ステージ#3:終了

#3:バックステージ

 判定を待つ間、頭の中で秒数を数えていた。身体の感覚はないし、辺りは真っ暗だし、他にすることはないからな。NFLの“チャレンジ”なら60秒と決まっているが、どれだけ待てばいいものやら。まあ、こっちが気付かないうちに身体検査なんかをされているらしいから、協議が長くかかるときには意識も凍結されることだろうし、体感的にはそんなに長く待つことはないだろう。

 あと、なくなっているはずの“身体の感覚”についても色々と確かめていた。まず、さっき床に叩きつけられたときの痛みは、身体の感覚がなくなったときに消滅していた。もっとも、痛かったのはどの辺りかという感覚というか記憶は残っている。

 それと、掌に残っている、アンナの胸の触り心地。右手で胸を押さえた時に、そこにあった柔らかい膨らみを思いっきり掴んでやったのだが、その時の感触がはっきりと思い出せる。いやはや、あれほど生々しい感触だとは思わなかった。あれは仮想的ヴァーチャルじゃなくて間違いなく物理的フィジカルだと思えたな。そんなはずはないんだが。

 タックルを仕掛けるついでに胸を掴むのは予定どおりだったが、彼女には一度ひどいヒットを喰らわされてるんで、この程度の“暴力”行為じゃまだ足りない、お釣りが欲しいくらいだぜ。しかもその後で投げ飛ばされちまうし、こんなことならもっと触っときゃよかった。

主席裁定者ヘッド・アービターから競争者コンテスタンツへ、協議結果を伝えます」

 60秒後、先ほど聞こえた二つの声とは違う、別の声が聞こえてきた。若い男の声だ。さしずめ、“チャレンジ”の判定結果をスタジアム内に伝えるレフェリーといったところか。ホキュリー氏のように詳しく解説をお願いしたいところだ。

「第一の競争者コンテスタントはゲート内に進入した時点でターゲットの確保を宣言しましたが、第二の競争者コンテスタントの妨害行為により、ゲート内でターゲットをロストしました。レヴューの結果、第一の競技者によるゲート内でのターゲット保持時間は不十分であり、確保とは認められません。また、第二の競争者コンテスタントによる妨害については、不必要な乱暴行為には当たらない、ターゲット奪還のための正当な範囲内の行為であると認めます」

 ラッキーだったな。反則にならなくてよかった。胸を意図的に掴んだことについては、ばれなくてよかったという感じか? それはともかく、フットボールならパスのレシーヴ後に確保時間が短いと単にパス失敗と判定されるんだが、このゲームでは一体どうなるんだ? まさか確保者なしなんてことになるんじゃないだろうな。

「バックステージ内でターゲットをロストした場合、競争者コンテスタント再確保リカヴァリーのための行為を発動することができません。よってステージ退出時点の確保者であった第一の競争者コンテスタントと、本ステージでの最初のターゲット獲得者であり奪還を試みた第二の競争者コンテスタントに0.5ずつの確保を認めます。各裁定者アービターはそれぞれ次の手続きに入って下さい」

 0.5の確保ねえ。まあ、フットボールでもQBを守備ディフェンシヴプレイヤー二人がほぼ同時にサックしたときは0.5が記録されるけどな。しかし、タッチダウン・パスが二人のレシーヴァーに記録されることはないぜ。

主席裁定者ヘッド・アービターにより、アーティー・ナイトのターゲットの確保、0.5が認められました。カラーはブルー。ステージ内にいる他の競争者コンテスタンツが全て退出するか、または規定の時刻に達した時点で、ステージをクローズします。ステージの結果について、クリエイターからのコメントをお伝えします」

 さっき裁定が下ったばっかりなのに、クリエイターがもうコメントを出したのか? ずいぶん手回しがいいな。それともこの裁定者アービター13番の声が聞こえる前に、意識を凍結されてたのかな。

