#6:第3日 (8) ゲームとワイン

きゃーアイ、リカルド! こんなややこしいところに来ないでよ。ますます混乱しちゃうじゃないの」

「おお、俺が来たことがそんなにうれしいのか。やはり来てよかったぞ。む、この男は誰だ?」

「まさか俺のことじゃないだろうな。昨日の今日だぜ」

「違う、そっちの男らしくない髪をした男だ」

「クラウディオよ。小学校でずっと一緒だったじゃない。忘れたの?」

「外見に惑わされて本質が理解できないとは嘆かわしいことだ」

「クラウディオ? ああ、あの何とかいう詩集ばかり読んでいた奴か。詩集を読むなど男のすることではない」

「では、男の仕事とは何かね? 私は彼らに男のみならず人間の仕事は思考することだと説明し、それを納得させたところだ」

「おいおい、具体例を挙げるまで俺は納得するつもりはないぞ」

「男の仕事か。男の仕事というのは……あー、そうだ、何か優れた物を作り出すことだ。つまり、歴史に残るような名剣を作ることだ」

「え? じゃあ、闘牛士や軍人を目指したのは何だったのよ?」

エスパーダ! エスパーダは戦いの象徴だ。戦いはいずれ世界から消える。そして剣も朽ち果ててなくなるだろう。思考は叡智の象徴であり、人間がいる限り永久に残るものだ。いずれが優れた仕事であるかは言うまでもないだろう」

「リカルド、注文は? あんた、いつも決めるのが遅いんだから、さっさとしてよ」

ビールセルベッサ生ハムハモン・セラーノでいいわよ。私はビールセルベッサのお代わりと、イカのフライカラマレス・フリトス

「シー・セニョリータ・ロリータ」

「やめてっ!」

「剣は戦いの象徴じゃない。剣は強さの象徴だ。それから、何だ、そうだ、肉体的な強さだけでなく、精神的な強さの象徴でもあるんだ。それから、あー、そうだ、肉体を鍛え、精神を鍛えることが、こうトレこうトレ……高邁なトレメンド騎士道の基礎であり、剣はその象徴なのだ。お前は剣というものが解っとらん」

「なかなかの正論だな」

「鍛冶の親方マエストロの受け売りじゃないの?」

「おい、ローラ、ウェイトレスを呼んでくれ」

「あんたの飲み物と食べ物はさっき頼んだわよ」

「剣が強さという概念の象徴であるなら、剣の実体が存在する必要はないではないか。剣という概念さえあればよいはずだ。あるいは剣という概念を包含する、武器という概念でもよい。あるいはそんなものがなくとも強さという概念さえあればよいはずだ。なぜ、強さを象徴するのに剣という実体が必要なのか、説明したまえ」

「うむむ、それは……」

「実体があればそれを見たり触ったりして概念を簡単に共有できるからだろ。“百聞は一見に如かずア・ピクチャー・イズ・ワース・ア・サウザンド・ワーズ”。だから具体例を挙げて説明してくれって言ってるだけなのに」

「私、だんだん解んなくなってきた」

「おい、お前、なかなかいいことを言うな。うむ、やはり強さの概念を表すには剣が必要だ」

「俺の名前、もう忘れたんじゃないだろうな?」

唯物論マテリアリスモ! 唯物論マテリアリスモでどうやって人間の思考する仕組みを説明できるのかね、嘆かわしい。議論に値しないよ」

「唯物論じゃなくて具体例を挙げて説明してくれって言ってるだけだ」

ビールセルベッサ生ハムハモン・セラーノイカのフライカラマレス・フリトス、どうぞ。アーティー、ビールセルベッサのお代わりは?」

「お願いだから次はクラーラにしてくれ」

「アーティー、やっぱり別の店にした方がよかったんじゃない?」

「あたしもそう思うわ。だから最初に言ってあげたのに」

「おい、生ハムハモン・セラーノは俺が全部食うぞ。文句ないだろうな」

「どうかね、これで思考が人間の為すべき仕事だということが解ってもらえただろう?」

「まだ具体例を挙げてない。例えば思考を使うようなゲーム、チェスやバックギャモンと、ワインとの相関性について論じるってのはどうだ。さっき、お前はワインの歴史と作り手の知識と精神について論じたが、チェスもバックギャモンも古い歴史を持つゲームだし、数多くのプレイヤーの思考によって定跡が編み出されてきたから共通性がある。何か論じられるだろう。さあ、ワインとは概念的に何が同じで何が違う?」

「ああ、うまかった。おい、ローラ、俺は頭が痛くなってきたから帰るぞ。今日は本当はここへ来る前から頭が痛かったんだ」

「もう来なくていいわよ。さっさとバスクに帰って仕事したら?」

「ちょっと、ちゃんと飲み代払ってよ」

チェスアヘドレス! バックギャモン! そう、確かにこれらのゲームフエーゴの歴史は古い。一方はインドで生まれ、またもう一方はエジプトで生まれたと言われるらしい。ダードを使うか使わないかという違いあるだろうが、勝つために思考が重要なことは明らかだ。定跡は確かに過去の人間の思考の結果だ。だが、定跡は最終的な結論ではない。定跡はあくまでもゲームフエーゴの中の部分的な結論だ。即ち定跡は不完全な思考の結果に過ぎない。そして定跡を外れた瞬間、結論のない世界に入ってしまう。もちろんその場面においても思考が行われるだろうが、それは一時的な思考に過ぎない。後世に永遠に残る思考ではない。あるいはその一部は定跡の更新に貢献するだろうが、それだけに過ぎない。そもそもゲームフエーゴ自体がその場限りのものでしかないのだ。そこで行われる思考には、この世界全体における普遍的な考察は何も含まれてはいない。ゲームフエーゴという閉じた世界における、限られた条件における思考に過ぎないのだ。この点がワインビーノとの大きな違いだ。現時点で存在するワインビーノは、常に最終的な結論であって、我々はそれを人間の思考の歴史の集約として受け容れることが可能だ。対するに、現時点のゲームフエーゴというものは、チェスアヘドレスもバックギャモンも、その他のゲームフエーゴも全て、我々はそのまま受け容れることができない。不完全な物が完全になるまで思考した結果ではないからだ。それが、僕が考えるゲームフエーゴワインビーノの概念的な違いだ」

