#8:第4日 (5) 闇の中の閃光
「ふむ、おおむね同意する。俺の知っている天才の連中は、その三つの能力を備えていると思うな」
「そうか、そりゃ良かった。この考えは他の人にも話したことがあるけど、まだ何か他の条件があるんじゃないかって言う人ばっかりだったよ。例えば」
「ああ、他の条件はあるにはあるな。つまり、その条件があるかないかで、天才が二通りに分かれるんだ」
「二通り? 何のこと? そういうことを言った人は初めてだな」
「他人から理解される天才と、理解されない天才だ。自分の考えを、相手に解りやすく説明できる奴と、そうでない奴。昨日、お前も言ってたはずだ。解るように説明できないと、反論されるってな。どうやって説明しても理解できない残念な奴もいるにはいるが、相手を見て、そいつに一番解りやすい説明を選ぶことができれば、理解される天才になれるってことだ。つまり、伝達力だ。もっとも、これが意外に一番高度な能力なのかもしれんな。世の中には、理解されないまま死んで、後世になってやっと理解された天才ってのは枚挙にいとまがない」
ステファンはお手上げだとでも言わんばかりに両手を挙げた。そして手を下ろしながら言う。
「ああ! そうなんだよな、僕が今、一番やりたいと思ってるのもそこのところで、少なくともそれは努力しなきゃいけないと思ってるんだ。しゃべるのは苦手じゃないんだけど、他人に解らせるっていうか、解ってもらうのはどうしてこんなに難しいんだろうって感じててね。さっきの考えをちゃんと理解してもらえないのも、伝達力が全然足りてないんだろうな。ちゃんと段階を踏んで説明してるつもりなんだけどね」
「とりあえず、話をするときは、相手が理解できたか確認しながら進めるってのはどうだ。お前は階段が1段しかないと思ってても、相手は2段上がらなきゃならないとしたら、付いてくるのが遅れるだろ」
「それはそうだけど、それをやると話をするのにすごく時間がかかるなあ。僕の集中力が切れちゃうよ」
「だからこそ、簡潔な説明が必要なんだろ。ところで、天才論をやりに来たんじゃないはずだ。お前の失われた記憶を再現する手伝いをするんじゃなかったのか?」
「ああ! それだよそれ、そうだった。せっかく博物館まで行って、記憶を呼び起こしかけたのに。ええと、どうすればいいかな? そうだ、まずはあの時の状況を再現してみよう」
ステファンは部屋の戸口に行き、灯りを消した。建物の中央の吹き抜け越しに、反対側の部屋の灯りが見えているので、真っ暗にはならなかった。吹き抜けの窓には人の形や、服、帽子、靴などの形に切り抜いたステンシルが貼ってあって、その影が部屋の中まで届いている。廊下を歩いていてもファッションのことを考えていろというわけだ。
「この前は真っ暗だったんだけどな。かと言って、あっちの部屋の連中に灯りを消してくれって言うわけにもいかないし。まあ、いいや、とにかく再現してみよう。僕は夜の10時頃からこの部屋を真っ暗にして、ずっと考え事をしていた。時々、ノートを見ていたりもした。ええと」
ステファンは近くに置いていた鞄の中から、スケッチ・ブックを取り出してきた。それをノートと称しているらしい。というか、この時代でもデザイナーというのはタブレットを使ったりせず、紙に描いているのだろうか。俺の時代のフットボールのコーチでも、紙の上でXO
「ノートはなくしたばかりだったんで、これにはほとんど何も描いていなかった。今描いてあるのは今日思い出しながら描いた分で、でも、あの日に思い付いたことはまだ思い出せていないから描いていない。さて、考え事をしながら建物の中をうろうろしていたんだが、気を失う直前は、たぶんこのフロアを歩き回っていた。見てのとおり、吹き抜けに面して廊下があって、そこをどっち周りだったか忘れたけど、いや、たぶん時計回りも反時計回りもしたと思うけど、歩いていて……歩いていて? それからどうなった?」
「思い付くってのは頭の中に何かの
「ああ、そうか、そうなんだよ。頭の中を整理するために歩き回りたくなるんだけど、あの灯りって夜中に見ると意外に明るいから、落ち着かないんだよな。それで、部屋に戻った。そうだよ、部屋に戻ったんだ。それで、どうなったのか」
「部屋の中は暗闇だったのか?」
「そうだと思うよ」
「じゃあ、ノートはなぜ見えたんだ」
「ああ、そうか。でも、電灯は点いてなくても、部屋のあちこちに小さなLEDがたくさん点いてるから、それで見えたんじゃないかな」
ならばとドアを閉めてみる。しかし、ドアには磨りガラスの窓がはめ込まれていて、向かい側の部屋の灯りがうっすらと入ってくるので、部屋の中は暗闇にならない。身体で窓を隠してもダメ。部屋の中に掛かっていたカレンダーを持って来て、それで隠して、ようやく暗闇に近くなった。
