#9:第6日 (2) 3度目の警告

 しかし何の話をすればいいか思い付かず、ぐずぐずしてる間に今朝も時間切れだ。後はマーゴを更衣室まで送っていく間の数分しかない。ドギー・バッグをもらう時に例のメッセージが現れなかったのは幸いだった。そういえばその犯人も見つけなければならないんだった。

「ところで、マーゴ、君は今回以前にモントリオールへ来たことがある?」

「ええ、何度もあります。カジノの仕事ばかりですけれど」

「そうするとサンテレーヌ島へ遊びに行ったことはない?」

「お客様、何か落とされましたわ」

 店を出ようとした時に、ウェイトレスから声をかけられた。ウェイトレスは二つに折りたたんだ便箋を差し出している。まさか。嫌な予感しかしないが、受け取って開く。


  "Knight, this is your final warning. I'll never let you take her!"

  (ナイト、これが最終警告だ。彼女を連れて行かせはしない!)


「誰からこれを渡すように言われた?」

「いいえ、あなた方お二人のうちのどちらかから、これが落ちるのを見て、私は……」

 ウェイトレスに向かって少し強い口調で訊いてみたが、若くて純情そうなその女は、驚いて怯えた顔をするばかりだ。おまけに、少し離れたところに立っていたウェイターが寄ってきて、自分もどちらかが紙を落とすところを見たと言う。

 そんなことあるはずがないが、ウェイトレスもウェイターも何度か見かけたことがある顔で、真面目そうだし、誰かに買収されているとは考えにくい。「失礼した、心当たりがなかったので」と言って二人にチップを渡し、店を出る。マーゴまで怯えた顔をしている。エレヴェーターには乗らず、階段を降りながら少し話をしてみる。

「どうもよく解らない。このメッセージの主は、どこで俺たちの話を聞いてるんだろう」

「ええ、本当に。私たちの周りには、他のお客様は誰もいなかったはずですのに」

「マーゴ、申し訳ないが、君のバッグの中を見てくれないか。盗聴器が仕掛けられているかもしれない」

「盗聴器が? まあ!」

 マーゴはいつも小さなハンド・バッグを携えているが、驚いた表情でそれを開けると、中身を取り出していく。それを俺が受け取る。財布、スマートフォン、ハンカチ、口紅と化粧品の小さな瓶がいくつか。それだけだった。有能な女のバッグの中身はシンプルだという噂は本当だったな。

 財布の中身も確かめたが怪しいものは入っていない。スマートフォンも通話状態だった形跡はない。化粧品はどれも彼女が前から使っているものだとのこと。とすると、盗聴器はテーブルに仕掛けられていたということになるのだろうか。それにしても、メッセージの主はこれで3度目の警告を出しておきながら、姿を全く現さないのはなぜなのか。

「私にも解りません。一昨日も申し上げましたけれど、私のことをつけ回すような人には心当たりがなくて」

「さっきの質問の続きだが、サンテレーヌ島に遊びに行ったことはない?」

 この質問をしたときに、メッセージが出て来たのだった。

「いいえ、ありません。モントリオールでは観光したことが一度もないんです。美術館だけでも見に行きたいと思っているんですが……」

「今回も行く予定はなかった?」

「ええ、月曜日が休館ですから」

 なるほど、火曜から日曜まで雇われてたら、行くに行けないな。美術館のためだけに、余計に2泊するのも煩わしいだろうし。

「あの、今のご質問はどういう……」

「ああ、この辺りを観光しているときに、変な男に目を付けられた可能性もあるかと思ってね」

 しかし、おかしいな。彼女からサンテレーヌ島に関する情報、特にスチュワート博物館に関する何かを聞き出せると思っていたのだが、島に行ったことすらないとは。まさか彼女はキー・パーソンではないのだろうか? とにかく、今日も周りに気を付けることする、と彼女には告げて、更衣室まで送り届けた。

 それから警備詰所へ。マレー主任とブロンダン主任が俺を待ち構えていたが、昨夜は特におかしな出来事はなかったらしい。

「カメラの件で、館内のホットスポットに接続した機器を調べてみました。もちろん、アドレスから機器の種類が判るわけではありませんが、ほぼ全てがスマートフォン、タブレット、ラップトップのいずれかのものと思われます。接続数も、これまでの平均より大きく上回ることはありませんでした」

 マレー主任の報告に続いて「機器が十数個増えたくらいでは有意差も出ませんからな」とブロンダン主任が補足する。そうだろうと思う。

「館内にそういう機器類を充電できるところはある?」

「一般のお客様が? VIPルームにはあると思いますが、その他の場所にはなかったと思います」

「何か思い付いているのなら教えてもらえませんか」

 二人が口々に言う。特に、マレー主任は悲愴な表情に見えるが、恐らく地顔のせいだろう。コレットからの追及が激しくて辟易しているのかもしれない。

「例えばラップトップを持ち込んで、何台ものカメラと通信するとなると、電池が保たないんじゃないかと思ってね。しかし、充電池を大量に持ち込めばいいし、それでもさほど目立たないか」

