#10:第3日 (11) 二人きりの時間

 着いたのは目立たないところに入口がある、あの上り下りの激しい洞窟だった。俺は途中で引き返したが、奥に地底湖があるのは判っている。サブリナたちはそこへ行こうというのだろう。あれも別の地底湖につながってたのか。

「あんたたち、この洞窟に入ったことは?」

 洞窟に入りかけたところで、サブリナが訊いてきた。

「俺は入ったことがあるが、シェーラは入ってないよ」

「あら、そう。どこまで入ったの?」

 ずっと下がっていって、そこから上りになって、また下がってその下に地底湖があるのが見えたところまで、と答える。

「あら、調べたとおりね。じゃ、あんた先頭行って」

 なぜそうなる。言葉の前後のつながりがよく判らんぞ。しかしとりあえず俺が先頭になって入った。そしてサブリナ、シェーラ、ホリーの順。足下はサブリナが照らしてくれた。

 梯子を抱えて上り坂を登るのがまず大変。登り切ってから下に降りるところが狭くて、梯子を通すのがまた大変だった。足を滑らせて、危うく転落しかけた。

「梯子を落としたら大変だわ」

 ロープで梯子と俺の身体を結びつけるようホリーが言う。俺が梯子を持ったまま落ちてしまうとどうしようもないと思うのだが、そこは心配しないのか。

 それに、縦穴のようになったところを降りる時には、梯子を壁の出っ張りに立てかけておいて両手を離す、という危なっかしいことをやらざるを得ない。いや逆に、ロープを結んだおかげでできる芸当か?

 ただ、そうして苦労しながら降りている俺よりも、どうやらシェーラの方が遅い。ホリーからたびたび「待って」と声がかかる。こんな穴を降りるのが得意な人間なんてほとんどいないだろうから仕方ない。俺の後に付いてくるサブリナだけは、やけに楽しそうだけど。

 そしてこの前引き返したところまで着いた。もう降りられない、とサブリナたちに言う。

「梯子は下ろせそう?」

「折りたたんでるから下まで届かないな」

 もちろん、ここまで梯子を折りたたんだまま持って来たからだ。伸ばしていたら、坂の頂上の狭いところは通過できなかっただろうし。

「下の方は広くなってるんじゃないの?」

「そうだ」

「じゃあ、降ろしたら勝手に開くじゃないの」

 確かに。折れた方を前にして持って来てよかった。回収の時にはまた折りたたまなければならないので、両端にロープを結び、一方をサブリナに持ってもらって、降ろしていく。穴が広がったところまで降りたら、サブリナに合図する。彼女がロープを繰り出すと梯子が開いた。

 底まで届いたようだ。しかし、ぐらぐらしてどうも不安定だ。降りてと言われたが、降りたくない。

「落っこちたって、梯子を立て直せば登ってこられそうな高さじゃないの」

「何かの間違いで梯子が回収できなくなったら、もう一つの洞窟にも行けなくなるぞ」

 脅してみたが、結局、降りることになった。落っこちる覚悟をしながら一段ずつゆっくりと降り、穴が広がったところまで降りて、ライトで照らす。

 細長い穴だった。長さは20ヤードくらいだろう。天井が奥に向かってだんだんと低くなって、最後は水面に接している。次に水の中を照らす。浅いのは足下だけで、奥に行くに従って深くなっているように見える。そのことをサブリナに伝える。

「中に入ってみてくれる?」

 ご冗談を。ジーンズはともかく、スニーカーをどうするんだよ。脱げって? そうするしかないか。

 スニーカーと靴下を脱いで、水に入る。冷たいが、予想の範囲内の温度だった。早速、ジーンズの裾が濡れる。奥に行くと裾どころか膝、腿の辺りまで濡れてくる。

 急に深くなったりすることはなくて、下り坂になった穴に水がたまっている感じだった。もちろん、俺は潜ったりしない。

 不意に後ろから水音が近付いてきた。ライトで照らすと、サブリナだった。いつの間に服を脱いで水着になったんだよ。

「君が潜るのなら、俺は降りなくてよかったんじゃないか」

「あなたがいると降りられないじゃないの。これ、持ってて。潜ってくるから」

 タオルを俺の手に乗せ、小型タンクを咥えると、サブリナは水の中へ入っていった。水面にぶくぶくと泡が立つのをしばらく見守る。水中の光が遠ざかっていき、やがて消えた。どれくらい待てばいいのかよく判らない。でもたぶん、3分くらいだろうな。

