#2:第4日 (2) クロック・ムッシュー

 さて、まずはユーグの宝石店を調べる。おあつらえ向きに、店の斜め向かいにカフェがあるのでそこに入る。今日のウェイトレスはおしゃべりが好きであることを祈る。

「ハロー!」

 一声かけて、空いている席、といってもがらがらだが、窓に近い、外がよく見える席に座った。なかなかいい店だが、さすがにこんな中途半端な時間には客は少ないようだ。すぐにウェイターが寄ってきた。ウェイトレスがいいのに。

こんにちはボンジュール、ムッシュー。ご注文は?」

「オレンジ・ジュースと……トーストで何かお薦めのものは?」

「クロック・ムッシューはいかがですか? 当店の自慢です」

「じゃあ、それを一つ」

はいウィ、ムッシュー」

 ウェイターが下がると、窓の外に目を向ける。ユーグの店がよく見えているが、10時を過ぎているのに、店の扉のカーテンは降りたままで、"Ferme"と書かれた札が下がっている。単語の意味は解らないが、たぶん閉店だというのは雰囲気で解る。開いていないかもしれない、というのは一応予想していたのだが、さっきから予想が当たりすぎていて逆に気持ち悪い。

 ところで、クロック・ムッシューというものを頼んだのだが、それがどんなものか知らない。トーストの一種なんだから、食えないことはないと思うが、朝食が足りなかったわけではないから腹は減ってないし、カロリーが高そうなものだったら昼食は抜きだな。だいたい、この世界に来てから朝に食い過ぎなんだよ。いつもはコーンフレーク一箱くらいしか食べてなかったんだが。

 やがて目の前に注文の品が運ばれてきた。クロック・ムッシューというのはトーストにハムを挟んで、上からチーズをぶっかけて焼いたものらしい。まあ、この程度ならカロリーはさほど気にならないが、それでも昼食は遅くして少なめにしなきゃならないだろうな。

「他にご注文は?」

 先ほど注文を聞きに来たウェイターではなく、俺と同い年くらいのウェイトレスが作り笑顔でそう言った。ボブ・カットの金髪で、そこそこ綺麗な顔をしているのに、そんな作り笑顔じゃあもったいないと思うんだが。ともあれ、宝石店のことは男より女の方が訊きやすいので助かる。

「向かいの宝石店はまだ開いてないの?」

「あら、あそこのお客さんだったの?」

 ウェイトレスはちょっと驚いた顔をして言った。そうそう、そういう生の表情をしてくれた方が君の顔には合ってると思うんだがなあ。ウェイトレスはきょろきょろと辺りを見回して、客は俺の他に奥の方に老人一人しかいないのに、声を潜めながら言った。

「あそこは……あんまり言いたくないんだけど、やめた方がいいわよ。あんまりいい品は置いてないわ」

「へえ、こんなにいいところに店を構えてるのに?」

 俺も調子を合わせて声のトーンを落とす。彼女の方も少し前屈みになって小声で話しかけてくる。同時通訳の声まで小さくなるってのはよくできてるよなあ。

「ええ、それはそうなんだけど……でも、私の知り合いが何人かあそこで買ったんだけど、他の店より少し安いくらいで、特にデザインがいいとかそういうのじゃなかったんだって。それに、宝石店協会に入ってないから、他の店で買い戻してもらうには手数料がかかるとか、色々と面倒らしいのよ」

「そうか。他のところでも訊いてみたんだが、やっぱりそんな感じだったよ」

「でしょう? みんなそう言ってるんだから」

「でも、俺は旅行者だし、少しでも安ければいいかと思って来てみたんだが……」

「あらでも、それこそ他の信用のあるお店で買う方がいいわ。あの店なら、あなたが旅行者だって気付いたら、偽物を売るかもしれないわよ」

 暇な時間帯のおかげで彼女も暇なのだろうが、色々としゃべってくれて助かる。もっとも、これもゲームの世界特有の仕様なのかもしれないがな。それにしちゃあ、彼女の表情が生き生きしすぎている気がするんだけれども。

