#7:第2日 (2) 二つのニックネーム
8時半になり、メグに連れられてエントランスへ行くと、例のストレッチ・リムジンが停まっていた。ドリスもいる。
「おはようございます、ミスター・ナイト。ハイ、マギー」
「おはよう、ドリス」
「ハイ、ドリス。今日もよろしくお願いするわ」
運転手にドアを開けてもらって乗り、ドリスも乗る。メグの見送りはここまでかと思っていたら、何と彼女も俺の横に乗ってきた。スカイレールの駅まで見送るまで彼女の仕事らしい。が、それならドリスは何のために乗っているのか解らない。しかし、先に口を切ったのはドリスだった。
「
「いや、まだだ」
「お差し支えなければ、私からご説明いたします」
「頼む」
「このツアーではまず、スカイレール、いわゆるロープ・ウェイにご乗車いただき、世界遺産であるクイーンズランドの湿潤熱帯地域の風景を、空からお楽しみいただきます」
スカイレールには途中に乗り換え駅が二つあり、レッド・ピーク駅では原生林内を巡る遊歩道、バロン・フォールズ駅ではその名のとおりバロン渓谷を流れ落ちるバロン滝の眺めが楽しめるらしい。
キュランダに着くと、レインフォレステーション自然公園に移動し、アボリジニのデモンストレーション鑑賞、カンガルーやコアラとの触れ合い、様々な動物ショー、ブーメラン体験などができるらしい。
キュランダ村に戻って昼食の後、自由時間。蝶園、野鳥園、様々な土産物屋、名物のアイスクリーム屋台などが楽しめるらしい。
帰りはキュランダ観光鉄道に乗って、マカリスター山脈内を蛇行し、バロン渓谷や、様々な滝を見ることができるらしい。
聞いただけで行った気になれるほど詳しく説明してもらったが、ドリスはその全てを、メモも見ずに暗唱してしまった。よくこれだけ憶えていられるものだ。頭の中に地図があって、そこに説明看板が立っているのに違いない。
「お帰りの際は、フレッシュウォーター駅にてお待ちしております。ツアー添乗員にも連絡いたしておりますが、お乗り過ごしのございませんようお願いいたします」
「ありがとう、大変参考になった」
「何かご質問はございますでしょうか?」
「君も一緒に来てくれるのか?」
「あら、連れて行っていただけますの? 大変嬉しいですわ! でも、今日はこの後、まだ仕事があるので、ダメなんです。次の金曜日なら空いてますわ。主人と娘を連れて来てもよろしいですか?」
やるなあ。もちろん、ジョークで訊いたのだが、こううまく返されるとは思わなかった。
「じゃあ、メグ、君は?」
「申し訳ありません、私、高所恐怖症なので、スカイレールに乗れないんです! それに動物も苦手で、子供の頃にレインフォレステーションでワニのアタック・ショーを見て、気絶したことがあるんです。ずっと目隠しをしていてよろしいのなら同行できますが……」
「しょうがないな。やっぱり今回は一人で行くよ」
カラボニカ・レイク駅に着くと、メグは「ツアー添乗員と打ち合わせをして参りますので、先に待合室にお入り下さい」と言って、どこかに行ってしまった。その間に、ドリスを呼び止めて訊く。
「君は今朝、ミセス・ハドスンのことをマギーと呼んでいたが、俺はメグと呼ぶように言われたんだ。どうして彼女はニックネームを二つ使ってるんだ?」
「ああ! 簡単ですわ。メグはお客様に呼んでいただくためのもので、マギーは仕事仲間が呼ぶためのものです。呼ばれ方で頭の切り替えをしたいので、使い分けているらしいです」
「なるほど、スマートだな」
「家族にはまた違うニックネームで呼んでもらうらしいですけど、それは私たちには教えてくれないんです」
マーガレットのニックネームは、メグ、マギーの他に、マッジ、マーゴ、マレード、ミーガン、リタ、グレッチェン、ペグ、ペギーなどがある。色んな使い分けができそうだが、俺なら逆に頭が混乱するかもしれない。
ドリスに礼を言って、待合室に入る。駐車場脇の森の中に建つ、緑の屋根の山荘風だ。客がたくさんいて騒がしい。すぐにメグがやって来て俺を呼び、ツアー添乗員と引き合わせてくれた。カーキ色の帽子を被った優男だった。痩せて筋張った身体つきで、営業スマイルを浮かべている。帽子のつばに、コルクを付けた紐がいっぱいぶら下がっている。おかしな帽子だ。
「今日のツアーを世話するエヴァンズです。よろしく」
「アーティー・ナイトだ。よろしく頼む」
挨拶を交わして握手をする。添乗員が男なら、気を散らさずに観光ができそうだ。我々のツアーの目印です、と言ってエヴァンズ氏が丸いステッカーをくれた。男の似顔絵が描かれていて、そいつがエヴァンスと同じ帽子を被っている。これを胸に貼り付けておくとのこと。
