#4:第1日 (2) 王女のいる島

 一番近くのホテルは、港の前の広場の向かい側にあるらしい。"Hotel Uferburg"。ホテルは"Hotel"でわかりやすくていい。その後のはウーファーブルクか。老人に教えてもらった町の名前だな。ホテルへ入り、フロントレセプションで空き室があるか訊く。ない、という答えがやはり返ってきた。キャンセル待ちを受け付けているかを訊くと、していないと言う。今朝の時点で全ての宿泊客と連絡が取れているからだとのこと。他のホテルもいっぱいらしいが、なぜなのか? フロント係デスク・クラークは愛想良く微笑みながら、しかし妙に含みのある表情で言った。

「次の日曜日に王太女殿下クロンプリンツェシン・ホーハイトのご婚礼の式典がございまして、記念の行事も行われますので、大変混雑している次第です」

 ほう、やっぱりいたね、王女プリンセスが。なるほど、このフロント係氏ミスター・デスク・クラークは、そんなことも知らないでお前はここに来たのかと言いたいわけだ。

「ここで何かやるのか?」

「いえ、この南の、ホーエンブルク・アム・シュヴァーベンゼーに王宮がございますので、そちらで。しかし、あちらもその周辺の町のホテルもここと同じく、おおむね埋まっておりますでしょう」

「そのホーエンブルク・アム・何とかブラー・ブラーはここからどれくらい?」

「バスなら15分、船なら30分くらいでございます」

 ホーエンブルク・アム・何とかブラー・ブラーに王女がいるならそこも可動範囲に入っているだろうが、バスはともかく船にも乗れるかな? まあ、後で港へ行って試してみようか。だが、その前に宿の問題を解決しないとな。ホテル・ウーファーブルクを出て、次のホテルへ行ってみたが、答えは全く同じだった。空とぼけて何かあるのかと訊いてみたが、同じように王太女殿下の婚礼の式典がございまして、という答えが返ってきた。というか、それ以上の情報も欲しいんだが。例えば王女が誰と結婚するのかとか、そもそもここはどこの国なのかとか。まあ、ホテルのフロントで訊くようなことじゃないかもしれないが。

 3軒目、4軒目、5軒目と、港の近くからどんどん離れて坂を登り、じりじりと高度が上がっていく。それにしてもカラフルな町だ。家の壁はクリーム色、若草色、煉瓦色、ピンク色、すみれ色など。白壁や灰色の壁の家にしても、窓枠が赤、青、緑、橙、紫などなど。道も石畳だったり、玉石を敷き詰めたコンクリートだったり。道端には何だか判らない銅像や石像が建っていたり。観光客を呼ぶためにわざとやってるんじゃないかという気もするが、まあ、それもいいだろう。実際、観光客がたくさん歩き回っていて、至る所で写真を撮っている。

 それよりも宿だ。6軒目になるとだいぶ格が落ちてきて、モーテル同然の安っぽい造りになってきた。まあ、どんな部屋だって俺が住んでる共同住宅テネメントより落ちるところはそうそうないだろうから構わないのだが、それでも空きはない。予約確認システムが整備されているせいだな。もしかしたらネット・オークションでホテルの空き部屋がべらぼうな値段で取り引きされているかもしれない。

 そういえば財布の中にはどんな金が詰まってるんだろう。7軒目を出た後でカフェに入って財布の中を覗いてみた。紙幣はフローリン、硬貨はクリューザー、いや、ドイツ語読みならクロイツァーだな。家と同じように、紙幣もカラフルだ。肖像も様々、印刷の質も良くて、記念紙幣なんじゃないかと思うくらいだ。紙幣に国名らしき単語が書かれている。ドイツ語特有の語尾が付いていて判りにくいのだが、“シュタウフェンスハーフェン”だろうか。しかし、よく考えたら紙幣から解読する必要なんかなくて、観光用のリーフレットを見ればいいだけの話だった。

 コーヒーは何の変哲もない味で、7フローリン90クロイツァーだった。為替レートが判らないので高いか安いか判らないが、観光地の常で、今の時期だけ高く設定してあるだろうとは思う。

 8軒目はB&Bだった。オーナーは出掛けているとかで、若い娘が留守番をしていた。部屋の空きがあるかと訊いたら「ないと言えと言われた」という正直な答えが返ってきた。ここでもとぼけて何かあるのかと訊いてみると、王女のことについて教えてもらえた。やはり情報源は若い女に限るなあ。

「お名前はギーゼラ様です」

「年は?」

「まもなく20歳になられるはずです。お誕生日は来月だったと思います」

「相手は?」

「ボヘミアの貴族の方です。フェルディナント・ヴァイセンベルクとおっしゃいます。侯爵フュルストだったと思います」

 よく知ってるわりにはあまり熱心ではないようだったので、その辺りも訊いてみた。

「ギーゼラ様はここ1、2年ほどお身体の具合が優れないそうで、公の場にあまりお出ましにならなかったんです。それに今回のご結婚も、王位継承権を侯爵に与えるための、儀礼的なものという噂です」

 なるほど、これまで訊いてきたところでもあまり詳しい話が出なかったのは、これが原因なのだろう。観光客に混じって報道の連中もいることだろうし、外部の人間にあまり詳しいことを話すなということになってるんだろうな。全く、とんでもないシナリオの世界に当たったものだ。

「それで、王女は今どちらに?」

「すぐそこの小島インゼルヒェンにご滞在のはずなんですが」

 娘はわざわざ外に出て、建物の隙間から湖が見えるところまで俺を連れて行って、指差して教えてくれた。なるほど港の左側の、岸から200ヤードくらい離れたところに島があって、そこに小綺麗な屋敷が建っている。広さはちょうどフットボールのスタジアムくらいで、庭園には花が綺麗に咲きそろっている。橋は架かっていない。船で行き来するのだろうか。もう少し話を聞きたかったが、ちょうどB&Bのオーナーが帰ってきて、娘を連れて行ってしまった。