「偽物ねえ、何かそういう事件でもあったのか?」

「私の知り合いにはそういう話はなかったけど、昨日、警察が来てたわ。だから、何か事件を起こしたんじゃないかって。聖堂の王冠の話はご存じ?」

「ああ、いや、よくは知らないが、王冠が盗まれたとか何とか……」

 こういうときはよく知らないふりをするのに限る。そうすれば相手が色々教えてくれるからな。

「あら、そうじゃないのよ。王冠は盗まれなかったんだって。でも、あのルビーよ。あれが偽物にすり替えられたんじゃないかって、みんな噂してるの」

「そのすり替えにあの宝石店が関係してるのか?」

「そこまでは判らないけど、昨日の夕方に警察が来た後から、ずっと店を閉めてるのよ。店主は逮捕されなかったみたいけど、営業停止とかになったんじゃないかしら。でも、これはこの近所の噂で、本当のところは私も知らないんだけど」

「店主は警察に呼ばれたのか?」

「どうかしら? 私は昨日の午後はずっとここにいたけど、店を閉めた後に、ユーグさんが出て行ったのは見なかったわ」

 よく見てるなあ。でも、昨日は午前中に俺があの店を訪れてるんだが、その時は彼女は店にいなかったってことか。

「そうそう、ユーグってのが店主だっけ。どんな感じの人?」

「あら、ええと、あのう……」

 彼女はそう言ってまたきょろきょろと辺りを見回す。しかし、奥にいる老人以外他に客はないし、入ってくる様子もない。そもそも表の通りは、さっきからやけに人通りが少ない。彼女はもっと前屈みになって顔を俺に近付け、囁くような声で言った。こうして近くで見るとかなりの美人に思える。ダニエルより1ランク落ちる程度かな。しかし前屈みになりすぎて、ブラウスの胸元から中が見えそうになってるのが気になってしまう。

「あなた、もしかして探偵デテクティヴ?」

「いや、違うよ。さっきも言ったけど、旅行者さ。土産スーヴェニールを買いに来ただけなんだ」

「あら、そう、ごめんなさいパルドン。昨日も同じようなこと訊かれたから……」

「誰に?」

「警察の人よ。でも、ここの警察じゃなくて、パリから来たって言ってたわ」

「君に訊いたのか?」

「ええ、昨日の夕方、宝石店を出てからしばらく後にこの店に来て、私と店主パトロンに訊いていったわ」

「変だな、パリの警察が調べに来るなんて」

「そうでしょう? だから、何か事件があったのって訊いたら、参考までに聞くだけだって……」

「で、何て答えたんだ?」

「ユーグさんはうちの店に来たことがないし、顔を見ても挨拶するくらいだからよく知らないって言っておいたわ」

「へえ……それで、本当のところはどうなんだ?」

「あら、うふふ」

 何がうれしいのか解らないが、彼女はチャーミングに笑った。君ねえ、普段からそういう笑顔で客に接した方がいいと思うよ。そうすりゃ、ダニエルみたいに客をこの店に集められるんだ。

「よく知らないのは本当よ。さっきも言ったけど挨拶くらいしかしたことないし、あの店に入ったこともないんだもの。でも、挨拶してもいつも無愛想だし、知り合いに聞いた話とか、近所の噂からしても、あんまり感じのいい人じゃないみたい。お店の中で話をしてても、あんまり目を合わそうとしないんだって」

「人付き合いが悪いのかな、商売人なのに」

「私もそう思うわ。だからお客さんもそんなに多くないみたいだし、それなのにどうしてお店を続けられるのか、みんな不思議がってるの」

「そういう話は警察にはしゃべってない?」

「ええ、だって、本当かどうか判らないんだもの。もし違ってたら、私、ユーグさんに悪く思われちゃう。目の前の店で働いてるんだから、やりにくくなるし」

 うん、まあ、その理由が本当かどうかはよく判らないが、彼女が噂話を警察にべらべらしゃべるタイプじゃないのはよく解った。警察や探偵の肩書きを使わないと、こういう裏話的なネタが聞ける利点もあるらしいな。

「なるほど。じゃあ、君の薦めを容れて、あの店で買うのはやめることにするけど、一応覗くだけ覗いてみたい。今日はもうあの店は開かないのかな?」

「どうかしら? お昼の混雑が始まるまでなら、ここにいて待っててもいいわよ。ただし、もう一つくらいは注文してね」

「それはありがたい。おっと、おしゃべりしてたらトーストが冷めそうだ」

「あら、ごめんなさい。でも、うちのクロック・ムッシューは冷めても美味しいわよ」

「そうか。悪かったな、仕事の邪魔して。ありがとう」

どういたしましてジュ・ヴ・ザン・プリ

 最後の言葉を言うときだけ、彼女は作り笑顔に戻ってしまった。

それはさておき、昨日の午後に警察が来ていたというのは意外だった。既に一度、警察はユーグに話を聞いたと言っていたはずなのに、なぜもう一度来る必要があったのだろう。訊きたいことがあるなら警察に呼び出せばいいだけのはずだが、店の中の捜索でもしに来たのだろうか。だが、何か証拠でもない限り、そんなにすぐに捜索の令状が出るとは思えない。