「事前の調査量は増えたが、まだ十分ではない。特に、侵入経路に対する最終的な調査が不足している。ルイーザ・スタントン及びサラ・ウェルチから決定的な情報を聞き出さないまま盗犯に及んだことにより、自力による博物館侵入が不可能になった。他の競争者コンテスタントとの共謀により目的を達しており、シナリオの回収率が下がる原因となっている。ただし、意図的な共謀ではないためルール違反ではなく、評価の対象とはしない。さらに、当該行動において他の競争者コンテスタントの意図するところを協議なしに正確に履行したことについては一定の評価を与える。また、可動範囲についての調査を実施したことについても評価するが、シナリオの回収不足のため、これも不十分となった。時間を有効活用し、調査を省略しないようにする必要がある。以上です。先ほどのステージに対する質問を受け付けます」

「あと1日かけたらまだ他の情報が集まったのか?」

 今回は訊きたいことがたくさんある。特にルイーザとサラについてな。

「はい。あなたが適切な行動を取った場合、先ほどのコメントの中にあった、決定的な情報が得られるようになっていました」

「どんな情報?」

「お答えできません。未回収のシナリオの内容については言及できません」

 まあ、察するに、屋上以外から侵入する方法なんだろうな。俺だって雨が降ると判ってればあんな危険な侵入路は使いたくなかった。

「他の競争者コンテスタントも……例えばアンナ、いや、俺とターゲットを0.5ずつ分け合ったあの淑女レディーも、同じようにあと1日かけないと最終的な情報が集まらないようになっていたのか?」

「はい」

「ところで彼女の名前は?」

「お答えできません」

 やっぱり。

「彼女に質問できる?」

「今回のステージ内での言動についてであれば、こちらで把握している限りの内容について、回答可能な範囲で代わりにお答えします」

「それでもいいや。まず、彼女のキー・パーソンはアラン・グリーナウェイだな?」

「お答えできません」

 初っぱなからかよ。最初に話しかけた人物がキー・パーソンとは限らないんだろうが、最後の夜にセント・オルデーツ通りを2人で歩いているところを見たんだから、隠さなくてもいいのに。

「彼女はクライスト・チャーチの寮に泊まっているって話だったが、それだけじゃなくて、ザ・ランドルフにも部屋を取っていたな?」

「はい」

「ザ・ランドルフから博物館の屋上ルーフ・トップテラスの窓を狙撃したのも彼女だな?」

「はい」

 やっぱりそうだったか。クライスト・チャーチ・カレッジとザ・ランドルフの両方で情報を集めるためにそうしていたに違いない。それにしても、昼間は普通に情報収集をしていたはずなのに、夜中には俺が屋根から侵入しようとするのをホテルの部屋から見張ってたんだから、細身の淑女レディーとは思えない体力だな。

「彼女は俺が屋上ルーフ・トップテラスから侵入しようとするのをなぜ知ってたんだろう?」

「不明です。ただし、あなたが侵入しようとした夜だけではなく、全ての夜において屋上ルーフ・トップテラスを監視していました」

「彼女は窓に開けた穴を俺が有効に活用しようとすることが、なぜ判ったんだろう?」

「不明です」

「俺が失敗したら彼女は次の夜にでも自分で侵入するつもりだったのかな?」

「不明です」

 不明ばっかりだな。まあ、彼女が頭の中だけで考えていることまでは覗けないんだろう。俺だってそんなことはされたくない。

「4日目に、彼女は植物園に呼び出されたと言っていたが、本当は俺を呼び出したのは彼女なんじゃないのか?」

「はい」

 やってくれるなあ。俺に第三の人物の存在を吹き込んで、そいつが俺を利用していると信じ込ませようとしたんだな。しかも本を持ってきて、俺にヒントまで与えて。もしかして、他の競争者コンテスタントも彼女に利用されて、それで失敗したんじゃないのか。もしこの推定が事実なら、恐るべき魔性の女ファム・ファタールだな。

