#5:第6日 (9) 騎士道の結末
突然、マルーシャが言った。いや、待てよ。ここ、
「おい、さっきの
「茶番じゃないわ。妹の願いを叶えてあげたかっただけよ」
まあ、マルーシャはティーラのことを途轍もなく大切に思っているらしいから、そういうことをしたいのかもしれんがね。だが、俺をそれに付き合わせることはないと思うんだが。ため息をついてから、目の前にあるディレクターズ・チェアに座る。空間を元に戻すときには、立たないといけないんだろうな。
「
「盗聴器」
「盗聴器?」
そんなもの、自分の部屋に仕掛けてたのか。じゃあ、あの部屋で何か起こると予想していたとでも?
「フォルティーニ氏が仕掛けていたから、何かするつもりと思って私も仕掛けておいただけよ。あなたの部屋にも仕掛けてあるから、悪いけど後で外しておいて」
おい、そんなとんでもないこと、しれっと白状するなっての。
「勘弁しろよ。俺の寝言も全部聞いてたってのか?」
「一晩中起きてたわけじゃないわ」
俺が言ったのはジョークだよ。通じない女だな。
「それで、どこからどうやって奴を撃った?」
「そこの窓から、アサルト・ライフルで」
おいおいおい! アサルト・ライフルだと!? だが、4分の3マイルだぞ!? 外してティーラに当たったら大変なことになってたし、奴に大怪我させても失格だぞ!? どうしてそんな、ティーラどころか自分自身まで危険に追いやるような状況を作って、平気でいられるんだ?
「ティーラに当たるかもしれないとは考えなかったのか?」
「全く」
「それほど自信があったとでも?」
「もちろん」
「銃はどこから持ってきて、どこへ隠したんだ?」
「ご想像にお任せするわ」
いやはや、マルーシャってのは一体何者なんだ? 世界的オペラ歌手にして、超一流スナイパーだって? ウクライナの秘密警察の諜報員か何かか? 訊いても答えてくれないだろうから訊かないけどさ!
「さっきティーラは言わなかったが、撃たれた直後に、フォルティーニを投げ飛ばしてたぜ。君が教えたのか?」
「ええ、護身用の条件反射としてだけど」
「それはもしかして、弾が何かに当たる音とか?」
「そんなところよ」
条件反射か。だったら、無意識なんだろうな。ティーラは投げ飛ばしたことを
「ところで、ここはなぜバックステージになるんだ? 俺は自分の
「ここがゲートだからよ」
「ゲート? この部屋が?」
思わず周りを見回しかけたが、既にバックステージになっているのでどういう部屋だったか判らない。記憶によれば、広くて、明るくて、すぐそこに海が見えて、別荘のようないい感じの部屋だった。
「なぜ、ゲートだと判る? 確認したのか? 俺は何も知らせを受けてないぞ」
「確認はしてないわ。でも、ここがゲートなのは間違いないもの」
「だから、なぜそれが判る?」
「ノルウェーのコインに関係している場所」
「ノルウェーのコイン?」
「
うん、それは
「しかし、コインは何の関係があるんだ?」
「ターゲットは連合王国のコイン」
うん、それも解る。
「それで?」
「イタリアのコインもあったけど、既に盗まれていたわ」
イタリアのコインはコイン・セレモニーのコインのことだ。そして
「それで?」
「ノルウェーのコインはどこにも出てこなかったから、それに関係がありそうな場所がゲートになる、と考えたの」
「考えはそれでもいいが、ここはなぜノルウェーのコインに関係してるんだ?」
「オリンピックのノルウェー代表が泊まっていた部屋」
「ノルウェー代表ならコインに関係があるのか?」
「ノルウェーの王太子ハーラル。後の国王ハーラル5世」
「参ったな、この世界でやっていく自信をなくすぜ。そんな複雑な推論でゲートを特定するなんて、俺にはとてもできそうにない」
「判らなくても、勝者にはなれるものよ」
マルーシャが、おもむろに肩掛けの右袖に手を入れると、中から何かを取り出してきて、掌の上に置いた。そしてその手を膝の上に置く。6ペンス銀貨!
