#9:第5日 (4) 謝礼と挑発

 他にすることがないので、賭場を見回る。昨夜、一緒に食事に行ったディーラーたちは一際笑顔が綺麗だが、二人ばかり足りない。もちろん、今日から休みに入っているからだ。

 客の顔ぶれは、昨日見たようなのもいるにはいるが、カウンティング・チームとして来た連中は見かけない。もっとも、彼らが昨日来たのは午後からだから、今日も午後にならないと判らない。

 そうすると早めに昼食を摂っておいた方がいいかと思い、11時半にレストランへ上がって、パヴィリオン67でサーモンの串焼きを注文した。オレンジ・ジュースを飲みながら料理を待っていると、不意に後ろから声をかけられた。

失礼しますエクスキューズ・ミー副主任スー・シェフ

 振り返ると、ロキサーヌが立っていた。ダーク・ブルーのダブルのスーツに、同色のミニ・スカート、丸首の白いインナー。リクルート活動中の学生に見えなくもない。

「やあ、ロキサーヌ。今日は休みだったのでは?」

「そうですが、あなたにお礼を言いに来ました」

 さて、礼とは何のことだろう。まあ座れよ、と言って隣に座らせる。背筋をピンと伸ばして座る姿が、ますますリクルート活動中を思わせる。

「それで、何の礼?」

「昨夜、あなたが私の手を褒めて下さったことに対する感謝についてです」

 言いたいことは判るけど、どうしてこういう堅い言い方になるかな。やっぱり英語が苦手なんだろうな。フランス語で話していいから、と言っておく。

「本当のことを言っただけだから、礼なんていらないよ」

「でも、とても嬉しかったんです。両親や祖父母でも、私の手のことは、小さくて可愛い、と言うんです。私、それがとても嫌だったんですけど、褒めてくれてるから、ありがとう、嬉しい、って言うしかなくて」

 そういうのは確かにコンプレックスには違いないが、いつからそうやって両親だの祖父母だのに気を遣ってたんだろうな。

「長い指が羨ましいのかもしれないが、小さくて可愛いというのも褒め言葉には違いないから、あまり気にしない方がいいな」

「はい、これからそうします」

「ところで、せっかく来てくれたことだし、昨日のカウンティング・チームについて、何か追加で思い出せることはないか?」

 ちょうど料理が運ばれてきた。ロキサーヌにも勧めたが、ついさっきブランチを食べてきたところだからお腹が空いてない、という答え。昨夜は食事会から帰った後、居眠りしてしまい、夜中に目が冴えて明け方ようやく寝たので、起きるのが遅くなったという。

「髭の若い男がかけていたサングラスの形を憶えてないか?」

 俺が訊くとロキサーヌが頭を捻る。

「ええと、真っ黒で……レンズも縁も、とにかく真っ黒でした。縁はプラスティックの太いものだったと思います。あまりかっこいい形とは思いませんでした。その方にも似合っていなくて、映画か何かで俳優がかけていたものを真似しているのかと思いました」

 似合っていないとはなかなか厳しい評価だな。しかし、そのせいで記憶に残ったのだろう。

「中年の男は眼鏡をかけてなかったんだな?」

「はい、かけていませんでした」

「じゃあ、何か別の特徴は」

「よく憶えてません……お客様がカウンティングしていると、カードの方に集中してしまうので……」

 ヴィデオでは胸ポケットに眼鏡ケースらしき物を入れていた。癖なども、彼女に訊かなくてもヴィデオを見れば判ることなのだが、今は見返している時間がない。本来はサーヴェイランス・チームがやるべき作業だと思うので、もしかしたらマレー主任が指示して解析済みかもしれない。

「そうか。まあ、憶えてないものは仕方ない。だが、もし何か思い出したら、後でもいいから教えてくれ」

「判りました。申し訳ありません、お役に立てず……」

「なあに、君が役に立つのはこれからだよ。次の出勤日も頑張ってくれ」

 ありがとうございます、というロキサーヌの感激の声を聞きながら考える。彼女と一緒なら、コスモ橋を渡れるだろうか。彼女もキー・パーソンの一人には違いないだろうし、今日は休みだから、今から外へ連れ出しても問題ない。

 しかし、信頼度が低いと条件を満たせない可能性がある。彼女とはまだほんの少ししか話をしていない。わざわざ俺に会いに来てくれたということは、ある程度の信頼は得ていると思うが、条件を満たすのに十分かというと疑問の余地がある。

