#8:第3日 (5) 説明責任

「つまり、そのジャンプの仕方にも理論的裏付けが必要になる」

「そうなんだよ! いいデザインには理論と発想が大切。特に、発想の飛躍ジャンプが大切。でも、その飛躍ジャンプがなぜいいのか、説明が必要じゃないだろうか? 今までのものより、何が優れているのか? 何が新しいのか? 何を意味して、何を意図しているのか? 自分がいいと思った、というだけで、果たしていいのだろうか? 他人からなぜそれがいいのかを訊かれて、お前自身で良さを感じ取れとか、理解できない奴はセンスがないとかしか、答えられないとしたら、本当にそれでいいんだろうか? 説明できないのは、無責任じゃないだろうか? 数学者や物理学者は自らの理論を説明する責任がある。他人がその理論を否定しようと思ったら、何かを証明しなきゃならない。何だっけ?」

「反証可能性のことか」

「ああ、それそれ、確かそんな感じの言葉。つまり僕が言いたいのは、いいデザインにはそれを説明する論理的な理由が必要で、説明できないようでは他人からそのデザインを否定されても反論できないってこと。ただし、過去には存在しなかったデザインだというのを証明するのは難しいかもしれない。過去には数え切れないほどのデザインがあるから、どこかが似ていたりするものだ。それをどうやって防ぎきれるのか? デザインを考えるに至った過程や背景が全然違っていたとしても、一目見て似てたらそれは模倣に見られるからね。前の時代では受け容れられなかったけれども、今は違うんだとか、ファッションの流行には周期性があるんだとか、いくつか逃げ方はある。でも、もし過去の同じデザインを見つけてこられたら、素直に敗北を認めるしかないね。けど、それだって反証可能性があることの証明になってるし、なおさら過去のことを知っておく必要性にもなるよね。ただねえ、こうやって理論が大事だっていくら説明しても、理論を学習しすぎたら理論に囚われるんじゃないかって反論されるんだよね。全く新しいことを思い付いても、理論に合わないからダメだって捨てちゃうことになるんじゃないかって。でもねえ、そこが違うんだなあ」

「理論がなければ、作ればいい。過去の理論に基づいて、新しい理論が正しいことを証明すればいい。数学者や物理学者はみんなやってることだ」

「そうなんだよ! まさにそのとおり! それなのに、みんなデザインは数学や物理とは全く違うって思ってるみたいなんだなあ。定理や公式は、それ以上発展がないものだとでも思ってるのかな。新しい定理や公式を作るには、全く新しい数学や物理学の体系を構築しないとダメだとか勘違いしてるのかもしれない。とはいえ、僕だって数学や物理学は詳しくないんで、アナロジーで説明できないから解ってもらえないかもしれないけどね。でも確かに、理論にこだわりすぎて囚われることも実際にはあるから面倒なんだなあ。黄金比って知ってるだろう?」

「おおよそ5対8」

「そう、あれなんかまさに公式だよね。理論の講義でも最初の方に出てくるんだけど、あれは僕は信用できないって言うと、またみんなが怒るんだなあ、言ってることが矛盾してるって。もちろん、プロポーションを考える上で、黄金比を適用すれば綺麗に見える場合もあるよ。でも、全部が全部それで構成されるわけじゃないし、過去の芸術には必ず黄金比が含まれてるってこともない。例えば、ミロのヴィーナスには黄金比が使われていると言われる。頭のてっぺんからヘソまでと、ヘソから足の先までが黄金比。胸の幅と、腰の幅が黄金比。他にもっとあるだろうけど、そこに黄金比が適用されなければならない理由、適用されていると美しく見える理由が僕には理解できない。比を取る位置はなぜヘソなんだ? ウエストの一番くびれたところじゃダメだったのか? もし人間にヘソがなかったら、黄金比は存在しなくなるのか? 厳密な黄金比は無理だろうから、誤差が許されるとして、その誤差の範囲は? 厳密じゃなくてもいいのなら、過去の名作の中には黄金比なんて、いくらでも見つけられるさ! 彫刻や絵の中には、比を取れるところなんて、いくつも存在するじゃないか。その中から黄金比になっているところだけを選び出すことだってできるはずだ。逆に意図しないところに黄金比が紛れ込むことだってあるはずだ。黄金比を意識して描かれた絵画だってある。でも、それは名作なのか? 『モナ・リザ』にも黄金比が使われてるらしいけど、それよりもたくさん黄金比を使った作品は、『モナ・リザ』よりも名画だと言われているか? 逆に、黄金比がほとんど見られない名作だってある。ピカソの『ゲルニカ』のどこに黄金比が使われている? だから、何かが美しく見える理由に、黄金比を使う必要性なんてどこにもない。もちろん、美しく見える理由はまだ理論化されていないけど、だからといって理論を誤用したり無理矢理適用したりするのは間違っていて、僕が思うにファッションのデザインはもっと厳密に理論化される必要があって、例えば」

