#9:第4日 (12) 夜の挨拶
テーブルを横から見る位置に立って、カウンティング・チームを観察する。男の方は顔が長くて、額が抜け上がっていて、黄色い大きなサングラスをかけている。上着はアロハ・シャツのように派手な絵柄だ。ドレス・コードぎりぎりだろう。わざわざそんなに目立つ服を着なくても、という気がする。
カウンティングをしているかどうか、俺には判らない。ディーラーはカジノ随一のエクスパートのシュールだから、後で訊いてみればいいだろう。
女の方は、金髪を横に分けて、目が細くて、口が大きいが、まあ美人といえば美人の方だ。黒い
シュールも見てみたが、俺のことに気付いても笑顔を見せない。昨夜の食事会で見た笑顔も作ったようなものだったから、どうでもいい。
他のテーブルも回ってみる。10チーム目がいるテーブルを後回しにして、その他の全てのブラックジャック・テーブルを巡る。今日から夜勤に入っているディーラーもいるが、俺の顔を見ると例外なく微笑んでくれる。昨日も見たディーラーの中には、軽くウインクしてくれるのもいる。
そして問題の10チーム目がいるテーブルに来た。男が一人、ドレス・アップした若い女たちを後ろに従えて座っている。これが件のF1ドライヴァーだろう。後ろに立っているのはカウンティング・チームの4人組のうちの二人、そして男の両隣に座ってゲームをしているのが残りの二人だ。
後ろ姿を見る限り、4人とも美人なので、テーブルが一際華やかだ。勝負に徹したい客は他のテーブルに移ってしまっているに違いない。
テーブルの横に回って眺める。F1ドライヴァーはさておいて、4人組を観察する。後ろからの見立ては多少修正が必要であることが判った。きらびやかなドレスのせいで過大評価してしまったようだ。ディーラーたちと同レヴェルの美人と言えるのは一人だけで、他の3人はそれほどでもない。
手前から、ブルネットのショート・ヘアで頬がこけた女、薄い金髪を肩まで伸ばした美形の女、長くてカールした濃い金髪を肩甲骨の辺りまで伸ばした顔の長い女、そして先の縮れた黒髪を肩まで伸ばした目の離れた女。若く見えたのもおそらくはドレスのせいで、俺と同年代かそれ以上だろう。化粧の濃さでそう思うだけだが。
ゲームをしている二人は、「ヒットした方がいいかしら」などとF1ドライヴァーに相談しているが、本当はカウンティングをしているらしいから、あれは演技なのだろう。F1ドライヴァーからチップを分けてもらったりもしている。彼も運を貯めに来たのかな。彼女たちに吸い取られてしまわなければいいが。
ディーラーは昨日ベクをしただけのディアヌだが、俺に笑顔を見せるほどの余裕がある。見ているうちに、
「就寝時間と起床時間の相談というのは?」
「はい、あの、私、夜勤の初日は、12時頃に眠くなるので、少しだけ仮眠することにしてるんです。それから、明け方にも仮眠します。アーティー
2回も仮眠に来るとは思ってなかったな。そういえば君、一度寝たら起きないとか言ってなかったか? それなのに二度も仮眠して大丈夫なんだろうか。
「今夜は11時頃に寝る予定だが、寝入りばなにごそごそされても気になるんで、その時間に君も仮眠に来たらどうだ。それから、朝は5時半に起きるつもりだから、君もそれに合わせればいい。カロリーヌもそうしていたよ」
「了解しました!」
笑顔のミレーヌを後に残し、4階へ上がる。コンサート直後で興奮冷めやらぬ客がたむろするエレヴェーター・ホールを抜け、楽屋を探す。どうせ
廊下に沿って楽屋がたくさんあるが、ドアの前に誰かいるに違いない、と思っていたらフロア・マネージャーがいた。俺の顔を見てなぜか頷く。
「マルーシャ様がお待ちです」
そりゃそうだろうよ。いちいち言ってもらう必要もない。フロア・マネージャーがノックをしてドアを開ける。俺が入ると、フロア・マネージャーまで入ってこようとしたので、目で追い払う。
ディーラーの控え室を一回り広くしたような部屋で、立派な応接セットもあれば、打ち合わせ用と思われる大きめのテーブルと椅子もある。そのテーブルには花束や差し入れの箱が山と積まれていて、そこにマルーシャが、ちょうどこちらを向いて座っていた。グリルド・サンドウィッチを食べている。やはりという感じだが。