「競争者は全部で4人だったはずだが、他の二人が誰だったかは教えてもらえるのか?」

「お答えできません」

「結局、彼女は、他の競争者コンテスタントにターゲットを盗ませて、それを横取りするのが特技ってんじゃないだろうな?」

「お答えできません」

 ほとんど回答になってないな。まあいいや。

「他の質問。可動範囲についての調査が不十分になった理由は? シナリオの内容に関係するから、これも答えられないのか?」

「ルイス・キャロルについて調査を実施していれば、ゴッドストウ閘門ロックのことが判るようになっていました。これに伴って、ゴッドストウ橋からゴッドストウ閘門ロックに至るまでの道に対する通行制限が解除されることになっていました」

「ルイス・キャロル? じゃあ、例えばアリス・ショップに入っていれば……」

「それも調査方法の一つに含まれています。他にも調査方法がありました」

 アングロ・サクソンの金細工はアリスとは関係ないと思って外したのだが、まさかの結果だ。いや待てよ、アリスといえば、言葉遊びだらけの本だ。そして今回のターゲットとゲートの関係も言葉遊び……やられた。一本取られた。やっぱりオックスフォードはルイス・キャロルを調べなきゃダメだ。

「他に質問がなければ、次のステージに移ります。よろしいでしょうか」

「いや、まだまだあるぞ。ルイーザとサラとアランが応用数学を専攻していたが、これはもちろん俺が大学で専攻していたからだな?」

「はい」

「それはいいとして、たかがゲームの登場人物である彼らの性格や何かの設定を、これほどまでに作り込む必要はあるのか?」

 今回、ルイーザやサラと研究の話をしていて、一番気になったのがそのことだった。彼女たちは、ゲームの中の単なるキー・パーソンズなどではなく、それこそまさに実在の人物であるかのように、俺と真剣に討議を交わし、魅力的な笑顔を見せ、別れ際には涙まで浮かべてくれた。俺がターゲットを盗み出すことで、彼女たちのいるこの世界を消してしまって本当にいいのかと思ったくらいだ。前のステージでもジェシーになるべく時間を残してやりたくなったほどだったが、もし彼女ともっと交流をしていたら、今回と同じような気持ちになっていただろう。

「今回のステージは――」

 裁定者アービターが答えた。

「――基本的に、現実の世界をベースとしています。少なくとも彼ら3人は、元々実在の人物でした。ステージを作成するにあたって現実の世界を複製し、彼らに登場者としての役割をいくつか与えただけで、彼らの性格や行動パターンに対しては一切手を加えていません。ルイーザ・スタントン及びサラ・ウェルチの役割は主にターゲット及びその周辺の事物に対する情報提供であり、この二人がステージ初日にクライスト・チャーチ・メドウ付近を歩くという設定があったのみで、その他の行動は全て二人の自由意志によるものです」

 何だと? つまり、ルイーザとサラは……

「なお、あなたが二人から情報を得るには、信頼度を一定レヴェルに引き上げる行動を取ることが必要でしたが、その行動の内容は問われません。観測結果に依れば、ルイーザ・スタントン及びサラ・ウェルチのあなたに対する信頼度は5日目の時点で最大限マキシマムに達しており、6日目にはほぼ無条件で……」

「待て、訊きたいのはそんなことじゃない。つまり――」

 裁定者アービターの言葉を遮った。その先を聞いても後悔するだけだ。それにどうしても訊きたいのはそんなことじゃない。

「――彼女たちは過去の世界に現実に存在して……こんなゲームがなくても、彼女たちは俺が見たような学生生活をしていたってことなんだな?」

「はい」

 つまり、消えたのは彼女たちではなくて、俺と彼女たちがこのゲームの世界の中で作り上げた思い出だけってことだ。そしてその思い出は本当は俺の頭の中だけにある虚構の記憶であって……いやとにかく、ルイーザとサラが消えたわけじゃないことが判っただけで安心できた。