 9軒目へ向かう。つい2時間ほど前、港へはどう行けばいいかを女に訊いた、あの道まで戻ってきた。あの時目印にした家は宿屋ではなかった。丘の上から降りてきた小道との交差点を通り過ぎて、さらに西へ向かう。家の造りが小さくなってくる。家並みが途切れて、また葡萄畑が現れ、しばらく行くと2階建ての倉庫のような黒っぽい建物が見えてきた。これがたぶん目指すホテルだろう。とてもそうは見えないが。窓は綺麗に拭いてあるから、空き家ではあるまい。しかし、玄関の扉が閉まっていた。ノッカーを叩いてしばらく待ったが、中で人の動く気配すらない。留守なのだろうか。錠を掛けてあるくらいだから、泊まり客すらいないのではないかと思われるが、勝手に入るわけにはいかない。諦めて、10軒目へ向かうことにする。

 10軒目以降は、ここから少し遠いところにある。どれも町の東側の果てだ。地図によると港の前の広場が町の中心地なのだが、商業施設はそこから西寄りに固まっていて、東側は民家と葡萄畑があるだけのようだ。めぼしい建物は教会と何とかいう古い館くらいしかない。ただし、面積的には東側の方が広い。車が通れるような広い道はなく、今歩いているような細い道が斜面とほぼ平行に3本くらい通っていて、それと斜めに交わる道が何本か走っている。10軒目以降に行くのはこの斜めの道を通っていくのが便利なので、今来た道を引き返して東へ向かう。

 4分の3マイルほど歩くと、城の下の辺りに来た。ご丁寧に案内看板が出ていて、シュロスへ行くには坂を登れという矢印が描かれている。だが、見物は後にして、さらに歩く。すぐに広い道との交差点に出る。これは港の際から上がってくる、あの道だ。ここからさらに坂を登って、丘陵を越えて向こう側の盆地へ続いているのだろう。何とかいう町へ行くバスはここを通るのに違いない。

 面白いことに、この道をくぐる地下道がある。脇道に逸れて階段を何段か降り、頭がつかえそうなほど低いトンネルに入る。煉瓦でしっかりしたアーチが組まれているが、幅は人がすれ違うことができる程度だった。長さは10ヤード足らずだが、灯りはない。昼間は出口が見えているからいいが、夜には懐中電灯フラッシュ・ライトが必要だろう。

 地下道を出てすぐのところで、道が二つに分かれる。真っ直ぐ行くと教会と何とかいう古い館。しかし、下り坂になっているのが斜めの道なので、そこを降りていく。時々階段になったり平坦になったりする。民家の裏の隙間を通るところもある。下の道と合流し、しばらく歩くとまた分かれ道になる。

 途中から家並みが途切れ、葡萄畑の中を歩く。右手に穏やかな湖面が広がる。地図には“シュヴァーベンゼー”とある。確かホテルのフロント係氏がそんな単語を口にしていたような気がする。ドイツあたりの都市名は隣接する川だの湖だのを後に付けて“アム・何とかブラー・ブラー”となることが多いのは知っていた。しかし、ドイツ近郊に“シュヴァーベンゼー”などという湖があっただろうか。全く覚えがない。まあ、国の名前も架空っぽいから、湖の名前が架空であってもおかしくはない。地名はあまり気にしないことにしよう。

 その湖の上に島が浮かんでいる。ついさっき、B&Bの留守番娘に教えてもらった、王女がご滞在中の島だ。先ほどよりだいぶ近付いたので島の様子がよく見える。屋敷はL字型をしていて、壁はクリーム色で、建物の角が柱状に煉瓦色になっている。窓周りも同じように煉瓦色だ。屋根は茶褐色ダーク・ブラウン。中央の、壁が一段高くなったところに、巨大な紋章が装飾されているのが見える。盾の形が十字に分割されているという、いかにも紋章らしい紋章だ。しかし絵柄に特に興味はない。

 屋敷の手前には小さな船着き場が見えた。ターゲットを獲得するにはあの屋敷に忍び込まなければいけないような気もするのだが、船で行くのかね。一般の船が発着してるようには見えないんだが。まあ、それについては後で考えることにしよう。

 斜めの道を下りきって、一番下の道に合流した。上のトンネルのところからだと4分の3マイルくらいはあっただろうか。下の道は湖の際ではなく、湖岸には狭いながらも葡萄畑が広がっている。この道沿いよりも、上の方に民家が多い。時々人とすれ違う。観光客のようだ。10軒目以降のホテルはこの先にある。ただし、あまり期待はしていない。無断侵入できそうな空き家があるかを見ながら歩く。

 少しずつ新しい建物が増えてきて、その先に3階建ての瀟洒な石造りの建物が見えてきた。どうやらあれが10軒目らしい。こんな町外れにどうやってこんな大仰な建物を、と思ったが、途中から急に道が広くなった。このあたりにも丘陵の向こうから車道がつながっているのだろうか。その瀟洒な建物に入って訊いてみたが、やはり空き部屋はなかった。人の良さそうな若奥さんが済まなそうな顔をして、残りの2軒に電話で聞いてくれたが、どちらも結果は同じだった。本来はそこへ行くことに意義があったんだが、まあいいか。仕方がないので町の中心まで引き返す。

 帰りはずっと下の道を歩いて行くことにする。途中でもう一度島の屋敷を望見する。よく見ると壁のところどころが傷んでいる。普段は使っていないので手入れが行き届いていないのかもしれない。窓際に王女でも立っていないかと目を凝らして見てみたが、影も見えなかった。

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