#3:第4日 (2) ボドリアン・ツアー
図書館見学までまだ1時間半もあるので、それまでにこのステージの可動範囲を調べてみることにする。南側は、昨日確かめたとおりテムズ川にかかるフォリー橋だった。では、東はどうか。ブロード
まず南へ行ってハイ
それにしても、この通りにはカフェが多い。
そして左手にはモードリン
モードリン橋を渡りながら下を見る。なるほどパントが群れるようにして川面を覆っている。クァントという長さ16フィートのほどの棹で操るのだが、慣れていないとかなり難しいらしい。俺は乗る気はないから別にどうでもいいが。
チャーウェル川の中州を越え、もう少しで橋を渡り切れそうに見えたが、そこで例の抵抗に遭い、先に進めなくなった。自転車の場合は、“見えない壁”の十数ヤード手前から身体を包み込んでくる。歩いていたときと距離も抵抗感も違うし、
全く進めなくなったところで、目の前の空間を手で押してみたが、透明な何かに、緩やかながらも強靱な力で押し返されてしまう。フットボールで、当たりの練習をするときに使うダミーとはちょっと感触が違うが、とにかく突破することは不可能だろう。ジョギングしながら俺を追い越していった中年男が、お前は何をやっているのだというような顔で振り返りながら走り去る。俺だってどうしてこんなことになるのか判らないんだよ。そんな目で見ないでくれ。
諦めて、“奇妙な抵抗に対する無駄な抵抗”はやめ、方向転換して――それだけでも結構きびしいので、バックすれば良かった――また自転車で走り出す。ボドリアン図書館からここまで、半マイルと少しくらい。時間があるので西側の“端”も確かめてみようか。おそらく、テムズ川だろう。それならすぐに調べられる。ただ、北側にはテムズ川あるいはチャーウェル川と交差するところがないので、どこに“端”があるか予測できない。意外と大学
ハイ
ニュー
元来た道を戻り、聖マリア教会の前まで来たが、ボドリアンのツアーにはまだ時間があるので、ハイ
集合時間の5分ほど前に図書館へ戻る。ツアーを予約した時に言われたとおり、中庭に建つウィリアム・ハーバート伯爵像の背面のドアを入り、チケットを見せて参加証をもらう。既に15人ほどが集まっている。アンナと、サラの従姉も来ていた。他に見たことのある顔を探す。いた。一昨日、美術館で見かけた、おそらく日本人と思われるサングラスの男だ。その他はチケット・オフィスで見かけた顔がほとんどだった。しばらく待つと金髪の美人のガイドが現れ、「荷物やカメラを置いていって下さい」と言う。俺は地図とリーフレット以外は持ってないし、それもジーンスの後ろポケットに入れているので、置いていくものは何もない。他の参加者は用意された箱の中に荷物を入れている。
ガイドに連れられて隣の部屋へ入る。天井が高い。天井付近まで延びた細い窓がいくつもあるので、中は明るい。そして壁と天井が象牙のような色で、壁際にマホガニー色の古い本棚や机、椅子が並べられている。15世紀に神学校の講義で使われていた部屋だそうだ。講義を聴きやすくするため、柱がない設計が特徴だということだが、天井が高すぎて声が響くので、逆に聞き取りにくかったのでは、と思う。俺の性格がひねくれているだけかもしれない。映画やTVの撮影に使われたとガイドが説明し、ほうという声が漏れているが、俺はその映画タイトルやTV番組名を一切知らないので、感心することもできない。
それから上の階へ行く。重々しい感じの書架がいくつも並ぶ薄暗い部屋に入る。閲覧者もいる。もちろん、オックスフォードの学生だろう。ガイドの声が小さくなる。ボドリアンの中でも最も有名なハンフリー公爵図書館だという。ボドリアンというのは一つの図書館ではなく、26もの図書館の総称だそうだ。俺が忍び込んだサックラー図書館もそのうちの一つだというのは一応知っていた。
本が鎖でつながれている? 持ち出し禁止のためか。長さの制限があるということは、閲覧席へ持っていくこともできないし、立ったままでしか読むしかないのかね。ガイドは一所懸命歴史の説明をしてくれているが、どうも頭に入ってこない。他のツアー参加者は熱心に聞いて、質問をしたりしている。サラの従姉も、オックスフォードの紋章について質問をしている。アンナも昔の蔵書のデジタル化について訊いている。俺はガイドを取り囲む人垣から少し離れたところで、その質疑応答を大人しく傍聴するだけだ。
次に
最後に行った
1時間のツアーを終えて、元の場所に戻ってきた。俺は荷物を置いていなかったので、すぐに中庭へ出る。ラドクリフ・カメラは見られなかったが、行こうと思うとエクステンデッド・ツアーに参加する必要があり、次は水曜日に開催される。
ウィリアム・ハーバート伯爵像の辺りをぶらぶらしながら周りの様子を伺う。この伯爵は17世紀に大学総長を務めた人物だそうだ。ツアーの参加者が三々五々、中庭に出てくる。日本人は7、8番目くらいに出てきて、“ため息橋”の方へ行った。アンナとサラの従姉は一番最後に出てきた。彼女たちはこれからどこに観光に行くのかな。別について行こうとは思わないが、もしかしたら昨日俺が見に行ったシェルドニアン劇場や科学史博物館に行くのかもしれない。果たしてアンナたちは中庭から北の方、シェルドニアン劇場がある方に出て行った。俺は東の方、即ちチケット・オフィスの方から出る。どこか近くのパブで昼食を摂ってから、北の方の可動範囲を探しに行くことにしよう。
北へ上がってブロード
"Waiting for you in the Botanical Garden at 4 o'clock."(植物園で4時に待つ)
筆記体なんてずいぶん久しぶりに見たが、こいつは一体誰からだ? 署名がない。宛て名もないから本当に俺宛てのメッセージかどうかも判らない。筆跡も筆記体の見本のような書き方で、男か女かすらわからない。便箋の匂いを嗅いでみたが、香水など手がかりになるような匂いは残っていない。切ってあるのは、おそらくホテルの便箋を使ったが、どこのホテルか判らないようにするため、かな。
しかし、いつこれを、俺の地図の中に紛れ込ませたんだ? 地図は1時間半ほど前にカフェで広げたのを憶えているから、紛れ込んだのはそれ以降だ。カフェで近くの席には誰もいなかったし、それ以降は図書館ツアーまで俺の近くに誰かが寄ってきたことはない。図書館ツアーの途中でも、俺の後ろに回り込んだ奴なんていたかどうか。何しろ、俺はほとんどずっと列の一番後ろを歩いていたから。しかし、おそらくはツアーの途中で、いつかは全く判らないが一瞬の隙を突かれたのは間違いないということだけは解る。俺に後ろから気付かれずに近付くとは、大したものだ。大学の時だって、俺を後ろからサックできた奴はいなかったんだぞ。
4時に、植物園ねえ。正体不明の人間の誘いに乗るのは気が進まないが、せっかくだから行ってみようか。しかし、こんな約束を勝手にされると、北の可動範囲探しがやりにくい。後に予定が控えていると、遠くへ行けなくなるからなあ。仕方ないから、自然史博物館やピット・リヴァース博物館へ行くことにしようか。そこなら時間の潰し方に融通が利くし、何かヒントが転がっているかもしれない。アンナだって見に行ったんだから、そう悪いところでもないんだろう。
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