「解った。ついでにもう一つ教えてくれ。ステージの作り方は他にもあるんだろうな? つまり、全く虚構の世界を一から作り上げるとか」

「虚構の世界を構成することはありますが、登場人物はおおむね実在した人物がベースとなります。この場合、その世界とは関係ない時代からでも、適切と思われる人物を集めてくることがあります。加えて、役割によって知識や性格等を若干調整することになります」

「OK。次に行ってくれ」

「了解しました。アーティー・ナイトは第4ステージに移ります。ターゲットは王女プリンセスのネックレス。競争者コンテスタントはあなたを含めて3名、制限時間は7日です。このステージでは、裁定者アービターとの通信が可能です。指定の時刻に、指定の場所において、腕時計に向かって呼びかけて下さい。ターゲットを獲得したら、腕時計にかざして下さい。真のターゲットであることが確認できた場合、ゲートの位置を案内します。指定された時間内に、ゲートを通ってステージを退出してください。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言してください」

 毎度毎度、同じようだが少しずつ違う説明をしてくれてご苦労なことだ。ターゲットは王女プリンセスのネックレスね。早速、さっき聞いたばかりの虚構の世界に連れて行かれそうだな。あと、今回は裁定者アービターとの通信は可能か。場所が判らん。まあ、ステージが始まったら勝手に頭の中に入ってるんだろう。

「なお、先のステージで確保したターゲットは、腕時計に格納されます。アーティー・ナイトが確保したターゲットはブルー。確保数は0.5ですので、文字盤の1の数字の下半分をブルーに変更します。ステージ開始後に確認願います」

 下半分が色付き……じゃ、アンナは上半分が色付きなのか?

「なお、他の競争者コンテスタントとターゲットの確保数を分け合いましたので、今後のステージでは当該競争者コンテスタントと競合する確率が高くなることをご承知おき下さい」

 何だって? アンナとまた同じステージになる確率が高くなるってこと? うーん、彼女の姿を見るだけならいいんだけど、利用されるのはもう願い下げなんで、できれば同じステージには行きたくないんだが。

「装備の変更は、金銭の補充以外、特にありません。前のステージであなたが入手した装備は継続して保持できます。ステージ開始のための全ての準備が整いました。次のステージに関する質問を受け付けます」

「俺がさっき自転車に乗せてきた荷物はどうなる?」

「あなたが意図的に破棄したことが明白な装備以外は、全て継続して保持していることになります」

「俺はあれを破棄したつもりはない」

「はい。全て継続して保持しています」

「ボールも?」

「はい」

 よかった。あれはルイーザとサラに会えたことの記念だからな。それに鞄の底にはジェシーの手紙が入っているはずだ。あの手紙はまだ解読していないから捨てるわけにはいかない。そういえば仏英辞典を買わなきゃならないことを、どうして思い出さなかったんだろう。それはともかく、こんな風に架空の世界の記念品を作っていくのがいいことなのかどうか判らないが、記念品があろうがなかろうが忘れたくないことはたくさんある。

「さっきターゲットは王女プリンセスのネックレスと言ったが、本物の王女プリンセスに会えるのか?」

「お答えできません」

 うん、そうだろうな。まあ、試しに聞いてみただけだよ。答えてもらえるとは思ってなかった。

「OK。次に行ってくれ」

「それでは、心の準備ができましたら、お立ち下さい」

 やはりいつの間にか俺は座っていた。アンナにヒットされた首の後ろも、床に叩き付けられたときに打った腰も、全く痛くない。そして右手は……右手にだけは、あの柔らかくて量感たっぷりの胸の感触が、しっかりと残っている。アンナの思い出はこれだけにしたいんだが。

「ステージを開始します。あなたの幸運をお祈りしますアイ・ウィッシュ・ユア・グッド・ラック

 はいはい、ご親切に、どうもありがとうサンクス・フォー・ユア・カインドネス

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