#2:第5日 (2) 二人の金庫破り

 早速、ピックを鍵穴に差し込んで中を探る。ジャミング機構があろうとも、基本はレヴァータンブラー錠なんだから、レヴァーの位置を合わせれば開けられる。前のステージで作った即席テンションまで使って慎重に作業し、20秒ほどかかって開けた。これくらいなら合格か? テンションが回ったのを見て、師匠メートルが声をかけてくる。

「どうだ、若いのジューヌ。もしかしたらそいつは最初から開いていたんじゃないか?」

「ええ、そうですね。ちょっと鍵穴を調べてみただけなんですが、開いてましたよ」

「そうだろう。それもマリアのご加護って奴さ。さて、次は?」

「コンビネーションです」

「そうかい、それももしかしたら開いてるかもしれんよ。まあ、ゆっくり確かめてみてくれ」

 コンビネーションは前のステージで開けたが、あれはたいして精巧でもなかったから、いささか消化不良だった。今回のは、ダイヤルを回してみた限りでは、かなり精巧なものだ。クリック・ストップの微かな感触が伝わってくるし、ぴったりと数字を合わせなければ開かないだろう。しかも4枚ダイヤルだ。一応、聴診器は用意してきたのだが、師匠メートルの手前、見栄を張って手の感覚だけで開けることを試みる。レヴァー・ハンドルを回して刻み目を探索しながらやるともっと楽なんだが。しかもこいつ、偽の刻み目が付いてやがる。おかげで4枚目のディスクの番号を得るのに時間がかかった。

 2分ほどかかって、ようやく開けることができた。古い時代のものだからかろうじて開いたが、この先もっと難しいダイヤル錠を開けるステージが出てきたら、手に負えないぞ。どこかで練習しなけりゃあ。

「おい、待て、若いのジューヌ

 レヴァー・ハンドルを回そうとしたとき、師匠メートルから声がかかった。さて、何かまずいことをやったのだろうか?

「ユーグ、扉を開けると、中から何か飛び出してくるんじゃないだろうな?」

 師匠メートルがユーグを睨みながら聞く。その迫力におびえたか、ユーグはすっかり大人しくなってしまった。

「そんなことは……」

「そうだろうな、お前ならそんなつまらん仕掛けの金庫は使わんだろう。若いのジューヌ、扉を開けていいぞ。ところでコンビナシオンも最初から開いていなかったか?」

「そうですね、開いていたようです。気付かずにうっかり触ったせいで閉めてしまったようなので、元に戻しておきましたが」

 そう言いながら俺はレヴァー・ハンドルを持って捻った。ガチンと堅い音がして、扉が開く……すると、中に木製の家具が入っていた。いや、これは家具のように見えるだけで、金庫に違いない。見かけはおそらくダミーだ。何だかなあ、もう一つ開けるのか。

「どうした、若いのジューヌ

「ああ、中にもう一つ金庫が……」

「なるほど、そういうことか。道理でここまではずいぶん簡単にいくと思っとったよ」

 いや、俺の方はそれほど簡単でもなかったんだがね。

「何が?」

若いのジューヌ、そいつはユーグの取って置きの金庫に違いねえよ。鍵穴を見てみな。どんな錠か判るか?」

 鍵穴にペン・ライトの光を当てて覗き込んだ。丸い鍵穴の下に刻み目が一つ、そして鍵穴の中に心棒が見える。さらに心棒から放射状にいくつもの薄い板が並んでいる。

「これは……ブラマー錠?」

「ほう、そいつはやっかいだぞ。開けたことはあるか?」

「いや……ない」

 ブラマー錠というのはチャブ錠よりもさらに歴史が古く、イングランドのジョセフ・ブラマーが18世紀の終わり頃に発明した、ということだけは知っている。だが、実物を見たのは初めてだ。ヨーロッパのアンティーク家具に付いているくらいだから、絵と写真でしかお目にかかったことがない。

 原理としては、鍵穴の中に放射状に付いている薄板を、それぞれ適切な深さまで押し込んでやると、シリンダーが回せるようになっている。もちろん、押し込む深さを間違えると回らない。現代では、チューブラー・ピンタンブラー錠という、自動販売機などの錠が同じような原理だ。それは開けたことがあるから、これだって開けようと思えば開けられると思うが……

「どれ、ちょいと見てやろう。こっちに来て、ユーグを見張っておいてくれ」

 俺がベッドの方へ行くと、入れ替わりに師匠メートルが金庫の前へ行って中を覗き込む。

「ふむ、やはり。こいつは鍵穴が小さい上に、薄板ウェハーの数がやけに多い。ユーグの奴が安心するはずだ。俺が使っているようなピックじゃあ、太すぎて薄板ウェハーが押せないだろう」

