#8:財団の仕事 (2)

 エレヴェーターのドアが開くと、二人の若い女性が降りてきた。一人は背が高いが痩せていて、カールさせた金髪を肩の辺りまで延ばしている。顔にはフレームのない眼鏡。もう一人はバランスの取れた体格で、東洋風だが目鼻立ちのくっきりした顔つきで、長い黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。

 二人ともカジュアルな服装をしているが、首から特徴あるデザインのIDカードを提げている。この財団に所属する研究員を表すものだ。

 彼女たちが歩いているところは建物の地下だが、廊下の壁の上の方から地上の光を取り込める、いわゆる半地下になっていて、明るく開放的な雰囲気だった。二人で並んで、親しげに話しながら歩いていると、廊下の向こうから一人の若い男性がやって来た。背は二人よりも高く、茶色い髪は短めに刈っているのに、寝癖のように片側がピンと跳ね上がっている。そして歩いてくる二人に向かって手を上げた。

「ハイ、アビー、キャシー」

「ハイ、ポール、どうしたの、ひどい寝癖ね」

「そうかい、気付かなかった。後ろの方? 夕べはシャワーを浴びてから髪が乾くまで起きてたはずなんだけど」

 挨拶を交わしながら、3人は“第8シミュレーション室”と書かれたドアの前に集まってきた。彼らはこの部屋に用があるのだが、誰もドアを開けようとしない。

「鏡くらい見ればいいのに。手洗いバス・ルームに行ってたんでしょう?」

「見たよ。でも映ってなかったんだ。それより、すごく変な匂いがして大変だった。あれはきっと、スモークだな。きっと部外者だろうけど、どうして警告センサーが働かなかったんだろう。最近はセンサーを回避するようなスモークも出回ってるのかなあ。きっと無認可品だよね」

「あら、そうなの、災難だったわね。今日は誰か来客があるんだったかしら」

「確か、エネルギー省の科学担当次官補が来てたはずよ。大講堂で、オニール博士が相手をするって言ってたわ」

 ポールとキャシーの会話に、アビーがさりげなく割り込む。彼女自身はあまり多く話さないが、聞き役が上手い。そのせいで研究部内だけでなく色々な人が彼女のところに話をしに来るので、自然と情報通になってしまうのだった。

「エネルギー省? じゃあ、僕らの研究ネタの話だね。すごいや、所長が売り込みに成功したのかな。今までは先方から情報をもらうだけだったのに」

「まだその売り込みの段階だって。でも、今までは一度も聞きに来てくれなかったのに、来てくれただけでも大きな一歩ね」

「科学担当次官補って、この前就任したばかりじゃなかった? 異色の経歴の人だって聞いたような気がするけど」

「そうよ。ジョシュ・デヴリン。プリンストンの大学院で理論物理学を研究してたのに、NFLのトライ・アウトを受けてペイトリオッツに入って、6年間プレイして、AFCチャンピオンシップにも出場したことがあるんですって。で、今はプリンストン高等研究所の物理研究主任とエネルギー省を兼任中」

「すごいな、万能人ヴァーサタイラーだ。頭の中を覗いてみたいよ」

「私たちの研究対象になって欲しいくらいね。ところで、エリックは?」

「もう来てるんじゃないかな。僕が部屋を出る前に、先に行くってメッセージが入ってたよ。ああ、やっぱりそうだ」

 ポールが胸ポケットから薄いカード型の情報端末ガジェットを取り出し、画面の表示を確認しながら言った。そしてその端末をドアのノブに近付ける。小さな電子音と、錠が外れる音がした。ポールがドアを開けると、真っ暗だった部屋の中に明かりが射し、中央のテーブルの横に誰かが座っているのが見えた。

「エリック?」

「ああ、みんなようやくお出まし?」

 ポールが壁スイッチを操作すると、部屋の灯りが点いた。エリックと呼ばれた若い男性は、倒していた椅子の背を起こすと、座ったまま上半身だけ背伸びをした。それから一つ欠伸をする。そしてテーブルの上に置いてあった丸いメタル・フレームの眼鏡を掛けた。短い黒髪をジェルか何かで固めて、山嵐のように尖らせている。

