#10:第5日 (5) MVPの知名度・その2

 ホリーは既にホテル前で待っていた。大きなショッピング・バッグをいくつも提げている。もしかして、俺が渡した1000ドル、全部使ったのだろうか。いや、それでも別に構わないけどさ、自分の分を買ったりしてないよな?

 助手席を明け渡し、ホリーが乗り込む。俺はショッピング・バッグと共に後ろのシートへ。ホリーは無言で紙切れをサブリナに渡した。たぶん、銀貨の査定が書いてあるのだろう。サブリナは「ふーん」と鼻を鳴らした後で、紙切れをホリーに返した。

「作戦はどうなってるの?」

「やるわよ、予定どおり」

 ホリーとサブリナが短い会話を交わす。ホリーが作戦を気にしてくれているのは、彼女にも一応役割があるからだ。ただ、そう難しい役割ではない。

 西へ少し戻り、ウェスタン・エスプランデ・ビーチへ。季節外れ、とイライザは言っていたが、たくさんの人の姿がある。もっとも、泳いでいる奴はいなさそう。

 サブリナがイライザに電話を入れ、準備完了を確認する。沖合にパラダイス島――ニュー・プロヴィデンス島の北にある、東西に長い島――の西側の砂州が見えているが、その手前に、イライザの船が泊まっているのが見えた。

 ビーチ西端の駐車場に車を入れ、ホリーを残してサブリナと降りる。二人でビーチを歩くが、一応恋人どうしという設定なので、サブリナが俺の腕を絡め取って胸を押し付けてくる。大きいのは十分解ったから、この時点であまり目立つことをしないで欲しい。もちろん、俺はサングラスをかけたままだ。

「いるわね、警官が」

 サブリナが呟く。本来はビーチでのトラブルに対応するために警邏しているのだろうが、ダーニャたちがこっそり上陸するのに邪魔になるのは間違いない。

 ビーチ東端に近い、ジュース・スタンドへ行く。季節外れだからか、1軒しか開いていない。ビーチの客はこの辺りに集まっていて、日光浴をしたりビーチ・ヴァレーをしたりで、全部で30人と少しかな。季節外れにしては多いだろう。

「オレンジ・ジュース二つとフライド・シュリンプ」

 なるべく大きな声で注文する。クレオール系の店主が愛想良くオレンジ・ジュースを紙カップに注ぐ。さりげなくサングラスを外しながら、店員に訊く。

「この時期はまだ泳げないんだな」

「なあに、たまには暖かい日があって、そういう時は海に入る人もいますがね」

 言いながら店主は揚げたてのシュリンプを紙皿に盛る。季節外れの客だからって、サーヴィス過剰ではないかと思うくらい盛っている。

「でも、泳ぎが目的で来るツアー客は、もっと遅い時期に来るんだろう? 5月くらいからかな」

「そうさね、5月から10月くらいかな。それ以外の時期でも店を開いてるのは、俺くらいでね。お客さんは合衆国から?」

「そう」

「そこの船で着いんですかい」

 店主の指差す方を見ると、フェリー・ターミナルに豪華客船が3隻ばかり泊まっている。メキシカン・クルーズで乗ったのよりもずっと大きい。まるで7階建てのホテルが海に浮いているかのよう。というか、あれくらいが21世紀中頃からの標準だ。

「そう、一番右のやつでね」

「ゆっくり楽しんでって下さいよ」

「ああ、ありがとう」

 のんびりと話している間に、次の客が後ろに並んでいた。もちろん、それが目的で、わざとぶつかりそうになりながら、「失礼、大丈夫だったかい?」などと気さくに声をかけておく。しかし、まだ誰も“スーパー・ボウルMVP”に気付かない。

 ビーチに置かれた椅子に座って、ビーチ・ヴァレーを見る。目の前を、合衆国から来たらしい数人の観光客が通り過ぎる。偶然にもその瞬間、ヴァレーのボールが観光客の方に飛んで行った。一人がボールを避けたら、俺の方に転がってきた。できすぎている。しかし、こういうシナリオがちゃんと用意されているんだろうなという気がする。