 それに、この店に来て質問をしていった警察の人というのは、たぶんメルシエ警視だろう。つまり、彼が非公式に捜査をしていると思われる。どうもよく判らない。たまたまここに来ていて、善意で捜査に協力をしている……いや、それはないなあ。

 クロック・ムッシューはお薦めの品だけあって、思ったよりうまかった。俺も元の世界に帰れたら、自分で作ってみるか。しかし、食べ終わってからしばらく待ち、さらにクロワッサンまで注文して待ってみたが、結局店は開かず。ウェイトレスに愛想の笑顔を見せておいてから、聖堂へ行く。今日は昼のミサはやっていなかった。手伝いに来る女と会って話をしてみたかったのだが、どうすればいいか。そもそも、誰が手伝いに来ているのか。それを訊くには……花屋かなあ。あのマダムが、聖堂の前に来た俺をめざとく見つけて秋波を送ってくる。

「やあ」

「あら、いらっしゃいましビアンヴニュ。昨日買って下さったお花はいかがだったかしら?」

「泊まってるゲストハウスの娘に送ったら、殊の外喜んでくれた」

 実際はそれほど喜んだ顔はしていなかったが、話の都合上、喜んでくれたということにしておく。

「あら、それは結構なこと。今日はその娘と駆け落ちの準備中?」

「残念ながら、年が離れすぎだ。ダニエル・フッサールくらいじゃないと釣り合わない」

「ダニエルはとってもいい娘だけど、あなたと駆け落ちされると困りますわ。町のみんなが残念がるもの」

 同性からこういうことを言われるとは、ダニエルはよほど性格のいい女のようだ。誰にでも分け隔てなく優しく、気配りも細やかで世話好き? 典型的なヒロイン・キャラクターだな。

「聖堂の手伝いも熱心と言っていたな。いなくなったら神父も困るということか」

「ええ、大いに困るでしょうね。何でも進んで手伝いますし、ものを憶えるのは早いし、起用だし、最近は神父も彼女ばかり頼りにしていますわ。私も前の神父にはよく頼られましたけど、それはこうして聖堂から近いですし、年も近かったものですからね」

「前の神父はそんなに若かったのか」

「あら、お上手ですこと!」

 典型的なおだて方だったが、やはり効果はあるもので、マダムのおしゃべりが調子に乗ってきた。前の神父は「他人に優しく自分には厳しく」という人だったが今の神父は優しいことは優しいが少し頼りないところがあるとか、前の神父は手伝いに来る人をきっちり順番制にしていたが今の神父は声をかけやすい人に頼むことが多くて特にダニエルを重用しているとか、最近は誰がよく手伝いに来ていて誰が来なくなったとか。これでは俺はまた花を買わなければいけないだろう。

「ダニエルはそんなに何でも頼みやすいのかな」

「ええ、頼み事をすると嬉しそうな顔をするんですよ。頼られるのが好きなのね。フッサールの店が繁盛しているのも彼女がいるからと言っていいと思いますわ。でも、いくら頼みやすいからって、彼女を駆け落ちに誘うのはいけませんからね。彼女も断り切れないんじゃないかと思うと私も心配ですよ」

 心配しなくても俺は駆け落ちなんかに誘わないって。そもそも、彼女は仮想世界から出られないだろ。マダムのお薦めに従い、今日はヤグルマギクを買った。これは誰にプレゼントすればいいだろう。

「そういえば今日は昼のミサがないようだが」

 代金を払いながらマダムに訊く。マダムはまだおしゃべりを続けたそうにも見える。

「ええ、朝は毎日ですけど、昼と夕方は一日おきなんですよ。月水金は朝と昼、火木土は朝と夕方です」

「しかし、ミサがなくても扉は開いていたんじゃなかったかな。昨日は昼から開いていたと思うけど、今日は閉まってる」

「あら、本当。きっと、この前の泥棒騒ぎの影響でしょう。観光で来た人は見られなくて残念ね」

 俺ももう一度見たいんだがな、と言いながらマダムと別れる。そう言っておけばまた来て情報を仕入れることができるんじゃないかという計算だが。

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