確かにLEDがぽつぽつと光っているが、目が慣れてもスケッチ・ブックが見えるほどは明るくない。天井に付いている火災感知器の真下が一番明るかったが、ステファンはそこに座った憶えがないと言う。
「じゃあ、外側の窓のカーテンが開いていて、向かいの建物の灯りが入ってきたとか」
今はカーテンが閉まっているが、試しに開けてみると、建物に灯りが点いているのが見えた。
「でも、夜中の2時だよ? 商店でも民家でもきっと真っ暗だ」
「月も出ていなかったしな。じゃあ、やっぱり廊下側から光が入ってきてたんだ。非常口表示以外に灯りはなかったのか? 誰かに殴られたんなら、他の部屋に人かいて、その灯りがあったんじゃないのか」
「ああ、ああー、そうだ、隣の部屋に誰か残ってたと思う。隣は端末室でね。夜に端末を使う時は部屋の灯りを消して、ブースのライトだけ点ける人が多いんだ。その方が集中できるからね。だから、きっとその灯りが廊下に漏れてきて、窓に反射してたんじゃないかな」
試しに廊下に出て、隣の部屋を見る。ドアの窓はやはり磨りガラスだが、ドアを開けると端末の置いてあるブースが見えた。今は誰もいないが、ディスプレイ装置を使っていれば、その光が磨りガラスから漏れてくることは確かに考えられる。角度もぴったりだった。
「よし、これでノートがうっすらとでも見えた理由が判った。そしてこの部屋のドアは開いていたことも判った。部屋は真の暗闇じゃないけど、ほとんど真っ暗だった。僕はノートを見るのをやめて、目を閉じて考えた。頭の中にはノートの白い残像と、その前に見た博物館の服の白と黒がちらつく……」
「暗闇の中で何かを思い付くってのは、俺にはあまり経験がないな。暗闇でできるのは、精神統一くらいだよ。思い付くには何か刺激がないとダメだ」
「刺激? もう一度頭を殴られる? それで思い出せたらいいけど、また入院することになったらかなわないな」
「違うよ、殴られたのは思い付いた後だろう? そんなのを再現したって、思い出せるわけがない」
「ああ、そりゃそうだ。殴られて思い出せるのは、漫画の世界だけだよな。さて、そうなると、どんな刺激があったんだろうか。光の刺激がなかったとしたら、音か匂いくらいだ。音は……そうだ、ペンのキャップをはめたり外したりしていたから、その音が聞こえてたのは思い出したぞ。しかし、その程度じゃ思い付くはずがない。匂いは何もしなかった。うん? いや、待てよ、何かの匂いがした。思い付く前か後か判らないけど、確かに何かの匂いがした……」
「頭を殴られたら場所によっては、匂いを感じることもあるぞ。俺はタックルを受けたときに時々そうなる」
「そうか、脳内の嗅覚野が刺激されるんだね。視覚野が刺激されると光が見えたりもするしね。しかし、そうなるとまたよく解らなくなってきたぞ。音じゃない、匂いじゃない、もちろん味でもないとしたら、後は……」
「温度感覚だな」
「温度か。そういえばあの晩は寒かったなあ。そうだそうだ、すごく寒かったんだよ。ここ、冬の間は夜中でも暖房が入るんだけど、4月になると、12時以降は入らないんだよな。スイッチを入れても、5分で勝手に切れちゃうんだ。廊下を歩いて戻ってくる度にスイッチを入れて、それで凌いでたんだけど」
そうか、言われて俺も思い出したぞ。昨日の未明に、何があったのか。
「窓を叩くような音が聞こえなかったか?」
「窓を叩く? 誰が? 幽霊? まさか」
「
「雹かあ。うん、たまに降るね。確かに大きな音がしたはずだろうけど、気が付かなかったなあ。僕は集中してるときは大雨が降っても気付かないことが多いから」
「じゃあ、もっと大きな音なら? もし、雷が鳴ったとしたら」
「雷? ああ、そうか、雹が降る時には雷だって鳴るかもしれないよね。さて、雷なら……うん、さすがにそれは気付いたかもしれない。でも、雹が降って、雷が鳴ったのに、それを憶えてないってのもなあ」
「しかし、せっかく思い付いたデザインまで忘れたんだ。その直前の記憶までなくなったっておかしくない。雷が鳴った時に、その光が刺激になって、何かを思い付いたんじゃないのか?」
「ふん、それはあるかもしれないな。でも、光がチラチラしてるだけじゃあ、何が見えるってわけでもないと思うよ」
「窓にはあのとおりステンシルが貼ってある。その影が、何らかの形を作っていたとか」
「でも、あれは見慣れてるどころか、そろそろ見飽きてるんだけどな。最近新しいステンシルに変わったってのならまだしも」
「吹き抜けは三角形だ。雷の光はきっと乱反射するぞ。そして少しの時間差を置いて、色々な方向から光が来れば、影が思いもよらない形になっていることも考えられる。あるいは、影が動いているように見えるとか」
「影が動いて?」
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