#8:第1日 (3) アイスクリームの誘惑

 スタツ公園に来てみた。ほぼ正三角形に近くて、その中に数字の“7”を横に寝かせたような形の池がある。その左下の角から中へ入る。

 底辺に沿った散策道を、東へ歩く。平日の昼間だからか、人影も少なくひっそりしている。途中に、池を渡る小さな吊り橋があった。更に東へ歩き、反対側の角にたどり着く。4分の1マイルくらいかな。路面はアスファルトだが、走るのには問題ないだろう。ここまで歩いてきた道は、石畳も結構多かったからな。あれはさすがに走りにくい。

 さて、明日の朝、走りに来るのは決定として、斜辺の小道も歩いてみる。この後、どこに行くにせよ、北の方へ戻る道だからそのついででもある。

 先ほどの道はほぼ真っ直ぐだったが、こちらの道は結構左右にくねっている。池の端を過ぎてしばらく歩くと、小さい広場があって、遊具で子供が遊んでいる。平日の昼間なのに、なぜ子供が。学校が休みなのだろうか。それはいいとして、公園の一番北の端までたどり着いたが、ここからどうするか。

 ルーベンスの家に行くなら、北西に数百ヤードだが、すぐ東に"DIAMANT"、つまりダイアモンドという名前の地区がある。そこにはいくつかの宝石店や、世界ダイアモンド・センターなる建物があったりする。今回のターゲットはダイアモンドと全く関係がないと思われるが、いい機会なのでダイアモンドのことを学んでおこうと思う。もっとも、その後で行くところへのついでに過ぎないのだが。


「東へ行った!? 一体、何を考えてるんだ」

「ダイアモンド街ですね。私もダイアモンドの指輪が欲しいです」

「ミス・グレイ、私的なコメントを挟まないでくださーい。きっと、宝石店が目的よ。ターゲットと関係ありそうになくったって、一度は見てみたくなるのが自然ってものだわ」

お見事グッド・ショー、グリーン。宝石店に入ったね」


「いらっしゃいまし」

 出迎えてくれた店員はブラック・スーツにホワイト・タイの中年の男だった。早速用件を切り出す。

「ダイアモンドの鑑定の基本について教えてもらいたい。授業料として千ドルくらいの指輪を買うつもりだが、どうだろう?」

「鑑定の基本の授業ですか。はっはっは」

 何がおかしいのかは判らないが、店員は陽気に笑うと俺に席を勧めた。

セミナーセミナリエは隣の世界ダイアモンド・センター主催でたびたびやっていますがね、そちらは2日間のコースです。つまり、基本を知るとなると2日がかりなんですが、どれくらいのことを知りたいんです?」

「2時間くらいで教えてもらえることだな」

「それじゃあ、鑑定書の読み方と、鑑定のほんの基礎くらいしか教えられませんよ」

「それでもいいよ。ただし、千ドル分はちゃんと教えてくれ」


「ここ、スキップしない? さすがに関係ないよ」

「了解です。一応、店内の会話を自動チェックしますが……はい、ターゲットには何も関係ありませんね。店を出るところまでスキップします」

「学習熱心ね。でも、今日じゃなくてもよかったのに」

「そうそう、それにどうせなら店員の言ったように世界ダイアモンド・センターの方に行けば良かったのにね。HRDだっけ、GIAと並ぶ鑑定機関なんだろ? 僕もダイアモンドの鑑定の基礎とか習ってみたかったなあ」

「だから、ブルー、私的なコメントは……」


 店を出て、クランク状になった路地を通り抜ける。フェスティング通りに出ると、ここにも宝石店が軒を連ねている。買い付けの商人のための店ならいざ知らず、観光に来てダイアモンドを買う客がそんなにたくさんいるとは思えないのだが、あるのだから仕方がない。

 そういえば、あのカードを使ったら、どれくらい高いダイアモンドが買えるかを試してみても良かったかもしれない。さっきの店員は、俺のカードを見てやけに感心していたが、その理由が何だったのかを確かめることもできただろうし。

 しかし、引き返すのは面倒なので、そのまま行く。中央駅の西側に出た。北へ200ヤードほど歩いて、出発地点だった駅の正面に戻る。これで街の西側をほぼ一周したわけだ。まあ、歩き回れる範囲でしかなかったが。さて……


「ええっ、そっち?」

「嘘、動物園? どうして? それはさすがに私も思い付かないわ」

「ダイアモンドを持っていくところじゃありませんからね。順番が逆なら解りますけど」

「何か思い付いたんだろうね。イヴェントに気付いたのかな? それにしてもすごい嗅覚だなあ」


 アントワープ動物園はまもなく開園198周年を迎えるらしい。街の中央駅の、すぐ横にある動物園というのはなかなかないだろう。この世界に来てから入った動物園はオーストラリアのキュランダ村のものだけだが、その他には植物園に入ったことがあるし、蝶の温室にも入ったことがあるし、いずれも何かしらのイヴェントが発生したような気がするから、今回も、という気がする。たとえその勘が当たっていなくても、大した被害はないだろうし。

 入場料は25フラン。順路に従って巡ろう。まず、蝶の温室。いやいや、まさかここでも蝶が見られるとは思わなかった。なぜかは判らないが黒っぽい地味な蝶が多い気がする。続いて猿。そしてコアラ。オカピ、ゴリラなど、アフリカの動物。

 母親に連れられた子供が多い。やはり今日は学校が休みなのかもしれない。象、キリン、シマウマ。カバはなぜか子供に人気がある。

 小さいが、水族館もあった。ペンギンが群れている。出ると、カンガルーやラクダ。生息地域毎に分けるとかしないのかね。ライオン、虎、ジャガーなどのネコ科動物。大きな鳥小屋には孔雀などの大きな鳥、小さな鳥小屋にはオウムなどの小さな鳥。カフェテリアの名前はフラミンゴ。

