#2:第2日 (4) 夕べの岬と少女
ラマチュエルのカフェで休憩したが、まだ陽が高いこともあって、東海岸へ行ってみることにした。パンプローヌという集落で、そこにも砂浜がある。行ってみたが、一人寂しく海を眺める少女もおらず、カモメたちと楽しく戯れる少女もおらず、
日が傾きつつある中、ゲストハウスへの道を走る。ルメグーから先は道が悪いので速度を落とす。6時過ぎには到着したが、そのまま通り過ぎて岬の方へ向かう。砂州に降りる小道のところに
訊きたいことというのは、もちろんあの王冠のことだ。ジェシーはあの王冠が、去年のものと違うのではないかと言った。もしそれが本当なら、あの王冠は偽物かもしれないということになる。王冠が偽物なら、当然ルビーも偽物だ。それを知らずに王冠を盗んでいたら、俺はまた偽物をつかまされることになるというわけだ。前のステージといい、偽物が多くて嫌になるが、有名な宝石には盗難に備えるための偽物が付き物だろうから、仕方ない。それより問題は、彼女は何を根拠にあの王冠が去年のものと違うと思ったのか、だ。
ジェシーは俺が来たのに気付くこともなく、ただひたすらに海を眺めている。俺も同じ方向を見てみる。そこには限りなく青い地中海が広がっているだけだ。今日は風もなく波も穏やかで、ヨットも出ていない。もっとも、船遊びの季節には少々早い。彼女はたぶん、ここから海を眺めていたいだけであって、何が見えるからこの景色が好きだとか、そういうものじゃないんだろう。それは解るような気がするが、それだけじゃ彼女との会話は成立しそうにない。この前のステージでも若い女を相手に失敗したのに、それよりさらに若い、歳が俺の半分くらいの娘の攻略方法はもっとよく判らない。話しかけるきっかけになるハプニングでも起こらないかと思って30分ほど待ってみたが、何もなかったのでしかたなく正攻法でいくことにした。
「ハロー!」
声をかけると、ジェシーはこちらへ振り返った。そして無言でゆっくりと立ち上がった。目付きがきつい。ちょっと待て、まさか既に警戒されてるんじゃないだろうな。ここから彼女のところへは10ヤードほど離れているが、少し上から見下ろす形になっているので、威圧感を与えるんじゃないかとは思っていたのだが。
「いつもここにいるのか?」
俺の問いかけに、彼女は小さく頷いた。こちらの方を不審そうな目でじっと見ている。まだ信用されてないんだな。まあ、逃げ出されるよりはましだが。
「今朝、聖堂で見たマリアの王冠のことを聞かせてくれないか?」
ちょっとストレート過ぎるが、回りくどく話を持って行くとますます不信感を与えかねない。だが、ジェシーはこちらへ向けていた視線を切って、うつむいてしまった。やはりまずかったかと思いつつもしばらく待つと、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声が返ってきた。遠慮がちな上目遣いで、こっちを見ている。
「どうしてそのことが知りたいの……?」
さて、その理由を正直に言うべきかどうか。正攻法で行くと決めたから、言うべきだろうな。
「あの王冠のことを調べに来たんだ」
「調べに……じゃあ、あなた、
「いや、
年頃の少女というのは神経が敏感で、この前のように嘘をつくと察知されてしまうかもしれないんで、正直に言ってみたのだが、反応や如何に。警戒されたら困るのだが、そもそも彼女の口から探偵なんて言葉が出てくるってことは、あの王冠について彼女自身が何か調べたいことがあるという意識の表れだ。もしかしたら犯罪が行われたんじゃないか、などと疑っていたりもすることだろう。それなら、
「
いやいやいや、これはまた、ずいぶんと好意的に訳されたもんだなあ。まさか、リュパンの同類と思われるとはね。しかし、そこまでいいものじゃないと思うんで、一応否定しておくか。
「残念ながら、彼ほどの冒険はまだしたことがない。仲間もいないし、せいぜい一人で銀行の金庫を開けようとするくらいだ。他人に危害を加えるようなこともしないよ」
「王冠を盗みに来たの?」
