#5:第4日 (9) コインのマジック

 フォルティーニ氏は挨拶を終え、胸ポケットから大きな黒いネッカチーフを取り出すと、それを空中でくるくると振り回していたが、いつの間にかステッキに変えてしまった。拍手を受けながら、そのステッキを目の前にぽんと放り投げる。するとステッキは床には落ちず、空中でぴたり止まったかと思うと、フォルティーニ氏が手を動かすままに、右へ左へと飛び回り始めた。観客は全員、ヴィヴィと同じように大喜びで拍手している。しかもノーラやリリーまで。そうか、この時代はこういうマジックが受けるのか。少し冷静に見ているのは俺とベスくらいかな。

 ステッキを手に戻すと、フォルティーニ氏はマントを大きく広げ、それを翻しながらくるりと身体を回転させた。すると後ろから突然一人の女が現れた。銀ラメのちりばめられたレオタードのような衣装を着ている。いかにもマジシャンの助手というスタイルだ。

「突然現れましたこの美しい女性……わが娘、シンシアです。どうぞよろしく」

 観客がまた一斉に拍手する。そういえば初日にフォルティーニ氏と一緒にいるところを見たような気がするが、もっとおとなしい感じの女だったという印象がある。しかし、今のステージ用の笑顔はまるで違う印象だ。

「シンシアは実はプロのマジシャンを目指していまして、この汽船シップに乗っている魔術王ザ・グレートカーティスに弟子入りしています。一昨夜、みなさまも彼のショーを楽しまれたことと思います。彼は私の師でもあって、今日この場に私が立っているのは師の命令でもあったわけですが……」

 控え目な笑いが起こる。ノーラが、ステージの袖に魔術王ザ・グレートカーティスが立っているのを教えてくれた。彼もフォルティーニ氏のネタばらしに苦笑しているようだ。

「ここで少し、プロを目指すシンシアの演技もお楽しみ下さい。それでは……」

 フォルティーニ氏はシンシアにシルク・ハットとステッキを渡すと、ステージの袖に下がってマントを脱ぎ、司会の男に渡した。ステージではシンシアがステッキをバトンのようにくるくると回した後、シルク・ハットを叩いて、鳩を取り出して見せた。船旅クルーズに鳩を持ってきているところは、さすがにプロの卵と言うべきか。

 その後もシンシアの演技は続いていたが、俺はステージ袖にいるフォルティーニ氏が、次の演技のために仕込みをするのではないかと思ってじっと観察していた。しかし、フォルティーニ氏は腕組みをしたまま、シンシアの演技に見入っていた。時々、ノーラが楽しそうに話しかけてくるのだが、生返事をしながらフォルティーニ氏を注視する。そのうちに、フォルティーニ氏と目が合った。勘の鋭い人間は、見られていることに気付くというが、彼はそのタイプの人間かもしれない。

 しばらく睨み合ってみたが、彼の方から視線を外すことはなかった。ようやく外したと思ったら、ステージへと戻るところだった。ステージではシンシアが、カラフルな帯状の布を丸めた中から鳩を取り出し、喝采を浴びていた。何羽持ってきてるんだ。それとも、魔術王ザ・グレートカーティスの鳩を借りたのか?

「さて、次はご来場のお客様にご協力をお願いしたいと思います。私たちのマジックにご協力下さる淑女レディーと……それから、紳士ジェントルマンをお一人ずつ、どなたかご希望の方は……」

 会場中で手が挙がる。エレインとヴィヴィが勇んで手を挙げる。挙げるだけでなく、手を振っている。そんなにしても、女二人組は選ばれないんだぞ。しかし、あろうことかノーラまでが手を挙げている。意外に子供っぽいんだな。昨夜見かけた小さい女の子も手を挙げているが、さて今夜のマジシャンは誰を選ぶかな。

「ではそこの、グリーンのドレスの淑女レディーと、それからその横の紳士ジェントルマンにご登壇頂きましょう。どうぞこちらへ……」

 グリーンのドレスというとノーラのことだと思うが、その隣の……俺かよ! 手を挙げていなかったのに、なぜ指名する? それとも、さっきの睨み合いで目を付けられたのか。仕方なく席を立って前に出る。ノーラは嬉しそうにしているが、俺はフットボールのゲーム以外で注目されるのは慣れてないのでやめて欲しい。名前を訊かれたので仕方なく答える。

「お二人は新婚旅行中?」

あらオーいいえノー! 違うんです。食事の時に偶然隣の席になって、それから友達に……」

 ノーラがちょっと恥ずかしそうな笑顔で答える。そんなこと言いながら、まんざらでもないって顔しないでくれよ。どんなに君と親しくなっても、土曜日になったら永久にお別れなんだぜ。キー・パーソンとして、情報を提供してもらえるレヴェルの信頼度より上げたくないんだ。

「ほう、それは失礼、とても仲が良さそうに見えたので……ひとまず私からのプレゼントを受け取って頂けますか」

 そう言ってフォルティーニ氏はノーラに、両手を出して水をすくうような形にするように言い、その上からネッカチーフのように大きなシルクの布を掛けた。もちろん、表にも裏にも何もないことを示したのだが、掛けた瞬間、ノーラが「あらオー・ディア!」

