#5:第4日 (4) 橋の上の女

 それから旧市街地の散策。アグスティン・ロドリゲス通りへ入り、イダルゴ通りに折れて少し行ったところに聖母グアダルーペ教会がある。俺がこの世界に入ってから、どこの街に行っても必ず教会か聖堂があって、たいていそこへ行く羽目になっている。普段から不信心な俺にとっては記録的な礼拝ペースだ。

 教会は、狭い道に面して高い塔が立っているので、見上げると首が痛くなる。正面の細い道から見ると塔の全容が見える。入口の上の壁に聖母の描かれたステンド・グラス。塔の一番上の飾りはまるで王冠のようだ。こんな小さな田舎町にしてはずいぶん立派な教会だ。

 そして、ここで例によって写真を撮らされる。撮り終えるとみんな俺を置き去りにして教会に入ってしまった。ツアー・コンダクターでもこんな目には遭わされないだろう。中に入ると入口のところでノーラが待ってくれていたので、カメラを返す。

「ごめんなさい、アーティーだけを写真係にするつもりはなかったんだけど」

 ノーラが申し訳なさそうに言う。彼女は本当に優しい。

「俺は写真を撮る方が好きだから構わんよ。ところで、昨日撮り終わったフィルムはどうした?」

「家に帰ってから現像に出そうと思って。みんなには後で送るわ」

「船の中でもDPEまでしてくれるんじゃないのか?」

「あら、そうだったかしら? でも、高いと困るわ」

 まあ、写真に対するこの時代の感覚はこんなものだろう。撮った一覧を1枚に印画する、何と言ったかな、そう、べた焼きコンタクト・プリントをしてから必要な分だけ焼き増しするとか。ちゃんと撮れているかどうかを確認するのさえ時間がかかって仕方ない。

「ところで、君たちは結婚する友人と一緒に来たのに、その友達と一緒に街を見て回ったりはしないのか?」

「あら、アーティーには言ってなかったかしら? 明日がその日なの。マンサニージョのホテルの前の海で、レスリーと一緒に遊ぶのよ。今日までは、彼女は両親やアンディーの家族と一緒に行動してるの。明日が、私たちと遊ぶ独身最後の日ってわけ。だから、明日の昼間はアーティーやエレインとは一緒に行動できないけど、夜に汽船シップのダイニングの一部を借り切ってパーティーをするから来てね。エレインはもう誘ったから」

「そうか。あいつはそういうことは俺には一切伝えないなあ」

「んんー、私たちの説明が悪かったのかも。彼女だけが誘われたと思ったのかしら。でも、私はアーティーも来て欲しいと思ってるから」

 ノーラというのは4人の中でもこういう気遣いが一番できると思う。ベスは超然としているというか周りをあまり気にしないタイプ、リリーはその逆におとなしくて人目を気にするタイプだ。正反対の性格に見えるその二人が、特に仲がいいというのは解る気がする。ただ、どちらともまだ充分会話したわけではないので、本当の性格は解らない。

 ヴィヴィは、まあ何というか、傍から会話を聞いているだけで解るような単純な性格で、俺とはたぶん波長が合わない。向こうも俺のことに気を遣ったりしないだろう。エレインの添え物だとしか思っていないのに違いない。本当は逆なのだが。ただ、エレインに何らかの情報をインプットする存在ではあると思うので、粗略には扱わないつもりだ。

 聖堂の中は、白い壁に白い柱。灯りは天井から入ってくる光だけで、全体的に薄暗い。建物自体が新しいので寂しい感じはない代わりに、荘厳さもあまりない。一番前の祭壇に掛かっている、薄い色調の絵が聖母グアダルーペで、たしかに褐色の肌をしているように見えるが、もっとコントラストのはっきりした絵にできないものかと思う。まあ、観光客のためにあるわけではないので、文句を言う筋合いもないが。

 前の方へ行って絵を見ていたノーラが俺の方へ寄ってきて、あの絵を写真に撮っておきたいと言う。おそらく、露出とシャッター速度を何に設定すればいいかを訊きたいのだろう。親父さんに書いてもらったという例のメモがあるのに俺に訊きに来るのは、それなりに信用を博してきたということか。これで彼女がキー・パーソンであってくれたら言うことはない。

 建物の中なので、絞りは5.6、シャッター速度は125分の1秒を勧める。それで本当にいいのかどうかは俺も解らない。彼女は家に帰ってからフィルムを現像に出す予定らしいが、その前にこの世界はクローズしてしまうので、失敗していても文句を言われることはないだろう。ただし、俺が撮った写真がうまく撮れているかどうかは気になる。

