#6:第7日 (8) 誘導尋問

 バレリアがキッチンに戻り、モニカがアナベルに座るよう指図する。俺の隣に座ったアナベルが、不思議そうな顔で俺のことを見ている。来たときの表情の続きだ。

「何?」

「あの……ミゲルに、パリージョスを持って私のところへ来るように言って下さったのは、アーティーさんですか?」

「俺はそんなこと言わないよ」

「そうですか……」

 聞けば昨日の朝、ミゲルが箸を持ってやって来て、君の練習のためになるそうだから、と言ったという。ミゲルは誰からか知らないが明らかに“男の筆跡”で書かれた手紙を受け取り、それには「親方から箸を借りてアナベルへ届けよ」と書いてあったということなので、その手紙の主は俺ではないかと思ったそうだ。もちろん、そんな憶えはない。

 ちなみに、その箸は昔、親方が日本から研修に来た職人――ヒゴ・ゾーガンの職人――にもらったものだとのこと。そんなこと、俺が知っているわけがない。だいたい、それならアナベルか親方へ手紙を出せばいいのに、なぜミゲルなんだ。ああ、そういや昨日の朝、ミゲルらしき男に会ったな。あの時、箸を持ってきたのか。

「アーティーさんも一昨日、もう一度ミゲルの話を聞いてみた方がいいっておっしゃってたので、ちょうどよかったです。でも、ミゲルはマドリッドにいるはずだったのに、帰ってきてたなんて知りませんでしたが……」

「話はたくさん聞けたかね」

「はい」

「参考になった?」

「はい」

「もっと話を聞かせて欲しい、と言った?」

「あ、はい」

「彼は、これからも君の力になりたい、と言ってくれた?」

「……はい」

「次に逢う日も決めた?」

「……はい、あの……まさか、どこかで聞いてらしたのでは……」

「いや、全部俺の想像だって」

 笑っているのはドロレスだけだ。モニカは視線で、誘導尋問リーディング・クエスチョンが下手すぎる、と言っている。仕方ないだろ、俺はそういうのは苦手なんだ。誰のおかげかは知らないが、アナベルとミゲルが仲良くなりそうなんだから、それでいいじゃないか。

「じゃ、そろそろゲーム始めるから、アナも用意して」

「えっ、何の用意?」

「この部屋に来たらいつもしてるでしょ」

「……嫌よ!」

 アナベルが身を固くして拒否反応を示す。うん、何のことか、だいたい判った。

「どうしてよ」

「だって、アーティーさんがいるのに!」

「気にすることないわよ。あたしたちは気にしてないし、いないと思えばいいじゃない」

「でも、いるじゃない!」

「彼の前では可愛い子イノセンテぶる必要ないって言ってるじゃないの」

「そんなのじゃないわよ、単純に恥ずかしいの!」

「そんなに恥ずかしい下着レンセリアなの?」

「違うわよ! 普通だけど、男の人に見せるのは恥ずかしいの!」

「ミゲルには見せても、アーティーには見せられないの?」

「だって、ミゲルとアーティーさんは違うの!」

「アーティー、この子から聞きたいことを聞くにはこうするのよ」

「ありがとう、参考になった」

「!!!」

 アナベルはうっかり口を滑らしてショックを受け、ドロレスは思わぬことが聞けて喜んでいる。予想どおり、ミゲルと単に仲良くなったどころじゃなかったってことだよな。俺は“肯定の連鎖”で誘導しようとしたが、モニカは逆に“否定の連鎖”で言わせてしまった。アナベルの従順な性格を利用したんだろう。やはりモニカは一枚上手だ。

「アナ、余計なこと言わせて悪かったわ。謝る。でも、あたしはあんたがミゲルと付き合ってくれた方が嬉しいの。あの子の方がフアンより、絶対あんたを幸せにできるんだから。解ってくれるわよね? さあ、機嫌直して、ゲームするわよ」

「…………」

 アナベルは半泣きになっていたが、モニカに言われて小さく頷くと、目の前に置かれたカードを手に取った。まあ、ミゲルはモニカの弟だし、前からドン・フアンと争うようにして言い寄っていたのだろうし、重大な秘密がバレたわけでもないから諦めたのだろう。それはいいが、何のゲームをするか判っているのだろうか。

「じゃあ、4人揃ったからムスね」

 もちろん、俺はルールを知らない。教えてもらったが、複雑すぎて1回の説明でとても憶えきれるものではない。

 スペイン式の40枚のカードを使い、向かい合った2人が組になる。最初に4枚ずつカードが配られ、隣とカード交換しながら40点を目指す。ただし、2は1点で3は10点、その他はカードに書かれた数と同じ点数とする。交換が終わると賭けをするのだが、それには4種類の勝敗判定法がある。グランデ、チカ、パレス、ユエゴ。

 グランデは最も強いカードを持っている者が勝ち、チカは最も弱いカードを持っている者が勝ち、パレスは2枚以上のカードの組み合わせ――ポーカーのようにワンペア、ツーペア、スリーカードがある――で勝敗を決め、ユエゴは4枚のカードの合計――その比較方法がまたよく解らない、31点が最強で、以下32点、40点、37点……となる――で勝敗を決める。

 組になった二人は表情を使って自分の手を伝える、というルールもあるようなのだが、さすがにそれは俺には無理なので使わないことになった。

 まず俺とドロレス、モニカとアナベルがそれぞれ組になったが、俺がルールを把握できていないので負け続けに負ける。次に俺とモニカが組になったが、それでせいぜいいい勝負、という感じだった。1時間ほど遊んだところで、「夕食、まだかしら」とモニカが言う。