「それでは、ミスター・ナイト、よいツアーを!」
メグのエレガントな笑顔に見送られて、添乗員に付いていく。ツアー客は25人ほどで、なぜか昨日ホテルで見かけた中年の婦人たちがいる。そしてあの白い服の女もいた。ベアショルダーでロング・スカートのドレス、それにつばの広い白い帽子を被っている。常に白なんだな。トレードマークのパラソルは差していないが、畳んで手に持っている。周りを中年婦人だけでなく、中年男性や老人たちに囲まれて、楽しそうに話し込んでいる。
それではツアーに出発します、とエヴァンズ氏が声をかけると、皆が一斉に立ち上がり、ぞろぞろと歩き始める。平均年齢がずいぶん高い。先ほどの中年婦人の団体の他は、中年夫婦と老年夫婦ばかりだ。2組ほど、新婚らしい若い男女
白い服の女がエヴァンズ氏と何か話をして、「では先に……」と言って中年婦人4人と一緒に最初にゴンドラに乗った。それから5、6人ずつ乗っていき、最後は若い男女のペアとエヴァンズ氏と俺が乗った。エヴァンズ氏は如才ない態度でペアに話しかける。
「やあ、クラウダーさん、オーストラリア旅行はどうです? 何日目ですか? どこに行きましたか?」
女の方が嬉しそうに答える。やはり思ったとおり彼らは新婚旅行で、ダイヴィングをしたとかパラセーリングをしたとかクルーズ船に乗ったとか、毎日アクティヴィティーを楽しんでいて、くたくただそうだ。訛りを聞く限り、合衆国のミネソタ辺りと思われる。あんなところからよくオーストラリアまで来たな。
エヴァンズ氏が「そう言えばナイトさんも合衆国からだそうですよ」と余計なことを言う。しかたなくクラウダー夫妻と挨拶を交わす。困るのは、俺の身分をどう説明するかだ。
「フロリダ州で農場をやってる」
「へえ! フロリダ州ですか。僕たちも一度、マイアミに行ったことがあるんですよ。冬でも暖かくていいですね、あそこは」
幸いなことに、会話はそれだけで終わった。新婚の二人にとっては俺の存在なんてどうでもいいだろうし、エヴァンズ氏が熱帯雨林の解説を始めたせいでもある。ゴンドラはぐんぐんと高度を上げ、ケアンズの市街地の向こうに太平洋が見える。10分ほどでゴンドラはレッド・ピーク駅に滑り込んだ。中間駅なのだが、ここで乗り継がなければならない。広い降り場に白い服の女が立って、手を振っているのが見える。
「ミズ・フレイザーに、駅の外で集まることを皆さんに伝えてもらうよう、お願いしたんですよ」
エヴァンズ氏が説明する。彼女が最初に乗った理由がそれか。白い服なら目立つし、ツアー客の中年婦人たちも、彼女の言うことなら信用しそうだからだろう。
ゴンドラを下りて駅の外に出ると、ボード・ウォークがあって、昔の映画に出てくる保安官のような格好をした男の周りに、ツアー客が集まっている。彼はこの熱帯雨林の案内資格を持つレンジャーで、これから彼の案内で付近を20分ほど散策します、とエヴァンズ氏が言う。
レンジャーは自己紹介をしてから先頭に立って歩き始める。時々立ち止まって、熱帯雨林の植物や動物について説明しているようだが、俺は一番後ろにいるので今一つ聞こえにくい。俺の前には新婚が2組いて、彼らは
予定どおり20分ほどでボードウォークを一周して、再びゴンドラに乗る。先ほどと同じく、新婚の二人とエヴァンズ氏と俺が最後に乗った。
ここからバロン・フォールズ駅までの熱帯雨林は、特に古い時代の姿を残しています、などとエヴァンズ氏が説明してくれるが、新婚の二人は窓外の景色を写真に撮るのに夢中で、聞いているのかいないのかよく解らない。しかたなく俺が適当に相槌を打つ。林を見下ろすためか、ケーブルがことさら高いところに張ってあるように思う。
バロン・フォールズ駅に着き、滝を見る見晴台に行く。何段にもなった岩場を流れ落ちる滝で、水量が多くてなかなかの迫力だ。「先週は雨が多かったので、今日は特に素晴らしい勢いです」とエヴァンズ氏が勝ち誇ったように説明する。見晴台が狭いので、先に着いた者から順次キュランダ行きに乗るようエヴァンズ氏が叫ぶ。しかし言うことを聞かない者が多い。特に中年婦人の団体が。
それでも全員ゴンドラに乗り、10分で終点に着いて、バスに乗り換える。エヴァンズ氏がマイクを取り、これからレインフォレステーションに行きます、と言う。どんな体験ができるかは、ドリスから聞いたこととほとんど同じだった。
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