#7:第3日 (4) 夜の待ち伏せ

 食事の後、部屋へ戻る時にロビーでメグの姿を探したが、見つからなかった。部屋でシャワーの準備でもしているのかと思って戻ってみたが、やはりいない。ただ、明日の朝の着替えなどの準備は全て整っていた。何となく気になるので、夕食前にもらった番号に架けてみるかな、と思っていたら、逆に電話が架かってきた。どこかで俺が部屋に戻るのを見ていたのだろうか。

「明日の予定の確認のために、今からお部屋に伺ってもよろしいですか?」

 来てくれ、と言うと、3分も経たないうちにやって来た。

「さっきはロビーにいなかったようだな」

「お探しでしたか、申し訳ありませんでした。ロビーにいたら注意されてしまって……」

「用はなかったが、10時までは滞在すると言ってたのに、姿が見えなかったんでね」

「はい、そのつもりでここのフロント・クラークとも打ち合わせをしたのですが……」

 理由を言いにくそうにしている。このホテルの都合が変わったのだろうが、それを言うと愚痴になりそうなので言いたくないのだろう。

「このホテル内のことは、ここのスタッフに全て任せておけ、とでも言われたのかな」

 水を向けてみたのだが、メグは万全な笑顔を浮かべたまま何も言わない。彼女の口を割らせるのは、笑顔を壊すよりも難しそうだ。

「まあいい。明日の予定の確認をしよう。明日は5時30分に出発で、それから?」

「モーニング・コールを架けようと思いますが、5時でよろしいですか?」

「自分で起きられると思うけど、念のために架けてくれ」

「かしこまりました。5時20分にこのお部屋にお迎えに上がります」

 過保護だな。とりあえず、メグがやりたいようにやらせるか。

「それから?」

「5時30分にホテル前からご出発、お戻りは状況によって10時から11時の間とのことです。チェック・アウトは10時までとのことなので、私が手続きをいたします。ですから、お戻りになった後はお部屋を使うことができません。もし、お着替えをされる場合は、ホスピタリティー・ルームを用意していただけるとのことです。場所は私が伺っておきます。ご昼食の後、空港への出発は14時の予定です。以降は、明日のご昼食後に案内します」

「解った、ありがとう。ところで、君のホテルの部屋はどんな感じだ?」

「ここよりは狭いですけれど、悪くないです」

「明日の朝は早いから、今夜は君も早く寝てくれ」

「まあ、お優しいお気遣い、ありがとうございます! ですが、10時以降でも電話でお呼び出しいただければ、すぐに起きて何でもご用を務めますので」

 いつもこれを言われる。一度くらいは、10時以降に呼び出して欲しいのかもしれない。

 メグが自分の部屋に戻った後で、トレーニング・ウェアに着替えて部屋を出た。ランニングをする予定だが、メグに黙っておかないと、またシャワーの準備だの何だのをしに来るに違いない。このリゾートの中には環状道路があるのだが、そこを走っていいか、距離はどれくらいかをコンシエルジュに訊きに行く。

 カウンターには若い女がぽつねんと一人で座っていた。肌の色が浅黒く、鼻と口の形に特徴があるので、アボリジニではないかと思う。美形の部類に入る。

「道路脇に歩道はありますが、外はもう真っ暗ですし、走るのは難しいのではないかと……」

「街灯もない?」

「各ホテルの入り口付近にしかありません。夜間にホテルやリゾート・スクエアの間を移動するにはバスをご利用いただいています。ですから、走るのはちょっと……」

 可愛らしい顔をしているくせに、なかなか強情だ。ただ、夜道をランニングなんかさせて万一事故が起こったら彼女の責任になるので、軽々しく許可を出せないのは解る。

懐中電灯フラツシユ・ライトを持っていても走れないかな?」

「危険だと思います」

「解った。じゃあ、走るのは明日、明るくなってからにするが、周回道路の距離を教えてくれ」

「2.4キロメートルほどです」

 1マイル半だな。明日の朝は日の出前の出発だから走ることはないだろうが。

「それと、リゾート内の地図を見せてくれ」

 環状道路の西側には、北から南にかけて、今いるセイルズ・イン・ザ・デザート・ホテル、野外劇場、リゾート・スクエア、エミュー・ウォーク・アパートメント・ホテル、そしてデザート・リゾート・ホテルがほぼ間断なく並んでいる。そこに指を滑らせながらコンシエルジュ嬢に訊く。

「ここなら夜でも明るいだろうから、走ってもいいんじゃないか?」

「…………」

 何となく不満がありそうだが、コンシエルジュ嬢は渋々了解してくれた。ただし、スクエアの辺りはまだ人通りもあるだろうから、十分注意して走って欲しいとのこと。また、環状道路の方に“迷い出さない”ようにして欲しいとのこと。俺ならやりかねないと気付いたのだろう。なかなか勘が鋭い。

