#9:第7日 (15) 深夜の乾杯

裁定者アービターにゲートの場所を訊いて」

 マルーシャに促されて口を開く。できる限り、不機嫌にならないよう努力した。

「ヘイ、ビッティー、俺に案内されたゲートはラビリンス跡地だったはずだが、変わることがあるのか?」

「はい、ゲートのオープンをお知らせして以降に、ターゲットを一時的にでも獲得していれば、獲得者のためのゲートを使用することもできます。先ほど、あなたがターゲットを獲得したことを観測しましたので、ゲートとして“終着駅跡地”を使用できます」

「それがもしかして、ここか」

「はい」

 博覧会EXPOの客の輸送に“エクスポ・エクスプレス”という鉄道が作られた。もちろん地図にも載っていた。始発駅は対岸のシテ・ドゥ・アーヴルで、終着駅はラ・ロンド。つまり、目の前に見えている遊園地のエントランスの、2階が駅舎になっていたのだ。

 今はその鉄道は廃止されているし、駅もない。2階へ上がれば痕跡くらいは見られるのだろうが、鉄道ファンしか喜ばないだろう。

「どちらから退出してもいいのか」

「はい。ただ、ラビリンス跡地は判りにくい場所ですので、ここの方がお薦めです」

 ああ、そうだろうな。しかし、ゲートの判りやすさ、探しやすさってのがステージごとにばらつきが大きい気がするぞ。ステージのシナリオを書く奴の性格に依るんだろう。

「退出した後で、今回の評価を聞くのが怖いぜ、ビッティー」

「評価を上げるためには、ターゲットの獲得が必要です。まだ可能性は残されていますので、ベストを尽くして下さい」

「可能性だけで言えば、もう一人の競争者コンテスタントにもあるんじゃないのか」

「その可能性は既になくなっています」

 カウボーイ・ハットはもう退出したということか。賭けに負けたからターゲットを入手する気が失せたのか、それとも最初からやる気がなかったのか。

「せいぜい頑張るよ。お休み、ビッティー」

「通信を切断します」

「私からの質問も終了」

「ステージを再開します」

 黒幕が上がり、再び夜の広場にマルーシャと二人で立つ。ビッティーは、まだターゲット獲得の可能性が残っていると言っていた。それはもちろん、マルーシャからパスポートを奪うことを意味している。だが、そんなことをするつもりはない。

 ターゲットが何か、先に気付いて、手に入れたのはマルーシャだ。俺から強引に奪ったのではないから、俺も彼女から“強引に”奪うつもりはない。彼女が俺にパスポートを見せたのは、俺がそれを奪わないと信じてくれているからだ。その点については、俺と彼女の間で信頼関係がある。

 なおかつ、俺は“帝国騎士”だからな。淑女レディーの信頼は絶対に裏切らないんだよ。カウボーイ・ハットが諦めた事情は全く知らんがね。

「まだ判らないことがいくつかある。訊いてもいいか」

「ええ。ベンチに座って。あなたとの約束がもう一つ残ってるし、まだ時間はあるわ」

「約束? 何のことだ?」

「食事の約束」

 言いながら彼女はベンチに座り、傍らに置いてあった箱を開け始めた。いやいやいや、違うって。今夜、俺と食事の約束をしたのは“君”じゃないだろ!

「食事の間だけマーゴに戻るってのか?」

「あなたがそう望むのなら」

 ベンチの上に“食事”を並べる手を止めて、マルーシャが俺を見上げる。その冷静な視線からは、彼女の心の内は読み取れない。マーゴの視線はもっと嬉しそうだった。俺と会うことを、本当に楽しんでくれているようだった。俺のことを、愛してくれている気さえした!

 その全てが、マルーシャの演技だったというのだろうか。彼女自身と、全く異なる人格を作り上げる能力を持っているのだろうか。目の前にいる彼女と、舞台ステージ上の彼女の人格も大きく異なっているが、その二人とも全くかけ離れたもう一人の人格を、しかも俺が好感を持ちそうな人格を……

「いや、やめておこう。あのマーゴは君が作り出した架空の人格だ。そんな女を今さら呼び出しても、嬉しかないね。それよりも、君のことを少しでも知る方が、今後のステージのためになるってものさ」

「そう、解ったわ。でも、私が演じたマーゴは、本物の彼女の振る舞いをかなり忠実に再現できたと思っているけれど」

 そういうことを言われると少しは興味が湧くが、本物のマーゴがあれほど俺に興味を持つとは限らないんだから、いずれにしろあのマーゴは架空の存在だ。もっとも、マルーシャはマーゴが俺の重要なキー・パーソンであることに気付いていて、俺が彼女から情報を得るのを阻止した埋め合わせに、こうして食事の約束を守ろうとしているのかもしれない。

 その食事は、まるで機内食のようにコンパクトなトレイに収まっていた。前菜、サラダ、メイン・ディッシュと一通り揃っているように見える。きっとデザートも用意しているだろう。箱をテーブル代わりしてトレイを載せ、次に彼女はグラスを取り出してきた。一つを俺に差し出す。受け取って、ベンチに座った。

 間にトレイを挟んだ、これくらいの距離が、彼女と一緒にいるのに一番適している気がする。更に彼女がボトルを取り出して、俺の差し出したグラスにオレンジ色の液体を注いだ。オレンジ・ジュースではない気がするが、まあいい。彼女は自分のグラスにもそれを注ぐと、俺の方を見た。

乾杯するシャル・ウィ・メイク・ア・トースト?」

「じゃあ、君を見ていることにヒアズ・ルッキング・アット・ユー・キッド

 せいぜい頑張っていい台詞を言ったつもりだったが、彼女からの反応は特になかった。少し、グラスを持ち上げてから口を付ける。コアントロー・オレンジだった。カクテルを瓶に詰めてきたのか。