「ターゲットか」
「ええ」
「どこで手に入れた?」
「今朝、ミス・エリザベス・チャンドラーが、ランニングに出ている間に」
ランニング? そうか、ベスは今朝初めてランニングに出てきたんだった。ベスはリリーと同室だから、その間、部屋には誰もいなくなる……しかも、ティーラも走っているじゃないか。マルーシャが自分の部屋を出るのに、ティーラに断る必要もない。6ペンス銀貨をすり替えるのに、最適の時間が存在したって訳だ。
しかし、マルーシャはなぜベスがターゲットの6ペンス銀貨を持っていることに気付いていたのだろう。もしかして、昨夜、俺とベスがサン・デッキで会っていたのを見ていたとか……まあ、彼女ならあり得ることだな。結局、また俺は彼女の使い走りとしてターゲットを盗んだことになったわけだ。
「しかし、どうしてその前夜に、自分でケンジントン・スイートに盗みに行かなかった? 君の
「夜中まで代わりのコインが手に入らなかったから」
キー・パーソンから入手するのが遅れたと言いたいのだろうか。そもそも、彼女のキー・パーソンは誰だったんだろう。
「代わりなんかいらないだろう? 俺はたまたま直前に手に入れたから交換しただけだ」
「花嫁の夢を一瞬でも壊すのは嫌だからよ」
花嫁の夢? ああ、そうか。レスリーがパーティーから部屋に戻って来て、靴の中のコインを確かめようとしたら――やるよな、きっとやる。幸せをかみしめるために――無くなってた、っていうんじゃあ、大騒ぎになるに違いない。たかが6ペンス1枚でも、こういう時は少しでもケチが付くと、後顧の憂いの種になるからなあ。女らしい配慮とも言える。俺なんて、友人の男を奪うような女の結婚式には、多少ケチが付いても自業自得だとしか考えないからな。
「早く確認をして、さっさと退出してりゃあ、ティーラはあんな危ない目に遭わなかったのに」
「彼女があなたと一緒にいる時間を、できるだけたくさん作ってあげたいの。退出は制限時間ぎりぎりまで延ばすつもりよ」
俺がキー・パーソンにやったような配慮を、自分の妹にやるわけだ。アヴァターなのに。
「妹思いだな。いいことだ。しかし……」
「ええ、そのせいで、あなたにも迷惑をかけることになるわ。だから、これをあなたに譲ってもいいと思ってるの」
うつむいて、手の中のコインを見ながら、マルーシャが言った。譲る? ターゲットを? 本気かね。
「ご冗談を。譲られるつもりはないね」
マルーシャが顔を上げて俺の方を見た。しかし、驚くでもなく、いつもの無表情だ。まるで固まったティーラみたいだな。
「この前は、君が強引に俺から奪ったから取り返しに行ったんだ。だが、今回は違う。単純に、俺が失敗して、君が成功した。妹の希望を叶えてやるからって、譲ってもらおうなんてこれっぽっちも思わないね」
前のステージで、
「そう、解ったわ。でも、明日の夜の11時59分まで待ってるから、もし気が変わったら教えて」
「変わらないよ。だが、別の要求を出させてもらう。今後、君と同じステージになったときでも、俺には暴力を一切振るわないこと。君と仲良くなりたいとは言わないが、力ずくで奪っていく女は嫌いなんでね」
「それも解ったわ」
マルーシャはそう言って、コインを肩掛けの袖の中に戻した。
「明日の予定を考えたから、参考にして。9時、このホテルにお迎え。ロケタ島に渡って、しばらく散策。戻ってから、コユカ湖に移動。12時頃に到着し、湖畔のホテルで昼食。その後、湖の遊覧ツアー。夕方になったら、湾の東側のマデイラス・レストランへ……」
何なんだよ、俺を合衆国へ帰さないつもりか。まあ、帰るつもりもないけどな。しかし、エレインがちゃんと飛行機を予約していたら、空港に向かう前に退出しないといけないだろうなあ。そうしないと不自然だ。今夜はノーラたちと夜遊びすると思うが、明日はどうやって断ろうか。二人の女から同時に好かれるなんてのは初めてだから、どうあしらっていいものか想像も付かないぞ。
隣で、うっすらと光りながら立っているティーラの顔を見上げる。無表情でも、可愛いな。笑顔にしてやったら、もっと可愛いだろう。しかし、残念だが明日でお別れだ。この次は、いつ会えるんだろうな。
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