「ところで、君、名前は?」

「グロリア・モリアーティーです。失礼ですが、お客様のお名前も伺ってよろしいですか?」

「アーティー・ナイトだ」

 モリアーティーか。そう言えばメグのファミリー・ネームはハドスンだったな。ミセス・ハドスンとモリアーティーの両方が揃うなんて、なかなかないことじゃないか。

 ホテルの南口から出て、早速走り出す。すぐに野外劇場があるので、その観覧席の外側を回り込む。横断歩道を渡って少し行くとリゾート・スクエア。明日の昼食はおそらくここに摂りに来るのではないかと思う。

 スクエアの中をすり抜けて、エミュー・ウォーク・アパートメント・ホテルの通路の中を走る。屋内ではなく、実際のアパートメントのように通路の両側に建物が並んでいる。この通路はスクエアからデザート・リゾート・ホテルに行くための通り道にもなっているので、誰でも通ることができる。ただ、途中に階段があったりするので気を付ける。

 デザート・リゾート・ホテルに到達する。メグの部屋が何号室かは知らないが、電話番号から推察することはできる。突然行って驚かすこともできるが、襲いに来たと勘違いされたらかなわないので、そんなことはしない。

 ここまで、距離は半マイルほど。メグが言ったのよりも長いが、直線距離として660ヤードは至当で、途中で通路がクランク状に曲がったりしているためだ。

 一応、道路の方に“迷い出て”見たが、コンシエルジュ嬢グロリアの言うとおり道路自体は真っ暗。うっかり道を踏み外して藪の中に突っ込んだりしたら、大怪我をしそうだ。

 とりあえず6往復、6マイルくらいは走るつもりで、スタート地点に向かって再び走り出す。野外劇場まで戻って来た時、夜だというのにパラソルを差して観客席に座っている女が見えた。ミズ・フレイザー!? こんな時間に何をしている。散歩だとしても、何も見えないだろう。朝焼けや夕焼けが好きなだけではなかったのか。

 とりあえず、無視する。だが、もう1往復してまた野外劇場まで戻って来た時に、俺の走る道筋をミズ・フレイザーが塞いでいた。

「こんばんは、ミスター・ナイト」

 挨拶して、微笑んでいる。どうやら、どうしても俺に相手をして欲しいらしい。しかたなくスロー・ダウンして、彼女の前まで行く。

「こんばんは、ミズ・フレイザー」

「こんな夜に何をしてらっしゃるの?」

「ランニング。君こそ何をしてるんだ?」

「夜の風を楽しみに来ました」

 そう言えば夕方より少し風がある。まだ砂漠の砂が冷えていないのか、さほど涼しくない。あまり風が強くなると、明日ウルルに登れない。

「風を楽しむならその傘は要らないだろう」

「これは人目避けです。ボールは持ってらっしゃらないの?」

「投げる練習はしないし、落っことしてなくしたら大変だからな」

「エアーズ・ロックはとても大きいですね」

 話が飛んだ。合わせるのが大変だ。

「見に来たのは初めて?」

「いいえ、先月も来ましたけど、その時には登れなかったので」

「暑かったか、風が強かったか」

「そうです。1週間も滞在したのに」

「今回は何日滞在予定?」

「2日です。明日、ポートダグラスに戻りますわ。急に思い立って来ただけなので」

「明日の朝、登れなかったらどうするんだ?」

「またそのうちに来ますわ。でも、明日は登れそうな気がするんです。あなたはそう思いませんか?」

「さあね、俺は天気予報は苦手なんだ」

 天気予報自体、信頼してないがね。

「もし登れなかったら、プールで泳ぎませんか?」

 なぜここでプールが。

「泳げないので興味がないな」

 チェック・インの時に案内はされたが、同じことを言っておいた。そもそも、砂漠のど真ん中でなぜプールを楽しむ必要があるのか。

「そうなのですか。では、ポート・ダグラスに戻っても、海で泳いだりはしないのですか?」

「海は見に行くけど、泳ぐ予定はないよ」

「グレイト・バリア・リーフはもう見に行きましたか?」

「興味はあるからそのうち見に行く」

「とても綺麗だそうですね。私も楽しみにしてるんです」

 何か、嫌な予感。まさかまた同じ日に行くことになるんじゃないだろうな。

「今夜はもう走り終わりましたか?」

「まだだ。あと4往復する」

「あら、それではお引き留めしてしまったのですね。申し訳ありません。明朝のサンライズ・ツアーにはあなたも参加されますか?」

「その予定だ」

「それではまたその時にお話ししたいですわね」

 そう言ってミズ・フレイザーは道の端に避け、「お気を付けてステイ・セーフ・オン・ア・ラン」と言った。「お休み」と言ってから再び走り始めた。彼女から返事はなかったが、セイルズ・イン・ザ・デザートの南口から折り返して来て、再び野外劇場を通った時には、俺に向かって小さく手を振っていた。その後に戻って来た時にはもういなかった。

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