 ノーラが写真を撮るのを待って、横の出口から順次外へ出る。太陽の光が眩しい。出たところには中庭ならぬ横庭があって、壁際に何だかよく解らない像が飾ってある。おそらく宗教的なありがたい像であると思うので、迂闊なことは言わないでおく。他の観光客が、建物の上の方を見て何か言っている。エレインたちもそちらを見上げる。俺はさっき充分見たのでもう見ない。

 続いて、ロマンスの橋を見に行こうとドクターが言い出す。やはり、この時代の人間はリチャード・バートンとエリザベス・テイラーのことが気になるらしい。イダルゴ通りを少し南へ戻り、東へ折れてサラゴサ通りに入るといきなり急坂が待っていた。そして、それを登りきると階段が。一番後ろからエレインとヴィヴィを追い立てて階段を登らせるが、だらだら登りやがるので前の5人とどんどん離れていく。

 ようやく登りきると、平坦だが大きめの玉石を敷き詰めた歩きにくい道を進む。前の集団との差が詰まらない。2ブロックほど行くと、道路の上を跨ぐようにしてコンクリート製の橋が架かっていた。こういう感じの橋はオックスフォードでも見たが、ここのデザインはどうにも風情テイストがなくていけない。まあ、橋の上に白いパラソルを差した女が、モネの絵画のように立っているのがせめてもの……

 待て待て待て。あれってもしかして、ティーラじゃないのか? なぜ、あんなところに。いや、昨日、ガイド・ブックか何かでここのことを調べていたらしいから、来るのだろうとは思っていたけれども、まさかこのタイミングとは。とすると、近くにマルーシャもいる? 辺りを見回したが、見当たらない。カーサ・キンバリーの中だろうか。

「やあ、橋の上に女の人が……ええっ、あれが昨晩、リサイタルの時にピアノを弾いていた人? ああ、そういえば見覚えがありますね」

 ずっと前の方で、ドクターとベスが話している声が聞こえてきた。ぼんやりと橋の上に立っていたティーラが、はっとしたように辺りを見回し、どうやら俺のことに気付いたらしく、いそいそハリードリーという感じで橋を降りていった。橋の下まで行ってようやくベスたちに追いついたが、写真を撮ることになった。ノーラにカメラを借りて適当なところまで離れようとしたが、なぜかノーラが一緒についてくる。

「俺が撮るから君は橋の下に戻りなよ」

「でも、いつもアーティーに撮ってもらうのは悪いわ」

「とはいえ、シャッターを押すのは一人でできるから、二人いる必要はないさ」

「ええ、でも……」

 ノーラはそう言ってなぜか戻ろうとしない。後で替わってくれればいい、と説得して橋の下へ追い返す。合図をしてシャッターを切ると、ノーラを制すようにしてベスがこちらやって来た。

「アーティー、私が替わるわ。あなたはあっちへ行って私のいたところに立って」

 おやおや、ベスが写真を撮る係に回るなんて思ってなかったんだがな。しかし、ありがたく礼を言ってカメラを渡す。

「ここに立ってシャッターを押せば、焦点も露出もシャッター速度も全部合わせてあるから大丈夫だよ」

「ええ、ありがとう」

 橋の下に戻りかけたところで、思い直してベスの方に戻る。不思議そうな顔をして、それでも柔和な笑顔を浮かべているベスに向かって、小さな声で言った。

「ところでベス、昨日から髪型変わったんじゃないか?」

「あら、うふふ」

 ベスは魅惑的コケティシュな笑顔を浮かべながら言った。

「毎日変わってるわよ。気付かなかった?」

「そうかい、そいつはどうも失礼」

 参ったな、何かしら話をするチャンスだと思って声をかけてみたんだが、これじゃあ逆効果だ。女のファッションをよく観察できない無粋な男だと思われたに違いない。橋の下へ戻り、ベスが立っていた位置に立つ。ドクターとノーラの間だったはずだが、ドクターとリリーが位置を変えていて、リリーとノーラに挟まれる形になった。

「OK、セイ・チーズ!」

 ベスが声を掛けてシャッターを切る。両脇を締めて腕をぴったりと身体に付け、脚を少し開いた基本的な構え型をしている。俺の真似をしただけかもしれないが、そうだとしたらよく観察しているものだ。写真を撮り終えたので、今来た道を戻る。ドクターがどこかの店へ入って休憩しようと言っている。ベスはカメラをノーラに返す時に何か耳打ちしていたが、すぐにノーラが俺の所にやって来て言った。

「アーティー、フィルムがあと1枚なの。後でまた交換してくれるかしら?」

「ああ、いいとも」

 俺も撮った後でフィルムを巻いた時に気付いていたのだが、どうせ次に撮るのも俺だと思っていたので、後で言おうとしていたのだ。休憩にカフェかどこかへ入るなら、そこで1枚撮ってしまって、その場で交換するのがいいだろう。

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