「あら、まあ、ステファン! もう5時ですよ。談話室での面会時間は終了です。あなた、申し訳ありませんが、お帰りいただけます? ステファンは病室に戻って下さい!」

 看護士が現れた。言っとくけど、俺がしゃべらせてるんじゃなくて、奴が勝手にしゃべってるだけだからな。

「やあ、ブリジット。何度も言うけど、君のプロポーションは素晴らしいね。今朝は君のプロポーションの素晴らしさを説明する理論を1時間くらい考えてたんだけど、まだ結論が出てないんだ。ねえ、あんたも彼女のプロポーションが素晴らしいと思わないか。バストの大きさやヒップの形だけを取り出すんじゃなくて、肩から腰のくびれにかけての伸びやかなラインとか、腰回りの幅と厚みの絶妙なバランスとか。彼女に、一度学院に来てモデルをやって欲しいって頼みこんだんだけど、なかなかオーケイしてくれなくて」

「もう、冗談はいい加減にして、病室に戻って下さい。時間なんですから!」

「ほんとに5時なの? 僕はちょっと学院に行って、戻ってきたのが4時前だったと思うけど、それからまだ15分くらいしか話をしてないはずなんだけど、あれ、おかしいなあ、本当に5時だ。あの時計、進んでない?」

「電波時計だからぴったりです。さあ、早く!」

「あと5分くらい何とかならないかなあ。まだこの人との話が残ってるんだよ。ええと、何だっけ、そうだ、ファッションのデザインはもっと理論化される必要があって、例えば」

「申し訳ないが、俺もそろそろ人と会う時間なんで、明日でもよければ聞いてやるから、今日は大人しく寝ときな」

「そうか、約束があるんじゃ仕方ないな。じゃあ、明日学院に来てよ。入口で僕の名前を言ってくれたら入れるようにしておくから。あれ、僕の名前言ったっけ? ステファン・キースリンガー。そういえば今日はどうして学院に行ったんだっけ。そうだ、僕は昨日の夜、というか今日の未明だけど、学院でデザインのアイデアを考えていてね。夜中に一人であそこにいると、時々いいアイデアを思い付くからなんだけど、今朝も何の弾みだったか忘れたけど、とてもいいアイデアを思い付いたんだ。で、それを絵に描き起こそうとしたときに、誰かに殴られたかして気を失っちゃって、気が付いたらここに入院させられたんだけど、気を失う直前にアイデアを忘れないように、持っていたペンで床に記号を描いておいたはずなんだ。で、それを見に行ったら消されちゃってて、せっかくのアイデアが思い出せなくて困ってたんだ。明日はそれを思い出す手伝いもしてくれない? で、おかしなことにアイデア自体は忘れちゃったんだけど、それはブリジットみたいなプロポーションの女性に似合うはずってことだけは憶えてるんだよね。どうしてそれを憶えてるかっていうと、モデルってだいたい痩せてる人が多くて、とはいえ最近は昔よりも痩せ過ぎの人は減少傾向だけど、そういうモデルじゃなくてもっと躍動感を出せるモデル、要するに出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでるようなモデルを探してたんだ。一応、対比のために普通のプロポーションのモデルも探してて、それは一昨日偶然出会って声をかけたんだけどオーケイしてもらえなくて、だからモデルにも困ってるんだよね。で、もしあんたがモデルができそうな女性を知ってたら、いや、あんたは旅行者だからこの辺りに知り合いがいないのか。まあ、モデルはまた後で探すとして」

「ステファン! もう終わりです! あなたも、ほら、帰って帰って」

「解った解った、戻るよ戻ればいいんだろ。じゃあ、あんた、また明日な」

「何時だ?」

「えーと、夕方! 夕方!」

「ステファン、早く! あなたも帰って下さい!」

 どうして俺までが怒られなきゃならない。それにしても、よくしゃべる奴だな。俺は聞いてるばっかりだったが、あれで良かったんだろうか。まあ、奴の言うとおり明日行ってもう一度話してみるか。夕方までの予定を考えないとな。そういえば、あいつに俺の名前を言ってなかったが、いいのかな。

 それと、あいつが言ってた“一昨日見つけたモデル”って、セシルじゃないのか? 明日の朝、聞いてみるか。


「はあ、これがステファンのイヴェントなのね。私、シミュレーターで実際に聞いたのは初めてだから、疲れちゃった」

「僕もだ。それにしても、被験者エグザミニーは無口だったな。もう少し口を挟んで色々しゃべらせる方がいいんだろう? 看護士の登場が遅れるパターンの方が、次の日の展開が早い」

「そこまでできた被験者エグザミニーは、今まで一人しかいなかったはずだよ。でも、今回のは良くしゃべらせた方だよ。途中の合いの手インタールードが良かったんだね、短い言葉だったけど。このイヴェントは明日が最大のポイントだけど、これでアルタネイト・エリアに進める確率はだいぶ高まったんじゃないかなあ」

「どのパラメーターがこのイヴェント発生に寄与したか、知りたいわ。後で調べてみる」

「次はホテルに戻るようですが、近いのでこのまま流しますね」

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