#9:第4日 (6) 塔に登れば
協力するのはいいんだけど、塔に無断侵入は違法行為だと思うぜ。F1ドライヴァーがやっていいのかよ。泥棒である俺がそれを言うつもりもないけどさ。
「とりあえず、塔へ行ってみるか。たまたまツアーをやっていて、開いてるかもしれないからな」
「ありがとう。でも、時間は大丈夫? 今、まだ仕事中なんでしょう?」
俺を引っ張り出すつもりで来たくせに、一応心配はしてくれるんだな。解っているけど、来ずにはいられなかったって感じ?
「そうだな、一度賭場を見に行って……」
その前に、
「もしかして、他のドライヴァーも来てるのか?」
ジャンヌより有名なドライヴァーも大勢いるはずだが、俺もその名前を知っておいた方がいいかな。
「他の? ええ、たぶん。私のチーム・メイトも来てるはずだし、コース・ウォークが終わったら行くって言ってた人もいるわ」
じゃあ今、賭場へ行ったら、ドライヴァーが来てるのに気付いた客なんかがいて、かなりの騒ぎになってるだろうな。そういう騒ぎに隠れてカウンティング・チームが儲けようとしているかもしれないから、俺も行った方がいいとは思うのだが。
うん、思うのだが、ローラン主任はどうも俺を必要としていないようだから、邪魔者扱いされるかもしれないなあ。しかし、午前中もろくに見回りしなかったし、サボってばかりだと思われるのも癪だし、マーゴのことも心配なので、30分ほど見て行くことにする。もちろん、ジャンヌは待たせておく。待ち合わせ場所はコスモ橋の近くにした。
賭場を見てから――そのうち5分はマーゴを見ていたが――30分後に行ってみると、ジャンヌは帽子を被ってサングラスをかけ、案内所の前にある花壇の縁に座っていた。サンテレーヌ島には今日も一般の客がいるので、また変装しているらしい。しかし、あれで見つからないのが不思議だ。
コスモ橋にはパイロンが置いてあって、警備員もいた。しかし、クレデンシャルを見せたら通してくれた。警備員がジャンヌ・リシュリューに気付かないというのは、それはそれで問題があると思う。関係ない客をノートル・ダム島に入れなければいいだけってのは、おかしいよな。でも、気にしないでおくか。
とにかくサンテレーヌ島へ渡り、森の小道を通って、レヴィ塔に至る。もちろん、錠が掛けられている。ジャンヌからバッグを受け取り、「少し向こうへ行って、人が来ないか見張っていてくれ」と頼む。ピックで開けているところを見られるのはまずいからだが、ジャンヌはもちろんそんなことには気付かず、10ヤードほど向こうの小道のところへ行った。
その間にピックで南京錠を開ける。3秒もかからなかった。一度開けたので造作もない。しかし、簡単に開いたとジャンヌに気付かれたら怪しまれるので、まだ呼ばないでおく。
5分ほど経ち、ジャンヌが道よりもこちらの方ばかり気にし始めた頃を見計らって、手招きで呼ぶ。
「本当に開いたの!? すごいわ!」
「これだって立派な軽犯罪だぜ。他人には言わないでくれよ」
「もちろんよ。私だって共犯だもの。スーパー・ライセンスを取り上げられたら大変だし」
嬉しそうにしながらも、感心を隠しきれないといった目で俺を見ている。キー・パーソンの信頼が高まるのはいいことだけど、彼女からは何の情報が得られるんだか。赤い扉をゆっくりと開く。ジャンヌを先に入らせる。バッグから懐中電灯を取り出して、辺りを照らしている。用意がいいな。
「じゃあ、俺は下で見張ってるから、君は一人で上に……」
「
「だって、二人で登ってる間に万が一誰か来て、錠を閉めたら出られなくなるんだぜ」
「少しの間なら大丈夫よ! 塔が閉まってるのはみんな知ってるんだから、ほとんど誰も来ないの!」
何を力説してるんだ?
「もしかして、暗いところが怖いのか?」
「ウプス! そうよ! 悪かったわね! あと、高いところも怖いの! だからあなたが付いて来てくれないと屋上に登れないの!」
開き直ったか。しかし、閉所恐怖症で高所恐怖症なのに塔に登りたいって、君、何考えてるんだ?