 ボールをコートの方に投げ返していると、観光客が俺の方を見ながら何か言い合っている。そこでこちらもわざとらしくサングラスをかけたが、中に遠慮のない男が一人いて、愛想笑いをしながらこちらにやって来た。25歳くらいかな。俺とそう変わらん歳に見えるのに、どうしてこの時期にこんなところへリゾートに来てるかなあ。金持ちの息子なのか。

「失礼、ミスター、もしかして、アーティー・ナイトでは? マイアミ・ドルフィンズのQBの……」

「ああ、たぶん、人違いだろう」

 半笑いをしながら、男に答える。邪険にすると、引き下がってしまうかもしれないから、適度な無愛想さが必要だ。

「いや、でも……さっきのボールを投げる時のフォームが、そっくりだったし……体格やなんかも……」

「君、ドルフィンズのファンかい」

 ここでおもむろに態度を変える。

「ええ、もちろん。子供の頃から大ファンだよ!」

「ドルフィンズがスーパー・ボウルに勝ったのは何回見たことある?」

「もちろん、今年が初めてだよ!」

「そうか。俺も初めてだ。次のシーズンもぜひ応援してくれ」

 そう言ってサングラスを取りながら、男に手を差し出す。もちろん、可能な限り愛想のいい顔で。

「WOW! やっぱりアーティー・ナイトだ!」

 男が大きな声を上げながら手を握ってきた。うん、そうすると思った。男と一緒にいた観光客たちが寄ってくる。その他の連中までこっちを注目する。ビーチ・ヴァレーをやっていた奴らはプレイを止めてしまった。

 椅子から立ち上がって、寄ってきた連中と次々に握手をする。さっきのジュース・スタンドの店員まで外に出て来て、何事が起こったのかという顔でこっちを見ている。そして予想どおり、警官まで寄ってきた。

 事情を尋ねてくる警官に、俺の代わりに紹介を始める奴までいたが、たかだか30人弱が集まってきただけのことで、大きな混乱になるはずもない。だが、ビーチにいる全員がこちらに注目しているのは間違いない。

「そうすると、あんたがスーパー・ボウルMVPの……」

 警官の愛想が急によくなって、握手をしてくれと言い出した。朝と同じだ。どうして警官がそんなにフットボールに詳しいのか。仕事しろよ。

「せっかくみんなビーチを楽しんでいたのに、騒がせてしまって申し訳ない。すぐに退散するよ」

「そんなこと言わず、もっと楽しんでいってくださいよ」

 警官おまえはビーチの管理人代表か。それから何人かのサインオートグラフする。フライド・シュリンプを近くにいた子供にやったが、食い物をもらったというだけで喜んでいるようだった。

 また警官から「よい一日を!」の挨拶をもらいつつ、その場を去る。ビーチから通りへ出て、東に向かって歩く。サブリナがうっとりした表情で言う。

「アーティー、本当に有名人だったのね! フットボールが合衆国やその周辺で人気があるのは知ってたけど、これほどとは思わなかったわ」

 そりゃあ、サウス・カロライナ州にはメジャー・プロ・スポーツ・チームが一つもないからな。NCAAディヴィジョン1のメジャーな大学はクレムゾン大とサウス・カロライナ大くらいだろうし、それらは内陸にあって、海岸沿いの田舎町ジャクソンヴィルからは大きく離れている。カロライナ・パンサーズはノース・カロライナ州のチームだし、ゲームを見たことすらないんだろう。