「なるほど。今、思い付きましたが、カメラの通信は普通のスマートフォンよりも通信量が多いでしょうから、カウンティング・チームが来た時間帯のネットワーク通信量も調べてみる必要がありますな。接続数を調べたときに思い付けばよかったのに、迂闊でした。夕方までに調べておきます」

 確かに、解像度とフレーム・レートを落としても、音声よりは通信量が多いだろう。しかし、そこに何か工夫している可能性もある。例えば、カードの数字とスートだけを送信するとか。スポッターが手持ちの端末で画像処理してから送信すれば、ほんの数バイトだ。それを二人に言うと、解ったような解らないような顔をしている。

「とにかく、調べてみます」

「ところで、今日は部長ディレクトールは?」

「休みです。副部長のシャルル・ボワイエが代理です。しかし、緊急事態があれば飛んでくるそうです」

 緊急事態が起こらなくても、来てるんじゃないかという気がするね。解散して、詰所を出ると、なぜかミレーヌとカロリーヌが待ってた。カロリーヌはもちろん私服姿だ。

「アーティー副主任スー・シェフ、8時半にランスタンでお待ちしていますので」

「ああ、もちろん、憶えてるよ。わざわざリマインドに来てくれたのか」

「はい、それもありますが、カロリーヌが少しでも早くアーティー副主任スー・シェフの顔を見たいと言うので」

きゃあオーララ! ミレーヌ、言わないでって言ったのに!」

 ミレーヌはカロリーヌの余計な世話ばかり焼いている。兄か姉が欲しいと言っていたが、カロリーヌのような妹も欲しかったのかもしれない。

「そうか、わざわざ顔を見に来てくれたのはありがたいな。君たちともだいぶ親しくなったし、これからはベクもしようか」

 そう言ってカロリーヌの両肩に手を添え、頬を合わせる。カロリーヌが「きゃああオーララ」を言いかけて息を止める。カロリーヌはそのまま固まってしまったが、ミレーヌは飛びつくようにベクしてきた。どうせ後でエヴィーとベクをするところを見られるんだから、今やっておく方がいい。

 感激する二人を残して、先にレストランへ向かう。エヴィーは着替えるのが早いから、8時半に約束していてもその15分前くらいには来るだろう。ランスタンに入り、ウェイトレスに頼んで朝と同じテーブルへ案内してもらう。ウェイトレスが行ってしまってからテーブルの下や椅子、周りのテーブルまで調べたが、盗聴器はなかった。それでいてマーゴとの会話が聞かれているんだから、いったいどういうことだろう。

 しばらくして、エヴィーが眠そうな笑顔でやって来た。ベクをしているところに、ミレーヌとカロリーヌも来た。エヴィーはコーヒーとベーグル・サンドウィッチ、俺と二人はオレンジ・ジュースを頼んだ。

「ところで、どうしてこの二人と親しいの?」

 エヴィーが欠伸をかみ殺しながら訊いてくる。二人と相部屋であることは言っていないので、ごまかさなければならない。おしゃべりミレーヌもさすがにそれはバラさなかった。夜勤の報告を聞くための担当、ということにしておく。「シュールはどうも近寄りがたくて」と言うとエヴィーは笑っていた。

 それから昨夜の賭場の様子を訊く。もちろん、何もなかったのは判っているのだが、ディーラー視点では何か変わったことがあったかもしれないからだ。

「金曜の夜の続きだから、いつもどおりお客様が多くて忙しかったわ。でも、トラブルは少なくて、わりと静かな感じね。カウンティングをしている人もいなかったし。そうそう、2時くらいまではF1ドライヴァーが何人か残っていて、予選があるのに大丈夫かしらって話題になってたわ。それにしても、いつもよりカウンティングを警戒してるせいか、みんな疲れてた感じね。私も、明勤初日は眠くて困るんだけど、今日はいつも以上に眠気がひどくって」

 エヴィーがまた小さな欠伸をする。ミレーヌとカロリーヌも「そうですね」「解ります」と口々に同意する。今朝はやけにおとなしい。

 焼きたてベーグルが早速運ばれてきて、エヴィーが豪快にかぶりつく。クリーム・チーズとスモークト・サーモンがはさまれていて量感たっぷりヘヴィーだ。ミレーヌが羨ましそうな顔で見ている。ディーラーと違って夜勤の警備員は詰所に軽い夜食が用意されているので、腹は減っていないはずだが、たぶんミレーヌが食いしん坊なだけだろうと思う。そのミレーヌに昨夜の様子を訊く。

「私も、特に変わったことには気付きませんでした。ただ、お客様から話しかけられることが多かったように思います。マルーシャのコンサートをご覧になった後のお客様だと思うんですが、どういうわけか警備員にそのことを話す方が多くて……」

「ああ、その話、私も夜勤の人たちから聞いたわ。ディーラーも、何人か話しかけられたみたい。でも、全く知らないことだから答えようがないって、困ってたわ」

「カロリーヌ、君はコンサートのことは?」

「あるのは知ってましたが、評判までは……」

 バンケット部門の知り合いに聞いておいてくれ、と言っておいて話を続ける。

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