「解ったよ。だが、扉だけは閉めておこう。錠が下りてなくても、ちょっと見ただけじゃあ気付かないだろう」
扉を閉めると中がいっそう暗くなる。だが、懐中電灯の光よりも、窓からの光の方が明るいくらいだ。怖がるジャンヌを先に立たせて、ゆっくりと階段を登る。ヒップ・ラインが素晴らしい。ちょうど螺旋を1周したところに扉があって、開けると屋上に出た。女を屋上に連れてくるのはこれで2回目だな。
「どこから見られてるか判らないから、あまり動き回るなよ」
「解ったわ」
屋上は周りに低い壁があって、一周できるようになっていた。真ん中が一段高くなっているが、これは半周したところに階段があって、そこから上がることができる。だが、そこに上がると確実に誰かに見られるに違いない。ジャンヌは上がろうとしなかった。
どこぞの王女のように驚喜することもなく、壁に隠れるようにしながら、淡々と周りの風景を見回している。そして2分もしないうちに「もう降りる」と言い出した。
「十分に風景を堪能した、という感じじゃないが、いいのか?」
塔の内側に戻って扉を閉めながら、ジャンヌに訊く。
「昔、父さんとここに来たことがあるの。7、8年前かしら」
ジャンヌは言いながら帽子を被り直した。屋上の風はさほどでもなかったが、吹き飛ばされないように帽子を押さえていたようだから、被り心地が悪くなったのだろう。
「その時と、同じ風景なのを確かめたかったの。同じだったわ。安心した。ありがとう」
俺は父親代わりか。そんなに老けて見えるのかねえ。
「他に島で何かしたいことはないのか」
階段を降りながら訊く。
「ないわ。プールは溺れかけたことがあるからいい思い出がないし、博物館は見に行ったけどほとんど何も憶えてないし、バイオスフィアは入ったことがないし。昨日の夜にも思い返してみたけど、何度も来たことがあると思ってる割に、特に楽しかったいくつかのことしか憶えてないんだなって」
「その中でレヴィ塔だけはまだ行ってなかったのか」
「そう。週末だけしか開いてないのは知ってたんだけど。でも、驚いたわ。あなた、本当に錠を開けちゃうんだもの」
「適当にいじってたら開いただけだ。運が良かったんだろうな」
「それでもいいわ。あなたがレースを見ていてくれたら、また運がいいことが起こるかもね」
「後の運は自分で掴むように頑張るって言ったのは君自身だぜ。あまり俺を頼りすぎない方がいいな」
一番下まで降りてきて、外に出ながら言った。ジャンヌが一つ、ため息を吐く。
「そう、そうね。でも、あなたが私の悩みを何でも解決してくれるんだもの。頼りたくなる気持ちも解って欲しいわ」
肥満になったのはファスト・フードを売る店のせいだという訴訟のような言い草だが、君の潜在意識を調整したクリエイターの責任だと言いたいな。
「これ以上悩みがあるなら、親友か恋人か家族にでも聞いてもらえよ。俺は心理カウンセラーじゃないんだから」
「心理カウンセラーみたいな、他人の方が話しやすいこともあるのよ。特に、今回みたいなのは……」
足音がしたのでジャンヌが黙る。若い男女がやって来た。
「やあ、さっき塔に登ってたのって、あんたたちかい? 今日は開いてないと思ったけど、開いてるのなら僕らも登ろうと思って」
米語だ。ここはフランス語圏だって解ってるはずなのに、合衆国民はこれだから。俺も他人のことは言えないけど。ジャンヌが俺の背後に隠れるように立つ。
「俺たちも、登ってる奴らが見えたんで来てみたんだが、開いてなかったよ。管理事務所が、点検にでも来てたんじゃないのかな」
「何だ、そうか。行こう、ジェニファー」
あっさりと立ち去ってしまった。南京錠はまだ俺のポケットの中にあったんだがな。それを取り出して、錠を掛け直す。
「君が屋上に登ったせいで、嘘までつかなきゃならなくなったぜ」
「私じゃなくて、あなたが見つかったんだわ。だって、私は壁の陰に隠れながら見てたのに、あなたは普通に歩いてたじゃないの。頭が出過ぎてたのよ」
ジャンヌがむっとした顔で言い返す。まあ、こういう言い訳の仕方がフランス系らしいな。
「工具をどこから持ち出してきたのか知らないけど、ちゃんと返しておいてくれよ」
「キャンパーのキッチンの調子が良くないって言って借りてきたのよ。修理してあげるって言われたけど、キャンパーは男子禁制って断ったわ。嘘をついたのはあなただけじゃないのよ」
俺をキャンパーに入れたのは例外中の例外って言いたいのかな。
「そういえば木曜日はキャンパーでパーティーをするって言ってなかったか?」
「そうよ。招待客には3時に来てって声をかけてるわ。今から戻ったらぴったりね」
今、2時半。ここからカジノまでは20分くらい、ピットまでなら30分はかかるだろう。3時に客を呼んでおいて、3時から準備をしてたんじゃ間に合わないだろ。けど、客は女だし、おしゃべりさせておけば待っててくれるか。
帰り道にはたくさんペアがいた。みんな手をつないだり腕を組んだりしている。離れて歩いているのは俺たちだけだった。恋人どうしでもないからどうでもいいことだ。
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