「要するに、チェスやバックギャモンは必勝法がないから不完全だと言いたいのか? だが、必勝法のあるゲームなんて誰もやらなくなるからゲームとして成立しないだろ。モニカ、君はどう思う?」

「んんー、そうね、ゲームフエーゴワインビーノって全然別の物だから、比べることに意味なんかないんじゃないの。ゲームフエーゴが不完全な物って言われたのははっきり言って腹が立つけど」

「ちょっとモニカ、どうしてずっと聞いちゃってるのよ。仕事しなさいよ」

「ええー、だってアーティーがこっち来いって手で呼んでたから」

「そう! 僕が言いたいのもまさにその点だよ。君がゲームフエーゴワインビーノの相関性を論じろと言ったから僕の考えを述べたが、これに一体どんな意味があるというのかね? 僕に思考させることに、どんな意義があったというのだね? 下らん! 実に下らんよ。こんなことは僕の思考する時間の無駄づかいに過ぎない!」

「だったら最初からそう言えばいいだろ。後付けで言い訳したようにしか聞こえないんだよ」

「それで、結局、あんたはチェスアヘドレスをやったらあたしに勝てるの? 思考が他人より何倍も速いんだったら、あたしみたいな思考が遅い人間に勝つのなんて簡単なんでしょ、どうなのよ?」

「何! 君は一体何を聞いていたのかね。僕は具体例を一つ一つ解説はしないと言っただろう! 僕が思考するのは抽象的で、普遍的で、一般化された概念についてなのだ。チェスアヘドレスを抽象化した概念について思考しろというのならまだしも、僕がチェスアヘドレスを指すことに、どんな意義があるというのかね。僕がチェスアヘドレスを何千局か指せば、チェスアヘドレスにおける全ての結論を出してしまうだろう。だが、それが後世にとって何の意味があるのか? 後世に残す思考としての価値があるのか? それが神から与えられた仕事だというのか? そんなはずはない! 可哀想なことに、君たちはやはり何も判っていないようだ。君たちのような思考能力では、これ以上僕が説明しても無駄だろう。帰らせてもらおう。僕にはまだ思考すべきことがたくさんあるのだから!」

「ちょっと、ちゃんと飲み代払ってよ!」

「疲れる……」

 クラウディオが足をふらつかせながら行ってしまった後で、ドロレスがため息をつきながら言った。そしてグラスに残っていたビールを一気に飲み干す。

「君の知り合いってのはああいう変わった奴ばっかりなのか。大変だな」

「そんなわけないでしょ。クラウディオとリカルドだけが特に変なの。誤解しないで」

「ところでクラウディオの言っていたことはどう思った」

「どうって、ゲームフエーゴワインビーノのこと? 全然意味が解らなかったわ」

「いや、全体を通してだがね。どうも結局のところ、クラウディオの言ってることはリカルドと全く同じだって思ったんだが」

「え、そうなの? どの辺りが? あ、ちょっと待って。モニカ、ビールセルベッサお代わり!」

「そんなに難しい話じゃない。二人とも結局、自分は全てを解ってる、だから他人の言うことは聞く必要ないって思い込んでるところが同じだと思っただけさ。その理由を言う時に、もっともらしく言っているかそうでないかの違いしかないんだ」

「あー、そうね、そういえばそうかも」

 ただ、“ゲーム自体がその場限りのものでしかない”っていう指摘は的を射ていてショックだったな。まさか、ゲームの中の人物からそんな真実を指摘されるなんてね。

「さて、モニカには悪いが、気分を変えるためにどこか別の店へ行って飲み直すか?」

「あー、いいわね。じゃあ、アーティーもビールセルベッサの1杯目から飲み直しね」

「いや、それは困るんだが」

「いいじゃない。次のビールを飲み終わったら別の店へに行くわよ。あ、それから、次の店でチェスアヘドレスかバックギャモンしない? さっき話に出てきてたから、何だかやりたくなっちゃった」

「チェスは駒の動かし方しか知らないんだ。バックギャモンにしてくれ。バックギャモンも俺はダイスに嫌われていて、いい目が出ないんだがな」

「わかったわ。じゃ、店ではバックギャモンで、私の家に帰ってからチェスアヘドレスね」

 別の店へ行ってからバックギャモンを5戦して同点、ドロレスの家へ行ってからチェスを7戦して6敗1引き分けだった。

「アーティーって頭良さそうなのに、どうしてチェスアヘドレスが弱いのかしら。もしかして、運とか駆け引きの要素があるゲームフエーゴの方が得意?」

 チェスを終えて寝る前にそんなことまで言われてしまった。理詰めだけで物事を進めていくのが苦手だというのは俺自身で理解しているところなので認めるしかない。

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