#8:第7日 (4) セシルのコーディネイト
ロビーへ降りてみたが、意外にひっそりしていた。ロンドを見に来た客も大勢泊まっていたと思うが、みんなもう場所取りに行ってしまったのだろう。王宮前広場をスタートして、R20道路をパレードのように1周してからラーケン王宮の方へ行くらしいので、その沿道で観戦するのに違いない。
中年婦人のコンシエルジュから“コミック・ストリップの壁”の地図を貰い、ロンドの話なども少ししてから、部屋に戻る。セシルはベッドの上でインドの仏像のように座って
このままベッド・ルームにいると、セシルが
さて、ゲートは“壁の頂上”と言っていた。ならば、絵が屋上まで描いてあるところだろう、と思ったのだが半分以上はそういう絵のようだ。
では、塔とか、階段とか、梯子とかのように、上まで登れそうな絵はどうか。そうなると、かなり数が絞れた。ただし、絵を登るわけにはいかないので、本当に建物の屋上に行けるかどうかは、実際に見に行く必要がある。
だが、候補と思われる3、4ヶ所の絵を調べても、これだな、と思われるのが一つもない。ゲートとして相応しいという感じがしないのだ。絵ではなくて、建物の方にゲートとして相応しいような特徴があるかもしれないから、やはり現物を見るしかないだろう。
どういう経路で見に行くかを考えてると、背後から密やかな足音が近付いてきた。いくら猫のように足音を忍ばせようとしても、身体は人間なのだから、気配で気付いてしまう。セシルが後ろから俺の首に腕を絡ませ、頬が付きそうなほど顔を寄せてきた。これじゃあ、まるで恋人どうしの休日の朝だ。甘酸っぱい香水の香りが微かにするが、これが俺の好みにぴったりなので困る。
「どう、何か判った?」
「候補だけはね。とにかく早く見に行きたいが」
「そんなに焦る必要ないわ。どこか判ったら、出るのに1時間はかからないもの」
「その代わり、出られなかったらターゲットを持っていても失格なんだぜ。君も一緒に考えてくれよ」
「大丈夫よ。今まで集めてきた情報の中に、必ずヒントが含まれてるんだから、頭を整理して考え直せば、きっと判るはず」
「じゃあ、そうしてみてくれ」
セシルの手に地図を押しつける。彼女はそれを受け取って、ようやく俺の首から腕を放したが、ソファーの前に回ってきて、シーツのドレスをふわりと翻しながらダンサーのように1回転すると、俺の横に座って、肩にもたれかかりながら地図を眺め始めた。
どうしていちいち俺にくっついてくるのか解らない。が、意外と真剣に考えているらしく、解説の一覧を丹念に読み込んでいる。
10分ほどすると、部屋のチャイムが鳴った。セシルの荷物が着いたのかもしれない。俺が出ようとすると、「いいえ、私が出るわ」とセシルが言って、地図を俺に押しつけてソファーを立った。
チェーンを掛けたままドアを少しだけ開き、外にいるのがペイジ・ガールだと解ると、どこから取り出したものだか、札を1枚、ペイジ・ガールに渡し、「ありがとう、ご苦労様」と言った。ペイジ・ガールが去って行くと、改めてチェーンを外し、ドアを開け、廊下に置いてあったスーツ・ケースを部屋の中に引っ張り込んだ。
でかいな。俺がメキシカン・リヴィエラ・クルーズの時に貸してもらったのより、一回りでかい。え、それが二つもあるのか?