 ただ、もし彼女と一緒に橋まで行ったとして、彼女だけが渡れて、俺は渡れないなんていうことになると、あまりよろしくない状況に陥る。

「あの、副主任スー・シェフ、どうされましたか?」

「ああ、ちょっと考え事をね。ところで、君は子供の頃に、このノートル・ダム島や、隣のサンテレーヌ島へ遊びに来たことは?」

 カロリーヌとミレーヌの話から、この島の思い出が何か関係していると思われるので、尋ねてみる。

「ありません。来る予定が一度だけあったのですが、私が病気になったので、取りやめになってしまいました」

「ここから遠かったのか」

「はい、ケベック・シティーの近くのサン・レーモンという町に住んでいました」

 思い出がないのでは仕方ない。はずれだったか。その後、少し雑談をしてから、賭場に戻った。ロキサーヌは控え室で他のディーラーと話してから帰ると言っていた。

 まず、カティーがいるブラックジャックのテーブルへ行く。カウンティングをしている奴がいるか、携帯端末ガジェットで訊いてみたが、すぐに"NON"の返事が来た。テーブルに座っている客を見ると、女が多い。7人中5人だが、団体客かもしれない。年齢層が高い。そのせいか、進行も遅い。

 またカティーからメッセージが来た。「ハロルドが後ろに」。そっと振り返ると、確かにカウボーイ・ハットの男がいる。何人かの客に囲まれて、話をしているようだ。彼も一応有名人だからな。いつもながらの気取った顔をしているが、褒められてもあんな感じなのだろう。そして話をしながら数人でどこかへ行ってしまった。

 テーブルの様子を見て、席が空きそうならやってみようかと思ったが、年増女性たちが居座ったままだ。カティーに目で合図して、別のテーブルへ行く。が、15分ほどしたらメッセージが入った。テーブル・マネージャーからだ。

「ポーカー・テーブルナンバー4に来られたし」

 て、どうして俺がそんなところに呼ばれるのだろう。テーブルに行って驚いた。何だ、ディーラーはマーゴじゃないか。俺を見て嬉しそうな顔をしている。彼女が俺を呼んだのか? まさか。そして何とカウボーイ・ハットが座っている。彼が俺を呼んだのか?

「お前がアーティー・ナイトか?」

「そうだ」

 カウボーイ・ハットが声をかけてきたので答える。“ミスター”も付けず、横柄な言葉遣いだ。

「これはお前が書いたのか?」

 奴が1枚の便箋を開いて俺に見せてきた。遠いが、文字が大きいので何と書いているかは読める。


  "Hey Harold! Play a heads-up against Artie Knight!"

  (おい、ハロルド! アーティー・ナイトと一対一で勝負しろ!)


「知らんね。ところであんた、誰?」

 どこかで見たことがある筆跡だ。火曜日に、俺をブラックジャックのテーブルへ呼び出したメモの文字に似ている。あのメモのおかげでマーゴと知り合いになれたので、悪人が書いたものではないと思いたいが。

「何と失礼な男だ! かの有名なハロルド・ザ・スリムに向かって……」

 奴の近くに立っていた、ハゲで白髭の男が何やら力んでいる。こっちに名前を訊いておきながら、自分が名乗らないから訊いただけなんだがね。

「そのとおり、俺はハロルドだ。もう一度訊くが、これは本当にお前が書いたものじゃないんだな?」

「さっき答えたとおりだ」

「そうか」

 カウボーイ・ハットは気に入らなさそうに呟くと、便箋を四つに破り、どうするのかと思ったら隣にいた痩せぎすの若い男に押し付けた。男は受け取り損ねて床に落としてしまい、慌てて拾い上げている。

「なら、これ以上お前に用はない」

「それだけじゃあ、こっちも引き下がれないな」

 テーブルの方に向き直りかけたカウボーイ・ハットが、俺の一言でまた振り向いた。ところで、彼は何歳くらいなのだろう。顔つきは若いが、“ザ・スリム”という割に腹が出てきているので、もう40歳近いんじゃないかという気がする。

「どうしろと言うんだ?」

「『わざわざ来てもらって済まなかったソーリー・フォー・トラブリング・ユー』くらいは言ってもらおうか」

 奴が鼻で笑い、ハゲで白髭の男が「何と失礼な男だ! かの有名なハロルド・ザ・スリムに向かって……」とさっきと同じように力んでいる。

「俺が間違ったわけじゃないのに、なぜ謝る必要がある? 謝ってもらいたければ、メッセージの主を探せよ」

 そして、困ったことだというように両手を広げ、テーブルの方へ向き直りながら、聞こえよがしに呟いた。

「俺の方こそ、勝負をつまらないことで邪魔されて、そいつに謝って欲しいくらいだ」

 なるほど、彼はフランス系カナダ人同様、謝罪しないわけだ。勝負師ってのは謝罪するのは負けだとでも思ってるのかねえ。

「あら、何かトラブルでもありましたの、アーティー?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る