「寝てたのか?」

「ああ、20分ほどだけどね。ニックに今朝の3時過ぎまで飲みに連れ回されたんで、眠くって」

「今日、エネルギー省の次官補が来てたって知ってる?」

 丸いテーブルの、エリックの反対側の席に着きながらポールが言った。アビーとキャシーも、同じテーブルに、向かい合わせになって座る。4人の前にはそれぞれキーボードと、ホログラム・ディスプレイの射光機プロジェクターが置かれている。

「今日だっけ? 来るのは知ってたけど、今日だとは気付いてなかったな。このシミュレーターの売り込みじゃなかった? でも、まだ時期が早過ぎると思うけど」

「これじゃなくて、時空間伝送理論の方だけよ。シミュレーターは、接続先の時空を“別時空シミュレーターで”実現してるってことになってるはず」

 そう言いながら、アビーがシミュレーターの電源を入れた。すぐに、テーブルの真ん中辺りにホログラム・ウィンドウが立ち上がる。光が彼女の顔を薄く照らした。

「ああ、そういうこと。まあ、手の内を全てさらけ出す必要はないもんね」

「エリック、ログインして。役割ロールを決めるわよ」

「イエス、マァム」

 キャシーに促されて、エリックがポケットからガジェットを取り出し、キーボードの上にかざした。すぐに、画面の右下隅に"authenticated(認証済み)"と表示され、いくつかのサブ・ウィンドウが立ち上がった。その横で、キャシーがキーボードを操作すると、エリックのウィンドウの背景が海の画像に変わった。

「イエス! ブルーだ。ブルー好きなんだよなあ。一番苦手なのがグリーンだよ」

「私もグリーン苦手なのに当たっちゃった。今日の被験者エグザミニー、いいところ見つけられるのかしら」

 森と草原の画像を見ながら、キャシーは提げていたポーチから取り出したグリーンのリボンで、長い髪をポニー・テイルにくくった。長時間の仕事をする時は、髪をくくると集中力が増す、というのが彼女のスタイルだ。

「はいはい、お静かに。私がグレイだから、ポールがレッドね。ちゃあんと批判的に見てよ?」

 アビーの前には銀色に輝くクリスタルの画像が、ポールの前には夕日の中に赤く染まった山が映し出されている。

「解ってるんだけどね。別に、同情的に見てるわけじゃないけど、これくらいは許容範囲じゃないかとか考えたりして、細かいミスを指摘するのが嫌なだけなんだよ」

「でも、それが仕事よ。OK、セット・アップ完了。皆さん、資料はご覧になってから来ていると思いますが、本日の被験者エグザミニーについて、簡単に説明します」

 アビーが画面を見ながら事務的に言った。彼らの言う役割ロール、つまりブルー、グリーン、グレイ、レッドとは、これから“観察”する被験者エグザミニーに対してどのような立場で意見を言うか、を表すコード・ネームである。グレイは司会と調停、レッドは批判的な意見者、グリーンは好意的な意見者、ブルーは分析的かつ自由な意見者として振る舞う。

 役割ロールが決まっているのは、意見の偏りを防ぐのが主な目的であり、ディベートのように意見の正しさを競うためではない。その点、ブルーは非常に難しい役割で、他者の意見に対して分析的かつ論理的に判断、あるいは反論を出さなくてはならない。被験者エグザミニーに対する最終的は“評価”はブルーの意見を中心にグレイがまとめることになる場合が多い。

被験者エグザミニーはスートJのナンバー13、コードネームはボナンザ。男性。人種は混血で、比率は不明。ただし支配的なのはコーカソイド、次にモンゴロイド。過去6ステージの獲得数は4.5。これはスート内で2番目の好成績です。ちなみにスート内の最優秀はナンバー1、ヤーノシュで、獲得数は5。唯一の敗戦は、本被験者エグザミニーと同ステージになった時とのことです」

「ナンバー13が好成績というのは過去に例がなかったよね。だいたい最初に失格になる第一候補なのにさ。ミス・グリーン、いいところが意外に見つけられるかもよ」

「そうだといいけど。でも、過去の成績の詳細を見る限りは、どうもね」

「はい、それは各人で既にチェック済みのはずなので、ここではお静まり下さいね。続けます。被験者エグザミニーの思考形態はおそらく仮説形成アブダクション型。演繹型推理は苦手の模様ですが、正解到達率は平均よりは高くなっています。オリジナルのパーソナル・データからのパラメーター調整はありません」