「さあ、今から着替えるわ」
「どうぞ」
「あら、あなたもよ」
「俺も?」
「そんな服で、私と出かけるつもり?」
いつものポロ・シャツとデニム・ジーンズだが、なぜいけないのだろうか。
「だって、私と一緒に歩いていたら、あなたは私の恋人に思われるわよ。今日だって、私のことを知ってる人が、必ずいるわ。あなたがセンスのない服を着ていたら、あのセシル・クローデルも恋人の服装には無頓着で、まるでセンスがないんだな、なんて思われたら恥ずかしいじゃないの。あなたの持ってる服、見せて。選んであげる」
はあ、そうすると、俺が君の恋人に思われること自体については、問題ないということなのかな。逆に、恋人と間違われたくない、なんて言われるよりはいいや。
ベッド・ルームへ行き、スーツ・ケース――もちろん、メグからもらったやつだ――を開けて、デートに使えそうな服を取り出し、ベッドの上に並べていく。上下とも3、4着ずつあった。もちろん、まだ着ていない新品も含む。
「ふーん、オーソドックスだけど、意外にセンスがいい服を持ってるのね。見直したわ」
それは、いつもの服はセンスがないっていうことだよな。否定はしないけど。
「残念ながら、自分で選んだんじゃない。別のステージで、ある女性に選んでもらったんだ」
「あら、そうだったの。それは……」
セシルの表情が一瞬にして曇り、何か言いたそうだったが、途中で止めた。他の女の話を出してきたので、機嫌を損ねたかもしれない。とはいえ、隠すようなことでもない。セシルは腕を組み、右手だけを上に伸ばして、“シー”の時のように人差し指を唇の前に立てながら、じっと服を睨んでいる。
「じゃあ、これとこれにして」
選んだのはティール・グリーンの長袖シャツと、白いスラックスだった。シャツは新品だが、スラックスは一度穿いた気がする。
「解った」
「すぐに着替えて」
「ここで?」
「もちろん」
それは、セシルの見てる前で着替えろということだよな。女に着替えを見られて恥ずかしいと思うような歳でもないからいいけど。そういや、一昨日は逆に彼女の着替えを見たんだった。
ポロ・シャツを脱いで、長袖シャツに着替える。ジーンズを脱いで、スラックスに穿き替える。セシルは俺の上半身ばかりをずっと見ている。しかも笑顔で。
シャツの袖のボタンを留めようとすると、制止されて、袖口を折り返すように言われた。そういうものかね。セシルは上から下まで眺め回し、それから近寄ってきて、衿の形を直した。やってることがメグとさほど変わりない。
「いいわ、それで。私も着替えるから、リヴィング・ルームで待ってて」
「着替えを正視しててもいいんじゃなかったっけ」
「デートの前の着替えは別よ」
はあ、そういうものかね。そして、「10分以上は待たせないって約束するわ」という言葉を背中に受けながら、リヴィング・ルームへ行く。この世界には着替えの早い女が多くて助かる。俺の服を決めた時点で、自分が着る服も決めてあったんだろうな。髪型や化粧はどうするつもりだろう。それも込みで10分とは早過ぎるんじゃないか。
しかし宣言どおり、10分にあと5秒というところでセシルがベッド・ルームから出てきた。白い丸首の、恐らく
よく解らないが、これで俺の服とコーディネイトできているのだろうか。その心の内を見透かしたかのように、セシルがボレロの裾を開く。裏地がティール・グリーンだった。なるほど、そういうところを合わせるものなのか。
「行く順番を私が決めても構わないかしら?」
「いいとも」
「じゃあ、まずタンタンから。でも、その前に、ターゲットを回収しておいた方が良さそうね」
「任せる」
「本当は、私がターゲットを見つけてないんじゃないか、って思ってる?」
部屋を出ながらセシルが言う。表情が、以前の気だるい感じに戻っている。ただし、微妙に笑顔が混じったようにも見える。注意していないと気付かないくらいだ。
「とんでもない。見つけられたくなければ、もっと判りにくい場所に隠すし、色仕掛けで迫られたってヒントなんか言わないね」
「私、色仕掛けなんてしたかしら?」
「あの時はしてなかったと思うよ。セクシーではあったけど」
エレヴェーターに乗る。もちろん、セシルを先に乗せる。ドアが閉まると、壁にもたれながら、彼女が訊いてくる。
「全身黒ずくめがセクシーなの?」
「キャット・スーツが似合ってたって意味さ」
「どこで見たの?」
「市立博物館」
「そこだけ?」
「他は足音しか聞いてないな」
「あなたって、思ってた以上に私のこと知ってるみたいね」
エレヴェーターが1階に着いた。もちろん、セシルを先に降りさせる。
「そうでもない。昨夜の行き先が同じだったのは、きっと偶然だよ」
「そんなこと言って、私を手玉に取ってたじゃないの。ああ、ちょっと待ってて」
セシルは
それから、“アーティー・ナイト”のチェック・アウトを頼んでいる。もちろん、俺がすぐ横にいるので、
「荷物は部屋にまとめてあるから、預かっておいてちょうだい。今から出掛けるけど、後で取りに来るわ」
「かしこまりました、マドモワゼル」
二人で泊まったわけでもないのに、そんなこと頼んでいいのだろうか。この世界のホテルは俺たちに最大限の協力をしてくれるようだから、気にしないでおくか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます