#2:第5日 (2) 二人の金庫破り
早速、ピックを鍵穴に差し込んで中を探る。ジャミング機構があろうとも、基本はレヴァータンブラー錠なんだから、レヴァーの位置を合わせれば開けられる。前のステージで作った即席テンションまで使って慎重に作業し、20秒ほどかかって開けた。これくらいなら合格か? テンションが回ったのを見て、
「どうだ、
「ええ、そうですね。ちょっと鍵穴を調べてみただけなんですが、開いてましたよ」
「そうだろう。それもマリアのご加護って奴さ。さて、次は?」
「コンビネーションです」
「そうかい、それももしかしたら開いてるかもしれんよ。まあ、ゆっくり確かめてみてくれ」
コンビネーションは前のステージで開けたが、あれはたいして精巧でもなかったから、いささか消化不良だった。今回のは、ダイヤルを回してみた限りでは、かなり精巧なものだ。クリック・ストップの微かな感触が伝わってくるし、ぴったりと数字を合わせなければ開かないだろう。しかも4枚
2分ほどかかって、ようやく開けることができた。古い時代のものだからかろうじて開いたが、この先もっと難しいダイヤル錠を開けるステージが出てきたら、手に負えないぞ。どこかで練習しなけりゃあ。
「おい、待て、
レヴァー・ハンドルを回そうとしたとき、
「ユーグ、扉を開けると、中から何か飛び出してくるんじゃないだろうな?」
「そんなことは……」
「そうだろうな、お前ならそんなつまらん仕掛けの金庫は使わんだろう。
「そうですね、開いていたようです。気付かずにうっかり触ったせいで閉めてしまったようなので、元に戻しておきましたが」
そう言いながら俺はレヴァー・ハンドルを持って捻った。ガチンと堅い音がして、扉が開く……すると、中に木製の家具が入っていた。いや、これは家具のように見えるだけで、金庫に違いない。見かけはおそらくダミーだ。何だかなあ、もう一つ開けるのか。
「どうした、
「ああ、中にもう一つ金庫が……」
「なるほど、そういうことか。道理でここまではずいぶん簡単にいくと思っとったよ」
いや、俺の方はそれほど簡単でもなかったんだがね。
「何が?」
「
鍵穴にペン・ライトの光を当てて覗き込んだ。丸い鍵穴の下に刻み目が一つ、そして鍵穴の中に心棒が見える。さらに心棒から放射状にいくつもの薄い板が並んでいる。
「これは……ブラマー錠?」
「ほう、そいつはやっかいだぞ。開けたことはあるか?」
「いや……ない」
ブラマー錠というのはチャブ錠よりもさらに歴史が古く、イングランドのジョセフ・ブラマーが18世紀の終わり頃に発明した、ということだけは知っている。だが、実物を見たのは初めてだ。ヨーロッパのアンティーク家具に付いているくらいだから、絵と写真でしかお目にかかったことがない。
原理としては、鍵穴の中に放射状に付いている薄板を、それぞれ適切な深さまで押し込んでやると、シリンダーが回せるようになっている。もちろん、押し込む深さを間違えると回らない。現代では、チューブラー・ピンタンブラー錠という、自動販売機などの錠が同じような原理だ。それは開けたことがあるから、これだって開けようと思えば開けられると思うが……
「どれ、ちょいと見てやろう。こっちに来て、ユーグを見張っておいてくれ」
俺がベッドの方へ行くと、入れ替わりに
「ふむ、やはり。こいつは鍵穴が小さい上に、
「なるほど」
「さて、どうするね? ユーグに鍵を借りるかね」
「どうです? ムッシュー・ユーグ」
俺は振り返ってユーグの方を見た。薄灯りの中で、下品な顔で笑っている。
「は、は、は、残念だな。そいつの鍵は昨日の朝なくしちまってよ。俺も開けられずに困ってたところだ。おかげで店も臨時休業さ。知らなかったかね」
つまり金庫の鍵は絶対安全な場所に隠してあるってことだろうな。おおかた、俺たちが見ていない間に、枕の下からでも取り出して、飲み込んでしまったのだろう。そうなりゃ少なくとも明日の朝までは安心だ。全く困った奴だな。
「ふん、そりゃあ大変だな。さて、
「なるほど。では、例えば、そこの床に置いてあるようなものであればどうです?」
「ほう! こりゃいい道具だ。お前の国じゃあ、こんないいのがあるのかね。こいつを使ってりゃ、俺も今日まで現役の泥棒でいられたかもしれんな」
「ははは、ユーグ、よかったな。お前、これで明日は店を開けられそうだぞ。ありがたく思いな。なあに、これもマリアのご加護って奴さ」
「おい、やめろ! やめてくれ!」
「おっと、ムッシュー・ユーグ、落ち着いていただきましょう。騒いだら人が来ますよ」
ベッドの上で暴れるユーグを押し返しながら俺は言った。こいつ、俺がそばにいるときだけ暴れやがる。
「
「解りました。未熟者なんで、時間がかかるかもしれませんが、やってみましょう。鍵をなくしたムッシュー・ユーグのためにもね」
「
それから2分経って、また大きなため息をついた。そして
「代わるかね」
「
言いながら立ち上がり、
「おい!」
「はい」
「こいつもあれか、最初から開いてたってのかね」
「そうだと思いますよ、たぶんね」
どうやら
「ははは、ブラマー錠ってのは
「恐れ入ります」
「中身のご確認をお願いします」
「ああ、それが立ち会い人の務めだからな。どれ、ちょいと待ちな」
「どうだ、これで間違いないか。見たところ、本物のルビーなのは確かだが」
「そうですね、聖堂にあったルビーを見てきましたが、形と大きさはそれでぴったりです。正確なところは鑑別してもらわないと判りませんが、さすがに今の時間じゃあね」
これがターゲットかどうかは腕時計にかざしてみないと判らないが、今、ここで確認しようとは思わない。そんなことは、これを本当に盗み出す時でいい。
「じゃあ、とりあえずこいつを神父に返すことにしよう。なに、偽物だったらまた後で出直すだけのことだ。ユーグも喜んで迎えてくれるだろうよ。さて、俺たちはこれで帰るとするか。心配するな、ユーグ。金庫もドアの錠もちゃんと閉めて帰るよ。ああ、この内金庫だけはそのままにしておこう。鍵はなくしたらしいからな。見つかるといいな」
「うるさいっ! とっとと出て行けっ!」
ユーグはそう言って枕を投げつけてきた。どうやらすっかり諦めているらしい。もちろん、枕は俺がキャッチした。フットボールよりよっぽどキャッチしやすい。もっとも、俺は最近キャッチする側ではないが。
「おいおい、ユーグ、あんまり暴れると隣の家が起きるぞ。じゃあな」
「それでは、
憶えたてのフランス語の挨拶を投げかけると、
「大丈夫?」
「ああ、疲れた、
暗闇で
「ユーグの奴め、やけに余裕を持ってると思ったらブラマー錠とはな。しかし、お前も大したもんだぞ、あれを開けるとは。俺が泥棒を始めたときは高級家具といえば必ず付いてたくらいで、難敵だったな。だから、鍵を探して開けたものさ。たいてい近くの抽斗なんかに入れてあったよ。お前が無理だったら俺が、とは思ったが、今のこのなまった腕じゃあ、開けられたかどうか」
「恐れ入ります。しかし、時間がかかりすぎた。
「なに、その時は朝までかかっても開けるつもりだったさ。ユーグのやつ、俺の娘にまで迷惑をかけおって。お前がいなきゃあ、あの場でぶん殴って取り返してるところだ」
店の前まで戻る頃には、
「それじゃあ、これは預からせてもらう。明日の朝、聖堂に行って王冠のものと交換しておけばいいんだな?」
「お願いします。神父には何も言ってませんが、
「そうか。しかし、お前がなぜこんなことをするのか、俺にはさっぱり解らんよ。まあ、約束だから、詳しい理由は聞かんがね。ああ、しかし、一つ聞かせてもらう約束があったな。俺が、金庫破りの泥棒だったってことが、なぜ判った?」
確かに、そういう約束をした。夕方、ダニエルが神父から密かに王冠のルビーを預かっていたのではないかという“憶測”を話し、それを誰かに盗まれたのではないかという“憶測”を話した。フッサール氏からダニエルに確認してもらって、それらが当たっていたことが判ったので、俺が訳あって盗まれた宝石を取り戻そうとしていること、そして今夜の盗みのために情報が欲しいことを伝えた。交換条件は、フッサール氏が“元金庫破り”であることをダニエルに黙っていることだ。
「ペンの持ち方ですよ」
「ペンの持ち方だと? 何のことだ?」
「一昨日、この店に食事に来たとき、
「そんな……そんなつまらん理由でかね? そんなもの、金庫破りに限らんじゃないか……」
「申し訳ありませんね、
俺がそう言うと、
「は、は、は、本当にそれだけかね? 誰かに俺の過去を聞いたんじゃないのか?」
「誰に訊くんです? 警察官の知り合いなんていませんよ」
まあ、本当は知っているんだがな、元警察官を、一人だけ。しかし、泥棒が警察官と親しくなるわけにはいかないじゃないか。せっかく向こうだって気付かないふりをしてくれてるんだから。
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