 水面の波がだんだんと静かになって来たが、予想どおり3分ほど立つと、水の中が明るくなり、黒い影が揺れながら浮かび上がって来た。

「ハーイ、無事戻ってきたわよ」

「キスでもして迎えればいいか」

「タオルを渡してくれるだけでいいわ」

 顔と髪を拭くサブリナに「中はどうなってた」と訊いてみる。

「あっちの結果と同じよ。出口が岩で塞がってた」

「岩はどけられそうになかったのか」

「それはしなかったわ。危ないもの」

 そうだろうな。梯子まで戻ると、サブリナが先に上がる。しかし数段上がったところで振り向いて言う。

「すぐ後に付いてこないでよ。ヒップはそんなに自信がないんだから」

 いやあ、いい形だと思ってたんだけどねえ。とりあえず言うことを聞いて、梯子を押さえながらサブリナが昇るのを待つ。梯子の揺れが治まってしばらくすると、「ヘイ! 昇ってきていいわ」。

 安定感のよくない梯子を慎重に昇り、梯子を折りたたむのに少し苦労したが、その梯子はサブリナたちがロープで引っ張り上げてくれたので、縦穴を登るのは楽だった。そこから洞窟の外まではすぐだ。

「OK、いったん船に戻るわ」

 ホリーが不機嫌そうな顔で言う。下調べはこれで終わりらしい。船を泊めてある浜まで戻ったが、サブリナとホリーは少し離れたところで相談している。なぜすぐに船に戻らないのだろう。どうせ俺たちは連れて行ってもらえないけどさ。とりあえずシェーラと話す。

「君はどうして潜るのが得意なんだ?」

「はい、私、子供の頃は海辺に住んでいまして」

 海で泳いだり磯で潜ったりしているうちに自然に泳ぎや潜りが得意になり、学校に行ってからはずっと水泳をやっていたとのこと。なるほど、子供の頃ならきっと裸で泳いでたんだろうな。そのことを訊こうとしていたら、途中でサブリナから呼ばれた。

「ダーニャがあんたと話したいって」

 サブリナがマイクとイヤーフォンを差し出す。どうやらさっきまで船のイライザと話していたらしい。

「アーティー、洞窟に入ったそうですね。どの洞窟ですか?」

 ダーニャの声は平静だったが、やっぱり洞窟に興味があるのかな。

「根城にしていた洞窟と、もう一つは君には教えてないやつだ」

「ああ、そうだったのですか。地底湖があったそうですね。あなたは潜らなかったのですか?」

「潜ってないよ。泳げないからね」

「解りました。シェーラと替わってくれますか」

 何だ、それだけか。シェーラを呼び、マイクとイヤーフォンを渡す。かなり長く話しているが、シェーラは「はい」と「ありがとうございます」しか言わない。

 会話が終わると、サブリナがチョコレート・バーをくれた。

「これを食べながら、ちょっと待ってて。船に戻って話をしてくるから」

 だったら通信機ウォーキー・トーキーで話さずに、最初からそうすればいいのに。ホリーは船に戻ると言ってたしさ。

「またこっちに戻ってくる?」

「さあ、どうかしら。調査はもうしないと思うけど、メッセージがあるなら来てあげる」

 つまり通信機ウォーキー・トーキーは置いていかないと。サブリナとホリーはボートで船に戻っていった。シェーラと二人、浜に取り残される。今、5時過ぎだが、夕食は何時からにしよう。