「なるほど」

「さて、どうするね? ユーグに鍵を借りるかね」

「どうです? ムッシュー・ユーグ」

 俺は振り返ってユーグの方を見た。薄灯りの中で、下品な顔で笑っている。

「は、は、は、残念だな。そいつの鍵は昨日の朝なくしちまってよ。俺も開けられずに困ってたところだ。おかげで店も臨時休業さ。知らなかったかね」

 つまり金庫の鍵は絶対安全な場所に隠してあるってことだろうな。おおかた、俺たちが見ていない間に、枕の下からでも取り出して、飲み込んでしまったのだろう。そうなりゃ少なくとも明日の朝までは安心だ。全く困った奴だな。師匠メートルもしょうがないといった声で俺に話しかけてくる。

「ふん、そりゃあ大変だな。さて、若いのジューヌ、どうするね? 鍵がなくても、特に細いピックがあれば開けられると思うが」

「なるほど。では、例えば、そこの床に置いてあるようなものであればどうです?」

 師匠メートルの足下の床には、先ほど俺がチャブ錠を開けるのに使ったピックと針金が置いてある。未来の道具を使って過去の時代の錠を開けるのはちょいと反則に近いが、クリエイターだってそれを判っていてこのステージに俺を放り込んだんだろうから、気にすることはない。師匠メートルは床から俺のピックを取り上げ、感心したような声を出した。

「ほう! こりゃいい道具だ。お前の国じゃあ、こんないいのがあるのかね。こいつを使ってりゃ、俺も今日まで現役の泥棒でいられたかもしれんな」

 師匠メートルはそう言って大げさに笑った。

「ははは、ユーグ、よかったな。お前、これで明日は店を開けられそうだぞ。ありがたく思いな。なあに、これもマリアのご加護って奴さ」

「おい、やめろ! やめてくれ!」

「おっと、ムッシュー・ユーグ、落ち着いていただきましょう。騒いだら人が来ますよ」

 ベッドの上で暴れるユーグを押し返しながら俺は言った。こいつ、俺がそばにいるときだけ暴れやがる。師匠メートルにゃ頭が上がらないが、弟子なら何とかなるとでも思ってんのかね。

若いのジューヌ、こんないい道具を俺も使ってみたいが、ここは約束どおりお前に任せるよ。その代わり、開けるのに困ったらいつでも相談してくれ」

「解りました。未熟者なんで、時間がかかるかもしれませんが、やってみましょう。鍵をなくしたムッシュー・ユーグのためにもね」

 師匠メートルと再び場所を交替し、ブラマー錠に挑戦を始めた。とにかく、原理は判っている。問題は、薄板を押し込む順番だ。テンションでシリンダーを回しながら、薄板がうまく引っかかる順番に押さなければいけない。テンションにかける力は強すぎず弱すぎず、ちょっとでも手が震えると、せっかく押し込んだ薄板がバネの力で戻ってしまう。普通のシリンダー錠とは力の入れ具合が違っているから、慣れていなくてすぐに失敗する。そのたびに、ついため息が出る。師匠メートルも息を殺して俺の方を見ている。ユーグの息づかいだけが荒い。5分ほど経ったが、まだ開かない。

若いのジューヌ、目を使いすぎるなよ。錠ってのは指の感覚だけで開けるものさ」

 師匠メートルがぼそりと呟く。なるほど、そうだな。ブラマー錠の薄板が気になって、つい鍵穴を凝視してしまっていた。薄板の位置も指先で憶えてしまえば、後は押す順番だけを憶えておけばいい。テンションにかける力加減も、ようやく慣れてきたところだ……

 それから2分経って、また大きなため息をついた。そして師匠メートルの顔を見た。師匠メートルが心配そうな声で言った。

「代わるかね」

お願いしますプリーズ

 言いながら立ち上がり、師匠メートルと場所を替わった。ユーグは俺が困っている間はにやにや笑っていたが、師匠メートルの出番になったのを見て急に不安そうな顔になった。師匠メートルは金庫の前に座ったが、鍵穴をじっと見ながら言った。

「おい!」

「はい」

「こいつもあれか、最初から開いてたってのかね」

「そうだと思いますよ、たぶんね」

 どうやら師匠メートルは俺のいたずらに気付いてくれたらしい。薄板は全て正しい位置まで押し込み、テンションを回しかけで止めてあるのだ。後は1回転させれば終わり、というわけだ。

「ははは、ブラマー錠ってのは薄板ウェハーが歪むと正規の鍵でも回らなくなっちまうからな。これを回すのは確かに難しいよ。開けるのと同じくらいな」

「恐れ入ります」

 師匠メートルはテンションに指をかけ、ゆっくりと回した。中は少し錆びているらしく、きしむような音が微かに聞こえる。ユーグの顔が醜く歪む。そして掛け金デッド・ボルトが外れる小さな音がして、錠は開いた。

「中身のご確認をお願いします」

「ああ、それが立ち会い人の務めだからな。どれ、ちょいと待ちな」

 師匠メートルはハンドルを持ってゆっくりと金庫の扉を引いた。そして中をじっと見ていたが、左下の隅にあった、黒いモロッコ皮の小さな宝石箱を取り出した。箱を開け、中から宝石をつまみ出して俺に見せる。部屋の中は薄暗いが、ルビーの放つ赤い光が見えた。特徴的な洋梨型ペア・シェイプトにも見覚えがある。

