#7:第7日 (7) キャッチ・ユー・レイター

 空港に着き、リムジンが帰ってしまうと、メグと二人きりになった。彼女がどうやって家まで帰るのか知らないが、俺が“出発”するまで一緒にいるつもりだろう。

 周りに人気はないが、明るすぎるほどにライトが灯っている。建物の中へ入ろうとしたが、ドアのところで一瞬立ち止まる。ビッティーは、退出ゲートはスタート地点と同じと言っていた。ならば、この空港ビルディングがそうだろう。中に入った瞬間に例の黒幕が降りてきたら、メグとの別れを惜しむ時間がなくなってしまう。

「そういえば、君が買ってくれた服はどうなった?」

 言いながら振り返り、わざとらしいほどゆっくりと歩きながら建物の中に入る。黒幕が見えたら、外に飛び出してやるつもりだった。だが、幕は下りてこない。すっかり中に入ってしまうまでは油断しないでいたが、大丈夫だったようだ。

 となると、いつステージがクローズするのだろう。来た時と全く同じ、国際線の到着口の近くまで行かなければならないのだろうか。まさか。

「はい、財団ご指定のロジスティクス・センターへ送付しました。ご到着先でセンターへ連絡すれば、あなたのご移動先へ配送して下さるとのことでした」

 そんなシステムが。たぶん、次のステージで本当に受け取ることができるんだろうな。メグが選んでくれた服はどれも気に入っているし、これからも着ることにしよう。

 国際線の出発ロビーへ行ってみたが、明かりは煌々と灯っているものの、もちろん人影はないし、店は全て閉まっている。いるのは若い警備員くらいだ。俺の姿を見つけると近寄ってきて、名前を訊くので答えると、急に愛想がよくなり、すぐに出発するかと訊いてきた。出発というのはこの場合、ゲートからの退出のことだろうな。

「すぐ出なくてもいいのなら、ギリギリまで延ばしたいが」

「最終は12時と聞いています」

「じゃあ、それで」

「係に伝えてきます」

 そう言って警備員は去っていた。誰に伝えに行くのかは知らない。メグが不思議そうな顔で俺のことを見ている。俺だってどういうことになっているのか知りたいくらいだ。

 ロビーの椅子に、メグと並んで座る。あと1時間ほど、一緒にいることができる。幸い、周りには誰もいない。

「あなたにお手紙を書きましたので、後でお読みになって下さい」

 メグがそう言って厚い封筒を差し出す。ホテルのマーク入りの、特に色気もない封筒なので味気ないが、問題は中身なのでありがたく受け取る。俺が書いた手紙はフロント係デスク・クラークのキャサリンに渡してしまった。しかしメグはキャサリンから、もうもらってきてしまったらしい。

「それから、これを君に渡そうと思って」

「何でしょう?」

 胸ポケットから例のオパールの指輪を取り出してメグに見せる。

「まあ! フレイザー夫人の指輪ですか?」

「いや、その偽物ダミーとして彼女がジャッキーに買わせたものだよ」

 おそるおそる、といった感じでメグが手を差し出し、その上に指輪を置く。指に着けなくてもいいから、今回の記念品として持っておいて欲しいと言うと、

「では、ホテルの私のロッカーの中にしまっておきます。そうして、時々ジャッキーと一緒にこれを眺めながら、あなたやフレイザー夫人のことを思い出します」

 と嬉しそうに言った。残念ながらこの世界は間もなくクローズするので、そんなことはできないと思うが、そういう考えを持ってくれただけで嬉しい。

「ありがとう。俺はこの手紙を読みながら、君のことを思い出すよ」

「ありがとうございます。私も、あなたのお手紙を読むのが楽しみです。ご出発なさった後で、ここに残って読むことにします」

「家に帰ってゆっくりしてからでいいのに」

「でも、今夜は家には帰らないんです」

 家に帰らない? そういえばバスは10時台までと言っていたはずだ。空港への到着が遅くなった時点で、彼女が家に帰るのに困ることが判っていたはずなのに、どうして俺は気付かなかったんだ。

「ホテルに戻るのか?」

「いいえ、ケイト、あ、いえ、キャサリンの家へ泊まりに行くんです。彼女の家はこのすぐ近くなんです」

 メグは端正な笑顔を崩さずにいるが、人妻が家に帰らず友人のところへ泊まりに行くというのは尋常のことではない。つまり……

「まさか……君は夫から何か言われて……」

「はい。でも、あなたはお気になさらないで下さい。昨夜も申し上げましたとおり、私は、あなたのなさったことが、正しいと信じてますから。夫に協力しなくてよかったと、本当に思ってるんです! 探偵の仕事は、困ってる人を助けることのはずです。私自身も、ある事件で彼に助けてもらったことがあるんです。彼と結婚したのも、その事件を彼が解決してくれて、その後も親身になってお付き合いを続けてくれたからなんです。

 でも、今回の彼の仕事は間違っています。泥棒に情報を提供する仕事なんて! あなたがご夕食に出られた間に彼から電話が架かってきたので、私、そのことを指摘したんです。彼は怒ってましたけど、私は謝りませんでした。今までにも何度か、彼の仕事のことで気になったことがあったんですけど、話し合いをしても、私の方がいつも譲歩してしまって……」

 うん、まあ、だいたい想像の範囲だな。それにしても、彼女の夫もひどいな。探偵が泥棒の手伝いをするのはしかたないにしても、彼女には黙っておかなきゃあ。うん、待てよ、泥棒の手伝い? この仮想世界で泥棒の手伝いといえば、キー・パーソン……おいおいおい! じゃあ、このヴァケイション・ステージってのは、まさか?