 シェーラの泳ぎのことや、子供の頃の話を聞きながら暇を潰していたら、6時過ぎにサブリナだけがやって来た。

「さっき言ったとおり、今日の調査はこれで終わり。明日は7時からね」

 顔が嬉しそうなわりに、メッセージは大したことがなかった。

「地底湖の調査なら夜でもできるだろうに、ずいぶんと悠長だな」

「他にもいろいろと調べ事や考え事があるのよ」

「で、君は今夜、島に泊まる?」

「残念、船に戻るわ。荷物は置いていくけど、勝手に触らないでよ」

 触るかよ。俺たちが何を探すってんだ。

「夜の間にこっちで何か起こったら、どうやって知らせたらいい?」

「火でも焚けば? あたしたちが見てるとは限らないけど」

「あの、申し訳ありませんが、もう一度、ダーニャ様とお話しさせていただくわけには参りませんでしょうか」

 おずおずとシェーラが言う。

「ああ、いいわよ」

 サブリナが通信機で船のイライザを呼び出し、シェーラがダーニャと話したがっている旨を告げる。シェーラはマイクとイヤーフォンと渡されて、今度は「はい」しか言わない。しばらく話した後で、あなたとお話がしたいそうです、と言って俺にマイクとイヤーフォンと回す。

「こんばんは、ダーニャ。何か用かい」

「こんばんは、アーティー。今夜は、あの洞窟で、シェーラと二人で泊まるのですね?」

「たぶんそうなると思うよ」

「では、シェーラとは2ヤード以上離れて寝て下さい」

 まさかダーニャにまで信用されてないとは思わなかった。

「シェーラにも注意したのかい」

「もちろんです」

「君は寝心地がよさそうなベッドで寝られて羨ましいよ」

「洞窟の砂の上の寝心地も捨てたものではなかったですよ。それでは、お休みなさい、アーティー」

「ああ、お休み」

 サブリナがボートでクルーザーに帰っていく。ダーニャに余計なことを言われたせいで、この後のシェーラとの二人きりの時間がとても気になる。だいたい、まだ6時半だぜ。眠くもないし、さりとて遊び道具を持って来ているわけでなし、夕食が終わったらまたひたすら寝るだけなのか。

「あの、ミスター・アーティー、実はダーニャ様から指示があるのですが」

 サブリナのボートが船に到達したと思われる頃に、シェーラが声をかけてきた。別に、そんな時まで見送る必要はなかったのだが、何もすることがないものだから。

「ああ、寝る場所の話?」

「え? いえ、そうではありませんで……」

 では、一体何の話かというと、「水浴びの洞窟を調べてみよ」とのことらしい。しかし、通信機ウォーキー・トーキーでそんな会話をしていたら、少なくともイライザに聞かれてしまうはずだよな。

「いいえ、ダーニャ様と私の間では、普通の会話の中に、暗号のように言葉を織り込むことができるのですわ。先ほど、国の現状を聞かせていただいたお言葉の中に、そういう指示が隠されていたのです」

 おいおいおい、すげえことできるんだな、君ら。それは、盗聴されている時でも秘密のやりとりができるように常日頃練習してたってこと? そんな裏の事情までは聞く必要はないと思うけどな。

 それはそうと、水浴びの洞窟といえば、ダーニャと水を汲みに行った時、奥に深い穴がありそう、と言っていたはずだ。調べるとすればその穴だが、それをシェーラに言ってみると、恐らくそうでしょうと答える。

「しかし、今すぐというわけにはいかないだろうな。こんなに月が明るいと、向こうの洞窟へ向かうところが、船から見えてしまう。彼女たちはたぶん見てないと思うけど、万が一ということもある」

「ええ、そうですわ。少なくとも数時間は待った方がよいと思います」

「どうせなら12時を過ぎてからにしよう。今のうちに寝ておくか」

「そう致しましょう……あの、それについて、一つお願いがあるのですが」

「何?」

 振り返って、洞窟の方に歩きながらシェーラに訊く。かなり言いにくそうにしているが。

「あの……大変恥ずかしいのですが、私、寝相が悪くて……ベッドから落ちることもしばしばなのです。疲れている時はそれほどでもないのですが……ですから、大きく離れて寝ていただいた方がよろしいかと……」

 それは2ヤードじゃ足りないってこと?

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