「ほんとに? 対人関係の男女比率でこんなに差があるのは初めて見るんだけど」

「ミスター・レッド、早速ご指摘頂きましてありがとうございます。私もオリジナル・データを確認してきましたが、間違いなくこの比率でした。ただし、オリジナル・データその物が間違っているという可能性は否定しきれませんが」

 キャシーとエリックが笑う。彼らが役割ロールを表す色で呼び合っているのは、それぞれの立場を相互喚起しながら“観察”を行うためで、そういう決まりなのだった。

「続けます。今回のステージのタイプはPM-18。被験者エグザミニー以外の競争者コンテスタントは二人。H-2・キャットと、H-11・クリバーです。この他、ヴァケイション中のK-1・ピクシーがいます。彼らを観察したことがあるか、伺っておきます。ミス・グリーン?」

「ないわ」

「ミスター・レッド」

「同じく」

「ミスター・ブルーは?」

「ピクシー! 先々週だったかな。彼女、超優秀だよ。彼女も仮説形成アブダクション型だったけど、解っていてわざと演繹的に進めている感じだったな。行儀のいいウェル・ビヘイヴド・被験者エグザミニーってやつ? 自ら進んで実験台になりたがってる感じなんだよね」

「それはそれで、こちらとしても困るんですけどね。って、オニール博士が言ってたわ。続けます。キー・パーソンズは6人、共通型です。最低でもこのうちの4人に会う必要があります。イヴェンツはキー・パーソン連動で7割以上消化がクリア条件。訪問場所ヴィジティング・スポッツは共通で15ヶ所中12ヶ所以上、うち必須10ヶ所がクリア条件です。以上が基本情報ですが、ご質問は?」

被験者エグザミニーのアヴァターを出してよ」

「あら! 忘れてました、ごめんなさい。私の好みじゃなかったもので、ついうっかり」

 他の3人が笑う。グレイが操作すると、テーブルの中心に実物大の4分の1ほどの立体像が浮かび上がった。像はゆっくりと回転しているが、時々歩いたり走ったり、手に持った何かを投げたりしているように見える。

「女性として、ミス・グリーン、ご意見はありませんか?」

「見れば見るほど普通の容姿ね。これであの対人関係比率は私も納得できないわ」

「それではグリーンとしてのご意見になっていませんわよ?」

 グレイが少しお茶目な言い方でグリーンの意見を促す。彼女自身はこの役割を得意としている。

「ううーん、そうね、強いて言えば、無害な男って感じ? 乱暴しそうにないし、口先がうまそうにも見えないし、運が良ければ守ってくれそう」

「そうですね。それは実はとっても重要なのかもしれません。つい油断することもありますからね。ミスター・レッド、男性としてのご意見は?」

「友達の中に何人かはいそうだけど、目立たなくて、親友にはなれそうにないって感じかな」

「わざとらしい辛辣なご意見をありがとうございます。ミスター・ブルーはいかが?」

「そうねえ、今までの経歴を見るに、他が油断してると出し抜かれるってタイプなんだろうね。無駄な動きが多いように見えるけど、それが後で見ると意外と無駄になってない。結構効率がいいよ。でも、パラメーターには現れてないんだよなあ。もしかしたら、システムの性格形成ロジックに穴があるのかもしれないね。今さら変えられないけどね」

「さすがですね。なかなか興味深いご意見です。ロジックについては報告書に意見として付記しておきますが、たぶん参照されることはないでしょう。では、そろそろ観察を始めたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

 3人がそれぞれ同意の意志を示す。グレイがまたキーボードを操作する。

「では、観察開始です。被験者エグザミニーの第1日目の行動をシミュレーター上に再現します。アクション!」

 ホログラム・ディスプレイの中心に映し出されていたアヴァターが小さくなり、実物の12分の1ほどの大きさになった。そして周囲に古風な街の風景が映し出された。その風景は広がり、4人の周りにまで及んだ。

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