「バハマは英国風ブリティッシュ文化だから“アメリカン”・フットボールの人気はそれほどでもないと思っていたが、知っている連中がそこそこいてよかった」

「あれでそこそこ? じゃあ合衆国なら、街を歩いてるだけで大変な騒ぎになるんじゃないの?」

「もちろんだ。変装は欠かせないね」

 アリーナ・フットボールの俺程度のプレイヤーですら、たまには声をかけられるんだぜ。スーパー・ボウルMVPを獲ったプレイヤーがどんな目に遭うか、簡単に想像できるよ。

 ただ、声をかけられた時には愛想良く応対することってのが、アリーナ・リーグの規約で決まってるんだ。NFLだって同じだろう。ファンを大事にしないとビジネスが成り立たないからな。

 ところで、目的は達成できたのだろうか。残念ながらそれをすぐに見届けることはできない。俺の役割は“陽動”なので、離脱派の注意をしばらく引き付けなければならなくて、ホリーの待つ車へは戻らない。これから1マイルほど東にあるベイ・ストリート・マリーナへ行く。そこでイライザの船が待っていて、島の外を半周して邸宅コテージへ戻る予定。尾行の気配は感じていないが、いたらそこでことができるし、気が付いたらダーニャたちがこっそり上陸していて、という手筈だ。

 マリーナは遠いので、タクシーを拾う。運がいいのか悪いのか、運転手は俺のことを知ってた。

「車体にサインオートグラフしてくれやせんか、ミスター。仲間に自慢したいんで」

「洗車したら消えちまうだろ」

「じゃあ、シートにでも……」

 そもそも、ペンがないだろうが。ドルフィンズのQBクォーターバックという肩書きだと顔が売れすぎていて、泥棒には向かないことが判ってきたな。ただ、合衆国かその周辺の国がステージになった時だけがそうで、その他の国ではそれほどのことはないかもしれない。

 マリーナに着くと、クラブ・ハウスの前にはやはり警官がいた。しかし既にイライザもいて、親しそうに話をしている。懐柔しようとしてくれてるな。

「ハイ、アーティー、お待ちしていましたわ」

 タクシーを降りるとイライザが声をかけてきたが、隣の警官は既に驚きの表情を浮かべている。

「アーティー!? まさか、アーティー・ナイト!? ドルフィンズのスーパー・ボウルMVP! いやあ、ようこそナッソーへ。いつ入国されたんですか? 通達を見逃していましたよ」

 ガキのように喜びながら、握手を求めてきた。もう一人いた警官もだ。今気付いたのだが、警官というのは警備のために有名人の顔を憶えているんだな。フットボールのファンって訳じゃないんだ。

 ところで通達と言っていたが、有名人が入国したら、警察に通達が回るのかね。俺の入国記録はないはずだよな。調べられたら不正入国がバレるんじゃないのか。プライヴァシーの侵害で逆に訴えてやるか。

 ともあれ、警官はやはり身分証を見せろとは言わず、イライザが船に乗せると言うと「どうぞよい一日を!」。サブリナも同じくチェックなし。彼女はどうやら顔見知りかな。とにかく検問になってないぞ。俺には都合がいいけどさ。

「ホリーからは何か言ってきた?」

「無事、車に乗せて、邸宅コテージへ向かったと」

「そりゃよかった」

 ダーニャとシェーラは船から海へ飛び込み、スクーバの小型タンクを使って潜りながらビーチに接近。俺が客と警官の目を引き付けている間に、密かに上陸。ホリーの待つ車に乗り込み、とっととその場を去る、という作戦だったのだが、うまくいったようだ。

「ホリーが途中で捕まったり、私の邸宅コテージの前で待ち伏せしていたり、ということは考えられませんか?」

 船に乗りながら、イライザが俺の作戦の弱点を突いてくる。今さらだなあ。

「君たちの見張りに、それほど人を割いているとは思えないからな。やはり高等弁務官事務所周辺が中心だよ。そこへ入る前に捕らえてしまえば、って思ってるに違いないから」

「夕方の計画もうまく行くといいですわね」

 船は東回りでニュー・プロヴィデンス島を半周し、邸宅コテージに戻る予定だ。1時間はかからないと思うが、車よりはだいぶ後になるに違いない。

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