーニャの姉を連れて。さて、二人のうち、どちらだろう。ベリーズへ行った方か、それともジャマイカへ行った方か。

 警備員に説得されて建物に戻りながら考えたが、判るわけがない。しかし、そのうちダーニャか誰かが報せに来るだろう。それまで待とう。

 部屋へ戻る前に図書室を覗いたら、イライザが窓際のソファーにかけて本を読んでいた。外の騒ぎなんて見向きもしなかったのだろう。落ち着いたものだ。

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