!」と声を上げる。もう既に、手の上に何かが載っているかのように布が盛り上がっている。布をさっと取ると、現れたのは赤いバラの花束バンチだった。

あらオー・ディア!」

 ノーラがもう一度声を上げる。本物ですよ、と言われ、顔の近くに持って行って香りを嗅ぐ。「本当、いい香り!」と言って俺にも匂いを嗅がせようとする。この状態で観客から拍手されると俺たちが祝福を受けているようで、ノーラが何か勘違いしないことを望みたくなる。

 それにしても、これほど近くで見ているのに、どこからあの花束バンチを取り出してきたのか、全く見えなかった。これでアマチュア・レヴェルかと感心する。それでは次に、と言ってフォルティーニ氏がカードを一組取り出し、シャッフルする。

「つい数日前に知り合ったとのことですが、お二人の気持ちがどれだけ通じ合っているかを占ってみましょう。これからカードを1枚ずつ引いて頂きます。さあ、どうぞ」

 カードを扇形に広げ、まずノーラが、次に俺が引く。まだカードを見ないで、とフォルティーニ氏が言う。

「カードの数字が近ければ近いほど、相性がいいというわけです。もしかしてこのカードが全部同じ数字じゃないかとお疑いの方もあると思いますので、ご覧頂きますが……」

 フォルティーニ氏はカードを表に返すと、また扇形に広げて俺たちの方に見せ、それから客席にも見せた。もちろん、数字はバラバラだ。ただ、俺たちがカードを引いた後で扇型を閉じた後に、手が変な動きをしたようにも見えたのだが。

「では、ノーラから見せて下さい、ハートのA。そしてアーティーは……」

 スペードのAだった。ノーラがまた「あらオー・ディア!」と言って喜び、観客が拍手する。もしかしたらさっきカードを取り替えたのかもしれないが、それでもノーラにハートのAを引かせ、俺にスペードのAを引かせたトリックはよく判らない。

「さて、次はアーティーに協力してもらいましょう。ええと……」

 フォルティーニ氏はノーラと俺の後ろを回ってきて、俺の横に立った。その間に何かをしたのではないかとも思うが、よく判らない。どうも俺という人間は相手の動きを疑うだけ疑って、結局「よく判らない」で終わってしまう場合が多い。フットボールを始めた時から全く進歩がない。

「この船旅クルーズに来るのは初めて?」

「そう」

「お金はどれくらい持って来ましたか」

「全財産」

 客席が少し笑う。フォルティーニ氏も不敵な笑みを見せる。

「ドルは持ってきましたか」

「それなりに」

「ペソは?」

「少し」

「その他には持ってきていませんか、例えばポンドとかフランとか」

「持ってきてないと思うけどなあ」

 財布の中を見た時にはなかったはずだ。もっとも、どちらも以前財布の中に入っていたことはある。聞いたこともない国の紙幣が入っていたこともあった。

「失礼して、調べさせてもらいますよ、ええと……おやおや」

 フォルティーニ氏は俺の襟元から折りたたんだ紙幣を取り出してきた。手の中に隠し持っていたのだと思うが、出してくる瞬間は全く見えなかった。

「5ポンド紙幣が出てきましたよ。しかもこんなところから。泥棒避けですか?」

 観客が笑う。そして、他には、と言いながらジャケットの右のポケットの中を探る。

「今度は10フラン紙幣だ。世界旅行でもしてきましたか?」

 次に左のポケットに手を入れるとまた紙幣が出てきた」

「20マルク。いろんなところに行って来られたようですね。でも、紙幣ばかりだ。コインはお持ちじゃないですか。ちょっと失礼して……」

 そう言ってフォルティーニ氏はジャケットの内側に手を伸ばしてきた。財布は尻のポケットに入れているからすり盗られる心配はないはずだが……と思っていると、じゃらじゃらと音がしてジャケットの内側から大量のコインが床に落ちていった。コイン!

「おやおや、こんなにお持ちでしたか。コインの収集がご趣味だったかな」

 苦笑いする俺を見て観客が笑い、拍手する。フォルティーニ氏と握手しながら足下に散らばったコインをちらりと見たが、色々な種類があるようだ。しかし、儀式のセレモニアルコインというわけではないだろう。やはりコイン・セレモニーのコインがターゲットに一番近い気がしてならないが、しかし、なぜここで俺がコイン・マジックのターゲットになったんだ。これもこの世界のシナリオどおりなのか……

 席に戻りながら、そういえば500リレがあの中になかったか、と考え直す。といっても、今さらコインを拾いにステージに戻るわけにもいかない。すごいマジックだったわ、とノーラが言い、もらった花束をみんなに見せびらかす。フォルティーニ氏はその後、最後の演目として銀色のボールが空中浮遊するマジックを見せ、大拍手をもらって退場した。結局、娘のシンシアは一言もしゃべらなかった気がする。

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