「今回は譲歩する必要はないけど、ぜひ何とかして和解してくれ」

「そうしたいですが……今回ばかりは、彼の方から謝ってくるまで、許すつもりはありません。そうでなくても、以前から彼とはだんだん心が離れていく気がしていて……私の気持ちを受け止めてくれないのなら、これ以上一緒にいたくないって思えてきて……ああ、その、私が悲観しているなんて、思わないで下さい。ずっと前から心の中でもやもやペント・アップしていたものが、今回の事件のおかげで、すっきりした気がするんです。私がもっと早く、気持ちをぶつけていくべきだったんです。遠慮したりせず、素直になって……あなたのお世話をさせていただいている間は、初心に返りたくて、ずっとそんな気持ちでいました。ですから、とても楽しかったんです」

 いや、それは俺が遠慮して君の好きにさせてたからだと思うんだけどね。まあ、いいか。話しているうちに、メグの笑顔が、どんどん輝きを増していく。これが見られるなら、俺の遠慮くらい大した問題ではない。それとも、俺の方ももっと素直になっていれば、もっといい笑顔が見られたというのなら……

「俺の方こそ、君に世話をしてもらってとても楽しかった。改めて礼を言うよ。ありがとう」

「そう言っていただけると、とても嬉しいです。でも、できることなら、私、もっともっとあなたのお世話を続けたかったです……」

 そんなことを言われると、やっぱりこのままメグを連れて行きたくなる。しかし、何も言えずに、ただメグのことを見つめることしかできない。メグも俺のことを見つめ返してくる。もし、メグがこのまま目を閉じていたら、俺は彼女に大変なことをしてしまったかもしれない。今が何時だか判らないが、初日の夜のように、ずっと11時55分で止まってくれたらいいのに。

「あの……」

 見つめ合っているだけでどれほどの時間が経ったか判らないが、メグの小さな声が聞こえてきて我に返った。いかんな、仮想世界の中の人間に、こんな風に思い入れを持っちまっちゃあ。

「何?」

「この指輪を、着けてみてもよろしいでしょうか?」

 手にしていたダミーの指輪を見せながらメグが言う。

「ぜひ、そうしてみてくれ。君の指にも合うと思うよ」

「はい、あの……着けていただけませんか?」

 メグはそう言って指輪を俺に差し出した。俺が指輪を受け取ると、左手を差し出した。その薬指には、指輪がはまっていなかった。それが何を意味しているのは解らないでもないが、何も言わないでおく。そして指輪を薬指にはめてやった。思ったとおり、ぴったりだった。

「似合うな」

「ありがとうございます。これ以上ない記念品ですわ」

 満足しながらメグの花のような笑顔を見ているうちに、無粋で場違いなアナウンスが聞こえてきた。

「ミスター・アーティー・ナイトにお知らせします。間もなく、出発の時間となりますので、セキュリティー・ゲートを通って、出発ロビーにお入り下さい。繰り返します。ミスター・アーティー・ナイトにお知らせします……」

 ビッティーの声だ! 1週間ぶりに聞けて嬉しいが、今、この場では困るなあ。何とかあと1週間、ヴァケイションを延ばしてくれないだろうか。

「お別れだ、メグ。この1週間ありがとう。楽しかったよ」

「私も、あなたのお世話ができて、大変楽しかったですわ。あの……」

 そう言いながら二人して立ち上がったのだが、なぜか手をつなぎあっていた。二人で手を見て、それから顔を見合わせたが、どちらからも手を離そうとしなかった。この手をずっと離さないでいることはできないものか。

 メグは少し驚いていたが、俺の手を両手で強く握りしめたかと思うと、神々しいほどの笑顔を俺に向けた。もちろん、今までで一番の表情。魂が揺さぶられ、心臓が止まりそうになった。何たる破壊力! この笑顔を置いていかねばならないのか。

「あの、ミスター・ナイト、最後に一つ、お願いが……」

「何?」

「ええと……お手紙の中にも書いたのですが、ぜひもう一度ここにいらして下さい。お待ちしています、心の底から」

「もちろん、必ず来るよ」

「それから……次にいらっしゃるときは、お二人でも結構ですけれども、できればお一人で……」

「もちろん、一人で来るよ。その時にも、俺の世話をしてくれるんだろう? 次はもっと長い時間一緒にいてくれると嬉しい」

「はい! 私も……さようならシー・ユー・アゲインお元気でテイク・ケア、ミスター・アーティー・ナイト!」

またすぐ会えるよキャッチ・ユー・レイター、メグ」

 セキュリティー・ゲートのところに人影が見えたからか、メグの本当に言いたそうな言葉が聞けなかった。抱擁ハグをして、それから少し長めのキス――もちろん頬への――を交わして、ようやくメグから離れた。愛おしき笑顔を見るために何度も振り返りながら、セキュリティー・ゲートをくぐった。黒幕が降りてきたのは、メグには見えなかったに違いない。

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