#9:第5日 (7) オール・イン!

「あと5分です」

 マーゴがこの上なく優しい声で告げた。何、どうしてそんなに時間が経ってるんだ。まだ7ゲームしかやってないんだぞ。俺はほとんど考えずにやっていたのに、奴が考え込んでいたのか? もっとさくさくとニンブルやってりゃあ、20分もかからないだろうに。しかし、あと5分しかマーゴの笑顔を見ていられないのか。残念だな。

「俺がSBだったか?」

「はい」

「じゃあ、500ドルだ」

 周りがどよめく。だから、いちいちうるさいって。奴がチップを置いた気配がしたと思ったら、マーゴは俺の目を見つめたまま手を動かし始めた。手だけでなく、胸も揺らしているのだが、そちらの方は俺は見ていないことになっている。どうやら彼女は客を見なくてもカードを配れるという特技を持っているらしい。エクスパートだからな。

 手探りで$500をプリ・フリップ・ビットする。

「レイズだ」

 カウボーイ・ハットの声が聞こえる。しかし、マーゴの目を見ているので、奴がいくらレイズしたのか判らない。

「1500ドルです」

 彼女も俺の方を見つめたままなのに、どうしてレイズの額が判るんだろう。チップが動く音で判ったのかな。もちろんコールする。またマーゴの手が動き始める。どうやら彼女はカードを見なくても場に並べられるという特技を持っているらしい。ディーラーがカードを見る必要はないからな。フロップ・ビットは奴からだ。さっさとやってくれい。

「チェックだ」

「俺も」

 マーゴがターンを出す。君、わざと胸を揺らして、俺がそっちも見たくなるようにしてないか? いや俺も、どうして揺れてるのが判ったんだか。

「レイズだ」

「2000ドルです」

 君、不思議な女だな。奴のことを見てないのにどうして判るんだ? コールだ、コール。マーゴがリヴァーを出す。いや、さっきより胸、余計に揺らしたろ? それとも、遠くにカードを置いたから、たまたまそうなったって言い訳するつもり?

「レイズ! オール・イン!」

 カウボーイ・ハットが凄みの利いた声で宣言する。何を気取ってんだ。映画俳優かよ。

「オール・インって何だ?」

「全額を出すことです」

 こちらはマーゴと二人で恋愛映画の世界だからな。

「俺も同額持ってたんだっけ」

「はい」

「じゃあ、コールだ」

「ショーダウンだ!」

 いちいちうるさい奴だな。あと3分くらいマーゴと見つめ合いさせてくれてもいいのに。仕方なく、テーブルを見る。スペードの6、クラブの9、ハートの8、ハートの6、ハートの9。6が2枚に9が2枚か。コミュニティー・カードだけでツー・ペアとはね。フルハウスになりやすそうだなあ。6か9を持っている確率だから、47分の4か。まてよ、8を2枚持っている確率もあるな。6を47×46で割った値だ。すぐには計算できないな。

「俺からショーダウンだったか?」

「あら、いいえ、ミスター・ハロルドがオール・インを宣言されましたから、彼からです」

 そこでようやく奴の方を見る。目を細めてこちらを見ながら、口元を微かに歪めている。自信があるのを無理に押し隠している、といった表情だ。勝ちを確信しているらしいが、俺が見ても判るようじゃあ、ポーカー・フェイスとは言えないんじゃないかな。

 奴は自分のカードをことさらにゆっくりとテーブルの中央に突き出し、2枚を重ねたまま表に返す。スペードの9が見えた。フルハウスか。そしてそれを厭味なほどゆっくりとずらす。ダイヤの9が出てきた。

「9のフォー・オヴ・ア・カインドです」

 マーゴが落ち着いた声で言う。ああ、そうか、そういう手役ハンドの可能性もあるんだった。いかんな、マーゴに見とれ過ぎて、すっかり頭が惚けていたようだ。周りの客がどよめき、拍手している。「さすがハロルド・ザ・スリム! 何と素晴らしい! まさにポーカーの天才だ!」と白髭男がのぼせたようにわめく声が聞こえた。才能なのかね、運だと思うけど。

「やあ、いい勝負だったな」

「あら、まだあなたのショーダウンが残ってますのに」

「君がオープンしてくれていいよ」

「あなたご自身でお願いします」

 面倒だな、このままマーゴと見つめ合っていたいんだけど。カードがあるとおぼしき辺りに手をやり、無造作にひっくり返して、マーゴの方に突き出す。

「何ができてる? それとも単なるツー・ペアかな」

「あら!」

 マーゴに視線を切られてしまった。しかし、テキサス・ホールデムってのは楽しいな。いや、このゲームじゃなくて、マーゴと見つめ合ってるのが楽しかったのか。他のプレイヤーなら、ずっとディーラーを見つめ続けてたら注意されたりするんだろうけど。