「結局、君はカウンティング・チームを相手にイカサマをしたのか、してないのか」

 ワテレ主任は、マーゴはイカサマをしていないと言っていたが、マーゴの正体がマルーシャだったのなら、何かをやったと思われる。どうやったのかは判らないが、プレイヤー側に不利なカードが配られるようにしたのではないか。

「もちろん、したわ」

 やはり。しかし、ディーラーができるのはCSMからカードを取り出して順番に配るだけのはずで、それならいったい何をどうしたというのか。

「カードを配る順番を操作したとでも?」

「そうよ」

 カードを配るときの有名なイカサマは、デッキの一番上のカードを配ると見せかけて、その下のカードを配るというものだ。しかしそれには、シャッフルの時点で仕込みが必要。全てのカードをバラバラに混ぜたように見せかけて、実際は一部のカードだけ混ぜずに、自分の方に有利なカードが、そして相手の方に不利なカードが配られるようにする。

 しかし、カジノではCSMを使うので、シャッフルでのイカサマはできない。なおかつ、ブラックジャックはプレイヤー側にヒットとスタンドを決める権利があって、あらかじめカードの順番を決めておくことができない。CSMからカードを取り出すときにイカサマをするとしても、一番上のカードは裏の模様を憶えるなりして解るとして、その下のカードが何なのかを知ることはできないはずだ。

「どうやって?」

「CSMは完全にランダムにシャッフルするわけじゃないわ。数は多いけれど、パターンがあるの。だから、入れたときのカードの順番を憶えておけば、シャッフル後に出て来た最初の何枚かを見るだけで、並び順が解る」

 理論的にはそうだが、言うほど簡単なことじゃないだろ! シャッフルのパターンなんて膨大な数のはずだし、カードの並びだって、ここのブラックジャックは6デッキを同時に使ってたのに、それを憶えるって? どれだけすごい記憶力なんだよ。カウンティング・チームの天才女ですら、及びも付かないだろ。

 全く、マルーシャについては驚くことばかりだが、この他にどんな能力を秘めているのやら。それにそんな優秀な人間が、どうしてこんな仮想世界に囚われている? そしてどうして俺なんかをライヴァルのように扱っている?

「じゃあ、出て来るカードの順番を知っているから、配る瞬間に次のカードと入れ替えたりして、自分に都合のいいようにしたってのか」

「そうよ」

 マルーシャは前菜のカナッペを食べ終わって、俺の顔を見ている。早く食べてと言いたいのかもしれない。

「俺の時もそうだったのか。俺が、最初に君のテーブルへ行った時にも」

「いいえ、あなたには何もしなかったわ。あなたもカードの順番を知っているのだと思っていたけれど、そうじゃなかったのね」

 知るわけないだろ。どうして彼女は俺のことをそんなに買い被っているんだ。

「ルーレットも?」

「もちろん」

「じゃあ、カウボーイ・ハットとのポーカー勝負は」

「最後のゲームで一度だけカードを交換したけれど、いけなかったかしら」

 やはりか。プロのギャンブラーを相手に、あれほどうまく勝てるわけがないと思っていた。

 カナッペを一つ、口に放り込む。クラッカーの上にクリーム・チーズとスモークト・サーモンとキャビアを載せたものだ。こんな場所で食べるにしては贅沢だな。うまいんだが、味を表現するための語彙が乏しくて、どう表現していいのか判らない。塩気がちょうどいいとか、それくらい?

「そんなに俺を勝たせたかった? 奴をカジノから追い払うためか」

「いいえ、私がカードを入れ替えなくてもあなたは勝っていたわ。ただ、ハートの5よりも10の方が、手役ハンドとして綺麗だと思ったから」

 最後のゲームの俺の手役ハンドは、確かストレート・フラッシュだった、ハートの6から10まで。その10が、本当は5だったので入れ替えたって? 綺麗だから!? 何が? ハートの数が多いから!?

「それ以外、君は本当に何もしなかったんだな?」

「もちろん。だって、私があなたを勝たせる理由がないわ」

 それはそうなんだが、彼女の言葉を額面どおりフェイス・ヴァリューに受け取れないのはなぜなんだろう。俺が疑り深すぎるからなのかね。

 カナッペを、もう一つ口に放り込む。こちらはクラッカーの上にソテーしたフォワグラとスライスしたトリュフが載っていた。初めて食べたので、うまいかまずいかすら表現できない。マルーシャが小さな皿にサラダを取り分ける。

「俺がカウンティングをしていると間違われたのにも、関わってないのか」

「あれはハロルドだと思うわ」

 確かに、俺もそうじゃないかと思っていたが、確証がないんだな。フォークで、サラダの皿のレタスを突き刺す。

「奴はずいぶんとカジノ内に協力者を作ったんだろうな」

「ええ、本来ならカジノにとって彼は敵のはずだけれど、イカサマを見抜く協力者としてなら、信頼するスタッフもいたでしょうね」

 俺はコレットから同じような仕事を正式に依頼されたが、奴はカジノ内の誰かから非公式に依頼されたのだろう。もしかしたら、ローラン主任かもしれない。

 もちろん、その部下も協力者だろう。俺を陥れようとしたスタッフもいるくらいだから、奴のことを個人的に崇拝あるいは狂信している者もいたんだろう。マルーシャが言ったとおり、本来は敵のはずなのに!

 そして、味方のはずの俺を敵視した。狂信者というのは往々にしてそうなるものだ……

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