それにしても、オペラ・グローヴを着けたままとは、よほど腹が減ってたんだな。
「やあ。食事中に邪魔して申し訳ないな」
「
素っ気ない言い方が、何となくビッティーを思わせる。君、俺が好きな口調をどうして知ってるんだ。
コンサートが終わったばかりなので、もちろん彼女はステージ衣装のままで、化粧も濃い。いつもは素顔に近い彼女しか見たことがないが、ステージ用の装いもそれはそれでため息が出そうになるほどの美しさだ。彼女は何種類の美しさを持っているんだろう。
何となく近付き難く、楽屋の入口近くに立ったまま話す。
「気にしなくていい。ところで、ステージが始まってから今まで、どこでどうしてた?」
「色々なところで、ターゲットの調査」
そりゃ、知ってるけどね。
「目星は付いた?」
「まだ何とも言えないわ」
「今回、ここでコンサートをする必然性は?」
「ターゲットの調査に関係があると思ってもらっていいわ」
彼女は俺の目を見ながら話しているが、サンドウィッチを口に入れる瞬間だけ目を外す。口をもぐもぐと動かしているのに、それすらも美しく感じられるってのは、どういう造形の妙技なんだよ。
「この前からの約束は守ってくれるんだろうな。“暴力は振るわない”」
「もちろん」
「そういえばこの前トレドで会った時、君はヴァケイション中だったのか?」
「ええ」
「あの時、どうして俺をマドリッドへ連れ出した?」
「あの時、言ったとおりよ。あなたと一日一緒にいたかったの」
あの時の女神の如く麗しい視線が嘘のように、今は冷たい、いや、それ以前の彼女の視線に戻っている。あのせいで俺は正規のシナリオを回収できなくなったわけだが、その後彼女は密かに埋め合わせをしてくれたようだし、過去のことをぐだぐだ言っても仕方ないので、これ以上は追及しないでおく。
マルーシャはサンドウィッチを食べ終わると、テーブルに置いてあった箱を開けた。ケーキが出てきた。差し入れかな。
「今回もあの時のように優しくしてほしいんだがね」
「ひどい目に遭わせることは絶対にしないから、安心して。ターゲットを譲ることはないと思うけど」
今回はティーラが絡まないし、俺も別に譲ってもらおうとまでは思ってないけどね。
「盗聴器を仕掛けるようなこともしない?」
「疑わしいなら探してみて」
仕掛けない、とは言わなかったな。後で宿泊室を探してみよう。どうも誰かに入られた気がすると思っていたが、マルーシャだったのかもしれない。
さて、彼女の実在は確かめられたし、訊きたいことは一通り訊いたから、今夜はもう退散するか。
「君の方から俺に訊きたいことは?」
「ディーラーの中で誰が一番好み?」
何て質問しやがる。そんなの、マーゴに決まってるだろうが。俺はああいう、控え目で笑顔が綺麗な女が好みなんだよ。胸の大きさは関係ないんだ。
「そいつはご想像にお任せするよ。ディーラーは誰もかれも綺麗で優しいからね」
「マーゴには注意した方がいいと思うけど」
「何だと?」
まさか彼女がマーゴのことまで知っているとは。すると、まさか……
「あの警告状を書いたのは君か?」
「あれは私じゃないわ」
その答え方は、少なくとも俺が警告状を受け取ったのを知ってて、それを書いたのは自分じゃない、と言ってるんだよな。何だか、このステージ内で彼女が知らないことなんて何もないんじゃないかという気がしてきた。
「解った。だが、彼女は誰かに監視されているような気がすると言ってたから、その怪しい奴からは守ってやらなきゃあ」
「そうしてあげて」
「他には」
「特に何も」
「公演後の疲れてる時に邪魔して悪かったな」
「いいえ、あなたならいつでも歓迎するわ」
本当かね。それとも、俺をあしらうくらい
「じゃあ、
「
彼女のことだから、俺の夢に出てくるのも自由自在なんじゃないかという気がする。
宿泊室に戻り、棚の中からベッドのマットの下、シャワー室まで引っかき回す。だが、盗聴器はなかった。この部屋では特に重要な話をしているわけじゃないから、聞かれても実害はないと思うが、気分の問題だ。
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