相変わらず声が小さい。ただ、俺が泥棒だと知っても恐れるでもなく、目を輝かすでもなく、淡々としている。気だるい表情もそのままだ。
「まだ、そうと決めたわけじゃない。だが、君は今朝、あの王冠が以前と違うものに見えると言っただろう? その理由を聞きたいだけだ。もしあの王冠が偽物なら、盗む価値は全くないんでね」
「あれは……」
彼女の視線がまた漂い始めた。頭の中で、今朝見たことを再現しているのかもしれない。だいぶ経ってから、ようやく続きの言葉が聞こえてきた。さらに小さい声で、波の音に消えそうだ。
「判らない……ただ、そう見えただけで……だから、私の気のせいで、ダニエルの言うとおり、去年と同じものなのかも……」
「ダニエルは何をしている人?」
「彼女は、聖堂で行事があるときにお手伝いをする人で……」
「どこへ行けば会える?」
「……彼女にも、訊きに行くの?」
「何か知ってそうな気がするからね」
「でも……あなた、泥棒でしょ……彼女は……」
そう言ってジェシーは口ごもった。うん、まあ言いたいことは解る。ダニエルはきっと敬虔なクリスチャンなのだろう。だから、泥棒なんぞという人道を外れた輩とは会わせたくない、というわけだ。だが、ジェシーもあの王冠のことはまだ気にかけているはずで、彼女自身、もう一度ダニエルに訊いてみたいことがあるんじゃないか。それで、俺がダニエルに訊こうとするのを止めきれない……のだろうと思う。しかし、ジェシーには正攻法で行くと決めたんで、彼女の気持ちにつけ込むようなことはしないでおこう。甘いなあ、俺も。スターターQBになれないはずだ。
「教えてもらえないのなら、仕方ない。自分で探すさ」
「
「言ってない。昨日、君のゲストハウスに泊まると決めたときにはあの王冠のことは知らなかったし、あれを盗まなきゃならないのかもまだ判ってないんだ。だが、これから泥棒をしようとしている人間が泊まっているのが迷惑というのなら、すぐに出て行くよ」
「あ、
ジェシーはまた視線を漂わせ始めた。どうやら一人で勝手に何かを迷っているようだ。何に迷っているのかはだいたい想像がつくが、黙って待つしかない。1分ほど経って、ようやく彼女は口を開いた。
「……
訊かないでと言われても、ジェシーの他に王冠について何かを知っていそうなのは今のところダニエルだけなのだから、さすがに訊かないわけにはいかない。だが、せっかく泥棒の件を配慮してくれているのだから、ダニエルに訊くのはなるべく後回しにしよう。ますますもって甘い人間だ、俺は。
「わかった。じゃあ、他を当たってみよう。それから、もう一つ。ちょっとこれを見てくれ」
胸ポケットから高級ルビーのネックレスを取り出し、ペンダント・トップのルビーをジェシーへ見せた。
「このネックレスは土産物として買ってきたんだ。トップに宝石が付いているんだが、そこから見えるか?」
ジェシーはしばらくそのルビーを見つめた後で、小さく頷いた。
「何の宝石か判るか?」
「赤い……ルビー? 小さくてよく判らないわ……」
「それでいい。ありがとう。俺はこれからゲストハウスに戻るが、一緒に帰るか?」
ネックレスをポケットに戻しながら訊いた。一瞬、間を置いてから、ジェシーは小さな声で答えた。
「後で……一人で、帰るわ……」
「わかった。じゃあ、先に戻る」
俺はジェシーに向かって片手を挙げたが、彼女はぴくりとも動かなかった。岬の小道を歩きながら、先ほどジェシーにペンダントを見せたときのことを思い返す。彼女との間は、10ヤードほどあった。ちょうど、祭壇からマリア像までの距離と同じくらいだ。だが彼女は、あの王冠に付いていたものよりも、さらに小さいルビーを見ることができたのだ。視力がいいのは判った。
それはさておき、ダニエルに会うのを後回しにするのは仕方ないとして、どこにいるのかだけでも探しておかないといけない。ジェシーによれば、ダニエルは聖堂の行事を手伝いに行っているらしい。だが、今日の昼のミサの後にはいなかった。手伝いに来る
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