「どうだ、これで間違いないか。見たところ、本物のルビーなのは確かだが」

「そうですね、聖堂にあったルビーを見てきましたが、形と大きさはそれでぴったりです。正確なところは鑑別してもらわないと判りませんが、さすがに今の時間じゃあね」

 これがターゲットかどうかは腕時計にかざしてみないと判らないが、今、ここで確認しようとは思わない。そんなことは、これを本当に盗み出す時でいい。

「じゃあ、とりあえずこいつを神父に返すことにしよう。なに、偽物だったらまた後で出直すだけのことだ。ユーグも喜んで迎えてくれるだろうよ。さて、俺たちはこれで帰るとするか。心配するな、ユーグ。金庫もドアの錠もちゃんと閉めて帰るよ。ああ、この内金庫だけはそのままにしておこう。鍵はなくしたらしいからな。見つかるといいな」

「うるさいっ! とっとと出て行けっ!」

 ユーグはそう言って枕を投げつけてきた。どうやらすっかり諦めているらしい。もちろん、枕は俺がキャッチした。フットボールよりよっぽどキャッチしやすい。もっとも、俺は最近キャッチする側ではないが。

「おいおい、ユーグ、あんまり暴れると隣の家が起きるぞ。じゃあな」

「それでは、おやすみなさいボンヌ・ニュイ、ムッシュー・ユーグ」

 憶えたてのフランス語の挨拶を投げかけると、師匠メートルに続いて部屋を出た。ドアの錠は、全部俺が閉めた。外に出て、暗い街路を歩き、角を一つ曲がったところで、師匠メートルは大きなため息をついた後、壁にがっくりともたれこんだ。

「大丈夫?」

「ああ、疲れた、へとへとだエトル・エクステニュエ。なに、心配するな、久々の仕事で気が張ってたんだ。一緒に来ると言ったのは俺だ。だからお前は気にせんでいい。しかし、10年間のブランクは大きいな。これじゃあ現役復帰は無理だ」

 暗闇で師匠メートルの顔はよく見えなかったが、にやりと笑っていることだろう。師匠メートルに肩を貸し、ゆっくりと歩き出した。

「ユーグの奴め、やけに余裕を持ってると思ったらブラマー錠とはな。しかし、お前も大したもんだぞ、あれを開けるとは。俺が泥棒を始めたときは高級家具といえば必ず付いてたくらいで、難敵だったな。だから、鍵を探して開けたものさ。たいてい近くの抽斗なんかに入れてあったよ。お前が無理だったら俺が、とは思ったが、今のこのなまった腕じゃあ、開けられたかどうか」

「恐れ入ります。しかし、時間がかかりすぎた。師匠メートルの助言がなければ、まだ開いてなかったもしれません」

「なに、その時は朝までかかっても開けるつもりだったさ。ユーグのやつ、俺の娘にまで迷惑をかけおって。お前がいなきゃあ、あの場でぶん殴って取り返してるところだ」

 店の前まで戻る頃には、師匠メートルの気分もだいぶ落ち着いたようだ。

「それじゃあ、これは預からせてもらう。明日の朝、聖堂に行って王冠のものと交換しておけばいいんだな?」

「お願いします。神父には何も言ってませんが、師匠メートルが行けばだいたい事情を解ってくれるでしょう」

「そうか。しかし、お前がなぜこんなことをするのか、俺にはさっぱり解らんよ。まあ、約束だから、詳しい理由は聞かんがね。ああ、しかし、一つ聞かせてもらう約束があったな。俺が、金庫破りの泥棒だったってことが、なぜ判った?」

 確かに、そういう約束をした。夕方、ダニエルが神父から密かに王冠のルビーを預かっていたのではないかという“憶測”を話し、それを誰かに盗まれたのではないかという“憶測”を話した。フッサール氏からダニエルに確認してもらって、それらが当たっていたことが判ったので、俺が訳あって盗まれた宝石を取り戻そうとしていること、そして今夜の盗みのために情報が欲しいことを伝えた。交換条件は、フッサール氏が“元金庫破り”であることをダニエルに黙っていることだ。

「ペンの持ち方ですよ」

「ペンの持ち方だと? 何のことだ?」

「一昨日、この店に食事に来たとき、師匠メートル自身が注文を聞きに来てくれましたが、注文を取った後で、ペンを手の中で回して、持ち替えてました。流れるような動きでね。他の泥棒はどうか知りませんが、同じようにしてピックの持ち替えをやる癖のある奴がここにいるんです。だから大先輩かと思ったわけで」

「そんな……そんなつまらん理由でかね? そんなもの、金庫破りに限らんじゃないか……」

「申し訳ありませんね、当てずっぽうロング・ショットとブラフだけが得意でして」

 俺がそう言うと、師匠メートルは呆れたような顔をして笑った。

「は、は、は、本当にそれだけかね? 誰かに俺の過去を聞いたんじゃないのか?」

「誰に訊くんです? 警察官の知り合いなんていませんよ」

 まあ、本当は知っているんだがな、元警察官を、一人だけ。しかし、泥棒が警察官と親しくなるわけにはいかないじゃないか。せっかく向こうだって気付かないふりをしてくれてるんだから。

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