「ストレート・フラッシュですわ!」

 え、そんな可能性が。2枚ずつの6と9に目を取られて、スートを気にしてなかったな。6、8、9がハートで、俺のホール・カードがハートの7と10。なるほど、確かにストレート・フラッシュだ。ハードだらけだな。全部で40個か。隅の数字の下に書かれているのも合わせれば、全部で50個だぜ。まるでマーゴから俺への愛情の多さを表しているかのようだ。

 ん? そういえば賭け金はオール・インだったはずだから、これで勝負は終わり? 奴を見ると、無言で席を立ち、俺に目も合わせずにテーブルを離れてしまった。取り巻きが後を追う。おいおい、十数人はいるぞ、あんなに多かったのか。

「ハロルド、どうかお気にならさんで下さい。奴の勝ちは、あんなのはまぐれですよ。しかし、素晴らしい勝負だった。あのフォー・オヴ・ア・カインド! やはりあなたは真のギャンブラーだ。今の勝負を見られただけでも、あなたに賭けた価値が……」

 白髭男が奴の後にくっついて歩きながら、気休めの言葉をかけている。うん、確かに俺の勝ちはまぐれだけど、「負けたがいい勝負だった」なんてのはギャンブラーを侮辱してると言ってもいいんじゃないかなあ。

 マーゴの方に向き直ると、彼女も奴の姿を目で追っていたようだが、俺の視線に気付いたかのように顔をこちらへ向け、賞賛と尊敬に満ちた眼差しを送ってきた。この眼差しはいったい何百万ドルの価値があるだろう。

 そして拍手。誰だ。ああ、コレット、いたのか。周りに残っていた数人の客がつられて拍手する。まばらな拍手だなあ。みんな本当は俺が負けることを期待してたんじゃないのか。

「おめでとうございます、アーティー、素晴らしい勝負でしたわ。ですが、どうしてホール・カードを見ずに勝負できたんです?」

 コレットが俺に握手を求めながら訊く。立ってその手を握り返しながら答える。

「ああ、それは簡単だ。勝とうと思わなかっただけさ」

まさかジュ・プラサンテ!? あなたの数理心理学は使わなかったのですか?」

「使わないよ。強いて言えば、アマチュアがおかしなことをしたら、プロは考えすぎて調子を崩すことに期待したというところかな。でも、うまく行ったのはたまたまだよ。もう1回やったら失敗すると思うね」

「そうですか。とにかく、興味深い勝負でしたわ。ハロルドはもうここにはいらっしゃらないかもしれませんね」

 たぶん、そうだろう。プロが“何もしない”アマチュアに惨敗したんだ。しかし、彼もそろそろターゲットに関する情報を集めた頃だろうから、それが理由で賭場に来なくなる、という可能性もあると思うけどね。

 このテーブルはいったん閉めます、というコレットの言葉で、周りの客が散開する。後に俺とマーゴが残された。マーゴは賞賛と尊敬に加えて驚嘆の表情を見せている。

「やあ、マーゴ、君が配ってくれたカードのおかげで勝てたよ。ありがとう」

「いいえ、私はただルールどおりにカードを配っただけで……あの、本当にあなたの理論はお使いにならなかったのですか?」

「使ってないよ。だって君も、俺が何もせずにただ君のことを見てたのを知ってるだろう?」

「まあ! そういえば、私ったら仕事中なのに、あなたに見とれてしまって……ハロルドには申し訳ないことをしたかもしれません」

「彼は君のことを見てた?」

「いいえ、気付きませんでした」

 そりゃ、普通はポーカーの勝負の最中は、対戦相手の表情を見るんであって、ディーラーのことは見ないよな。それにしても、今のマーゴの素っ気ない言い方。その前に申し訳ないと言ったのに、本当はそんなこと微塵も思ってなかったかのようだ。

「そういえば、チップのことを忘れてたな。君にプレゼントするよ」

「あら! でも、こんなにたくさんのチップを頂くことはできません。少しだけお待ちになって下さい。すぐに6000ドル分のチップに交換いたしますから」

 そしてチップをカウントし、ピンクの$5000チップを1枚と、イエローの$1000チップを1枚渡してくれた。6000ドルとは思えない陳腐さだなあ。

 そのうちのイエローのチップをマーゴに返す。彼女にはこれくらい渡しても当然だろう。遠慮して断ろうとする彼女の手を取り、チップを握らせる。ううむ、何と綺麗な手。滑らかな白い肌、細くて長い指、ほどよい長さに切った爪に、透明のマニキュア。思わず、しばらくの間握りしめてしまった。彼女も俺に手を握られて嬉しそうな顔をしているように見えなくもない。このまま1時間くらい握っていてもいいかな。

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