「そう言えば匂いも全然しないわね」

「ちょっと見てくるわ」

 カードを置いてモニカがキッチンへ行く。が、すぐに大きな声が聞こえてきた。

「いつまで包丁研いでんのよ! 早く食事の準備してよ!」

「ええっ、もう7時!? ごめんなさい、全然気が付かなかったわ!」

 うん、まあ、予想はできていた。俺は全然腹が減ってないから、夕食があと1時間後でも問題ないんだが。

「アナ! ちょっと来て、手伝って」

「あ、はい!」

 アナベルが返事をしてキッチンに行ってしまう。「私も行くわ」と言ってドロレスもキッチンへ向かったが、すぐに戻ってきた。

「狭いし、まずサンドウィッチボカディージョを作るだけから、すぐにできるって」

 君、サンドウィッチですら手伝わせてもらえないのか。よっぽど腕が信用されてないんだな。5分ほどで、バゲットで作ったサンドウィッチとコーヒーを、モニカとアナベルが持ってきた。バレリアはキッチンで摘まみながら夕食を作るという。

「10本よ、包丁だけじゃなく、ナイフと合わせて10本! 研いだら試し切りついでに何か作ってくれると思ってたのに」

 モニカがサンドウィッチを摘まみながら呆れ顔で言う。たった5分で作ったわりには、ドロレスが作ったサンドウィッチより見た目も綺麗で断然うまい。それをモニカ自身がすごいペースでどんどん食べていく。

「腹減ってたのか」

「昼食が早かったのよ。ビトリアから車で帰ってきたから」

「ああ、そう言えばここから遠いんだってな。4時間くらい?」

「そうでもないわ、3時間もかからないくらいよ」

 おかしいな、ビッティーは車で4時間くらいと言っていたはずだが。

「大急ぎで帰ってきたのかね」

「普通のスピードよ」

「そういえばアーティーには言ってなかったわね。オスカルはフォルミュラトレスのドライヴァーなの。だから車の運転はすごくうまいのよ」

 ドロレスが補足してくれた。ドライヴァーねえ。それはそうと、君らの恋人の職業はすごいな。自転車レーサーに、サッカー・プレイヤーに、Fスリードライバー? 普通のオフィス・ワーカーが恋人って女はいないのかよ。

 食べ終わってからまたムスを再開。そして1時間後には夕食が出来上がってきた。1時間で、一人で作ったにしてはやけに品数が多い。ただし、どれも家庭料理っぽくなくて、バルのタパスのようだ。いや、タパス自体が元々は家庭料理なんだろうな。

 ロシア風サラダ、塩鱈のクロケット、ニンニクのスープ、肉団子、牛肉のトマト煮込み、イカのリング揚げ……それから、大量の缶ビール。料理はどれもうまいので、腹がふくれた後でもつい手が出る。バルよりもうまい。それを正直に言うと、バレリアが喜んでいる。

「嬉しいわ。これから毎日、アーティーに料理を食べてもらいたいけど、どうかしら?」

「合衆国まで毎日料理を送ってくれるのか?」

「他にも案があるわよ。例えばアーティーがここで仕事を見つけて住んじゃうっていうのはどう?」

「俺は寒いところが苦手でね。フロリダが一番身体に合ってるんだ」

「フロリダってスペイン語よね。じゃあ、スペインも身体に合ってるんじゃないかしら」

 バレリアは俺の横に座って食べている。テーブルがそれほど窮屈なわけではないが、俺にくっつくようにして座っている。アナベルが、二人はどういう関係なのかというような疑わしそうな目付きで見ている。君と親戚になるつもりはないから安心してくれ。

 そのアナベルは、持ってきた箸で料理を食べている。一昨日から、ほとんどの料理を箸で食べることにしているそうだ。ゲームに呼ばれただけなのに箸を持ってきたのは、ここでゲームをするときはたいてい夕食時までいるから、だそうだ。

 ドロレスが箸を借りて挑戦してみたが、全く料理を摘まめない。これほど手先が不器用で、よく職人が務まるものだ。手先のことで悩んでいるアナベルが可哀想に思えてくる。バレリアは箸の使い方がうまい。が、摘まんだ料理を俺に食べさせようとする。そして時々料理を俺の服の上に落として、「あら、汚しちゃったわ、脱いで!」と言ったりする。

 食事が終わると、今度はトゥテというゲームをすることになった。4人でするゲームなので、さっきムスで一番負けたドロレスが“後片付け”という名目で外された。

「この前みたいに、お皿割らないでよ」

 キッチンで皿洗いを始めたドロレスに向かってモニカが言う。どうやらドロレスは前科持ちのようだ。トゥテも二人一組になってするゲームで、各自に10枚ずつカードを配り、条件に合うカードを順番に場に出していく、いわゆるトリック・テイキングなのだが、条件がややこしい上に、ディーラーが自分に配る最後のカードが“切札”になったり、ロス・カンティコスという宣言をして20点なり40点なりを獲得できたりするなど、複雑なルールでいっぱいだ。スペイン人というのは、どうしてこうも複雑なカード・ゲームをたくさん知っているのか、不思議で仕方ない。

 無事皿洗いを終えたドロレスが戻ってきて、やりたそうにしているので、30分やって一番負けた者が交替するというルールで2時間ばかり遊んだが、アナベルとドロレスが2回ずつ負けただけで、俺は不思議と最下位にはならなかった。

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