 突然、アイスクリームを持って飛び出してきた、10歳くらいの子供が俺にぶつかった。ほうら、イヴェントが発生した。

「わあっ! 僕のアイスクリームが!」

「ミシェル! ほら、走ったらいけませんって言ったのに! どうも申し訳ありません!」

 子供に続いて大人の女がすっ飛んできた。美人は美人だが、年齢が俺よりちょっと、いや、かなり上か? 別に、若けりゃいいってもんでもないんだが。

「ヘイ、坊主ボーイ! アイスクリーム奢ってくれてありがとうよ。おじさん、ちょうど食いたいと思ってたんだ。代わりにお前にも奢ってやるよ。何がいい?」

「チョコレート!」

 遠慮のないガキブラットだな。子供らしいといえばらしいか。俺はこんなのじゃなかったが。

「ミシェル、何言ってるの、ちゃんと謝りなさい! 申し訳ありません、服を汚してしまって……」

「ああ、気にしない気にしない。俺も子供の時、マイアミ動物園で同じことをやらかしたんだ。いいか、坊主ボーイ、次は走るんじゃないぞ。こけて地面に落っことしたら、誰も奢ってくれないんだぜ?」

「わかった!」

 なおも謝ろうとする中年婦人を適当にあしらいながら、ミシェルというガキブラットを連れてカフェテリアに入り、アイスクリームを買い直す。ついでに俺もヴァニラ味を買う。アイスクリームというのは他人がうまそうに食べていると、つい自分も欲しくなる悪しき誘惑のイーヴル・エンタイシング食い物だ。しかもカロリーが高い。その分、明朝たくさん走らなければならない。


「へえー、このイヴェント引き当てたよ、大したもんだ。一番低い確率のやつだろう?」

「スザンヌにつながるイヴェントだけど、やっぱり彼女をキー・パーソンにするのかなあ。合わないと思うけどなあ」

「男の子の扱いがうまいのね。苦手なのは気がきつい女性くらい? あら、年上もだったかしら」

「これまでのデータによると、年上でも四つまでなら許容範囲みたいですよ。ただもちろん、見かけが影響するとは思いますけど」


 カフェテリアの外のベンチに3人で座って、アイスクリームを食べる。ガキブラットの母親はもちろん食べていなくて、手持ち無沙汰そうにしている。でもそれは、子供が動物を見てる間も同じだろう。

ありがとうダンク・ユーおじさんオーム!」

坊主ボーイ、ミシェルって名前だったな。今日は学校休みか?」

「そうだよ。4月16日まで」

「春休みがあるのか。いいな。他にはどこに連れてってもらうんだ?」

「今週末に、ブリュッセルとアウデナールデ。ロンド・ファン・フラーンデレンを見に行くんだよ。おじさんオーム、ロンド見たことある?」

「俺はアーティーだ。ロンド、ファン、フラーンデレン。いや、知らないな。スポーツか?」

「自転車ロード・レースだよ。おじさんオーム、どこから来たの?」

「合衆国だ。アーティーって呼べよ。自転車が好きなのか。乗るのも?」

「うん、毎日遠乗りしてるんだ。今日は母さんが休みだったから動物園に連れてきてもらったけど」

 そういえば今日って何曜日だったっけ。どこかでカレンダーが見られるだろうと思っていたが、ついぞお目にかからなかった。

「今日が休みか」

 さりげなく、母親の方に聞こえるように言う。母親は濃い金髪を長く伸ばしていて、年齢以外は申し分のない美しい顔立ちをしている。子供は母親と似ているのは髪の色くらいで、気が強くて、頭よりも身体が先に動くタイプに見えなくもない。どうせ子供の性格なんて、大人になれば変わるけどな。俺はそうじゃなかったが。

「ええ、その、私は土曜日と月曜日が休みで、今日は月曜日だから空いていると思って彼を動物園に……」

 なるほど、今日は月曜日か。でも学校が休みなんだから、どうせ子供連れで混雑してるとは思わなかったのか。それはそうと、この母子から俺は他に何の情報を引き出せばいいんだろう。

「ミシェル、君の母さんの仕事って何だ?」

菓子屋バンケットバッカライ。ヒルトン・ホテルに入ってるんだよ。おじさんオームも食べに来てよ」

 こいつは俺の名前を覚える気がないな。でも、ガキブラットってのはだいたいそんなもんだ。俺もそうだったよ。

「ヒルトンというと、フルン広場プラーツの前の?」

 今度も母親の方に聞こえるように言う。

「はい、ご存じでしたか?」

「今日から泊まろうと思ってる」

「まあ、そうでしたか。ホテルのレストランのデザートも提供していますので、よろしければ、ぜひ……」

「ああ、食べてみるよ」

 ガキブラットの方が先にアイスクリームを食べ終わった。こちらは考え事をしているからどうしても遅くなる。ガキブラットがこっちを見ながらまだ食べたそうにしているので、さっさと口に詰め込むことにしよう。

「OK、ミシェル、これからどうするんだ?」

「もう1回ライオンを見に行きたい!」

「そうか。俺はもう帰るよ。自転車に乗る時は、車に気を付けてな。バーイ!」

さよならトッ・ツィンス!」

「ありがとうございました。よいご旅行をフーデ・ライズ

 さて、本当にこれで良かったのだろうか。せっかくイヴェントが発生したのに、得られたつながりはヒルトン・ホテルしかない。とはいえ、中年婦人と子供を相手に長話をしたり、家に帰るのに付いて行ったりするのは難しい。ヒルトンには泊まろうと思っていたし、ついでに明日にでも菓子屋に顔を出してみるか。

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